特殊な体験が導く新しい感覚
text : 吉川宏志
「短歌年鑑」などの発売される時期になった。今年は歌集の当たり年で、特に中堅以上の優れた作が多かった気がする。その反面
、インパクトのある新人の歌集は、あまり多くなかったのではないだろうか(私が読み落としているだけかもしれないが)。そんな中で、最近出た都築直子の第一歌集『青層圏』は、とりわけ新鮮な読後感を得られた一冊であった。作者はスカイダイビング・インストラクターをしていた人で、それを素材にした歌がまず目をひく。
旋回の機よりにんげん減るたびに床の面積広さを増しぬ
ひらかれしジャンプドアよりのぞくときありありと見ゆ大気の緊(し)まり
大空の青を一蹴りづつゆけば一蹴りごとにひとは近づく
五十首の連作の一部なので、三首だけ引用しても面白さは伝わりにくいかもしれないが、特殊な体験をなかなか巧みに詠んでいるのではないか。体験に溺れているのではなく、「にんげん減るたびに床の面
積広さを増しぬ」のように、冷静な眼の存在が感じられる。
まひるまの地へおりゆけばねつとりと熟れた空気が手足にからむ
自由落下(フリーフォール)の涙の跡にくもりたるゴーグルひとつ布きれで拭く
地上に降りたあとの歌である。空を飛んでいるときの特異な身体感覚から、日常的な感覚へ戻ったときの心の揺らぎが伝わってきて、印象に残った。スカイダイビングは死と紙一重であり、「にんげんの大きさほどにくぼみたる鈍(にび)色の土を見下ろして立つ」のように、死のイメージを随所にちりばめながら連作をまとめている。そうした構成力も新人離れしている。短歌というものは、単純な体験主義になってはならないのだが、特殊な体験が新しい感覚を導いてくることはある。その感覚をいかに限られた短い言葉で表現できるか。そこから先は、作者の言葉のセンスだけに掛かっている。いくら変わった体験をしていても、表現が駄
目なら、駄目なのである。その厳しさが、短歌の面白さでもあるのだろう。
椅子ひとつ朝の戸口にはこばせて雨待つやうに僧待つをんな
心臓よときにはきみも一日(いちじつ)の有給休暇ほしくはないか
かりそめの折り目にそひて最高裁裁判官審査用紙は二つに閉じぬ
一首目はタイの旅の歌。いろいろな歌が詠める人で、しかも歌い口が洗練されている。力強い新人の登場を喜びたい。
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