「裏嘆きの都」
第二話



第一話後編


 高音が研究室に来なくなって数週間が経った三月ももう終わり。

 帝国大学文学部史学科、近代都史研究室。

カランコロンカランコロン

 扉にしかけられていた罠が作動して、研究室内に響き渡る程度の派手な音が鳴る。
 真夜中だ。
 あまりに派手な音は警備員を呼びつけて厄介なことになる。
 もっとも、この広い大学構内で少々の音がしたところでわかるものではないが。

 呆れた顔で扉を開けたこの研究室所属講師、高音渚の前に、今しがた叩き起こされたと言う顔の学生が立っていた。

「やはりおまえか、夢織」
「さすがのあんたも罠には弱いようだな」
「研究室の扉に罠をしかける馬鹿の思考回路について行けんだけだ」
「あ、そう」

 答えてから夢織は、手近の洗面台で顔を洗う。
 まだ三月だ、水は冷たい。
 さすがに意識がしっかりする。

「で、わざわざ研究室に張り込んで何をやっている」
「待ちかまえていたに決まってるでしょう。人に仕事を押しつけっぱなしのぐーたら講師を」

 ほとんど学生にしか見えない外見の高音だが、れっきとしたこの研究室の講師である。
 二十六という公称年齢は大嘘で、実は外見通り二十だというのはよく酒の席で出る話である。
 だが、実際はそのような外見すら裏切る実年齢であることを知っているのは、この研究室でも二人・・・いや、今生きているなかでは一人しかいない。

「大学院進学がぎりぎりのところで教授会に通ったそうだな、おめでとう」

 あまり祝福しているとは言えない口調だが、一応顔は笑っている。
 元々端整な容貌だが、笑うとどこか違う印象を受ける。
 可憐な、とでも呼ぼうか。

「誰のせいで就職活動が出来なくなったと思っているんでしょうかね、高音先生」

 皮肉たっぷりに夢織が毒づいたので、高音は思わず苦笑した。

「たまった仕事を処理していくうちに教授会とつながりが深くなったから、締め切りをとうに過ぎた進学が認められたのだろう。感謝してくれてもいいと思うが」
「あのなあ・・・」
「本音を言うとな、」

 あきれ果てた夢織を遮るように、すかさず高音は言葉を続けた。

「少し、安心したのだ。おまえがここに残ってくれることにな」
「・・・嘘ならもう少しうまい嘘をついてくれ」
「嘘ではない」

 真面目な答えが返ってくる。

「ここにおまえを縛りつけて、私は自分のやるべきことに専念できる」

 その言葉は、夢織の予想通りだった。
 当たって欲しくない予想通りだった。
 でなければ、こうやって待ちかまえることもなかったのだが。

「いーから仕事やりやがれ、留守番先生」

 いつの間にか敬語が抜けてきている。

「事務上は助手扱いで給料も出るのだろう。研究室管理権を正式に渡しておこう。まあ、書類がどこにあるかはもう知っているな」
「行かせないって言ってんだよ」

 言葉の調子が強くなる。

「絶対に行かせない・・・」

 そこで高音は揶揄するように笑った。

「年齢差を考えろ夢織。あまり誉められた趣味ではないぞ」
「あんたに人のことが言えた義理か・・・!」
「・・・そうとも言うな」

 馬鹿にされたような気がして、夢織の顔が朱に染まる。
 もっとも、怒りによるだけかどうか。

「まあいい、要件はわかっているだろう。出せ」
「力ずくで取ってみろよ」

 高音がここに戻ってこなくなるのなら、その前に絶対に取りに来るであろう品物がここにはまだ置いてあった。
 三月の始めに出ていったときは、さすがの高音も慌てていたのだ。
 そのために、夢織はここで待ちかまえることが出来たのだ。

「先生ならばいざ知らずおまえならば・・・、とでも考えているのではないか?」
「ロープで縛って、地下室に監禁してでも行かせないぞ」
「危険な発言だな」
「うるさい」

 答えた瞬間、夢織は壁まで吹っ飛んでいた。
 高音は、見た限り手も動かしていない。

「見くびってもらっては困る。伊達に先生の弟子をしていたわけではない」

 水地に妖怪じみたいくつかの能力があることは知っている。
 そしてそれ以上に絶大とも言える実力を持っていることも。
 だが、まさか高音まで・・・

「先生の下にいて、先生が目を掛けて下さっているというのに何もわかろうとしない。……だから私はおまえが嫌いなのだ」
「勝手に嫌ってくれ」

 背中を打った痛みに顔をしかめながらも、夢織は立ち上がった。

「少し、手加減が過ぎたか」

 そこでまた吹っ飛ばされた。

「今のおまえではどうあがいても私には勝てん。絶対にな」
「それが、何だっていうんだ・・・」

 ふらつきながらも、夢織は何とか立ち上がる。

「嫌な予感がするんだ・・・。あんたを今ここで行かせたら、俺はきっと一生後悔する・・・。そんな予感がするんだ」
「人の門出に不吉なことを言ってくれるな、おまえは」
「・・・違うってのか。戻って来れるって言うなら、何でわざわざあれを取りに来たんだよ」
「・・・言ってくれる。確かに、念のためという意識があったことは否定できないな」
「そうと聞いたら、絶対に行かせるかぁっ!」

 叫ぶと同時に夢織は、近くにあった換気扇のスイッチを入れた。

バサアッ!

 何処をどう改造したのか、高音の頭上に巨大な網が降ってきた。

「なっ!?」

 さすがの高音もこれには驚いた。というか、あきれた。
 やや中心からずれているが、この部屋全体をほぼ覆うようにしてある。
 避けきれるものでは……

「一瞬遅かったら危なかった」
「いつの間に……」

 高音はどう動いたものか、あの一瞬で部屋の外まで出てこれをかわしていた。

「こんなことに研究室予算は使っていないだろうな」
「全部自費と手作業だよ」
「後で全部、自費と手作業で直しておけ」
「講師として、残って言えよ、その台詞・・・!」

 吐き捨てるように言いつつ、夢織は高音の放った攻撃をかわした。
 驚いたのは高音だ。

「・・・!?おまえ、この波動が見えるのか!?」
「何か、変なゆらぎみたいなのがな。注意深く目を凝らせばうっすらと見えないことはない……」
「信じられない……、仮にも先生が気にかけていただけのことはあると言うことか」
「?どういう意味だ?」
「、私は、おまえが嫌いだと言うことだ!」

 床に広がった網を踏みつけつつ、高音はやや広範囲に向けて波動を放った。
 今までは研究室に被害を与えないために、撃つ領域を極力絞っていたのだ。
 今度は避けきれるわけがない。
 だが、それを食らっても夢織は倒れなかった。

「あー、しぶといっ!!」

カコーンッ

 ずいぶんと景気のいい音が鳴った。
 鳴らしたのは、夢織の額と、高音が念動力ですっ飛ばしたヤカンだった。
 当たり所が良かったのか悪かったのか、夢織はこの一撃で気絶した。

「はあ……」

 高音は、何だか壮絶に疲れたように手近にあった椅子にへたり込んでしまった。

「まったく、手間をかけさせてくれる」

 多分そうだろうと思って調べると、金庫の中に求めていたものを見つけた。
 鍵など無くてもこれくらいは開けられる。
 書類とは別に高音が引っぱり出したのは、薄手の写真帳だ。

「……よかった……」

 ぎゅっとそれを抱きしめて帰ろうとしたところで、何かが足に引っかかった。

「きゃあああぁぁっ!」

 盛大に前に転んでしまった。
 その拍子に写真帳が手からこぼれ落ちる。
 ぱらりと開いた1ページに、水地助教授と小さな女の子の写真が現れた。

「あ・・・」

 高音は慌てて写真帳を手に取る。
 幸い、傷はついていないようだった。

「一体……何……?」

 自分の足を引っかけたものを恐る恐る振り返る。
 見れば、倒れた夢織が自分の靴の端を掴んでいた。

「おまえ、まだっ・・・!」

 蹴飛ばしてやろうとしたところで、夢織がとうに気絶していることに気づく。

「……」

 不機嫌な顔のまま体を起こして、夢織の手を無理矢理はがす。
 糊でもくっついているみたいに頑強だった。

「夢織……、私はおまえが大嫌いだ……」

 ようやく引き剥がして、気絶したままの夢織に向かってつぶやく。

「先生が目をかけて下さっているのに、先生のお考えを解ろうともせず、先生に刃向かってばかりいるおまえは嫌いだ……」

 そこで、かがみ込んで近づく。

「その上……」

 思い出してちょっと腹が立ったので、倒れたままの夢織の頬に平手を一発叩き込む。
 位置関係上難しいはずだが、器用なものだ。
 綺麗に紅葉の跡がつく。
 おまけにもう片方の頬は床に打ち付けられる。
 夢織は微かにうめき声のようなものを上げたが、目を覚まさない。

「……だけど……」

 そっと、今しがた自分がはたいた頬に手を伸ばす。

「私を止めようとしてくれた……私を守ろうとしてくれたあなたのことは……」

 そこで、言いよどんだ。

「あなたは……」

 続ける言葉の代わりに、その頬に顔をそっと寄せた。

 しばし。

 近づけたときと同様に、そっと顔を離す。

「……この研究室は……先生との思い出がいっぱい詰まった研究室は……あなたに託すから……」

 倒れたままの夢織に、さっきまで使っていたのだろう近くにあった毛布を掛けてから、高音は立ち上がった。

「さよなら……」

第三話

対降魔部隊追憶6「嘆きの都」第三章へ

初出、百道真樹氏サクラ戦史研究所内掲示板


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