「裏嘆きの都」
第一話・後編
対降魔部隊追憶6「嘆きの都」第二章後編より
空は朱から白を経て、再び青へと帰り墨の色へと変わっていく。
この季節まだ、帝都の風は冷たい。
「何やってるんですか」
文学部棟の屋上から地上を眺めているような姿勢のままほとんど動かずにいた高音の背に、ふわりと毛布が掛けられた。
「いつまでたっても帰ってこないと思って心配して探してみたら、こんなところにいたのかよ」
呆れたような口調で文句を言ったのは夢織である。
敬語がいつの間にか抜けていた。
昼頃に客人が来た後の高音の様子は明らかにおかしかった。
そのあと研究室から出かけたまま、夕方になっても帰らない。
なんだか保護者になったような気分で、大学の思う場所を探していたのだ。
「おい、そろそろ戻らないと……」
「一人で、戻れ」
背中を向けたまま、なんとも素っ気ない返事が返ってきた。
「自分のことわかってんのかよ。身の危険をわかってるのか」
「いいから……帰れ……」
「放っておけるかよ」
無理矢理肩を掴んでこちらを振り向かせる。
「はな……せ……」
振り払おうとした手に、まったく力が入っていなかった。
「お、おい……」
振り向かせたとたんに、高音の頬を涙が伝った。
「帰れって……言った、でしょう……」
やはり、ずうっと無理をし続けていたのだ。
高音の性格なら、水地が死んで平静を保っていられるわけがない。
来るんじゃなかったと思うのと同時に、来て良かったとも思う。
下手をすればここから身投げされているところだったのだ。
「泣きたいなら、素直に泣けばいいだろう・・・!先生の代わりにはなれないけど、それくらいのことはできるぞ……」
「調子に……乗るな……。おまえなんかに……」
強がろうとして、全身が震えている。
キッと歯を食いしばった表情で、夢織の肩を押さえつけた。
「……おまえは、ここに立っていればいいんだ……。おまえが、先生のかわりになんか……なれるわけが、ないんだから……」
そのまま夢織に拳を打ち付けるようにしてなんとか身体を支え、そのまま泣き出した。
よくもまあこれぐらい泣けるものだと呆れるくらい泣き続けて、泣き声がだんだん声にすらならなくなってきた。
姿勢がぐらりと崩れかける。
思わず夢織は手を出して高音を支えた。
その手が触れたところがぴくりと震えるが、もうふりほどく力などなかった。
諦めたように倒れ込んできた高音の背に、そっと手を回す。
普段は意識することを極力避けている、だが研究室で自分だけが知っている事実が、間違いのない感触として夢織の手に伝わってくる。
夏でも決して脱ぐことのない、あまりに細い体型を隠すためのコート。
だが、こうしているとよく隠し通せていると思う。
どれくらいそうしていただろう。
ふっと、手に掛かる重みが増した。
気がつくと、高音は泣き疲れたのか眠っていた。
頬に残る涙の跡が、どこか痛々しかった。
このまま放っておくわけにも行かない。
腕力にはそう自信はないが、前にも二度抱き上げて運んだことがある。
そのときと、大して変わっていなかった。
だけど、考えてみればどこに運んでいけばいいものか。
同じ研究室にいても、高音の住所は知らない。
かといって、学生寮などに連れて行くわけにも行かない。
悩んでいるうちに、研究室に戻ってきた。
当たり前だが、もう誰もいなくなっている。
合い鍵だけは作っておいたので、入ることに苦労はしなかったが。
いくら軽いと言っても、ずっと抱えているのはさすがにしんどい。
休憩用の長椅子を寝台代わりに横にさせた。
とはいえ三月の空気は寒い。
理学部の横塚研と飲み会をぶっかましたときのための毛布がどこかにあったと思ったのだが。
「ああ、あった」
思わず声を上げてしまったが、高音は起きる気配もない。
別に悪いことをしているわけではないのだが、なぜかそおっと動いてしまう。
妙な緊張感があった。
念のため、二重に毛布を掛けてやることにする。
最近高音がよく体調を崩すことを思い出したのだ。
休みがちなのは、そのためか、それとも別の理由か……。
多分、両方だろう。
掛け終えて……ちょうど間近に高音の顔があった。
窓から差し込める月明かりが、自分の知っている事実をあざ笑うように照らしている。
「・・・・・・!」
まずい。
この状況はあまりにもまずい。
最近、陸軍の高官から謎めいた電話が来るくらいだ。
かなりこの研究室は注目されているらしい。
今日も一人青年士官が尋ねてきた。
これ以上醜聞を重ねるわけにはいかない。
しかし……。
しかし…………。
さんざん悩んだあげく、研究室には鍵を閉めて、廊下で寝袋にくるまって眠ることにした。
守衛に見つかったら怒られるだろうが、最近は仕事をさぼっているみたいだから大丈夫だろう。
だが、朝日と共に目覚めて高音の様子を見に行くと、きちんとたたまれた毛布だけが残っていて、既にその姿はなかった。
その日から、高音は研究室に来なくなった。
初出、百道真樹氏サクラ戦史研究所内掲示板
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