「雪の前々日」
紗蓮、木喰後伝



 とうの昔に諦めていた。
 私の命は彼に救われたのだ。
 その代わりに、彼は死んでしまった。
 そう、思っていた。
 だが、闇に近いところにいれば裏の情報は嫌でも入ってくる。
 かつての仲間が、黒之巣会死天王として死んだことも。
 今帝都を覆そうとしている黒鬼会の中に、彼がまだ生きていると言うことも。



 土蜘蛛が入ってきたとき、部屋の中は非常に漢臭かった。
 帝都は赤坂の地下にある黒鬼会総本部。
 その中の鍛錬室である。
 この部屋の主として君臨しているのは、黒鬼会随一の武人である金剛に他ならない。
 一体何貫あるか解らない装備をして、それでも平然と動いていたりする。
 この男が大日剣を動かすときには、霊子機関など必要とせずに自力で動かしているんじゃないかという考えが、ふっと土蜘蛛の頭をよぎった。

「ふんっ!どうした土蜘蛛?よっ!決起の日まであと数日だろう。でえいっ!鍛錬を怠るんじゃ……どりゃあっ!ねえぞ。せいやぁ!」

 最後の一発に至っては、素手でシルスウス鋼版に大穴が開いた。
 自分が化け物なら、この男は一体何と表現すればいいのだろう。
 ただ、水狐が死んでからこの男はいささか違ってきたようにも思う。
 以前のように鍛錬を楽しんでいない。
 ……まあ、この際どうでも良いことだと思い直して、ここに来た要件を簡潔に告げることにした。
 あんまり長居したくなかったというのが素直なところかも知れない。

「このところスパイがうろついている」
「何?ほりゃっ!そりゃあスパイの一匹や二匹、でえいっ!ナントカ大臣とかナントカ大将とかが、でやあっ!送り込んで……いでっ!!」

 舌を噛んだらしい。
 土蜘蛛は頭痛がしてきた。

「アタシの網にかかって逃げおおせてくれたんだ。その辺の情報将校じゃない」
「何?」

 土蜘蛛の狩りの能力は生半可なものではない。
 それは金剛も知っているだけに……興味をそそられた。
 強そうな相手と聞くと戦慄や警戒より先にわくわくしてしまうのである。

「もったいねえな」

 というのは、せこせこしていないで正面から攻めてくればいいものを、と言う意味だ。
 その声が聞こえたわけでもないだろうが、

ビーッ!ビーーッ!!

 この本部に今まで響いたことのない、緊急警報が鳴り響いた。

「おう!」

 嬉しそうに金剛は剣を握りしめ、走って出て行ってしまった。
 どこにいるかも解らない侵入者だが、おそらく勘だけで見つけてしまうのだろう。
 そのあたりの獲物を発見する能力は、狩りを得意とする土蜘蛛よりも上な所がある。
 あくまで強者が相手の時に限定されるが。

「ちっ」

 いささかの劣等感を憶えた自分に舌打ちして、土蜘蛛も動き出した。
 侵入者の出来次第だが、魔操機兵だけでは倒しきれないかも知れない。
 いや、そもこの緊急警報は入り口付近にしかけてあったのではなく、鬼王がしかけた内部の結界と連動しているはずだ。
 入り口付近の調度品に偽装した魔操機兵は既に全滅させられたと考えるべきだろう。
 いずれ帝国華撃団をここに呼び込んで倒すことになる可能性も考えていたので、かなり攻撃的な防御陣を張っておいたのだが、それすらも蹴散らされている可能性がある。
 金剛はおそらく格納庫に直行してしまったはずなので、土蜘蛛はしょうがなく警備管理室に出向いた。

「木喰、罠に入り込んだ鼠は確認できたか」

 この本部の防御迎撃システム管理室に行くと、案の定既に木喰が到着していた。
 扱いが難しすぎて、造った木喰以外誰も使えない装備だ。

「う ま く す が た を か く し て お る が 、けっ か い に ふ れ た と き に す が た を み せ て お る」

 いらいらするこの喋り方は何とかならないかといつも思うのだが、それとは対極的に動きは速い。
 枯れ木のような指がしかしすみやかに制御板を滑る。
 すぐに、録画されていた侵入者の映像が映し出された。

「女……?」

 外見は二十代後半くらいに見える、着物を着た女がそこに映っていた。




 しくじった。
 警報を上げさせる間もなく入り口を突破して、それ以後は亜空間の中に潜みつつ出口を滑らせて、内部を探って行くつもりだったのだが、強力な感知結界に引っかかってしまった。
 京極は今陸軍省の方に出向いていると調べた上で来たのだが、これは噂されている京極の側近鬼王とやらの仕業だろうか。
 他の奴には構わず、彼だけを救出できればと思っていたのだが、さすがに帝都を転覆させようとする組織は用心深い。
 とにかく、侵入は果たした。
 もう後には引けないのだ。

「みつけたぜえっっっ!!」

 と嬉しそうに轟く声で、亜空間陣の外に強力な魔操機兵が迫っていることに気づいた。
 金色の機体……、違う……彼じゃない!
 失望はしたが、それに浸っている余裕はない。

「五行相克、鬼神轟天殺ぅぅっっ!!」
「くっ!!」

 寸前で亜空間から逃げ延びた。
 直後、魔操機兵大日剣から繰り出された絶大な稲妻が亜空間の中に叩き込まれた。
 そのままでいたら一撃で粉々になっていたかも知れない。
 とんでもない攻撃力だ。
 油断していられるような相手ではない。
 傘を取り出して向き直り、すぐに構えた。

「てめえ……どこかで会ったか?」

 姿を現した侵入者の気配と構えが、金剛の戦歴記憶に引っかかった。
 顔と姿を憶えていたわけではない。
 相手が傘を取り出してきたことで、その予感は決定的になった。

「……てめえは……八年前の……!」

 思い出した。
 八年前、彼が京極を守って戦ったときの二人目の侵入者だ。
 ちなみに一人目はあのナントカ大佐だ。
 どちらも、金剛に地を舐めさせた相手だった。
 いつか再戦したいと思っていた相手に出会えて金剛は嬉しくなると共に、この男には珍しく表情が暗くなった。

「生きていたとはな。だが、今更何しに来やがった。もう誰も殺させはしねえぞ。
 風塵の奴の魂に賭けてな」

 かつては二人で京極の補佐をしていた今は亡き相棒の名前を口にして、金剛は自らの闘志を奮い立たせる。
 あいつに、京極様を託された。
 二度と同じ相手に遅れをとるわけには行かない。

「木喰は、どこ」

 簡潔に聞いた。
 八年前にこの男の性格は知っている。
 聞けば嘘はつきそうにないし、おそらく隠し立てもしないだろう。

「あいつなら、今頃制御室だろう。今頃ここを見ているかも知れないぜ」

 案の定あっさりと答えてくれた金剛の言葉に、嫌な確信が強まる。

「どういうこと?木喰も風塵を殺した一人と言うことになるのよ」
「あいつは自分のやったことを悔いて京極様に忠誠を誓った。
 風塵を殺したことは忘れていねえし許す気もねえが、今は京極様のために願いを共にする大切な仲間だ。
 あいつを取り戻しに来たというのなら、絶対に通さねえぞ」
「なんですって……!」

 そんな……そんなことがあるはずがない!
 何かの間違いに決まっている。
 何が何でも、この目で確かめるまで!

「そこを、どいてもらうわ」
「出来るものならやってみろ!男金剛、同じ相手に二度負けるつもりはねえ!!」

 大日剣が唸りを上げて迫る。

「くらええええええええっっっっっっ!!新必殺!金剛体当たりいいぃぃぃぃっっっっっ!!」

 問答無用の体当たりだ。
 魔操機兵と通常の人間との絶対的な質量比を考えると、実は結構有効な攻撃手段だったりする。
 個人の武器で止められるような突進ではないのだ。
 実は、金剛一直線という技もあったのだが、かつて水狐に「名前がださい」と酷評されてからはその技は封印することにしたのだ。
 律儀な金剛は、水狐が死んでからも……いや、だからこそ彼女の言葉を忘れていない。
 というわけで、新しく編み出した技がこれなのである。
 名前を聞いた人間の客観的な評価はさておき、威力は恐るべきものだった。

「ガッ……!」

 間一髪でよけたはずが、その余波だけで大きく跳ね飛ばされた。
 周辺に気合を発しつつ、大気ごと突進してくるのである。
 実際の攻撃範囲は見た目よりも遙かに大きい技であった。

 壁に叩きつけられそうになるところを、かろうじて亜空間の穴をひっぱってきてその中に飛び込むようにして衝撃を消し、どうにかこうにか停止してから再び現れて向き直る。

「さすがはこの俺に一度地を舐めさせただけのことはあるな。
 だが、ちいっと腕が落ちたように思うぜ。残念だ」

 この「残念だ」はまったく本気で言っている金剛である。
 そして、その指摘も正しかったりする。
 第一線を退いて八年。
 鍛錬は怠っていなかったとはいえ、生死を賭けた激突はほとんど体験してこなかった。
 それと共に、人型蒸気……魔操機兵という物の対人的な戦力の巨大さも認めざるを得ない。
 生身でならまだ金剛にそう遅れをとるつもりはないのだが、時代は大きく変わったということなのだろう。
 これ以上だらだらと戦い続けるのは危険だった。
 傘に気力を注ぎ、ゆっくりと振りかぶる。
 これを久しぶりと感じるようでは、確かに腕も落ちているのだろう。

「さあ来い!今度は倒されねえぞ!」

 大日剣をえいやと踏ん張らせて、正面に剣を構えている。
 好都合だ。

「輪華凄爛!覇邪光爆陣!!」
「うおりゃあああああっっっ!!」

 傘本体ではなく、気力を派手に拡散させて叩きつけた。
 視界全てを覆うようにして。
 金剛は避けもせず、正面からぶつかってくる。

「こんな……ものかあああっっ!!」

 どかんと一発。
 金剛は一気に競り勝ってしまった。
 が、気がついてみればその場に相手の姿はない。

「…………。こらあ!逃げんなあ!」

 怒りの方向が少々間違っているような金剛の叫びが虚しく地下に響き渡った。



 危なかった。
 あんなのと正面からやり合うために来たのではないのだ。
 今度はできるだけ小さい通路を通ることにする。
 魔操機兵の幹部機とやり合う可能性を避けたのだ。

「腕だけじゃなくて頭も回る鼠だねえ」

 獲物を前にした狼か虎のような、研ぎ澄まされた声が降りかかってきた。
 反応しようとして……次の瞬間に移る前に罠だと気づいた。
 これほど気配を消せる相手が、不意打ちの可能性を捨てて単に声をかけてくる方がおかしい。
 ……金剛ならいざ知らず。

 気づいたおかげで、上ではなく下から放たれてきた一撃を何とか防ぐことが出来た。
 蜘蛛を思わせる六本腕の異形の戦士……しかし異様ながらもどこか美しさを秘めた狩人がそこにいた。
 話に聞いた土蜘蛛とやらだろう。

「なかなかやるじゃないか。
 だけど、狩人の巣に入り込んだ時点でまず間抜けと言うべきだね!」

 通路が狭いため魔操機兵に乗っているわけではないが、六本の腕に握られた五つの武器が嵐のように振るわれる。
 戦いの相手でなければ、その動きの見事さを美しいと感じることもできたかも知れない。
 仏教に言われる阿修羅を思わせる戦いぶりだった。
 それらの攻撃を全て受け止めつつも、戦慄せざるを得なかった。
 目の前の土蜘蛛にではなく、これほどの幹部を揃えた京極の八年間に。
 既に帝国華撃団との戦いによって幹部が二人倒されていると聞いている。
 それでもなお、まだこれほどの手練れが残っているのだ。

 そのとき、妙なことに気づいた。
 これほどの幹部たちを各個投入するのではなく、一度に叩きつけてしまえばおそらく帝国華撃団も打ち破れるだろう。
 京極ほどの男がそれに気づかないわけはない。
 ということは、あと数日を目標に何か動こうとしている他にも、さらにまだ京極は何かを企んでいるのではないだろうか……?

「ほらほら!どうした、もうおしまいかい!」

 それで我に返った。
 食らってこそいないが、かなり押されている。
 相手に魔操機兵を使わせない代わりに、こちらも狭すぎるために隣を避けて先へ進むのも無理だ。
 しかし、生身の対決ならばまだ京極以外に遅れをとるつもりはない!

「通してもらうわ!」

 受け止めた一撃の一つを大きく弾いて距離を取る。

「何が目的で来たのかは知らないけれど、出来っこないね!」

 ゆらりと土蜘蛛は異様な構えをとった。

「五行相克、九印曼陀羅!」
「!!」

 前方からの攻撃だというのに、六本の腕が自在に振るわれるために四方八方から繰り出されているような印象を受ける。
 だが、隙も大きかった。
 本来は全方向にいる敵をなぎ倒すための物らしい技が、この狭い回廊では十分に力を発揮できていない。
 その隙を突いた。

「輪華凄爛!覇邪滅封陣!!」

 今度は手加減無しだ。
 傘の本体を魔法陣にして叩きつける。
 この狭い回廊では逃げ場はない。

「うおおおおっっ!!」

 連続する爆発と共に、土蜘蛛を吹き飛ばす。
 天井に叩きつけ終わるのを確認するより先に傘を手元に戻し、先を急いだ。

「ガアッ!!」

 爆風から受ける傷と共に天井に叩きつけられ、土蜘蛛は血反吐を吐いたが、

「やって、くれる……」

 この程度で倒れると思われたとは、見くびられたものだ。
 彼女が味わっていた苦しみに比べれば、こんな物は大した傷の内に入らない。
 しかし、

「京極様もいないというのに、あの女、何をしに来た?」




 制御室と言っていた。
 ずいぶんと奥まで入り、基地区域から居住区域に入ってきた。
 ここまで来ては、おそらく魔操機兵は動員できまい。
 こうなると今度は、陰陽師らしい人間が何人か立ちふさがったが、これは一蹴する。
 かつて自分たちと同じく江戸にいた者たちとは系統が違っていたことにわずかにほっとする。
 まとめてかかってきた三人を叩き伏せて先に進もうとしたとき、
 前方の通路がいきなり落ちてきた壁によって遮られた。

「何!」

 ほとんど間を置かずに背後も断ち切られた。
 わずか五メートル四方ほどの空間に閉じこめられた格好になる。
 この型の罠だと、最後に来るのは……

ゴゴゴゴゴゴ……

 派手な音と共に剣山の突いた天井が降ってきた。

「木喰!私が解らないの!」

 こんなカラクリを作れるのは自分の知っている限り一人しかいない。
 どこかにあるだろう集音装置に向けて叫んだ。
 しかしそれだけでは事態は解決しない。
 唇を噛みしめつつ、傘をふるって前方の壁に穴を開けてそこからギリギリで脱出する。
 最後まで止まってくれるかと期待したのだが、止まらなかった。
 しかも、それだけでは済まなかった。
 くぐり抜けた先の壁に備え付けられた小型砲塔から細く収斂された光弾が発射される。
 それには、確かに見覚えがあった。

「木喰!」

 叫びつつ、嵐のような光弾を避けきれるわけはないとも判断して、亜空間に潜ってやり過ごすことにした。
 そのまま亜空間の入り口だけを滑らせて奥の区域へと進む。
 防衛力が強化されていると言うことは、すなわち、こちらに来て欲しくないのだ。
 向こうとしては。
 忸怩たる思いを抱きつつ、確信と共に進む。

 あった!制御室!

 下手に開けると罠がしかけられている可能性もあったので、亜空間から出て傘を一閃。
 扉を丸ごと切り開けた。

「こ ん な と こ ろ ま で 来 る と は 、も の ず き な 侵 入 者 じゃ」

 懐かしい声……のはずが、しかしその口調には聞き覚えがなかった。
 ゆったりしていると言うよりは、どこか虚ろな印象を抱かずにはいられない。
 浮遊ポットに乗った後ろ姿は昔と変わっていないというのに。
 本当に、本当に木喰なのか。

「木喰、私が解らないの……。紗蓮よ!八年前、貴方に命を救われた紗蓮よ!憶えていないの!?」

 八年前、降魔戦争のただ中にて京極慶吾を抹殺するために、紗蓮は木喰とともに陸軍省に乗り込んだ。
 真宮寺一馬と激突したあとで、どちらも倒せるはずだったのだ。
 だが、まさかと思われた真宮寺一馬と京極慶吾の二人が一時的にとはいえ手を組んでしまい、二人は敗北を余儀なくされたのだ。
 二人とも殺されているはずだった。
 だが、木喰は京極の亜空間に残り二人を食い止めて紗蓮を救ってくれた。
 あのとき「男子の本懐」と叫んだ彼の老いを感じさせない笑顔は、八年経った今でも忘れようがない。

「しゃれん じゃ と ……?」

 ゆっくりと浮遊ポットが方向を変える。
 その顔は紛れもなく木喰の……

「それは!?」

 左目が、無かった。
 その代わりに不気味な輝きを放つ水晶が埋め込まれている。
 その傷は多分……いや、間違いなく自分を助けてくれたときの傷だろうに……。

「しっ て お る ぞ 。は ち ね ん ま え、きょ う ご く さ ま を こ ろ そ う と し た ふ と  ど き も の じゃ ろ う」
「…………木喰……」

 握りしめていた手から力が抜けて、傘が床に転がる音がひどく遠くに聞こえた。
 何が起こったというのだろう。
 一度殺されて反魂の術で蘇らされ、その際に魂が変質してしまったのか、
 目に受けた傷が元で記憶を失ってしまったのか、
 それとも、京極に傀儡の術でも掛けられたのか。
 京極に対する怒りと共に、自分自身への怒りもこみ上げてくる。
 自分を助けなければ、木喰はこんな姿になることもなかったかも知れないのに。

「と ん で ひ に い る な ん と や ら。 て い と に あ が る ほ む ら の ま え に お ん て き を ち で そ め て く れ  よ う ぞ」

 浮遊ポットに取り付けられている小型浮遊砲塔が瞬時に狙いを定めた。

「し ぬ が よ い」

バシュッ!!

 光弾が発射される。
 それを避けるつもりはなかったのに、身体は無意識に防御して致命傷を避けていた。
 いっそ、一瞬で死ねた方が幸せだったかも知れないが。

「な ぜ は ん げ き せ  ん の じゃ、つ ま ら ん の う」

 戦いを好むようなその言い方も、紗蓮の記憶にはない。
 研究となると寝食を忘れて没頭することがあったが、普段の木喰は、幼かった渚が福耳をひっぱってもにこにこしている好々爺だった。

「木喰……、思い出して。幸せだったあのころのことを。
 渚を憶えている?あの子も、優弥たち悪ガキ六人衆も、相模も、あずみも、あずさも、
 そして二年前には刹那と羅刹まで、死んでしまったけど……
 忘れるわけないわよね……」

 言っていて、涙がこらえきれない。
 そのうちの何人かは、あるいは自分は見殺しにしたのかも知れない。
 だけど、そんなこともない、本当に幸せだったころがあった。

「もう、私とあなたしか残っていないんだ……」
「……渚……?」

 その言い方は、今までと違っていた。
 虚ろな言い方ではなく、その名前を確かめるような……。

「そうよ。あの子を中心にして、みんなで戦った……。
 私たちのかけがえのない仲間たちを守るために、この帝都を自然の力に満ちていた江戸の頃にもどすために……。
 京極とだって戦ったのよ。
 あなたは勇敢で、そして優しかったわ。
 思い出してよ……。
 あなたが助けてくれなかったら、今頃私は生きていなかったのよ……」

 自分の名前より渚の名前に反応したことがいささか癪だったが、自分たちにとって確かにあの子は特別だった。
 これで思い出してくれるならば、それでいい!

「木喰……、こんなところにいて、京極なんかの助けをしていないで。
 私たちの望んでいた世界すら否定するようなことを、しないで……」
「渚……。紗蓮……」

 木喰が頭を抱えた。
 抱えたその掌の内側で不気味な光を発している物がある。
 木喰の左目に埋め込まれた水晶だ。

「それが……元凶ね……」

 そこに京極がいるかのように、紗蓮の怒りが燃え上がった。

「紗蓮……こい・・つを……なんとか……」

 間違いなく、懐かしい木喰の声だった。
 水晶をえぐり出そうとして、電撃にそれを阻まれている。

「ええ!」

 取り落とした傘を拾い上げて、憎きそれに狙いを定める。

「一撃で破壊してやるわ!」
「そうはいかぬ」

ぞくっ

 振りかぶろうとしたところで、全身が凄まじい警報を発した。
 金剛や土蜘蛛すら凌駕する、とてつもない気配。
 しかもまったく接近を気づかせなかった。
 着物を羽織り、鬼の面をつけた男……こいつが噂になっていた京極最強の側近鬼王か!?

「ぐおおおおおおっっっっ!!」
「木喰!!」

 鬼王が何らかの術を使ったかと思うと、木喰が全身を痙攣させてそのままばったりと倒れた。

「京極様に仇為す者よ、滅びるがよい」

 殺気などというものではない。
 死を宣告されたかのような戦慄が走った。

ズバアッ!!

 剣閃の一発だけで部屋向かいの壁まで一気に飛ばされて、鮮血がほとばしる。
 並の腕ではない。
 それに、その手に握られている刀は……

「光刀無形……」

 あの、山崎真之介が手にしていた二剣二刀の一振り。
 相模の命を奪い、事実上紗蓮たちを敗北させた刀だ。

「しゃ……、に……げ……、そい……つ……は」

 浮遊ポットから落ちて、ぜえぜえとあえぎながら木喰が言う。
 確かに逃げるべきだった。
 しかし、逃げられるわけがない。
 木喰はもう少しで元に戻るはず。
 二度も彼を見捨てて逃げるつもりはない。

 だが、その次に起こったことも紗蓮の想像を超えていた。
 鬼王がゆっくりと剣を振りかぶる。
 まったく隙のない流れるような動きから、鬼王は気合とともに声を放つ。

「覇邪剣征……」
「こ、この技は……!!!」

 忘れるわけもない。
 この技も、そしてこの技を使った男が誰かも。
 ということは、この鬼王という男は!!

「放魔星辰!!」

ドガアアアアンッッッ!

 あのときとは違って、妖気を伴った流星の嵐が紗蓮を直撃した。
 そのまま背後の岩盤を粉々に破壊して、

「!!」

 この黒鬼会本部のエネルギー源でもある溶岩流にまで突き落とされる。
 亜空間に逃げ延びる余裕など、どこにもなかった。

ドボオンッ!

「さらばだ」

 光刀無形を鞘に収める音と共に鬼王は何の感情もなく告げた。
 そのときその音に併せて、木喰のポットで微かな音がしたことに、鬼王は気づかなかった。





「よかろう。
 大帝国劇場占拠後の防衛は木喰にやらせろ」

 陸軍省から戻ってきて報告を受け取った京極はいささか苦々しげだったが、抹殺完了を聞くと少しは気分が晴れたらしい。
 冷淡に言い放った。

「しかしそれでは降魔兵器の開発に支障が出てしまいますが」

 鬼王が冷静に意見を述べる。
 あくまで客観的記述だが。
 木喰の機体ではおそらく華撃団に対抗し切れまい。
 他の所にも魔操機兵を割かねばならない状況を考えると、事実上木喰に死ねと言っているようなものだ。

「奴は有能だったが、記憶が取り戻されてはやっかいだ。
 仮にもかつてこの京極に背き、手傷を負わせてくれた奴だからな」

 そこで京極は目の前にいる現在の側近を眺める。
 その意味ではこの男も変わらない。
 だが、反魂の術を使い、念入りにやっている分こちらの方が安全だった。
 どこか、今の状況に満足していない自分がいることはあえて無視する。

「今は封じ直したが、いつ戻るか解らないとあってはこれ以上は使い物にならん。
 あとは五行衆の一人と言う名前だけで餌とおとりになってもらえばそれでよい」
「御意」

 鬼王は面白みの欠片もない返事をする。
 いささか不愉快になって、京極は尋ねた。

「貴様は誰だ。答えろ」
「私は鬼王。京極様の忠実なる配下」
「そうだ」

 よどみないその返事に満足する傍らでどこか裏切られたように思う。
 だが、これが自分の選んだ道だ。

「決起は明後日だ。もう少し働いてもらうぞ。鬼王」
「はい」







「生きている……」

 紗蓮は、信じられないようにつぶやいた。
 目を開けてみると、何かの機械に包まれていることが解った。
 溶岩の中でも平然としている。
 誰が造り、誰が自分をここに入れてくれたのか、考えなくても解る。

 また、自分は救われてしまったのだ。
 何も、出来なかったというのに。

 帝都に帰還した紗蓮は、太正維新軍のクーデターをその終了を知ることになる。
 そして、木喰の最期をも。





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