勝手に太正浪漫街道
鈴野十浪先生編其の一

嵐の明冶神宮 上

 元日の明治神宮の人出は噂以上であった。
 縁起物を売る売り子と、求めようとする買い手、その他諸々の声が合わさって、
大きな一つのざわめきを作り上げている。
 大きな音だが、不思議と耳に痛くはない。
 かく言う私も、普段なら買いもしない破魔矢などを一本、片手にしていた。
 理由は、多分私も皆も同じだろう。
 黒之巣会の陰謀により、昨年の帝都は甚大な被害を受けた。
 当然、そこに生活している人々と共に。
 あれほどの災厄から立ち直るのに、四ヶ月という時間はやはり短いのだ。
 自分の力では足りないから、神頼みでもするしかない。
 本当に、例年よりも多いのかも知れない。
 冗談ではない混みようである。
 茜にせがまれて、広井君と赤堀君も呼んで一緒に来たのに、
妙な五人組に注意を向けていたほんの一瞬の間にはぐれてしまった。
 この人込みで落ち合うのはほとんど不可能だろう。
 茜は広井君たちになついていて彼らの袖を握っていたから、まあ一人になることはないだろう。
 それよりも気になったのは、その妙な五人組である。
 ほおかむりなどで変装して、人目を忍ぶようにしながら、
どうも誰かを追跡しているようであった。
 世相を反映して、不吉だと思って注意を向けたのだが、
後から考えてみると、どうもどこかで見たような人間という気がするのだ。
 背の高いのが二人、普通ぐらいが二人、ちっちゃいのが一人。
 あれは、どこだったか、と深く考えこもうとしたときに、
今度は本当に耳に痛い音が、私の耳朶を打った。
 悲鳴だ。
 本殿の方では無い。北辰権現様の方向からだ。
 しばらくして警報が、警官の誘導する声が響き渡った。
 これが何を意味するのか、不思議と直面することの多かった私には、 嫌なくらいはっきりとわかった。
 黒之巣会の、出現。
 しかし、黒之巣会総帥天海は滅んだのでは無かったのか。
 次の指導者たる大川晴明も昨年末に逮捕されたはずだ。
 私の抱いた疑問は、おそらくここにいる全ての人間の考えを語っているだろう。
「逃げろ!」
 誰かのその声がきっかけで、恐慌じみた逃走が始まった。
 しかしこんな人混みで、自由に動けるはずもない。
 人が折り重なって倒れたり、人を押しのけてでも動こうとする輩がいたりと、
至る所から悲鳴が上がった。
 そんな中、私は何故か流れに逆らって動いていた。
 何故そんな行動をとっていたのか、自分でも不思議だったが、
後から考えれば、私は知ろうとしていたのだ。
 私は何故か、黒之巣会と帝国華撃団の激突の場に居合わせることが多かった。
 話を聞いて、自分からその現場に駆けつけたこともある。
 だが帝国華撃団は、名前こそ噂となって有名ではあるものの、厳然たる秘密部隊であるらしく、
その戦闘の場に近づこうとしても、いつも警官に足止めされて、
遠くから霊子甲冑の勇姿らしきものを垣間見るだけであった。
 しかし、この場はあまりにも混乱している。
 警官とて、この中で近づこうとするものを全て把握できるはずはない。
 帝国華撃団の真の姿を見るには、この機会をおいては二度と無いかもしれない。
 不謹慎なことだが、そのとき私はわくわくしていたかも知れない。
 人の波をかき分けて、いったん森の中に入った。
 北辰権現様の方へ、大まかな見当をつけて走っていく。
 走っている最中に、頭上から微かなうなりが聞こえてきた。
 あれは確か、帝国華撃団の飛行船の音だ。間違いない。
 しかし、たどり着いた北辰権現様は、人々が捨てていった縁起物が散らばるだけで、
猫の子一匹見あたらなかった。
 そこで、私の足は凍り付いた。
 縁起物を風が巻き上げ、その下にあるものを見たからだ。
 石畳に刻まれた、巨大な爪痕と、酸のようなもので溶かされた跡。
 これは、黒之巣会ではない。黒之巣会なんかであるはずがない。
 今までの黒之巣会の活動跡では感じなかった、言いしれぬ恐怖が背中を走った。
 何かが起こっているのだと、身体が叫んでいた。
 黒之巣会を凌ぐ、もっと恐ろしい災厄が動き始めたのだと。
 私を縛り付けていた恐怖の鎖を断ち切ったのは、一発の砲音だった。
 夜の築地で一度聞いた、あの頼もしき音だ。
 そうだ、帝都には帝国華撃団がいるのだ。何を恐れている。
 鎖が切れると同時に、また好奇心が蘇ってきた。
 今、帝国華撃団が戦っている最中なのだ。
 先ほどの砲音の先は、そうだ、大鳥居のある本殿の方だ。
 我が足を叱咤して、私はもう一度走り出した。
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