「学籍番号一番、天津です。都市計画立案で立身するつもりで来ました。将来は内務省に勤めたいと思っております」
「学籍番号四番、風間です。水地助教授に憧れ、教えを請うために来ました」
「学籍番号六番、霧衛です。水都東京とイタリアのヴェニスの違いについての考えをまとめるために来ました。いずれ留学したいと思っております」
「学籍番号十八番、手島です。この街が好きだから来ました」
「学籍番号二十八番、夢織です。水地助教授に喧嘩を売りに来ました」
* * * * *
「まったく……!何ですか、あの無礼者は!」
台所から聞こえるほうれん草を切る音がちょっと大きいなと思っていたら、食卓に着いたとたん渚がこんなことを言いだしたので、水地は苦笑した。
「渚は昨年度、授業で受け持っていなかったか。
奴は入学最初の授業からあの調子だったよ」
渚の作るみそ汁は旨いので、水地の方は食事に怒りを持ち込まないで済む。
口にした瞬間に怒りを忘れるのだ。
だが今回は、元々から怒っているのではなかったりする。
「おまけに、あんな大口叩いたわりには一口も飲まずに酔っぱらって倒れましたし……」
「噂には聞いていたが、あれは特技か病気かのどちらかだな」
「それなら、奇病に決まっています」
自己紹介の最後で場をしん、とさせた本人が、直後の研究室歓迎会で真っ先に倒れたので、その場は大爆笑になった。
前教授派で、現在の研究室内では堅物となっている堀田講師までが思わず吹き出したところを見られたぐらいだから、よほど面白かったのだろう。
そんな中でも渚はずーっと眉をつり上げていたのだが、どうやら怒りっぱなしだったらしい。
この子は、自分をけなす者よりも、私をけなす者の方が遙かに許せんのだろうな……。
そういう健気なところは、やはり年齢離れしていると水地は思う。
「江戸時代の都市機構が理想的だったと言うことにかみついてきたのが最初の印象だったな。
霊陣の話は講義では言わなかったから、循環性が理想状態からかけ離れていると言ってきた。
まあ、着眼点は悪くなかった」
「そんな話、してくれませんでしたね」
渚はほんの少しだけすねたような声を上げた。
水地のことなら何でも手伝いたくて、共有したくて、無理矢理大学にまで潜り込んだくらいなのである。
水地が注目していたことを自分が知らなかったというのは口惜しいのだ。
「こんな奴のことを聞けば、お前は怒るだろう」
咎めるのではなく優しくそう言われると、渚はこくんと頷いた。
現に今、水地の言うとおりの状況になっていることは自覚していた。
「あやつは、明冶、太正と来たこの帝都が好きなのだろうが……いささか今を美化して捉えすぎのようだ」
「先生、怒っていないんですか」
不思議そうに尋ねてくる。
先生にあんな言葉を叩きつけるなんて、自分は絶対に許さない。
「こそこそ私の身辺を嗅ぎ回っている教授会の手の連中に比べれば、よほど単純で良いではないか。
真っ向刃向かってくる者が横塚しかいなくて、少し物足りなかったところだ。
丁度良いと思っているよ」
「そうなんですか……」
渚は納得しきれない表情で、白菜の浅漬けを多めにとって口に放り込んだ。
「もちろん、私に喧嘩を売りに来たと言うからには、ただでは済まさんよ。
今の帝都の真の姿を実感してもらうためにも、色々としごいてやるさ」
近代都史研究室はその性格上、土木、建築、化学まで手を出しての調査も行われている。
それに加えて、都市文化の調査や住人の評判の聞き込みといった本来の文系的調査もある。
単に研究室にこもって文献と格闘しているだけではないのが、実に文学部離れしている。
毎年一人二人は途中で脱落者が出るくらいなのだ。
水地がそこで笑ったのはそれらの意味も含まれている。
その意を汲んで、ようやく渚も怒りの矛を収めることにしたようだ。
「それに……あいつは学生の中では潜在霊力もかなりある方だ。
研究室にいる間、四六時中霊圧を叩き込んで鍛えてやろう」
「……、いずれ……ここへ連れて来るんですか」
水地が大学に潜り込んでいる最大の理由は、日本の将来に関わりそうな若者に帝都の真の姿を教え込んで、いつか帝都を覆すときに協力してもらうためであったりする。
過去、研究室出身で六名、研究室外から二名、卒業後にこの江戸に移り住んだ学生もいる。
だけど渚としては、あんな無礼な奴に自分の街に来て欲しくなんか無かった。
「本当に役に立つとわかったらな」
渚を納得させるために、まああり得んよ、という口調で水地は答えたが、
心中ではもしかしたら本当にそうなるかもしれないと思っていた。
各人の思いを胸に、新学期が始まる。