後期・山中智恵子
text : 大辻隆弘
総合誌の山中智恵子追悼号が出そろった。敬して遠ざけられがちだった山中の作品に対する、さまざまな歌人たちの評言を見ることができて意義深かった。
しかしながら、それらを読んで疑問に思ったことがある。それは、山中智恵子の「後期」の作品の位
置づけである。
昭和58年、山中は最愛の夫を失う。それ以後、彼女は「心神喪失」の状態に陥り、何度かの入退院を繰返すことになる。しかしながら、彼女はその後も、20年以上も歌を作りつづけてきた。歌集は11冊に及ぶ。それら「後期・山中智恵子」への評価が、前期のそれに比べて、異常に低いように思われるのである。
たとえば、角川短歌五月号の「追悼座談会」で、岡井隆は、次のように言う。
(夫を亡くした以後の山中は)すごい残念というか寂しかったですね。(略)あの辺から僕は山中さんに対する気持ちがぐらついた。だから、悪口も言わない代わりに判断停止というかたちにしちゃったんです。
もちろん、この発言には、当事者しかわからない私的な事情も混じっているのだろう。が、このような後期山中智恵子に対する短歌界全体の「判断停止」は、この時期の彼女の作品の評価の目を曇らせている気がしてならない。
個人的なことを言えば、私が知っている山中は病気から回復した時期の山中である。したがって、リアルタイムで読んだこの時期の彼女の歌には、私には思い入れがある。
きみなくて今年の扇さびしかり白き扇はなかぞらに捨つ 『星醒記』
風に抱かれて何せむわれかひとひとりうしなひしのち雲の迅さよ 『神末』
帝国といふ名のありしかな青き青き夏空にとほく失ひたりき 『黒翁』
夢のなか人を殺さむたのしみの遠くなりつつ老いむとすらむ『玉
も(※草冠に妾)鎮石』
いましばし見ぬ世の夏の面影に虚空を詠みて終へなむものを 『玲瓏之記』
別れ虹うすれゆくかなもの暗き少年としてわがみつめゐる
私が偏愛する山中智恵子の歌々である。 たしかにこれらの歌には、例えば「三輪山」や「鳥髪」の歌のような歴史的な背景や、それにもとづく難解さはない。が、その代わりに、短歌がもつ本来的な平明でのびやかな調べが充溢している。それは、この歌人本人が持っていた無邪気さと深く密着しているようにも思う。
考えてみれば、山中の歌は常に主知主義的に解釈されてきた。形而上学的・巫女的という名で呼ばれながら、彼女の平明な感受性は、遂に見落とされてきたのではなかったか。「おんなうた」の伝統は、「鳥髪」の歌よりもむしろこれらの歌の中により深く継承されているのではないか。
後期・山中智恵子の歌には、うたが本来的にもっている、のびやかな美しさがある。それを正当に評価できるか否か。それは、短歌批評がどれだけ成熟しているか、その成熟度の尺度となろう。
偏狭な主知主義から脱却した批評眼が求められる。
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