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ブラックホールとは                   
アインシュタインはブラックホールの存在を認めていなかった
ブラックホールは本当に存在するのか?          
シュバルツシルトの解を数学的に考える          
特異点定理について                   
ブラックホールがなければ宇宙はうまくいく        

BACKMENUHOME ブラックホールとは

 ブラックホールという天体の概念は、カール・シュバルツシルトがアインシュタインの重力方程式に対する「シュバルツシルトの解」を引き出したことに始まります。シュバルツシルトはある質点を仮想し、その回りの重力場を球対称の形に書き直しそして変化しないとしてアインシュタインの方程式に従って解いてみました。その結果例えば地球と同じ質量をもつ質点の場合、半径1センチメートルの内側では、時間と空間の性質が我々の住む世界とは違ってしまいます。外側より質点に向かって落下する物体は半径1センチメートルの場所で光速度に達しその中からは決して情報は外に向かっては伝わらないとの結果がでたのでした。このような考えからブラックホールは生まれたのです。
 しかし、しばらくの間はシュバルツシルトが求めたような程の質量の集中が実際問題として起きるかどうかということが、問題となったようです。そこで理論家たちは、物質の圧縮がどこまでも限りなく続くものかどうかということを考察しました。
 このような質量が極度に集中した状態というのは、星の進化の最期において起こる可能性があると考えました。そのため、理論家たちは星の進化の最期である超新星がその後どのような姿となるかについて考察を加えました。太陽の6倍以上の質量をもつ恒星はその進化の最期に超新星の爆発を起こします。この爆発によって、外層が放出された後中心部が凝集し小さな非常に密度の高い星ができます。このような星は中性子星と呼ばれています。しかし、中性子の圧力でこのような安定した状態が保てるのは、中性子星の質量が太陽の2倍ぐらいの星までとされており、それをかなり越えた星については量子力学的考察によっても、もはや重力による崩壊を支えることができず、どこまでも果てしなく収縮して行くと考えられました。このような星がシュバルツシルト半径を形成しそうであると考えたのです。そしてこれがブラックホールになると考えました。
 観測的には、ブラックホールとはどの程度確認されたものなのでしょうか。ブラックホールであろうということで有名なX線源シグナスX1があります。これが発する、X線は不規則に時間的に変動しますが、変動の時間スケールは1秒以下です。このことは、X線を放出している領域が光が1秒間で横切る距離(30万キロメートル)以下であることを示しています。そして、この星の質量が、太陽の6倍であることが詳しい観測の結果わかりました。そして、大きさが30万キロメートル以下で質量が太陽の6倍以下であることからブラックホールと考えられたのです。このように、いろいろな状況証拠と一般相対性理論から、その存在を推測してブラックホールを見つけたと言っているわけです。
 しかし、本来ブラックホールの観測的な発見というのは不可能です。なぜなら、ブラックホールからは、その定義からして何も信号が発せられないのですから、そのもの自体は決して観測できません。ブラックホールの直接的観測は原理的に不可能です。あくまでも回りの状況しか観測できないのです。このことについては専門家自身も認めています。例えば次のような文があります。「さて、かくもありがたいブラックホールではあるが、ではその実体はというと、その名のとおりまったく見えもしないし、当然触れることもできない。したがって、直接的な観測によってブラックホールの証拠をあげることは、原理的にも不可能なのである。また、先に述べたようなことは、すべてブラックホールの表面近く、落下の途上で起きる現象である。したがって、それが観測できても、その発生源がブラックホールでなくてはならないという証拠にはならない。ただ、ブラックホールがあればつじつまが合う、という論理にすぎないのである。」(最新宇宙進化論94−105頁 祖父江義明 すべての銀河中心核はブラックホールか? 学研)そして、一般相対性理論が正しいと仮定したうえで、その状況証拠から存在を推測するのです。一般相対性理論からそこにブラックホールが存在するはずであると予測するわけであり、その予測されたブラックホールを一般相対性理論の正しいことの証拠として用いることは、堂々巡りであり、正しい理屈ではありません。ブラックホールを観測したと言う人に、この点について正してみても決してその観測結果がブラックホールであることを直接的に示しているのではないことを認めるでしょう。正しく表現するならば、「理論的にブラックホールであろうと考えられる天体を観測した。」と言うことであってそれ以上の何物でもありません。ただ異常に高密度の天体が存在しているというだけです。
 ブラックホールがあちこちで発見されたという報道がよくなされますが、どのように根拠の浅いものであるかがこれでよくわかるでしょう。

BACKMENUHOME アインシュタインはブラックホールの存在を認めていなかった

 ブラックホールという概念が、一般相対性理論から導きだされたものであることはよく知られており、ブラックホールの解説書にはアインシュタインの写真が掲載されていることが多いのですが、これらより、アインシュタインがブラックホールを予言したかのように思っている人がいるのではないでしょうか。実際には決してそのようなことはなく、それどころかアインシュタイン自身はこのブラックホールを否定しようと努力したのです。1939年、アインシュタインは、1編の論文を発表し、その中で、シュバルツシルト半径が重力の源である物体の外部にあらわれて、それが現実的に意味のあるものとなるほど強く物質を凝集することは、不可能であるという証明を試みています。
 彼の証明が正しいのかどうかはわかりませんが、ブラックホールが持て囃されている現実を考えるとこの論文はほとんど無視されたようです。このように、ブラックホールの生みの親であるかのように思われているアインシュタインが、最も頑固なブラックホールの反対者であったわけです。なぜアインシュタインがブラックホールの反対者であったかを考えると、おそらく絶対的な速度である光速度をもつ物質ですら脱出できないということに論理的矛盾を感じたためでしょう。もともと相対性理論が光速度を絶対的な越えられない速度として成立した理論であるのに、その理論から導かれた解では、その光速度すら単なる通過点かのごとく扱われているのは確かに彼の信念に反することです。しかし彼が作り出した一般相対性理論から正確に導き出された解が、彼の信念に反したとしても、アインシュタインはとても一般相対性理論自体を否定したりすることはできませんでした。この矛盾点を解消するため、彼は何とかブラックホールを何らかの理由で否定しようとしたのですが、どうやら一般的には失敗に終わったとみなされているようです。彼の宇宙のあるべき姿についての哲学的信念と、彼の生み出したモンスターの間の矛盾点についての葛藤が彼を苦しめました。他の物理学者はそのような哲学的信念が欠如しているために、アインシュタインのようには、苦しまないままブラックホールを簡単に受け入れてしまったのです。批判的精神の欠如、哲学的精神の欠如した人々は、数式で表されることはすべて受け入れてしまうものの、数式では表されていない、基本的な論理的判断には見向きもしません。このような姿勢がブラックホールの存在に対して盲目的な信仰を作り上げてしまっているのです。

BACKMENUHOME ブラックホールは本当に存在するのか?

 ブラックホールは観測的な事実ではないこと、生みの親とされるアインシュタイン自身はそれを否定していたことを示したわけですが、まだこれだけでは、その存在を否定したことにはなりません。次にその存在が論理的に可能であるのかどうかを考えてみましょう。
 ニュートン力学では、半径R質量Mの星に無限遠から自由落下させた質量mの物質の運動エネルギーmv2/2GmM/R(Gは重力定数)と等しくなるとされています。変形すると、R=2GM/v2でありこれによりその星からの脱出速度がvの時の半径Rが求められます。vを光速度Cとすると、R=2GM/C2となります。実は、この式はまさしく一般相対論より求めた光も脱出できないとされるシュバルツシルド半径となります。不思議なことにニュートン力学と一般相対論からの解が同じになるのです。これは偶然の一致であると説明されていることが多いようです。しかし、ニュートン力学では、光速度Cには特別な意味はなくCより早い速度というのは無限大までいくらでも可能です。しかし相対論では光速度に達すると運動エネルギーは無限大になり決してこの速度を越えられません。このような決定的な違いがあるのに、結果が同じとは全くおかしい話です。
 物質が光速度に達するには無限のエネルギーを必要とします。ブラックホールとはどのような物質も光すらも脱出できないとされていますが、これは、無限の運動エネルギーをもつ物質に対しても脱出ができないようにすることを意味します。無限の運動エネルギーをもつ物質を停止させるには無限のエネルギーが必要です。有限の質量よりなる天体が無限のエネルギーを有していると考えるのは全くの矛盾です。
 一般相対性理論の解説書によると、ブラックホールの外側の地点から内側の地点まで移動する間の、事象の地平線を越える部分で、物体自身は特別なことは何も感じられないままその地点を過ぎて行くとのことですが、外界から見た場合、物体は事象の地平線に近づくに連れてその速度が遅くなり、地平線には決して到達することができないと説明してあります。つまり地平線を越えて内側の地点へ到達することができないのですから、もちろんその逆方向の、内側の地点から外側の地点への運動も不可能になります。これは一見、不可逆性を否定した、論理的説明のように見えます。また、他方から見ると、その動きが静止したように見えるのに、当事者は普通に動いているように感じるのは、重力により時間の進み方が変化するからであると理解されています。相対性理論は時間を反転させたり、運動の向きを逆転させても成立します。さて、ここで奇妙なのは、外界から見た場合、永遠に事象の地平線に到達できないのですからブラックホールは大きくならないのではないかと考えられる事です。永遠に事象の地平線にたどり着けないからこそ、反対向きに運動する物質が、中から外へはでてこれないことが保証されるはずです。それにもかかわらず、質量が集中する理由についてはそのような外界から見た姿では矛盾するためにブラックホールへ落ち込んで行く当事者の立場で考えるという、説明が一般的にはなされています。都合により立場を変えた見方で説明するというのでは全く論理の一貫性がありません。必ずどちらかだけの立場で全てを説明しなければ正しい考え方とはいえないのです。

BACKMENUHOME  シュバルツシルトの解を数学的に考える

  さてここで、もう一度ブラックホールの概念の元となったシュバルツシルトの解について考えてみましょう。シュバルツシルトはある質点を仮想し、その回りの重力場を球対称の形とし重力場が変化しないときに、アインシュタインの方程式に従って解いたのです。しかし、この論理展開は果たして数学的に正しいのでしょうか。はじめから質点というものが存在しないのであれば、このシュバルツシルトの解法は明らかに手順として間違いです。多くの物理学者は物質密度が非常に高まってくると量子力学的に重力崩壊が避けられず究極の状態にまで質量が凝集するために、このような質点が実現すると考えているようです。しかしこの論理には怪しい点があります。シュバルツシルトは、最初に質点の存在を仮定しシュバルツシルト半径を求めたのに、後の人達はブラックホールを考える場合に最初には質点を仮定せず、シュバルツシルト半径が現れると同時にその質点も現れるように考えているのです。これでは原因と結果が入れ替わってしまっています。この質点の仮定から結論までの部分でどこかに間違いがあるはずです。
 ここで、間違いがどこにあるのかを分析してみましょう。シュバルツシルトの解を一般相対性理論から求める方法が妥当であるのかを検討する場合、普通一般相対性理論の難しい数式からシュバルツシルトの解を求めて行く途中の段階でどこかに間違いがないかどうかを検討しそうですが、そのような方法は素人ではほぼ不可能ですし、普通こういう数式の解法というものは玄人はなかなかミスをしないものです。しかし素人でも簡単に検討ができ、かつ玄人がよく見逃す点があります。それは仮定の条件が妥当であるかどうかという問題です。シュバルツシルトの解を求めるには、下記のような仮定条件が伴います。これを考察してみましょう。
1.一般相対性理論が正しい。
2.質点が存在する。
3.重力場が変化しない。
4.重力場が球対称である。
 一般相対性理論の成立については、また別の章においてさらに検討を加えますが、一応ここでは正しいとして、さらに次に進みますと、まず質点が存在するという条件があります。重力の問題を取り扱うときに、物質の大きさを考えると一般相対性理論では非常に問題がややこしくなり、解くことがほとんど不可能になってしまいます。そのために持ち出したのが、物質を大きさのない質量だけの「点」と仮定して取り扱う考え方です。一般相対性理論が正しいとしても質点が存在しなければこの解は絵にかいた餅であり何の意味も持ちません。しかし、実に奇妙なことに、この質点とは数学的には質量が無限に集中している特異点であり、一般相対性理論はおろか、ありとあらゆる物理法則が成立しないというやっかいな点なのです。一般相対性理論が成立すると仮定しながら、一般相対性理論の成立しない特異点としての質点をもう片方で仮定するというのは矛盾です。 シュバルツシルトの解というものは、密度無限大の特異点としての質点を、無条件に最初から存在することを認めているという、実にでたらめな手法を用いているのです。この異常さに目をつぶるとしてさらに検討を進めてみましょう。
 ある値の質量を持つ物質が、大きさゼロの空間に閉じ込められているのですから、この質点の密度はいわば1/0として表すことができます。この質点が、どのような重力場を持つかという検討は、簡単にいえば1/0がどのような値を持つかを検討するようなものです。答えとしては無限大です。
 重力場は無限大となり、光りさえ逃げ出せないというような場所があるというのが、シュバルツシルトの解です。そしてこのような光さえ逃げ出せない範囲をシュバルツシルト半径と言いこの大きさは単純にその質量に比例すると言っているのです。シュバルツシルトの解では、ただ単にもしブラックホールがあれば質点の質量がブラックホールの半径と比例しているということが導かれただけなのです。ブラックホールが本当に存在するかどうかという問題に関しては何も答えておらず、ブラックホールが存在すると仮定すればブラックホールは存在するという結論になる、という全く無意味な論理構成となってしまっています。つまりシュバルツシルトの解は決してブラックホールの存在を証明するものではないのです。
 もし実際にブラックホールが存在するなら、それを記述する方程式は、ブラックホールが形成されるまでの時間的経過を記述することができなければなりません。
 シュバルツシルトの解を求める方法の欠陥として、はっきりとしているのは、仮定に重力場が変化しないとしていることです。これは時間の経過を全く考慮していないことを意味します。実際の宇宙においては質量が集中するには、重力場が時間の経過とともに変化しなければなりません。その時間の経過を考慮していないということは、もう一つの仮定である質点がいかに形成されるかを、この解自身は説明できないということになります。それどころか、この解は時間が静止してしまうという場所を予言してしまうことによって、質点の形成を否定してしまっています。
 ところが、物理学者はここで、このような質点が形成される理由として、相対性理論ではなく量子力学を持ち出しています。量子力学の要請として、太陽の2倍以上の質量を持つ中性子星の崩壊をくい止める力が存在しないという理論的結果から、限りなく崩壊し質点に崩壊するとしたのです。ここで問題はすり替えられてしまっています。一般相対性理論により導かれたとするブラックホールの形成過程を一般相対性理論で説明しようとするのではなく、量子力学で説明しようとするのは間違いです。量子力学で限りなく崩壊するという結論と、それが質点という特異点を形成するかどうかというのは別問題です。量子力学によって質点形成の証明などできるわけがありません。それなのに量子力学の要請により質点形成を証明できたとするのは間違いを通り越してインチキです。
 量子力学でいくら果てしなく崩壊し質量が密集していくという結論が得られても、それが質点にまでたどり着くかどうかはその時間的経過を考慮しなければなりません。そこにたどり着くまでの時間の経過というものは、必ず一般相対性理論を用いて考えなければならない事項なのです。量子力学で、限りなく中性子星が収縮すると結論づけたとしても、一般相対性理論の考えを用いれば、収縮するにつれてそれ自身の重力の影響によって時間の経過が遅くなり、決して質点を形成できないのです。これは、物質をどんどん加速して行くと限りなく加速して行くのだが決して光のスピードを越えないというよく知られた相対性理論の概念に通じています。速度という面で相対性理論が限界を設けたことの概念が、そのまま物質の集中すなわち空間の歪みに限界を設けていると考えるべきです。
 まさか、物理学者が時間の経過を無視するという暴挙にでるはずがない、どこかできちんと考えているはずだとだれもが思うでしょう。しかし実際は一般相対性理論を数学的に解くことが非常に難しいために、解が得られているのは極特殊な条件の場合だけに限られているのです。特に質量が空間的な大きさを持って存在していたり、重力が時間的に変化していく、というのは非常に難しくほとんど手をつけられずにいるとのことです。つまり物理学者は、このような高密度の質量の周囲で時間経過がどうなるのか、ということについての正確な知識を持ち合わせていないのです。一般相対性理論は時間と空間に関する重要な理論であるのにそれを正確に解く場合に時間の経過を無視するというのは全くの非常識です。
 元々シュバルツシルトの解は「水星の近日点移動」の謎を解くために一般相対性理論をある限られた条件で、太陽からある程度離れた地点での時空のゆがみを調べるために近似的に解いたものに過ぎないのです。シュバルツシルト以外の、回転するブラックホールという解についても同じです。どのような解も基本的には異常に集積した質点をまず想定している点においてただの近似解に過ぎないのです。この近似解は質点から十分に離れた位置においては意味がありますが、質点に近づくほど正確な解から離れてしまうのです。
 特異点としての質点の存在を許す限り、それは論理的に無意味な解であることは、数学的には明確です。シュバルツシルトの解からブラックホールが存在すると結論するのは数学的には極初歩の間違いなのです。それどころか、ブラックホールというものの存在には必ず特異点が付き纏うということによって、ブラックホールというものは決して存在しないことが証明されたようなものなのです。

BACKMENUHOME  特異点定理について

 特異点定理とは、1967年にホーキングとペンローズによって発表されたもので、一般相対性理論が正しいと仮定すると、ある程度質量が集中すると特異点の形成は避けられないという内容のものです。特異点の存在を証明したとされるこの定理により、ブラックホールだけでなくビッグバンの始まりとされる特異点もその存在が確立されたと考えられたようになったわけです。
 しかしここで気をつけていただきたいのは、特異点とは一般相対性理論どころかあらゆる物理法則が成立しない無限大の重力をもつ点であることです。数学の背理法に基づけば、ある仮定から出発しその仮定とは矛盾した結果が得られれば、最初の仮定が正しくなかったか、もしくは仮定から結果を導く過程に間違いがあったかのどちらかです。一般相対性理論が正しいという仮定から出発しその一般相対性理論が成立しないという特異点の出現が不可避であるという結果が得られたならば、それは一般相対性理論が正しくない(特異点が出現するような条件下での部分的修正を含む)か、もしくは特異点定理の証明法の誤りを意味しています。このような特異点定理に積極的意味をもたせ、ブラックホールやビッグバンの存在の証拠にしようなどというのは、まったくの馬鹿のすることです。
 特異点定理を発表したホーキングは少しは頭がよかったのか、現在では、量子論の助けを借りて宇宙の始まりは特異点ではないとしています。それは地球の南極や北極のように周囲のどことも区別のつかない存在であって、決してとんがった先端ではないとしているのです。特異点とは決して存在してはいけない点であるということを、特異点定理を発表した本人自身は悟っているようです。それで、巧みに自分の理論から除外してしまったのでしょう。考えてみればこれは実に姑息な方法です。自分が導き出した特異点定理がおかしいと気がつきながら、そういう事は言わずにそれから導き出したはずの理論をこっそりと修正してしまう。それをまた周囲の物理学者が矛盾として指摘しないまま見過ごすというのは一体どういう事なのでしょうか。
 ブラックホールを一般相対性理論による当然の帰結であると信じさせられた人々は、知らないうちに裏切られていることになります。このように、ブラックホールの成立のための条件というものは、知らない間にズタズタにされてしまっています。それなのに、結果のブラックホールが亡霊のように未だに成仏できずにさまよっているのです。
ブラックホールという、数学的には初歩的なミスによる概念がいまだになぜ堂々とまかり通っているか誠に不思議です。おそらく、すべての物理学者が、条件を与えられた問題を解くということにはたいへん精通しているものの、その条件の意味ということを考えることには不得意なせいであると思われます。おそらく創造的精神や批判的精神を持ち合わせていないのでしょう。

BACKMENUHOME  ブラックホールがなければ宇宙はうまくいく

 このように、存在するはずがないブラックホールという架空の天体に対して、物理学者はどのような解釈を与えているのでしょうか。事象の地平線の中は異次元の世界であり、この宇宙とはかかわりあいのない、物理学では解明できない部分と考えているようです。事象の地平線の内部全体を物理学では解明できないと考えるかもしくは事象の地平線の内部に存在すると言われる特異点のみをそのような部分と考えるかは物理学者によっても解釈は違うようなのですが、とにかく物理学では解明できない部分が存在していると考えています。物理学で解明できないとは、そこからの影響というものがないかもしくは予測不能という状態を意味するものです。我々の宇宙に対して影響があり、かつその影響が予測可能であるならば、物理学で必ず解明できるはずです。ブラックホールからの影響が我々の宇宙に対してまったくないのであれば、そのブラックホールという天体自体が存在しないのであり、このような天体についてあれこれ詮索することさえできません。それでも強いて予測不能な天体が存在すると仮定するなら、ある質量をもつ天体が突然この宇宙から何の前触れもなく消失してしまうということもありえるわけです。これはエネルギー保存の法則に反しており、このような天体の存在の仮定を認めるわけにはいかないし、そのような観測的事実も存在しません。物理学者もこのようなブラックホールの姿は考えていません。異次元に消失すると考えながらもその質量や電荷や回転運動量は保存していると考えているのです。我々宇宙に影響を与えかつその質量などの保存する量が存在しているのに、これがどうして物理学で予測不能な状態に消えてしまったなどという矛盾したことが言えるのでしょうか。明らかに、我々宇宙に影響を与え、かつその影響は予測可能です。これは紛れも無くこのブラックホールと言われている天体が実は我々宇宙に物理法則に従いながら存在しているということです。これは物理学者がブラックホールに対して持っているイメージである「物理学の適用できない異次元の世界」とはまるで違うものなのです。
 ブラックホールの定義は光さえも脱出することのできない観測および物理学法則の適用の不可能な天体であったはずなのにもかかわらず、いつの間にか観測が可能なように取り扱いいろんな物理法則を適用してしまっているという矛盾を平気でおかしています。
 今日ブラックホールはクェーサーなどの活動銀河の核からのエネルギー放出機構として重要視されています。しかしこのエネルギーの放出機構は高密度質量の重力によって、物質が引きずり込まれるときに重力エネルギーが運動エネルギーへと変換され、そのエネルギーが外部へ向かって放射されるというものです。このエネルギー放出機構にとってブラックホールなどという概念は全く不必要です。中心に高密度の質量が存在していさえすればよくて、その中から光が脱出できようができなかろうがこのエネルギー放出機構には無関係です。ブラックホールであるといっている人達はただ単にそのぐらい質量が密集していればブラックホールになっているだろうと予想しているにすぎません。ブラックホールがなくても宇宙にとってなんら困るようなことはありません。
 このように、もし存在すると仮定すれば矛盾だらけで、存在しないとしても何も困らないような天体は、SF作家にだけ任せておけばよいのです。論理を重んじる科学者がいつまでもこのような架空の天体を存在すると信じるなど誠に馬鹿げたことです。

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