勝手に太正浪漫街道
茜ちゃん編其の二

縁の下の大車輪 上

 十二月公演の千秋楽も終わり、今、帝劇は大掃除の真っ最中。
 私も、たすきに三角巾、手には雑巾といった完全装備で食堂の掃除をやっている。
 うわ、普段綺麗にしているつもりでも埃がたまってるなあ。
 すぐに雑巾が真っ黒になってしまって、水も換えなきゃ。
 換えようとしたあたしの目の前に、バケツを持ったたくましい手が延びた。
「あ、ついでに俺が換えてくるよ」
 誰かと思ったら、モギリの大神さんだ。
 背は高いし、顔はいいし、声も渋いし、態度は丁寧だし。
 何でこんな人がモギリなんてなんてやってるのか、食堂でも噂になっている。
 元は軍人だったって話もあるけど、あの歳で退役軍人かなあ。
 あの話を考えれば、あながち的外れでもない気もするけど。
 でも、そういうあたしだって、ちょっぴり憧れちゃう。
 だって、本当に格好いいんだもん。
「済みません。お願いします」
 こういう作業って、やっぱり男の人にやってもらうと気分がいい。
 大神さんも、自分お部屋のお掃除をしていたらしく、
やっぱり片手にバケツと雑巾を持っていた。
 なんか、こんな姿でも格好いいと思ってしまう。
 花組の誰かと恋人同士って話、間違いであって欲しいなあ。
 それにしても・・・、
 大神さんの雑巾を扱う手つき、ただ者じゃないような気がするんだけど・・・。
「大神さん・・・。お掃除得意なんですか?」
 自分でも間抜けな質問だと思ったけど、つい気になって聞いてしまった。
「うーん、掃除が得意というか・・・、まあ、昔から色々やらされていたからね」
 大神さんは、ぼやくような口調だったけど、なんだか懐かしそうな顔で苦笑いした。
 色々やらされたって、一体大神さんってモギリになる前は何をしていたんだろう。
 それに、気になることもある。
 大神さんは、この帝劇に住み込んでいる唯一の職員なのだ。
 私も含めて、食堂や事務、あるいは舞台の職員は、
全員が帝都のどこかに自宅か下宿を構えて、そこから通勤している。
 事務を取り仕切っているかすみさんでさえそうなんだ。
 なのに、この間私が遅くなってしまったとき、あやめさんは二階から大神さんを連れてきた。
 二階の、花組の皆さんの部屋がある区域には入ったことがないけど、
たぶん、あやめさんと大神さんの部屋もそこにあるんだろう。
 花組のみなさんや、支配人秘書のあやめさんはともかく、
モギリの大神さんの部屋があるって言うのは変だ。
「大神さんって、本当にモギリなんですか?」
「えっ?」
 大神さんの表情が一変する。
 これは何かあるなと思った。考えられることは、やっぱり、
「あやめさんと同じように、軍の関係者なんじゃないですか」
 大神さんは手を止めてこちらをじっと見る。
 睨むってほどじゃないけど、顔立ちが整っている分、迫力があった。
「茜ちゃん。あんまり、踏み込まない方がいいよ」
 それは、直接じゃないけど、あたしの聞いたことを肯定していた。
 叱るでもなく、とがめるのでもなく、大神さんの言い方は、淡々としていた。
 ただ、その顔が、ひどくつらそうに見えた。
 どんなに仕事が忙しくても、大神さんがこんな顔をしているのを見たことはない。
「興味がわくのは仕方ないだろうけど、本当は、知らない方がいいんだ。こんなこと・・・」
 あたしは、興味本位で軽く聞いてしまったことを後悔した。
 大神さんは、私なんかにはわからない、たくさんの苦労を背負っているんだ。
「俺はね、花組のみんなを守るために、ここにいる。守らなくちゃいけないはずなんだ・・・」
 最後の言葉は、消えそうで、かろうじて聞き取れたけど、
その言葉の意味は分からなかった。

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