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古代の宇宙論                    
天動説から地動説へ         
なぜ天動説が信じられたのか   
ビッグバンモデルについて  
ビッグバンモデルは生き残れない            
インフレーションモデルも生き残れない         
定常宇宙論は圧倒的に有利である          

BACKMENUHOME  古代の宇宙論

 古代ギリシャの宇宙論において、月の運動の不均等性や惑星の留や逆行など、これらを説明するには彼らの知識の範囲内では、太陽を中心として地球がその回りを巡る地動説では不可能でした。
 紀元前370年頃の古代ギリシャの天文学者エウドクソスが考えた宇宙はそれぞれの天体の天球上での動きを地球を中心とするいくつかの同心球面(周転円)の複合した動きと考え月と太陽には各々3個の球面を考え、また5惑星には各々4個ずつの同心球面を考えました。その他の星は日周運動だけなので1個を考えました。こうして27個の同心球面の回転で天体の運動を表しました。その後も詳しい観測結果に合わすためにこの同心球面は次第に増やされていったのです。
 西暦150年頃活躍した古代ギリシャの哲学者プトレマイオスは、アリストテレスの物理学をとりいれて宇宙像を考え出しました。この宇宙像は中世から近代の初頭まで支持されていました。この宇宙では79個の周転円を組み合わせており、当時の宇宙の観測事実を説明するには、この体系で十分でした。このギリシャ天文学の成果は13巻の本にまとめられ「アルマゲスト」と呼ばれています。(相対性理論で宇宙をみる 堀源一郎 著 日本放送出版協会、古代の宇宙論 C.ブラッカー M.ローウェ編 矢島祐利 矢島文夫訳 海鳴社、などより)
 ギリシャ天文学の集大成であるこのプトレマイオスが考えた宇宙モデルはこのように同心球面の地球を中心とする回転によって表された天動説でした。宇宙を地上と天上からなる2重構造と考え地上の基本的な運動は垂直運動であり、天上界における基本運動は円運動であると考えました。またプトレマイオスが取り入れたアリストテレスの物理学では、地上で物体が落ちる速度は物体の重さに比例するというものでした。
  このプトレマイオスの宇宙モデルは非常に巧妙であり、観測結果と矛盾する事なく十分に実用的なものでした。 しかし古代ギリシャの人がすべて天動説を支持した訳ではありませんでした。ほとんどすべての説に対してその反対の意見を持つ説が述べられたのです。
 太陽中心の天文学説を押し進めた最初の天文学者は紀元前3世紀のサモスのアリスタルコスでした。上弦や下弦の月のように、ちょうど半分に月が見えるようになったとき、地球上のある地点Aから見える月と太陽のなす角度を測定し大空に直角三角形を想定しその値から地球から月までの距離と地球から太陽までの距離の比を求めました。当時は正確に角度を測定することができなかったので地球から太陽までの距離は月までの約19倍あると結論しました。月と太陽の見かけの大きさが一緒なので、太陽は月の直径の19倍あると結論したのです。このように大きな太陽を中心と考えることが、より合理的であると考えアリスタルコスは地動説を唱えたのです。 彼は恒星と太陽は不動に止まること、地球は円を描いて太陽の周りを回ると仮定しました。
 またアリスタルコスと同時代のエラトステネスは地球が大きな球であると考え、離れた2地点での太陽の南中高度の差を求めることにより地球の大きさを正確に求めました。
 このように、地動説は紀元前より唱えられていたのですが、後の宇宙論に対して大きな影響をもつプトレマイオスはこのような太陽中心の説には反対でした。それには理由がありますが主なものをあげると、「地球がもし太陽の回りを回転しているとすると、その回転速度は莫大でなければならないが、空気中を動いている物体にこの運動が何ら感知される効果を示さない」ということと、「もし地球が動いているとすると恒星の視差、すなわち地球の軌道上の位置によって星の方向が異なって見えるという効果が観測されるはずなのにな実際には観測されない」ということでした。また季節の長さの不規則性という問題が天文学者の課題になっていましたが、太陽中心説はこの問題を解くのに適していませんでした。これらの理由だけであれば、より科学的な批判と観測により理論は修正され、地動説がもっと早い時期に花開いたはずです。しかしこのように科学的に他の理論を批判するというのはごくわずかな人達のすることであって、ほとんどの人々はそのような科学的知識も批判的精神も持ち合わせぬまま、人間中心的な考えを持ち正常な科学的進歩を妨げたのです。特にプトレマイオス以降、キリスト教が支配する世界となり、宗教こそが絶対的真理とされると、ギリシャ時代のような科学は否定され天動説が絶対とされるようになりました。
 このような、非科学的人間が一般大衆だけであるなら問題はまだ少ないでしょうが、科学の世界の指導的な立場にいる人達までがこのような考え方に毒されていたため長い間天動説が支配することとなってしまいました。この時代は何と約千年もの長きにわたるのです。

BACKMENUHOME  天動説から地動説へ

 この天動説を打ち破ったのがコペルニクスです。コペルニクスは1510年に小さなパンフレットを出し地動説の考えを述べています。その後さらに検討を加え1530年頃には大論文の原稿はでき上がっていたとのことですが、その後長い間出版を差し控えました。「天体の回転について」という太陽中心の地動説が唱えられた本が出版されたのはコペルニクスの死んだ年の1543年のことでした。コペルニクスがこのように出版になかなか踏み切れなかったのは、プトレマイオスの天動説に比べて観測結果を十分に説明できなかったからです。もちろんコペルニクスが初めて地動説を唱えた人間でないことは明らかですが、千年もの長い間信じられた説に異を唱えたのは非常に勇気のいることであったでしょう。
 コペルニクスが唱えた地動説ではまだ惑星が円運動を行うと考えたため実際の観測とは一致が得られず、プトレマイオスの天動説のほうがより観測事実にあっていました。そのために当時の天文学者からは受け入れられませんでした。1609年ケプラーによって惑星が円運動ではなく楕円運動をすることが発見されついに地動説が天動説に対して学問的に優位な立場を得ることができるようになったのです。更に1687年ニュートン力学が成立し地動説を論理的に説明し、地動説は確かなものとなりました。

BACKMENUHOME  なぜ天動説が信じられたのか

 天動説は千年もの長い間人々に正しいと信じられ、また十分に実用的な役割も果たしてきました。しかしこの説は根本的な間違いを犯しており、それを見破られる事なく、なぜそんなに長い期間生き延びたのでしょうか。我々人類が千年もの間欺かれ信じてきたのは避けようのない事であったのでしょうか。地動説に至るまでの十分な観測や科学の発展がないことによる必然的な出来事であったなら、それは避けることのできない道として受容しなければなりません。しかし、歴史を振り返ると、避けることのできない道であったとは考えられません。その理由はまず既に紀元前に十分に科学的な理由によって地動説を唱えている人々がいたこと、そしてその考えを更に進歩させて行こうという人々を排除しようとする宗教的及び無知による迫害が存在したということです。
 アリスタルコスの地動説をその後十分に人々が受け入れていたならばコペルニクス、ケプラー、ニュートンの得た理論はもっと早くなし得たはずです。それがなぜ千年もの期間がかかってしまったかということを分析すれば、今後人類が同じような失敗を続けることを防ぐことができるはずです。  それを箇条書きにして考えてみましょう。
地動説が長く受け入れれれなかった理由
 1)観測データを十分に説明できなかった。
 2)宗教的迫害があった
 3)天才といわれる先人のなした仕事を絶対視する傾向があった。
天動説が地動説に劣る点
 1)観測データを説明するために周転円というなぜ存在するのか不明の円をいくつでも追加しないといけない。
 2)地球が特別な地位にあると考えなければならない。
  より良い理論は単純な一つの理由によって形成されなければならないのに、天動説では周転円を次々に追加して行くことについての合理的な単一の理由づけが不可能です。観測が正確になるたびに細かな破綻が生じそのたびにその部分にのみ通用する理論(周転円)を追加しなければなりません。天動説ではこの周転円が最終的にいくつ必要かを予言することすら不可能であり、観測が正確になれば限りなくたくさん必要となります。
 また、宇宙全体における地球の占める地位や大きさということに対する科学的な認識ができておらず、地球や人間を特別視する幼稚さがその理論の中に入り込んでいます。今後我々が理論を作るうえで、観測データが一見うまく説明できるというだけで、このような不合理な部分を含んでいる理論を採用するのは間違いであるということをよく認識しなければなりません。
 また、一部分に観測データとあわない点があるという理由だけで、論理的である理論をすぐに捨ててはいけません。既に形成された科学的もしくは宗教的常識にとらわれ、十分な検討もないままに非常識または異端とされる理論を捨ててもいけません。天才と言われる先人の理論を無条件に受け入れてしまい、その理論の適応、もしくは理論自体の是非についてな検討を加えていないのではないか、このような点についても反省とともに検討を加えなければなりません。
 このような点について全く無視するような立場で理論を積み重ねてゆくなら、これからの千年も宇宙論にとって暗黒の時代となるでしょう。

BACKMENUHOME  ビッグバンモデルについて

 宇宙論を牛耳る権力者たちは、ビッグバンモデルを絶対的真理として支持していますし、一般の人々はビッグバンが正しいとして教育を受けてきています。このように、よく知られ経済用語にまでなったビッグバンではありますが、確認の為にこのモデルが確立されるまでを簡単に書いておきましょう。
 ビッグバンモデルとは、まずアインシュタインの一般相対性理論をフリードマンやルメートルが数学的に解き、その解から膨張宇宙の可能性を指摘したことに始まります。そして次に1929年にハッブルが遠くの銀河ほど赤方偏移が大きいことを見つけ、遠くほど速いスピードで銀河は遠ざかっていると考えました。これをふまえて、1946年ジョージ・ガモフは、赤方偏移は宇宙の膨張を意味し、過去に溯ると宇宙が高温高密度の火の玉となっており、それが大爆発して宇宙が始まったと考えました。これがビッグバンモデルです。それに対して同じ頃、フレッド・ホイルは定常宇宙論を提唱しました。ホイルもその頃は赤方偏移が宇宙の膨張を意味していると考えたため、宇宙のどこかで物質が絶えず生み出されており膨張による宇宙の密度の低下を防ぎ定常宇宙を維持しているとしました。一時、定常宇宙論は隆盛を極め、ビッグバン宇宙は衰退しましたが、1965年の宇宙の背景放射の発見により復活し、今や定常宇宙に対して完全な勝利をおさめたということになっています。
 なぜ宇宙の背景放射の発見により、定常宇宙論が敗れたとされたかというと、まずビッグバン理論では、宇宙の始め火の玉の内部は熱的平衡状態にあったと考え、その後宇宙は晴れわたり、光子は真っすぐに進めるようになり以後現在に至るまでこの光子は物質と反応する事なく150億年宇宙を飛び続け、そしてこの間に膨張により絶対温度にして2.7度にまで放射温度がさがり現在の背景放射となった、としているのですが、フレッド・ホイルの定常宇宙ではこのような背景放射はなく絶対温度がゼロであるとしたのです。それゆえにビッグバン論者は、宇宙の背景放射の発見により完全に定常宇宙は敗北したと考えています。
 しかし、背景放射により本当に定常宇宙は敗北したのでしょうか。もし定常宇宙論で予測するところが本当に背景放射ゼロであったとしても、それはホイルの定常宇宙論、それも初期のものに関してです。ホイル自身定常宇宙において背景放射がいかに生まれるかということについてビッグバンの名残ではなく、宇宙空間に鉄が存在するためだと説明しているますし、ましてや異なった定常宇宙モデルであれば、背景放射が定常宇宙を否定する材料となるはずがありません。古いモデルを持ち出し、そのモデルが予測しない事実が発見されたからといって、それで新しいモデルまで一緒くたにして否定するとは馬鹿げた話です。ビッグバン論者にとっては自分に反対する理論を学ぶという心の余裕がないのでしょう。

BACKMENUHOME  ビッグバンモデルは生き残れない

 さて、ここで具体的にビッグバンモデルのどこがおかしいのかを考えてみましょう。
 まずビッグバンモデルでは、宇宙は遠くほど速い速度で膨張していると考えています。そして、その膨張の速さは単純な足し算によって求められます。例えば15億光年の距離にある銀河が光の速さの1/10の秒速3万キロメートルで後退しているなら、150億光年先では光の速さと同じ秒速30万キロメートルで後退しているというのです。それより遠方では光より速いスピードで後退するが、150億光年先で事象の地平線が形成されそれより遠方からの情報は一切我々の方へはもたらされないというのです。
 このような記載はありとあらゆるビッグバンの解説書でお目にかかるので一度読まれるとよいでしょう。さてここで奇妙に感じられるのは、アインシュタインの相対性理論では光速度より速い速度は存在しないということが絶対的真理として取り扱われていたのに、宇宙が150億光年の遠方では光より速く膨張しているという説明があることです。これに対しての説明は、光速度一定というのはあくまでも無重力系に対してであり、その無重力系間の相対速度は全く制限がないというのです。各点で意味のある無重力系があり、その点から座標系を遠方まで延長して遠方の銀河の運動の速さを測定しても無意味であるとしてます。あくまでも遠方ではその遠方での意味のある無重力系で測定して光速度を越えていなければ問題がないというのです。そして無重力系間の相対速度は光速度を越えようが全く問題がないということを主張しています。(佐藤文隆 「宇宙はこうして生まれた」 ブルーバックス)。つまりハッブル速度は相対論の適用範囲外であるというのです。このようなうさん臭い説明が本当なのでしょうか。
 さてこの説明が本当であろうと仮定してみましょう。この説明によると、宇宙には物質がいっぱいあり、その物質の重力により宇宙の各部分には、それぞれその部分に特別の意味のある無重力系があり、その無重力系を基準に測定して光速度を越えていなければよいといっています。しかし、気をつけてほしいのですが、相対性理論ではこのような特殊な系というのは決して認めていなかったはずです。すべての慣性系は平等であり、どのような慣性系から測定しようと光速度は決して超えないというのが相対性理論です。遠い銀河との間が等速度で離れているのであれば、どちらも慣性系であり、加速度的に離れているのでない限り、全く同等です。アインシュタインは宇宙には特殊な系が観測されなかったとしており、そのまま相対性理論を正しいとして使うのであれば、宇宙の各点における特殊な無重力系という考え方はおかしいのです。(背景放射の章において私は宇宙には特殊な系があるとしていますが、現在の宇宙論の理論家はここまで考慮をしているとはとても思えません)
 また150億光年遠方の宇宙に宇宙人がいたとしましょう。その周辺の宇宙も我々の周辺の宇宙も同じ物理が成立するはずですから、その宇宙人が充分な知能を持つなら相対性理論に行き着くはずでしょう。そして光を観測すればどのような慣性系でも光の速度が一定であることがわかります。宇宙人が地球の方向へ向かってロケットを打ち上げ光速に近いような速度で飛びながらさらに地球の方向へ向かって光を放射してもそのロケットから観測すればやはり光の速さで地球へ向かって光は運動します。ロケットはほとんど我々地球と同じ慣性系にあります。そのロケットから光の速さで光がくるのであるからもちろん我々に対しても光のスピードで向かってくるのではないでしょうか。 もちろん、ビッグバン支持者は、このような考え方には賛成しないのでしょう。それほど速度の問題はややこしいのです。特に空間が相互に運動しておりその速度の計算には相対性理論は使えないと奇妙な理屈によって断定されてしまえば議論はもはや不可能です。ただここで一言いいたいのですが、相対性理論を無条件で信じそれを用いて作った宇宙モデルでなぜ相対性理論が適用できないのでしょうか。これは完全な矛盾です。ビッグバンが正しいとしても、宇宙の初期の質量の超過密状態になったときに距離や時間というものがどれほど正確に我々に認識できるのでしょうか。物理学者は残念ながらその様な状態での相対性理論の持つ意味をほとんど把握できていません。このような状態で秒速30万キロメートルで光が運動すると言っても、ほとんど無意味です。光のスピードというものは運動エネルギーをどんどん与えていったときの限界のスピードであるという認識をはっきり持つ必要があります。そうすれば、もはや秒速30万キロメートルの値という貧困な光速に対する概念を離れて、もっと自由な思考ができます。空間と空間は重力によって結び付いています。それを引き離すにはエネルギーが必ず必要です。宇宙がもしエネルギーを与えられ膨張したとしてもそのエネルギーをいくらつぎ込んでも等価原理によって超えられないスピードがあるそれが光速度です。つまり宇宙は絶対的に光の速度以上で膨張できないのです(私はそもそも宇宙は膨張しないと考えていますが)。 

BACKMENUHOME  インフレーションモデルも生き残れない

 インフレーションモデルは、ビッグバンモデルの発展したモデルとされています。従来のモデルでは、どうして宇宙がこのように一様であるのか、どうして宇宙が生まれてから今までつぶれたり飛び散ってしまったりしないでこのような形態を維持して来れたのかが、説明できませんでした。インフレーションモデルは、この矛盾点を解消するためにだけ生み出された理論です。このインフレーション理論では、エネルギー保存の法則や、限界速度度としての光速度の存在という物理学的根本原理は完全に無視されています。そして、エネルギーは無限に真空から供給され、光速度より速い速度で宇宙は膨張していくと考えています。ただしこのインフレーションの期間は宇宙が誕生した極初期の短い間だけであり、この理論は、宇宙誕生のほんの短い期間にしか適用できません。この理論を実験で確かめることは決してできませんし、現時点において、宇宙のある場所でこのようなことが起こっているようなことも観測することもできません。なぜなら、このようなことが、宇宙のある場所で観測できたり、実験的に観測できたりするなら、まさにその場所で宇宙が誕生していることになり、周りのすべてを破壊しながら一瞬にして膨張してしまいます。そこにはもはやエネルギーの保存則も成立しません。宇宙のあらゆる場所においてこのような事実は観測されていませんし、宇宙が誕生したとされるときから今までに最初の一回?を除いて全くその様な事実は観測されていません。実験的に再現することなど余りに馬鹿げていて考えるに値しません。インフレーション理論は再現性のない非現実的なことだけを取り扱った理論です。ある大きな理論の枠組みの中で特殊な条件のときに必然的に導き出された結論ではありません。ビッグバンモデルという宇宙モデルがほころびを見せたまさにそこを繕うためにのみ考え出された理論です。そしてこの理論自体もまたほころびを見せだしています。それを繕うためにさらにニューインフレーション理論やカオス的インフレーション理論が作り出されているとのことです。ほころびは、このような場当たりな理論を考えている間は永遠に続くでしょう。ある特殊な条件下でのみ通用する理論、今まで築き上げてきた物理学の常識をまったく無視している理論、原理的に再現不能な理論、このような理論には理論としての正当性などまるでありません。このような理論と良く似た理論が過去にあったことを我々は知っています。それは天動説です。そしてインフレーション理論は次々につき加えられる周転円なのです。
 プトレマイオスの天動説では、79個もの周転円を用いなければ天体の運行を説明できなかったのですが、この79個の周転円がなぜ存在するかという問題については論理的な説明は不可能です。元々はもっと少ない数から出発しておりより正確にしようとしているうちに、この周転円は増えていってしまったのです。いかに事実を正確に記述できるといっても、一貫した一つの原理によってその理論が説明不可能な場合は、その理論の正当性というものは、非常に少ないのです。このような理論はいかに観測結果と一致していたとしても、それをもってその理論を正当化することはできません。たとえ現在は少々観測結果とは厳密には合わない部分があったとしても、一貫した原理で説明できる理論はより高等であり、このような理論を洗練していくほうが、より合理的です。 現在のビッグバンモデル及びその系列の理論は、まさに天動説のような愚を犯しているのです。

BACKMENUHOME  定常宇宙論は圧倒的に有利である

 定常宇宙論はビッグバン宇宙論に比して今は圧倒的に不利な立場にあると考えられています。確かに社会的には不利な立場にあるといえるでしょう。しかし別の観点にたてば実は圧倒的に有利な立場にあります。 ビッグバンを信じている人たちは自分たちの理論が完全に勝利したという幻想にとらわれています。彼らが勝利したとする理由はずっと昔の定常宇宙論に対してです、その後については全く我々を無視しています。それに比べて我々定常宇宙を主張する者は相手の理論を十分注意して検討しており決して無視はしていません。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」と言いますが、まさに我々はその様な状態にあるのに、相手は我々に対して全く無防備です。
 ビッグバン宇宙では、昔と今では宇宙は違う姿をしています。ですから遠くの宇宙を観測すれば初期の宇宙を観測することができます。今盛んに遠くの宇宙を観測しているのですが、それは遠くの宇宙の極狭い部分を観測しているにすぎません。従ってもし近くの宇宙とは違う姿が観測されたとしてもそれをもって宇宙全体の状態であるとは言えず、定常宇宙を否定するするには不十分なのです。しかし極初期と彼らが考えている宇宙にその様な初期に存在するはずのない天体が一つでも発見されればそれでビッグバンは崩れてしますのです。このようにビッグバン宇宙論は崩れてしまうときはあっという間ですが、定常宇宙論はそう簡単には否定することはできません。
 ビッグバンが否定されたときには、それを主張していた人たちは、天動説を唱えていた人たちと同じように愚かな考えにとりつかれて正しい判断をすることができなかった人たちとして語り継がれるでしょう。定常宇宙論を唱える人々は定常宇宙をそう簡単に否定することはできないことを知っていますし、今でも充分に迫害されているのですから少々の事ではびくともしません。いつかはガリレイやコペルニクスのように評価される時がくるでしょう。
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