近代都史研究室
肖像「夏の夕凪」




 先生に言われて来た大川神社の龍神祭はそれなりに華やかだった。
 しかし、人々の信仰心は以前より薄くなっているのではないかと思う。
 感謝すべき隅田川のせせらぎは、まだ短い私の人生分だけ振り返ってみても濁りを増しているように見えるのだから。
 隣で呑気に張り子の龍が舞う姿を見物している夢織は多分気付いていない。
 帝大に入る折に上京してきたと聞いている。

 参加する人々の数も昔に比べれば減っているんだろう。
 維新前より行われてきた祭は、出資者がついたごく一部を除いて規模が小さくなっていっているらしい。
 帝都の人口は増えているというのに。
 自然とともに生きてきた時代が終わり、今人々が恩恵を受けているのは……

 水面に映る顔をあげて、並ぶ街を眺めれば蒸気の煙が立ち上るのが見て取れた。

「……帰るか」

 それを聞いて夢織がこけた。

「おーい、出店とか踊りとかが賑やかになるのはこれからだぞ」
「それは本来の祭じゃない。
 祭の付属物だ」
「付属物だって見学対象だろう」

 こいつは最近口が減らなくなってきた。
 それに以前ほど腹立たしくは無くなったけど、何故か私を連れ回そうとする。
 本人は私に今の帝都を肯定させたいつもりらしいけど。
 私はやっぱり、今の帝都は好きになれない。
 ……甘いものが多いのはいいんだけど。

 困った。
 断る理由がない。
 でも踊りに参加するには……

 今の服装はというと、西洋じみた大学講師の格好だ。
 この格好で祭の後夜に参加するのは間違ってる。

「夢織、浅草までひとっ走りしていなり寿司を買ってきて」
「はあ?」
「私、待ってるから」

 三つ前の卒業生の実家が経営しているいなり寿司屋が浅草にあって、うちの研究室が贔屓にしている。
 夢織も何度か使いに飛ばされたことがあるからわかるはずだった。

「ちょっと、なんでそういうことになるんだよ」
「つべこべ言わない。
 祭に参加するための礼儀だと思え」
「言ってることがめちゃくちゃだぞ、あんた。
 ええいくそ!ちゃんとここで待ってるんだな!」
「待ち合わせ場所は永代橋。
 頑張ってね」
「…………」

 ちょっとだけ笑って見せたら夢織は黙る。
 最近口論になったら大体これで私の勝ちだ。
 今回も同じく。

「反則だよ、まったく……」

 ぶつぶつ言いながら走っていった。
 夢織に勝つとなんとなく気分がいい。

 走り去る背中が見えなくなってから、私は転移して江戸の自宅に戻った。
 先生は祭に合わせて瞑想中だったので声はかけられそうになかった。

 夢織が浅草まで行って買ってくるまで二時間くらいあるだろう。
 着替える時間としては十分だ。
 煩わしいワイシャツとズボンを脱ぎ捨てて、お気に入りの青い浴衣を引っ張り出した。
 祭といったら浴衣か半被。
 ……って、これは優弥さんからの受け売りだけど。

 髪型をどうしようかでちょっと悩んでしまった。
 そのまま流していてもいいんだけど、夏だから少し暑いかもしれない。
 髪を上げてみようかと思い、姿見の前で首の後ろに両手を回して立ち位置や髪の角度をあれこれ変えてみる。
 一番大人っぽく見えるにはどうしたらいいか、悩み出すとなかなか決まらない。
 あずみさんに手伝ってもらえばよかったかもしれないけど、それだと何しにいくのかあれこれ聞かれるだろうし……。

……私、何を怖がってるんだろう。

 気がつけばずいぶん時間が過ぎてしまっていた。
 西洋のものの中でも時計の便利さは群を抜いている。
 夢織を待たせてもいいんだけど、あいつに着替えで手間取ったと思われるのは癪だ。

「うん、これでよし」

 団扇を手に、私は待ち合わせ場所へ転移した。
 ほどなくして、息せき切って走ってくる姿が見えて何故か私はほっとしていた。





夏の夕凪

太正五年八月
塵都氏画





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