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◆ 社名の歴史 ◆
「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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◆ 週刊時評 ◆
川本千栄・広坂早苗・松村由利子の三人がお送りする週刊時評(毎週月曜日更新)

リアルをめぐる迷宮
text : 大辻隆弘

 短歌におけるリアルとは何か。それを論じるのはつくづく難しいと思う。
  黒瀬珂瀾の時評「対岸と彼岸のリアル」(未来9月)は、私たち先行世代とバブル崩壊以降に思春期を迎えた黒瀬の世代の「現実格差」に言及した文章である。
  昨今、穂村や俵の歌が「現実」から逃避している、という批判がさかん言われるようになった。黒瀬によれば、これらの批判は、おしなべて「現実」というものを「老病・介護」といった困難として捉え、そのような「現実」に対する思い込みに立った上で、穂村・俵らの「現実逃避」を批判する論法を取っている、という。黒瀬のいうことを私なりに敷衍すれば、「情況や組織や家族や恋愛といった葛藤」といった「近代的シリアス」(島田修三)のみを「現実」ととらえる上の世代の人々が、穂村・俵バッシングに走っているということなのだろう。
  斉藤斎藤の「屈託のない葛藤もある。」(短歌人10月)も同様の問題を指摘している。
  斉藤は、島田修三が「葛藤を回避し屈託のない短歌」として批判した永井佑の「あの青い電車にもしもぶつかればはねとばされたりするんだろうな」という歌には「立ち向かうべき敵も見えず、吊るほどの首ももたない〈ぼく〉が、他人事のようにもんもんとしているような」現実感を感じるという。島田の上の世代の目からみれば「現実逃避」としてしか見えない歌のなかに、自分たちの世代の切実な「現実」があるということを斉藤は主張するのだ。
  これらの論議のなかには、「病老・貧困・情況・組織・家族・恋愛」といった近代的な諸困難を「現実」としてとらえ、それとの格闘を文学の必須と考える島田らの世代と、「向かうべき敵」が見えない閉塞状況のなかで青春を送った黒瀬・斉藤らの世代とのギャップが、顔を覗かせている。島田らのいう「現実」と黒瀬らが感じている「現実」の間には、たしかに大きなギャップがあるといえよう。
  もし、文学における「リアリティ」というものを、読者の作品に対する「実感」や「共感」に基づくものだと考えると、「リアリティ」というものは、世代や個人によって大きく異なってしまうことになるのだろう。なぜなら、島田と黒瀬・斉藤の議論で明らかなように、現在、「現実」そのものが世代や個人で大きく異なっているからである。「リアリティ」に対する共通 理解の基盤は存在しないのだ。それぞれ異なる「現実」観に立って、「この作品はリアルである、リアルでない」といってみたところで、議論が水掛け論になることは目に見えている。
  では、私たちに、このような「リアルをめぐる迷宮」を脱する方途は残されているのだろうか。
  非常に難しいことではあるが、「実感」や「手ざわり」といった各人の「共感読み」を極力抑え、作品の「ことば」そのものに精緻な視線を送ることが、今、必要なのではないか。短歌でいえば、書かれている内容を早急に解釈して「リアル」を判断するのではなく、助詞・助動詞・修辞・韻律といった意味以外の部分に鋭く心を致して作品に真向かう……。「リアル」をめぐる迷宮や水掛け論から逃れるうるのは、そのような精緻で丁寧な「ことば」に対する視線であるような気がする。

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