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◆ 社名の歴史 ◆
「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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川本千栄・広坂早苗・松村由利子の三人がお送りする週刊時評(毎週月曜日更新)

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なまなまとしたものへ
text : 大辻隆弘

 角川『短歌年鑑』に諸氏の年間回顧の文章が並んでいる。すべて興味深く読んだが、そのなかで、特に印象深かったのは花山多佳子の「切断と継承」であった。
 花山は、昨今、若い歌人に対して発せられる「人生がない、思想がない、重みがない、実感がない、現実がない」といった批判的言辞のなかに、「近代」に対する上の世代の硬直化したノスタルジーを感じとる。そして、そのような硬直した「近代懐古」の視線で、若い世代の歌を等し並みに批判することへの危惧を述べる……。要約すると、そういう文章である。
 私が感心したのは、この文章における花山の批評態度である。彼女は、若い世代の歌人たちを世代で括って批判してはいない。むしろ、若い歌人たちの作品の「ことば」そのものに身を寄せながら、若い歌人が今何を感じているか、を具体的に明らかにしている。その姿勢に共感した。
 たとえば、彼女は島田修三が時評で「トホホな歌」として批判した「あの青い電車にもしもぶつかればはねとばされたりするんだろうな」(永井祐)という歌の下句に注目している。そして、この「やけに引き伸ばされた一字一字の対応に、この歌のリアルさがあるのだろう」と批評し、そのなかに「戦後資本主義社会の現実のツケをすべて回された末端世代」である彼らの「前向き」「強さ」「競争力」「ナショナリズム」などに対する消極的な反抗がある、とするのである。
 この批評に代表されるように、花山は、若い人々が感じているであろう「リアル」を言葉そのものに即して理解しようと努めている。その上で、硬直した世代論で、頭ごなしに彼らの歌を否定することへ苦言を呈している。
 このような花山の批評態度の背後には、彼女の現代という時代に対する冷静な視線が働いているのだろう。彼女は、同じ文章のなかで、塚本・山中・近藤の歌のなかにあった「本質なり理念なりを現象から抽き出すという二元論」がもはや無効になっている現状を指摘している。戦後短歌を貫いていた「理念や本質こそがリアルだ」という信仰が無効になっている……。そういう時代認識があるからこそ、彼女は先入観を極力排して「ことば」そのものに現象学的に真向かおうとしている、といってよい。  若い西之原一貴も同様だ。彼は、この花山や小池光の歌をめぐって「短歌往来」1月号に「まなざしの文体論」という文章を書いている。この文章も「作者がどのように歌のことばをもって風景を切り取ってきたか」を、歌のことばを忠実に追うことで「追体験」しようとした論であった。まだ、序論的な分析に過ぎないが、今後、若い世代による若い世代の歌のこのような分析が出てくれば、世代間の不毛なリアル論争に対する有効な処方箋になるのではないか。
 今年は、「リアル」のありかをめぐって活発な議論が湧き起こった年だった。時評を中心に、総じて、生産的な議論が多かったように思う。が、それでも、短歌の批評はいかにあるべきか、その独自性はどこにあるのか、といった問題は十分に論じられたとは言い難い。
 思想や主題や修辞以外の部分にある、なまなまとしたもの。そのなままなとしたものを、歌のことばに即して、説き明かし、明るみに引き出してゆく……。私自身は、そこにこそまだ開かれていない短歌批評の可能性がある、と考えている。

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