『天弓のソアラ』  視界良好、順風満帆。  360度、見渡す限りの大海原。  青い大空、青い海。我が船の甲板もこれまた青い。  青、青、青の青尽くし。  おやおや、太陽はもう帰り支度を始めたか。  はてさて、目指す大地は何処かや。  影も形も見えやせぬ。  おや、あれに見えるは彩雲じゃないか。  なんと虹まで伴って。  よし決めた。  面舵一杯、宜候。  次の進路はあの雲の下。  まだ見ぬ世界よ待っていろ……ってね。 「おーい、何してんだ?」  ありゃ。ようやくのお目覚め。まったく、たるんでいますな。いくら時差ぼけとはいえ、 もう昼すぎ。顔くらい洗ってしゃんとなさい。  でもまあ、何してんだと聞かれたら。 「現状把握かな。気持ち良いからぼーっと考え事をってね」  ってね。  久々の晴れ模様。無駄になんかしちゃいられません。 「……都合の良い想像でもしてたか?」  するどい。 「だってほら、あそこ見てみ。綺麗な彩雲。虹も出てるし、ちょっとあの下に行って見る とか?」  何、その、行ってどうすんだって顔。そりゃそうだけどさ。 「休暇じゃないんだし……暇なんだったら、釣りでもしててくれよ……」  言う事いちいちもっともだけど、今まで寝てた人に言われたくないなー。 「今まで寝てた人に言われたくないなー」  自分でも思ったことをすぐに口にするほうだと思う。これで結構トラブル呼んでるのは 自覚しております。  でも、向こうは違う。一個年上の所為か愚痴はこぼすけど、あんがい思慮深い。  つまり、今この沈黙も、私が望んでる言葉を慎重に選んでいるのだろう。と、都合の良 い解釈。 「悪かったよ……」  よろしい。 「よろしい」  まあ、明け方まで私に付き合ってもらってたわけだし、多少の寝坊は勘弁してあげる。 その程度の余裕は閉鎖空間での付き合いの常識だ。 「3時間しか寝て無いんだけどな……」  ……昼前だったか。  そういや、私はもう28時間くらい寝ていないのか。ま、自己新には及ばないけど。一 気に完成させるテンションを保ち続けてたから気づかなかったな。  外に出たらこの快晴。時間が過ぎるのも忘れてたみたい。  うん。眠い。  昨日、急に始めたボトルシップ作り。昼までかかったけど、完成できたのはこいつのお かげではある。自分で手先が器用な方だと自覚してるが、物の管理がなんというか、面倒 くさいのだ。それで、以前買っておいたのを今まですっかり忘れちゃってたし。 「いやー、良いパートナーに恵まれたよ。感謝感謝」  なかなか的確な指示でしたよ。 「何言ってんだ急に。お前こそ、ちょっと眠っといた方がいいんじゃないか?」  渡りに船、ではないけど、その言葉には甘えさせてもらいましょう。この天気なら、明 日から本格的にお仕事開始だろうし。睡眠と栄養はたっぷりとね。 「じゃ、定期連絡の後、少し寝させてもらおかな」 「それもこっちでやっとく」  やたっ。 「やたっ。ホント、良いの?」 「お前に航海日誌書かせると変な事書くしな」  変な事って、何よ。でもまあいいや。これで睡眠の約束は確保。後は栄養を。海といえ ばやっぱりお魚。飽きないかって? 愚問よ。その為の道具もあるのに。昨日までのお天 気では使う暇も無かったし、今日は今日でそれどころじゃ無かったし。  これから眠りにつく私にとって、頼めるのは目の前にいる色男だけ。 「ではでは、食材の確保お願いね。ポイントの割り出しが済むまでは、釣りダイナリほの ぼのでね」  ほのぼのダイナリ釣りのことは棚に上げておく。 「ほのぼのダイナリ釣りだった奴に言われたくねえ」  あちゃ、敵も然る者。  それでも、ここで折れるわけにゃいきません。 「釣りダイナリイコールほのぼのまでなら許す」 「……わあったよ。でも、釣果の方は期待すんなよ」  さすが。 「感謝感謝。出来るだけ頑張ってね。目指すは鯛よ」 「無茶言うな。はよ寝ろ」  あーい。 「あーい」  とととっと……危ない危ない。やっぱりここの階段狭いって。これはもう梯子だ。いや、 感覚は脚立に近いかな。  部屋が狭いのはいいんだけどね。どうせ寝るだけだし。ほら、ベッドは余裕あり。長さ も余裕ありってのはちょっと悲しくなるな。  おっと、これこれ、我ながら上出来上出来。  寝不足の原因はこいつだ、こいつ。  500ccのボトルシップ。  19世紀英国の高速帆船カティサーク。  安いキットで、パーツ数も少なく着色済みだったけど。完成してから見ると、やっぱり 良いよね。何より名前が良い。  いや、これの名前を使ってると言った方がいいのかな。  我が船の名もまた、カティサーク。  帆船じゃなく、クルーザーだけどね。  もちろん茶っ葉は運んでいない。運んでるのはもっと素敵な物。夢と浪漫ってやつ。さ すがにちょっと照れくさい。  ま、これも寝不足の所為ってことで。それじゃ、おやすみ。  ちなみに、我が船ってところは、都合のいい解釈ってことで。           ※ 「では、こちらのスタッフ2名を派遣いたします」  白を基調とした部屋に4人が存在する。狭くは無いが、開放的ではない部屋。何故かと 部屋を見回せば、風景が無い。部屋には窓が無かった。その部屋に4人は息苦しいように 思えるが、その内の二人はおよそ1/5サイズになっている。立体映像だ。  映像に映し出されたのは男と女。それを見ているのも男と女。それぞれに立場と年齢が 違う。  部屋にいる男はすでに初老の域に入っていて、スーツをこれ以上ないくらいに着こなし ているのは、彼が大企業の重役だからだろう。襟の張りからネクタイの締め方まで一部の 隙もない。何よりも目が油断なく輝いている。外へと通じる扉の奥には彼の部下が二人、 微動だにせず控えているだろう。  一方、テーブルを挟んで向かい合う女性はそこまで年老いてはいないが、若いとは言え ない。30代半ばの美しい淑女。淡いブロンドをそのまま垂らしている。こちらもスマー トなスーツ姿。組み替える脚が美しい。  それぞれがテーブルの脇に映し出された映像を眺めている。 「B級ダイバーとB級サポーターですか……しかもまだ若い。こちらの少女はまだ子供で はないのですかな? それに、言っては何ですが、経験も浅いように見えますが」  男のほうのパーソナルデータを見ると、年齢は19歳。黒い髪の白人ではあるが、その 肌は仕事柄日に焼けている。170cmという身長はこの年齢の男にしては高くない。た だ、二人並んだ映像ではそうは見えない。  並んで立つ女性も18歳という若さ。こちらも白人だが、最近では珍しい赤毛。セミロ ングのソバージュヘアが一層幼さを引き立たせている。実際、150cmという身長はデー タでは分かりにくいが、想像しているより低い。バランスのとれた頭身だから余計に。美 少女だが、程よく焼けた肌が健康的ではある。  二人共にデータに記載された実戦経験は両手で数えられるほど。入社時期は男の方が少 し早くて、それでもまだ2年に満たない。どうみても新人レベルだ。チームを組ませるに は不適当にも思える。 「わが社の社員です。何か問題でもありますか?」  社員にジェントルマンキラーと呼ばれる女性の笑みは、此処でも効果抜群だった。  初老の紳士は紡ぎ出すべき言葉を一瞬失い、その隙をついたように女性が話を続けた。 「B級なのは、お客様の仰る通り、二人とも若いからです。ですが、彼女のダイビングセ ンスは確かで、彼のバックアップ能力にも疑うものはありません。A級の能力はすでに持っ ております。ご希望であれば装備その他のデータもご覧に頂きましょうか?」  自信が有るのは人材だけではない。とも取れる。  揺るがない微笑に男が折れる。 「いえ、それには及びません。あなたを信頼しましょう。この業界の老舗の信用を疑うよ うな事をして申し訳ない」  了承しましたと微笑みあう。この段階で商談は成立。後は確認と手続きを踏むだけ。  女性が手馴れた手つきでコンソールを操作する。 「おおよその落下ポイントと、目的の品のデータはこちらで間違いありませんね?」  映像が切り替わり、世界地図の一部と、その地域の海図が現れる。小さく淡い赤の円が 点灯を繰り返している。図上で見ると小さいが、実際に海にその円を描くと数百メートル の直径を持つ物になる。さらに言えば、それは着水ポイントであって、海流や地形の影響 は不明。  その図の横には球体が映し出され、寸法や材質のデータを見ることが出来る。目的の品 らしいそれは、およそで言えば、直径72cm、重量42kg、球体の中に直径45cm の空洞。  超軽量マグネシウム合金と耐熱パネル、樹脂やゴム等で出来たそれは、ずいぶん古い技 術を使っているので、今同じ物を作るよりずいぶん重い。  宇宙技術の遺産。より平たく言えば宇宙用のカプセル。耐熱パネルが貼られているのは 大気圏を落下させるための物。 「ええ、これです。軌道衛星で落下を確認したのが先日の1342。ああ、これは我が国 の標準時刻で。現地の時差は別データに記載してあるはずですが」 「承知しております。あとはこちらにお任せください」  と言ったところで、書類に判を押す男に訊ねる。 「ところで、こちらの物は一体?」 「娘へのプレゼントだそうです。私もよく分かっていないのですがね」  男のその笑みは、女性を見惚れさせるのに十分なものだった。           ※  よしよし。今日も快晴、海は凪いでるベストな状態。海水浴にはもってこい。じゃなく て、仕事か。よし、こっからが私の腕の見せ所。  さっさと済ませて、約束の休暇を楽しみますよ。あの社長から取りつけた1週間ものバ カンス。しかもこのカティサークまで貸し出させる事に成功した時は、自分の交渉術に惚 れ惚れしたねぇ。  まあ、今日仕事が終われば1週間って事だけど。  さて、このスーツ、いや潜水艇か。乗ってる方にしてみりゃ、手が有る水中バイク。姿 勢はより前傾で、足も後に投げ出してる。抱き枕を抱いてる感じかな。乗り心地は悪くな いんだけど、これが結構窮屈なんだ。もうちょっと楽な寸法で作ってくれてもいいのに。 本当に子供用のパーツを流用してるのかな。それはいくらなんでも悔しい。 「おい、聞いてんのか?」  あっ、ごめんごめん。 「あっ、ごめんごめん」  ちょっと違う事考えてた。そんな顔しなさんな。これからちゃんと聞きますとも。 「もう一回確認しとくぞ。着水ポイントはこの辺り、半径100m。このデータも予測値 に過ぎないし、一昨日までの大時化でどこに流されてるか、細かくまでは不明。物も球状 で小さく、ソナーでの調査もこれと断定できるものは無い」  予想通りだけど、めんどくさい事になりそう。 「ま、それっぽい反応には何箇所か目星をつけて有るから大丈夫だろ」  その数50程度……まあしょうがないけど、やっぱり多いよ。 「あまり深くないしな」 「最大水深は? 昨夜のデータに変更無しかな」 「大きな変更は無しで、およそ800m。でもそこまで潜る必要は無いだろう。大体60 0m前後って所か。お前のラックなら大丈夫。視界はまだ良好な方だし。あと、岩石など の隆起が多少あるが、潜水するだけなら難解なポイントじゃないはず。この時間は海流も 安定してるようだ」  ということは、潜水浮上に12ノット、往復だと約5分。実際に作業できるのは40分 前後。  ターゲット予測位置の最大幅が2km。  あれがこうして、こうなって……まあ、1ダイブで何とかなるでしょ。 「そういや、天気予報は?」 「グリーン。ただし、夜にはまた雨だそうだ。嵐ってほどじゃないが、それは長引くかも しれん。下手すれば二日か三日はこの付近に居残る可能性もあるな」  ふむう。ってことはやはり今日が勝負ね。もとより長引かせる気は無いけど。 「ところで、これって装備自体は通常?」 「もち、通常」 「高機動ユニットは?」 「無し。通常」 「大型水中銃」 「無理。通常」  なんだ、つまんない。 「いいから、もう閉めるぞ。さっさと終わらせて休暇を楽しむんだろ?」 「あ、ちょいまって」 「どした? 便所か?」  違うっての。 「違うっての……今日こそはお魚食べたいなって」  カンヅメなんかはもう飽き飽きだよって顔をしてみせる。 「出来るだけ頑張っとく」  素直でよろしい。そういうとこ好きだな。 「じゃ、行って来ます」 「通信は1番だぞ」  おっと、拳をコツっと合わせるこれ、何かの映画で見たシーンだけど、いつのまにか恒 例になってる。グッドラック、は向こうが言う言葉か。バックアップはバックアップで何 かと大変そうだけど。それに、釣りも頑張らないといけないしね。  もう一つ、出撃前の儀式みたいなものを済ませて、さあ行きますか。 「気をつけてな」 「イエッサー」  唇を軽く撫ぜる、と視界に影が落ちる。  背中のハッチが閉まる音。ワイヤーで海面に下ろして、この振動が着水。マイク越しの あいつの声が届くまでは目を瞑っている。なぜなら、そこで目を開けると。 「いいぞ、潜水開始してくれ」  別世界。  海面が光を受けて、とても綺麗だから。我ながら乙女チックな感想だが、仕事でこれを 見るのが一番好きかも。もちろん、ターゲットを確保したときの楽しさも忘れちゃならな いけどね。  ほんと、天気が良い日のダイブは最高。  っと、時間もあまり無いし、降りますか。  だんだん暗くなる。ライトをつける。そこもまた、世界中のどこにでもあるまだ見ぬ世 界。  魚が驚いて逃げてる逃げてる。ふふっ、おっかなびっくり寄って来るのもいるし、関係 ないぜってゆうゆう泳いでるやつもいる。  やっぱり良いな。  臭いけど、危険に身を置くばかりじゃなくて、やっぱりそういうの大事にしていかない とね。勿体無いし。  それに、いひひっ。あいつにはナイショだけど、最初にヒットしてもしばらく海底散歩 はするつもり。           ※  21世紀中ごろに行なわれたとあるプロジェクト。  幾つかのカプセルを載せたロケットが宇宙へと発射された。  大企業とは言え、プロモーションの一環としては異例の出来事に世界の注目が向けられ る事になった。  これは噂に過ぎないが、打ち上げの直前には雨が降り、虹が出ていたという。           ※  機材のケーブルを出来るだけ延ばしても甲板に届く事は無い。ということは釣りとバッ クアップを両立させることはなかなか難しいようだ。  どっちを優先すべきかは理解している。社員としても個人としても。  だが、約束した手前、何とかしようと仕方無しにモニターの向きを変えると、甲板に出 る階段に腰をかけた。  後にはロープで固定した釣り竿がある。釣りの知識はそれほど無いので、ただ針に餌を つけて垂らしているだけだ。  マイクとスピーカーが活躍してくれているので、この状態でも通信には差し支え無いの だが。 「……どう考えても無理だな」  事実である。もちろん釣果に対する期待のことで。  通信相手との会話中に、一度もその竿がしなる事は無かった。 「ねぇねぇ、何か釣れた?」  何度目かのその質問はあえて無視した。 「で、そっちはどうだ?」 「釣れてないな。頑張ってるの?」 「お前と喋ってない時は頑張ってるよ」  通信が途絶えた時間は、ダイビング開始からの割合で言えば1割にも満たない。それで は言い訳にはつかえないとも思うが、双方構わないようだ。 「ふーん。で、こっちは次12個めのポイント向かってるとこ」 「知ってる」  どうやら未だヒットは無いようだ。船の鉄くずだの、鉄分を多分に含んだであろう岩石 だのがソナーに映っていたらしい。  紙に出した地図には11個のバツ印が赤で描かれている。それ以上に残る青く小さなマ ル印。  時計を見るとすでに20分が過ぎている。予想以上に難航しているようだ。酸素残量や バッテリーの心配もし始めないといけない。  が、聞きたい事はそうではなかった。 「で、身体は順調か? 無理はするなよ」  素直に相手の体調を心配する。慣れているとは言え、昨日の件といい、此処の所不規則 な生活を送っていたから。  それに、休暇が一日二日減る位は問題ないのだが、向こうが焦って事故を起こすのでは ないかという心配も有る。 「もち、バリバリ順調……うひゃあ!」  聞き取りにくいノイズの中の小さな叫び。慌ててマイクに駆け寄る。 「どうした!?」  怒鳴り返す言葉には緊張が含まれていた。モニターを確認しつつ、デスクの引き出しを 開けロッカーの鍵を取る。ロッカーは普通のサイズよりも大きく、古い潜水服が入ってい て、昨日もちゃんとメンテナンスをしていたはずだ。  海流か、大型の水生哺乳類か、マシントラブルだとすればワイヤーも出す必要がある。 「クラゲ! でっかいのが居る!」           ※  うひゃあ!  なんて、ばかでかいクラゲか。これは並のでかさじゃないよお。傘の部分が直径10m はあるかな。  でも、何かおかしいような。  なんだ。そっか。 「おい、脅かすなよ」  ああ、ごめん。あのタイミングは確かに気になるか。でも、しょうがないじゃない。あ る種、事故よね。 「ごめん。でもこれ見てみ」  あいつも、この映像を見たらびびるはず。ま、多少それっぽく見える位置で……此処が 良いかな。外部カメラの焦点にライトを合わせてと。  これでどうだ。 「どう? 見える」 「ああ……確かにそう見えるな」  うぬー、思ったより反応悪し。予備知識が無かった私の驚きを推して知るのが相棒って ものでしょうが。 「でもどうやら……」  あら、気づいたか。  クラゲに書かれた文字は映らないようにしたんだけどな。 「ビンゴみたいね」           ※  かつて打ち上げられたいくつかのカプセルは、約束を果たした。  民間企業がプロモーションした夢のタイムカプセル。  100年後に逢える様にプログラムという魔法が掛けられた15の球は人々の思いを乗 せて放たれた。  デブリとなって破壊された物もある。軌道をそれて今も宇宙を旅している物もある。回 収された物もある。それでも、全てではないかもしれないが、100年の時を経て地上に 帰ってきた。  おかえりと迎えてくれる故郷の大地を半ば失っていた地球に。           ※  何だろ、これ?  やっとの思いでひっぱりあげたクラゲ付きカプセルの中身なんだけど。  四角い紙? 何か入ってるみたい 「大丈夫そうだけど、一応調べておこう」 「お願いね」  じゃ、残りの物でも調べましょうか。  あっ、これは分かる。手紙だ。文字は読めないっていうか、何語なのかもわからないけ ど、なんか暖かい感じ。そういえば、紙の手紙なんか初めて見たかも。  本も有るわね。手紙と同じ言語の。  で、こっちは花の種だし。  ふーん、金銀財宝ってのは無いみたいね。でも、何か良いかも。 「検索結果でたぞ」  どれどれ?  これ? モニターのカーソルをぐりぐりと。 「LP盤?」 「何世紀も前の音の記録媒体。レコードってやつらしい。音楽のメディアとしては、かな り古いな」  なるほど、音楽。曲か。歌かな。 「ってことは、プレイヤーもあるのよね?」 「そりゃ……有るところには有るだろうけど」 「有るところって、博物館とか?」  うーん、今までそんな所に足を踏み入れた事なかったからなあ。 「聴きたいって顔だな……」  うん。そりゃ聴きたいってもんでしょ。  あっ、今呆れたな。 「あのな、これは届けものなんだ。しかも、このデータが正しければ相当価値のあるもの だ」  価値とか、そうじゃなくてさ。 「届け物って、中身の安全を確認するのも仕事のうちでしょ。そういう契約のはずよね」 「だから、今確認しただろ。歌手と曲名が分かってるんだから、後で何とかなるだろ」 「わかってないわねー」  同じ曲でも聞く場所や状態で全然違うって事をわかってないのか、この若造は。まった く、なってないわ。なってない。 「若人よ。もっと浪漫を追い求めよ」 「……何言ってんだ。ただ聞きたいだけのくせに」 「ただ聞きたいだけよ」  勝った。  古今東西、こういうのは言い切った者勝ちよ。たしか。その証拠はこいつの顔。唖然と しちゃってまあ。  圧勝ってやつね。 「おやおや、何か言いたい事でも?」 「……休暇はどうするんだ?」  うっ、思わぬ反撃。でも、私の天秤は揺るがないわよ。 「今、一瞬迷っただろ」  ……ふっ。 「ふっ。じゃあ社長に聞いてみましょ」 「上等だ」  ふふ、私の交渉術をなめるなよ。 「ふふ……吠え面かかせてあげるわ」  ついでに休暇のニ、三日延長もさせてみますか。           ※  やはり子供ですな。  そう言わんばかりの男性の顔は微笑んでいる。苦笑でも蔑んだ笑いでもない。それどこ ろか、先ほどの報告にあった仕事の手際に敬意を表している。  モニター越しの女性の顔もまた同じ表情。 「構いませんよ。誰が届けようとも」 「ご好意、ありがたく承ります」  カメラの前で恭しく頷いた。さて、と笑顔のまま話を続ける。男性にはあまり時間がな いようだ。モニターの後ろに移りこんでいる秘書の女性から何か話を聞いている。 「それで、日時は……」  寝衣の女性はテキストに起こされたログの一部を切り取り送信トレイに貼り付ける。宛 名を指定するとモニターの電源を落とし、ベッドに向かった。 「まだ2時間は眠れるわね……」           ※ 「せっかく自腹で来た旅行だ。あまり落ち込むなよ」  ……うるさい。  うー。まさかこんな辺鄙な島国だとは……しかも、もう休暇の半分近く過ぎてるし。お まけに船は置いてこなけりゃならないし。おまけに雨も降ってくるし。もちろん休暇が延 びるわけもないし。 「殆ど地球の真裏だからなぁ、あの船で来てたら休暇が終わっても着いてなかったかもな。 まあ、俺の分の飛行機代は自分で出してやるから」 「当然でしょ!」  この男は、荷物も持たずにいけしゃあしゃあと。  社長も社長よ。  検討してやるから一度会社に戻って来いって口車に乗ってなければ……会社に着いた途 端に休暇に入ったとか言って……うう、懐が寒い。これで届け先にプレイヤーが無かった らあんな会社やめてやる。  って、まあ半分は冗談だからね。こいつの言う通り、多少懐が痛んでも旅行は楽しまな いともったいない。半分はサービス出張みたいなものだけど。  ま、そんな感じで、正直そこまで落ち込んじゃいないのよね。  見知らぬ国も楽しい。これほんと。  それにしても、今時電柱があるなんて珍しいわ。実際に見るのは初めてかな。  ん? どうかした? 「ああ、このあたりなんだが……此処じゃないか?」  お、到着ですか……いや、どーみても喫茶店。でも、確かに住所は此処だ。と思う。  地名はわからないけど、地図くらいは見れるつもり。たぶん。  まあ、有能なナビもそう言ってる事だし、ここに決定。 「うーん、此処で合ってるよね?」 「……おそらくな。ほら」  あ、ほんとだ。 「天弓のソアラ」  見つけにくくて良いのかと思うほどの小さい看板。その異国の文字を絵として見たわけ よ。それがこの店の名前。確かアンティークショップだと聞いていたんだけど。 「丁度いいじゃないか。雨宿りも出来そうだ」  それもそうね。では、おじゃましまーす。  「カランコロン」とベルが良い音で……わあっ。 「ほおー」  こりゃ、感嘆符が付くわ。  一言で言うと、 「綺麗」 「こりゃ凄い……」  多少言葉は違えど、意見は一致してるようね。  銀細工の時計やガラス細工のアクセサリの小さなものから、木の家具のアンティークが 数こそ少ないがセンス良く並んでる。なるほど、誰もが認めるアンティークショップだ。  で、同時に喫茶店でも有るわけね。  誰もいないのに珈琲の香り。しかも、すごく良い香り。 「あら、いらっしゃいませ」  うーん、異国の言葉の響きまでがアンティークを感じるわ。           ※ 「外国の方でしたか……」  店の奥から出てきたのはまだ若い女性だ。20代半ばのほっそりとした、体型こそ自分 たちとは少し違うが綺麗と言っても良い顔立ち。それ以上に人のよさが滲み出ている。  振る舞いや口調のテンポものんびりした物だ。  おそらく、ここの主人だろうが、店が流行ってないことが不思議に思えるほどだ。少な くとも異性に理由もなく嫌われる事は無いといっても良さそうな物だが。 「えっと、この言葉でよろしいでしょうか?」  聞き覚えの有る言葉に、二人の方が驚く。それもそのはずで、世界で最も有名な言語で はない。自分たちが何処の国の人間だか分かっているのだろうか。 「こっちの言葉を知ってるんですか?」 「よかった」  問いかけに対する正しい答えとは言えないが、間違いなく答えになっている。 「へぇ、発音も良いですね」 「昔、留学していた物ですから。どうぞ、お掛けになってください。今メニューをお持ち いたします。コートとお帽子はあちらに……」 「いえ、我々は客ではないんです」  はたと女性が立ち止まる。  二人にとって、客は女性の方だ。 「あら、セールスの方ですか?」 「セールスじゃなくて、配達員の方かな。届け物を持ってきました」 「届け物……あっ、父からですか?」  頷く。なるほど、話は通っているようだ。それなら話は早い。本来は二人が届に来る事 も無かったので、異国の人間が来れば疑われても仕方は無いと思っていた。 「ええ、伺ってますわ。あ、どうぞお掛けになってください」  今度は断る理由も無い。少し濡れたコートを掛けると、少し悪い気がしたが店内に二つ しかないテーブル席の片方を使う。 「珈琲でよろしかったかしら」  カウンターの向こうで女性はコンロの火を起こした。 「お気遣い無く」 「はい」  男が少し呆れたような目で目の前の少女を見つめるが、少女はそれを慣れた感じで無視 した。 「ところで、一つ質問。どうして私たちの国が分かったの?」 「服装、というよりその帽子ですわ」 「あれ?」  コート掛けの天辺に乗っている帽子に目をやる。二人にはただの帽子にしか見えない。  女性は少女のようにはにかみながら答えた。 「父の会社で作っているものですから。それに、初恋の人に贈った初めてのプレゼントと 同じなんです」           ※  フロートシティ、所謂海上都市が否応も無く乱立された時代。  大陸の三分の一が海に沈んだ大変動から数十年。  海に沈んだ価値のある物を得ようとこぞって起こったサルベージ会社の乱立。経済水域 の見直しや法律の立案を待たずに船に乗る人々。  多くは大都市があった海に向かう。  その船に積まれた宝は、夢や浪漫ではなかった。  それから更に数十年。少年はその中の一艘の船に乗っていた。  大都市には向かわない船に。  船は一通の手紙に誘われて進路を決めていた。           ※ 「素敵」  女性は思わずつぶやく。  この笑顔。良いなぁ。すごく。あたしが男ならきっと惚れちゃう。  って、隣の男も思ってるんだろうな。こりゃ思ってるわ。  まあいいけどさ。  軽い物ばかりだったから鞄に入れてきちゃったけど、状態は、うん大丈夫みたいね。あ、 ちゃんと気を使って来たんだからね。誤解しないように。 「レコードに本ね。これは花の種かしら。それに手紙」  言葉にすればそれだけの贈り物だけど。こいつらは此処に来るまで100年も旅してき たのよね。浪漫よね。 「受け取りのサインをお願いします」  って、余韻も感じられないのかこの男は。まあ、仕事だししょうがないか。 「あっ、はい。えーと……はい」 「こちらにも」 「はい」 「はい。ありがとうございます」  うん。これにて無事にお届け完了。  完了、しちゃったなぁ。珈琲ももう飲んじゃったし。レコード聴きたかったなぁ。でも、 此処から近くの博物館まで結構あったはずだから、何か言えないよね。うーっ。 「不躾ですが、このレコードかけて頂く事は出来ないでしょうか?」  えっ? 「えっ?」 「私も聴きたいと思っていた所なの。ふふっ、よろしかったら1曲どうぞ」  な、なんという色男!  それに色女!  でもさ、でもさ。 「ちょっと、何で、さもプレイヤーが有るような事言えたのよ?」  何よその勝ち誇ったような顔。まるで目の前に有るような……えっ、まさか……?  そ、そんなっ、い、言わなくて良いからっ! 「目の前に有るからだろ」  きゃああっ。 「古いものですから、知らなくても仕方ありませんわ」  フォローが痛い。  こうなったら元を取るまで聴いてやるんだからっ!  ほっぺが熱いけど知らない。  って、カウンターの横のがそうなのか。ホントに目の前にあったのね……へぇ。なんだ か不思議なプレイヤー。  一枚一枚乗せて変えて、一曲一曲楽しんで聴くのかな。  ちょっと素敵かも。  って、バリバリって言った? だ、大丈夫なの? 壊れてない?  ……大丈夫みたい。  なんだろう。不思議な感じ。知ってる歌とそう変わらないけど、こういう気持ちを一言 で言うならきっと。  素敵。 「素敵」           ※  変わるきっかけは一通の手紙だった。 「お祖母ちゃんは確かにタイムカプセルを埋めたって言うんです。もう海の底に沈んじゃ ってるんですけど。勝手にもぐっちゃ行けない場所だし、もぐれてもわたし達じゃどうに もならないし、どうにかなりませんか?」  泥だらけのお菓子の缶は中にまで海水が入って重たかった。どんな宝物よりもきっと重 たかった。  手紙を出した少女は、祖母の顔を思い出すときに笑顔を思い出せる幸せを得た。  そしてもう一つ。  夢を得た。           ※  良かった、雨止んでる。  ありゃ、もう夕方か。1時間くらいすぎちゃったのかな、あ、2時間かー。楽しい時っ て経つのが早いね。  さて、ホテルまでどうしようかな。って思ってた所に後ろから押さないでよ。 「どうした? 出ないのか」  出るけど。 「出るけど。ちょっと名残惜しいかなってのはダメ?」 「わかるけど、そうも言ってられないだろ」  そっか。  あれから会社から電話。やっぱり忙しくなりそうだから早く帰ってきてくれって。  あーあ。  しょうがないか。老舗だけど、そんなにスタッフもいないしね。それに信用されてるの は嫌じゃないし。せっかく手に入れた船を奪われるのも悲しいし、あっ、ボトルシップも 船におきっぱだ。  じゃあしょうがない、帰りますかな。我が港へ。 「さて、それじゃ行きますかー」 「ありがとうございました」  外まで見送りとは、くーっ、可愛いなあ。まあ、店の中には誰もいないからかもしれな いけど。そういや、お客誰も来なかったけど、何でだろ。  まあ、余計な詮索はしない。  ということで、帰ろうか。  うん?  あっ、虹。 「あっ、虹」 「どこ? あ、ほんとだ」 「本当、綺麗ですね」  遠く見下ろす水平線にかかる虹の橋。うん、恥ずかしい。 「実はこの店の名前にある天弓は、天にかかる弓、つまり虹の事なんですって」  へぇ。橋じゃなくて弓かぁ。そういうのも良いな。           ※  ドアにかかったプレートを裏返す女性に少女は恥ずかしそうに尋ねた。 「あの種の花が咲くころ、また来てもいいですか?」  女性は答える。少女の予想した通りの笑顔で。 「明日にでも、お待ちしていますわ」          fin