勝手に太正浪漫街道
茜ちゃん編其の二

縁の下の大車輪 下


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 そのあと、大神さんが手伝ってくれたおかげで、食堂の掃除はずいぶん早く終わった。
 手伝ってくれた、という言い方は正しくないかも知れない。
 床のモップ掛け、テーブルクロスの整理、おまけに壊れたところの補修。
 あたしが一つの仕事をする間に、大神さんは三つか四つの仕事を片づけてしまっているのだ。
 えーん、あたし、ウェイトレスとして自信なくしちゃうよう。
 やっぱり、ただ者じゃないけど、それを口には出さなかった。
 さっきの大神さんのつらそうな顔を思い出すと、軽々しく声をかけられない。
 だけど、同時に少し憧れてしまう。
 やっぱり、何をしても格好いい。
「よし、これで食堂はほぼ終わったね」
 ぼーっとそんなことを考えていたら、いきなり大神さんが声をかけてきて、あたしは心臓が口から飛び出るかと思った。
「え、あ、そ、そうですね。大神さん。ありがとうございました」
 あわてて、からくり人形のようにお辞儀をする。
 大神さん、変に思ったかなあ。
「じゃあ、俺はこれで」
「あ・・・」
 なんだか、これで終わりというのがもったいない気がしたけど、引き留める言葉が出てこなかった。
 大神さんの背中を見送ると、少し寂しかった。
 しかし、落ち込んでいても仕方がない。
 食堂が終わってしまったから、厨房の掃除をお手伝いしに行こう。
 行ってみると、アイリスちゃんもいて、なんだかみんな心配そうな顔で人だかりを作っている。
「どうしたんですか?」
 どうも、若いコックさんが水道管相手に格闘している。
「あ、茜お姉ちゃん。あのね、みんなでおそうじしていたら、とつぜん水が流れなくなっちゃたの」
 見ると、何人かはバケツに水をくんできて掃除を続けているが、やはりここで流れないのは問題だ。
 しばらく、みんなで色々工夫してみたんだけど、どうも直りそうにない。
 みんなして、頭を抱えそうになったとき、あやめさんと、大神さんが来た。
 なんだか、すっごく頼もしく見える。
 アイリスちゃんから話を聞いた大神さんは、腕まくりをしつつ、一言。
「雑用には慣れてますからね。じゃ、あやめさんは横で見ていて下さい」
 雑用になれているって・・・、すっごく頼もしいんだけど、どこかずっこけてしまう。
 しかし、大神さんは口だけではない。
 工具を取り出し、流れるような手さばきで水道管を解体し、調べていく。
「ここか!」
 カリッ
 大神さんの手が一閃する。
 一瞬、何か光ったような気がしたけど、気のせいかな。
 大神さんは水道管から錆の塊のようなものを削り出すと、そこから水が勢いよく流れてくる前に、一瞬で水道管をつないでしまった。
 そのままくるくるとねじを締めて、おしまい。
「あっ、水が流れた!お兄ちゃんすごーい」
 アイリスちゃんが素直に感心するが、私たちは呆然と眺めるだけだった。
 あの速度、人間業じゃない・・・。
「じゃあ、みなさん、後頑張って下さい」
 大神さんはあやめさんに連れられて、劇場の奥の方へ行った。
 衝撃から立ち直るのに、あたしたちはしばらく時間がかかった。
 ともかく、大神さんのおかげでこちらの掃除も楽になった。
 しかし・・・、
 あたしたちが厨房で掃除している間に、大神さんは五回か六回は厨房の横を走り抜けていった。
 そのつど、持っている物が箒だったり、書類の束だったり、ゴミ袋だったり。
 大神さん一人で、一体何人分働いているんだろう。
 前にかすみさんが、大神さんがいなくなったら帝劇の人件費が跳ね上がるとか言っていたような気がするけど、 それが納得できた。
 大神さんは陰に陽に、帝劇を本当に根本から支えているんだ。

*  *  *  *


 そんなわけで大掃除も終わり、花組の皆さんがくつろいでいるサロンに、あたしはお茶とお菓子を持っていった。
 今年の仕事納めだ。
 もっとも、あたしはほとんど二階には入ったことがなかったから、理由を付けて見てみたかっただけなんだけど。
 なるほど。
 すみれさんが気に入っている、という話が納得できた。
 そのサロンの奥で、大神さんは少し疲れた様子で椅子に座っていた。
 あれだけ動いていたら、倒れてもおかしくないだろうに。
 その大神さんの周りを、さくらさんにすみれさんにアイリスちゃんが取り巻いて、いろいろと世話を焼こうとしている。
 少し離れているマリアさんとカンナさん、紅蘭さんも、大神さんの方をそっと見つめていた。
 そうか。そうよね。
 花組のみなさん、みんな、大神さんのことが好きなんだ。
 その中に、あたしなんかが入ることは出来そうにない。
 そばにいたあやめさんにお盆を手渡して、あたしは足早にサロンを後にした。

 来年は、いい恋人みつけてやるんだから。

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