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「今日一日を大切に」   By Angeℓ77

昔から言い伝えられてきた名言・名句に「一日の命 万金よりも重し」

(徒然草)や「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思

い悩む。」(聖書)があります。

これらの言葉はいずれも今日一日をいかに大切に生きるかを教えてく

れていますが日本でも昔から「一日一生」と言う言葉で言い伝えられて

来ました。

「一日一生」と言う言葉は今日一日が自分の一生の最後の日だと思っ

て精一杯生きよ!という意味ですが、長く思える一生もよくよく考えてみ

ると一日一日の積み重ねであり、それとて永遠に続くものではありませ

ん。何歳まで生きられるか、人の寿命は誰にも分からないのです。

明日という日が、全ての人に必ずやって来るとは限りません。とすれば

、いつの日か今日一日が自分の最後の日となることは明白です。その

最後の日が私達一人一人に知らされていない以上、今日のこの日が自

分の一生の最後の日だと思って生きる生き方もあながち間違っている

とも思われません。

さて、今日一日だけがあなたの人生の最後の日だとしたら、あなたはど

んな一日を過ごしますか。

身辺を整理し、お父さんやお母さんに感謝とお別れの言葉を述べ、友

人や知人を訪ね旧交を温めますか。

それとも自分の一生で一番お世話になった人にお礼を述べできる限り

の恩返しをしますか。

あるいは、やり残した仕事を今日一日の内に真剣に取り組んで、何が

何でも仕事を仕上げてしまいますか。

人によって最後の一日の過ごし方はそれぞれ違うと思います。しかし共

通して言える事はどんな過ごし方をするにしてもその人その人にとって

の最後の一日はかけがえのない貴重なものであり、かつ真剣なもので

あると思われます。

このように理屈では人の一生の最後の日は必ずやって来ること、今日

一日がいつの日か必ず最後の一日となることは解っていながら人はそ

れを敢えて認めようとしません。

ある有名な医者でホスピスケア(終末臨床看護)に携わっておられる方

の講演会で「人は二十年かかって生きるための準備をするが、突然訪

れる最後の日の為の心の準備は殆どの人が無関心である。」と話され

ていました。特に日本に於いてその傾向が強くここで言う無関心は「覚

悟した無関心」ではなく「無防備の無関心」であるとも言われていました

。それ故に社会的に重要な地位について学識経験もあり、人生の色々

な苦難を乗り越えて来られた人でもいざ病気になり医師より「あなたの

命はもう長くはありませんよ。」と言われると案外にもろく精神的に滅入

ってしまう人が多いと聞きます。この意味からも今日のこの一日が自分

の一生の最後の日だと思って生きる生き方もある意味で大切なのかも

知れません。

また昔から「人生における時間の経過」については、色々な分野で論議

されてきましたが、私達が直接感じとる時間については、連続する今(

現在)しか実在しないとする説もあります。


こうした考え方を肯定する思想や文献は多数残されており、仏典にも「

この身今生に於いて度せずんば更にいずれの生に於いて度す」(この

私が生きている今(現在)、悟りが得られなくて一体いつ悟れると言うの

か・・・・・・・・・の意)があります。この仏典は、ギャンブルなど何か良く

ない事にはまり込んだ時に思い出して下さい。

また、著名な作家山本有三が、その著、「路傍の石」の中で、「たった一

人しかない自分を、たった一度しかない一生を本当に生かさなかったら

、人間生まれて来たかいがないじゃないか。」と述べていますがこれら

の言葉は「今日を大切に生きること」の貴さをわかりやすく説明している

ように思います。

 尚、この山本有三の「路傍の石」は映画にもなりましたし、ビデオでも

借りることができると思いますので、興味のある人は一度原作を読むか

、ビデオでも見てください。

 また、この有名な一節「たった一人しかない自分を、たった一度しかな

い一生を、本当に生かさなかったら、人間生まれて来たかいがないじゃ

ないか」は、自殺の多い白浜海岸の岸壁に自殺防止の目的でキリスト

教会への「命の電話」とともに掲げられています。

 ボランティアで教会の牧師夫妻が24時間待機してこの「命の電話」を

設置したとのことですが、テレビで紹介された時、私は聖書の言葉では

なく、小説の一節を掲げられたこの牧師先生の心の広さに、感動しまし

た。

皆さんも、何かに行き詰まって自分を見失い投げやりな気持ちになった

時、もう一度この小説の一節を思い出してほしいと思います。