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光子の質量はゼロか?                  
光子の静止質量を求める                   
光は光速度C未満のあらゆる速さで運動する        
空間とは何か                      

    BACKMENUHOME  光子の静止質量はゼロか?

 現在の物理学の常識としては、光子の静止質量はゼロであるということになっています。これは光が媒介する電気の力が無限の距離にまで到達すると考えられており、ゲージ理論によれば無限遠にまで到達する力を媒介する粒子の質量はゼロでなければならないと考えているからです。また相対性理論では光は光速度のみで運動すると考えています。他の普通の物質は決して光速度に達することはありません。なぜなら、相対性理論では静止質量mを持つ物質は速度vで運動すると m'=m/√1−v2/C2の質量に増大します。速度C(光速度)では質量は無限大になってしまうことになります。つまり決して光速度には達することができないということになるのです。すべての物質にこの理論が当てはまるのであれば、もちろん光子に対しても当てはまらなければならないと私は考えます。しかし、この速度と質量の関係を表す式に光子を当てはめるとどうなるでしょうか。m'=m/√1−v2/C2にmにゼロを、vにCを代入すると、ゼロ/ゼロとなりある一定の数値を求めることは決してできません。実際には光子は、通常の物質であれば速度が増加するようなとき、例えば、光を放射する物質がこちらへ向かって運動しているときに、通常の物質と同じようにそのエネルギーが増加して観測されます。まるで通常の物質と同じようにエネルギーが増加するのに、速度と質量の関係を表す相対性理論の式からは、ゼロ/ゼロしか得られず、光子のエネルギーがどのような値を持つかはこの式からは求めることができません。光子のエネルギーに関してはまるで相対性理論は無力であるかのように見えます。なぜ相対性理論がこのように光子に無力であるかというと、それは相対性理論が最初から光を特別扱いすることを宣言し、光のエネルギーの問題を取り扱うことを放棄してしまっているからなのです。この特別扱いからは、静止質量ゼロという値しか許されませんが、かといって静止質量ゼロからは、決して光子のエネルギーがいろいろな値を取り、かつ一見ある法則に従って変化しているように見えることを合理的に説明することができません。
 このようなおかしなことは本来許されるべきではありません。光子といえども、特別扱いするような理論は明らかに適用範囲の狭い理論です。相対性理論とはそのような適用範囲の狭い理論なのでしょうか。少なくともこの問題に対しては相対性理論は立派に通用する理論であると私は考えています。相対性理論で光を特別視したことに問題があるのです。光子も他の物質と何の違いもないということをはっきり認識すべきです。

BACKMENUHOME   光子の静止質量を求める

 ゲージ理論によると無限の距離にまで到達する力を媒介するのは質量ゼロの粒子です。しかし、ゲージ理論が正しい理論だとしても、光子の媒介する力が無限の距離にまで到達する必要があるでしょうか。宇宙が有限で閉じているという考えに基づけば、この力は無限の彼方にまで到達する必要はまったくありません。
 ここで量子力学の考えを用いてみましょう。量子力学によると、コンプトン波長というものがあって、これは静止した粒子の波としての大体の大きさを示しています。この波長αは、α=h/mC(hはプランク定数、mは粒子の静止質量、Cは光速度)で表すことができます。質量ゼロとすれば、このコンプトン波長は無限大となります。質量ゼロの粒子によって媒介される力は距離の2乗に反比例して減少し無限の遠方にまで力を及ぼし「長距離力」と普通呼ばれています。
 また原子核の大きさは10兆分の1センチ程度で、中性子と陽子を結びつける核力の到達範囲もそのぐらいの距離と考えられています。この距離をコンプトン波長としてもつ粒子の質量は簡単に計算できます。湯川秀樹はこのようにして核力を媒介する中間子の存在とその質量を予言しました。この考えを適用し、この宇宙が有限で閉じていると仮定すれば、長距離力は無限大の距離にまで到達する必要性はなく「長距離力」を媒介する粒子の質量はゼロでなくてもよくなります。それどころか宇宙に物質として存在する限り、波長が宇宙の大きさより大きいというのはナンセンスです。それゆえにこの宇宙に物質として存在する限りその静止質量には下限があることになります。
 充分に合理的な理由に基づいて(また別の章で説明する予定です)、宇宙を1000億光年程度の大きさとしましょう。誤差はおそらく一桁程度でしょう。この大きさをメートルに直せば、1×10^11×365×24×60×60×3×10^8=1×10^27メートル(ただし^は累乗をあらわします)となります。 コンプトン波長と質量の関係は、m=h/Cαとなりますから、αに1×10^27を代入すればよいのです。そうすると、m=(6.63×10^-34)/(3×10^8×1×10^27)=2×10^-69kgとなります。おおよそこの質量で、光子は宇宙全体に対してその電磁気力を及ぼすことができるのです。

BACKMENUHOME  光は光速度C未満のあらゆる速さで運動する

   光子の静止質量が先に述べたような値を持つと考えて更に検討してみましょう。その前にここで、確認しておきたいことがあります。光速度Cと記載するとき、それは実際の光の速さではなく、相対性理論での越すことのできない極限値としての速さを表すものとします。それを確認したうえで、もう一度式を用いますと。光速度Cの90%になっても4.6×10^-69kgであり、とても観測できません。光速度CとN桁目にして初めて誤差が生じるぐらいに光速度Cに近いスピードとなっても、その質量は静止質量のおおよそ10^(N/2)倍にしかならないのです。つまり50桁目にして初めてそのスピードに違いが生じたら、静止質量の10^25倍となり、だいたい10^-44kgぐらいになるのです。このように考えると元の静止質量があまりにも小さいために光子はそれが観測できるぐらいのエネルギーを持つぐらいの速さとなったときには、究極のスピードとしてのCともはや区別をつけることが技術的にできないのです。
 しかし厳密にいえば決して究極の値Cにはたどり着けないことになります。それどころか、本当は光は速さゼロから光速度C未満のあらゆる速さで運動することができるのです(あまりにもエネルギーが小さすぎて技術的にほぼ観測不可能ですが)。 このように考えれば先に述べたようなゼロ/ゼロというようなわけのわからない迷路に陥る事なく相対性理論を適用することができます。実際の観測ともまったく矛盾しないし、近づいたり遠ざかったりする放射源から放射された光のエネルギーの変化も相対性理論を用いて正確に説明することが可能となります。電磁気力の力の及ぼす範囲についても矛盾なく説明ができます。今まで、光子の静止質量がゼロと考えたために生じた不都合は、すべて消え去るのです。なぜ、現代の物理学者がこんな単純なことに気が付かないのか、非常に不思議です。

BACKMENUHOME  空間とは何か

 電磁気力として力の媒介をしているときは光はほぼ静止しています。このとき、その光の粒子は、おおよそ先に示したような質量を持ち宇宙全体に広がっています。この広がっている範囲が電磁気力の力の及ぶ範囲です。物理学上では、光の仮想粒子というわけのわからない概念を持ちだし、電磁気力はその仮想の粒子をやりとりすることにより作用していると考えています。しかし、これは決して仮想の粒子などではありません。我々の常識をはるかに越えた存在ではあるものの、確かに実在しているのです。あまりにも大きく広がり、そしてあまりにも小さな質量しか持たないために、1つ1つの粒子を観測することが事実上不可能であるというだけです。光のように力を媒介する粒子はボソンと呼ばれ、同じ状態に重なって存在することが可能です。この真空でなにもないように思われていた宇宙空間は、実はこれら光のようなボソン(おそらく重力子も)が無数に重なって存在していることになります。あまりにもそれらの粒子が均一でかつ希薄に存在しているため、我々はその存在を実感しないだけです。さらに深く解釈すれば、、それらがただ宇宙空間に存在しているというよりは、それらのボソンが宇宙空間を形成しているのだ、という考えが正しいのでしょう。ボソンも、広義には物質ですから、空間とは実は物質そのものであることがわかります。
 ここに述べた光の性質は、宇宙が有限であるというところから出発しています。それゆえに、このようにすべてがうまく論理的に説明できるためには、宇宙はやはり有限で閉じていなければならないと私は考えます。 BACKMENUHOME