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◆ 社名の歴史 ◆
「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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◆ 週刊時評 ◆
川本千栄・広坂早苗・松村由利子の三人がお送りする週刊時評(毎週月曜日更新)

朝日歌壇鑑賞会への反論
text : 大辻隆弘

 やはり、反論はしておこうと思う。
 ネット上に「朝日歌壇鑑賞会」というホームページがある。そのなかの7月1日付の記事で私の歌が取り上げられていた。

    横田早紀江といふ母
   子をおもふ誠がやがておのづからナショナリズムを帯びゆくあはれ

 この拙作に対して、この鑑賞会の事務局長は当該の記事のなかで次のようにいう。

 「あはれ」をどのような意味で使っているのかはっきりしませんが、おそらく「ナショナリズム=悪」と単純に思っていて、ナショナリズムを帯びるのが悪いと言いたいのでしょう。

 彼はこのような解釈に基づき、私のこの歌を「心ない歌」と批判する。また、このページの「コメント」欄では、投稿者の発言に応対して私のことを「大辻隆弘は歌壇の中でも札付きのアッチ系」「職業が三重県立高校の教師で、三重県と言えば日教組が強いところ。典型的なそっち系の人」と推測している。「アッチ系」「そっち系」とは何を指しているのか分らないが排他的な言い回しであることは確かだ。
  はなはだしい曲解というべきだろう。
  一般的にいって、短歌作品というものは、作者の手を離れた時点から独立して存在するものであり、その評価は読者の「読み」に委ねられる。そのことは私も了解している。が、その「読み」は、あくまでも作品そのものの「言葉」に対して繊細な感覚をもって行われるべきものであり、その作品が散文ではなく韻文(短歌)なのだ、という理解の基盤に上に立って行われなければならない。「鑑賞」という行為は、本来、そのようなまっとうで真摯な「読み」に基づいた上で行わなければならないものであるはずだ。
  氏は、私の歌の結句「あはれ」を「ナショナリズムを帯びるのが悪いと言いたいのでしょう」と解釈している。彼は、善悪判断にもとづく悪感情・忌避感情がこの「あはれ」に凝縮されていると考えるのである。
  本居宣長の「あはれ」の説を持ち出すまでもない。いやしくも短歌の「鑑賞者」を自認するものであるならば、日本語の「あはれ」という言葉が、本来「相手や事態に対する自分の愛情・愛惜の気持ちを表し」(『岩波古語辞典』)その後「多く悲しみやしみじみとした情感」(同)を表す言葉になったということは、もちろん知悉しているに違いない。
  明治以降の近代短歌は、この「あはれ」という言葉の持つ深い情感を最大限に利用し、陰影の深い秀れた歌を数多く生み出してきた。

  こゑあげてひとりをさなごの遊ぶ聞けばこの世のものははやあはれなり  斎藤茂吉
   跳躍のときを待ちつつ日本選手孤り四肢細く佇てるがあはれ      三国玲子

 たとえばこれらの歌の「あはれ」に、いささかも忌避感情が混入していないのは、通 常の言語感覚を持つものである者であるなら誰もが了解することだろう。
 そう考えてくると、私の歌の「あはれ」を一義的に「ナショナリズム=悪」という忌避感の表出と受けとる彼の解釈は、中学生ならともかく、歌壇の「鑑賞者」としてはあまりにも貧しい解釈といわざるを得ない。
  もちろん、私は氏の言語感覚が貧弱である、などと言おうとしているのではない。氏は2004年4月28日付の当該ホームページの記事で皇后の短歌を誤読した評論家・渡辺みどり氏を「渡辺みどりは、高校の古文レベルの知識すらない無教養な自称『皇室評論家』、ということが世間様に晒されてしまいました。あーら、恥ずかし〜い!」と罵倒している。そのような断言をする氏が、「高校の古文レベル」である「あはれ」の語意を知らなかったとは思えない。
  とすれば、事態はさらに複雑だ。氏は「あはれ」の語意を知っていながら、その「あはれ」の語意に正面 から向かいあうことなく、その語がもつ情感を汲み取ろうとはしなかったことになる。もし氏の目を曇らせた当のものが、「反北朝鮮」という氏の政治信条・イデオロギーであるとするならば、彼は日本語の精粋たる短歌を、イデオロギーに基づく恣意によって意図的に曲解したことになる。
  氏は、そのホームページでイデオロギー主導で行われた朝日新聞歌壇の選歌を執拗に批判する。その意図には、私自身、共感できる部分もある。歌は、イデオロギーで歪められてはならない。それは歌に対する冒涜であり、この国の文化の基幹である「やまとことば」に対する冒涜であるからだ。もし氏が、氏のイデオロギーに基づいて「あはれ」を恣意的に曲解したとするならば、氏は、彼が批判してやまない朝日新聞歌壇と同じ過ちを犯していることになる。
  私は、歌に対する敬意を忘れた「鑑賞者」を信じない。「やまとことば」に対する尊敬を忘れた者が口にする「愛国」も、また、信じはしない。

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