近代都史研究室
研究室名簿



文学部近代都史研究室

助教授 水地新十郎

 帝大教授会が恐れるが故に教授になれないという、帝大でも最も知られた教員の一人。
 同時にその研究室の変人揃いぶりでも、理学部の横塚研究室と並んで最上位と謳われて(?)いる。
 毎年十月は一ヶ月ほど出雲に出張もしており、その他にも結構研究室を留守にすることが多い。
 帝大に潜り込んだのは、日本の中枢を担うことになる若者に帝都の暗黒面を知らしめることで、 悪化の一途をたどる帝都の環境を改善ことが狙いだった。
 そのため、内務省を初めとする役所や一部軍にも多くの卒業生を送り込んでいる。
 一方で、理学部で次世代の科学を担う科学者の卵たちに環境理念を熱心に説いているため、 学生の評判は横塚ほどではないが、かなり高い部類に入る。
 都史の側面から発展して、土木建築にも明るく、一方で東京の環境変化については積極的に化学の解析法をとりいれているため、 研究室は文系離れしている。
 ただし、その人間離れした知識量、発想、雰囲気から、研究室まで近づこうという者は多くない。
 研究室生でさえ、水地の部屋に入ることを忌避する者がほとんどである。
 太正五年に大江戸大空洞底にて死亡したと言われている。

講師 堀田隆治

 水地が来る前の近代都史研究室前任教授の教え子で、水地とは意見対立しており、裏で教授会と繋がっている。
 学生に対しては堅物な態度を取ることが多いので、あまり人気はない。
 放逐すると話が厄介になるので水地はそのままにしておいたのだが、
 太正五年十一月に渚の性別を突き止めた際に、渚を脅迫したあげくに襲おうとしたので(当然撃退された)水地の怒りを買い、 精神凍結させられたあげくに大空洞の底へ連れて行かれ、巨大降魔に食われる寸前に意識を取り戻したもののそのまま死亡した。

講師 高音渚

 太正二年度半ばに水地の推薦で入ってきた助手で、翌年講師になる。
……というのは表向きで、実際には渚自身が書類操作をして研究室に入り込んだ。
 水地に心酔していて、彼の仕事の多くを精力的に手伝う一方、留守になることの多い水地の代役を務めることも多いので 「留守番先生」の異名をとる。
 腰まで届く黒髪の長い美形で、公称年齢の二十代半ばというのは大嘘であり実際は二十歳前後だとまことしとやかに噂されている。
 だが、その実務能力の高さ故に面と向かってそれを言える人間はいない。
 太正六年三月に大学から行方不明となる。

明冶四十五年度入学生 襟倉

 維新前は小大名だった子爵家の御曹司だが、現代では家は没落しており維新を良く思っていない。
 水地には共感するところがずいぶんあり、目を掛けられていた学生の一人。
 卒論は「都市が失っていったもの」
 面倒見の良さが転じて、卒業後は尋常小学校教師になる。

明冶四十五年度入学生 酒井耀一

 宴会大臣の異名をとる、研究室はおろか、帝大屈指の遊び人。
 維新後に大成した商家の生まれで、商人たるもの酒が飲めずに商売できるかという父の教えの下に徹底的に鍛えられた。
 卒論は「江戸と上方の商人制の違い」で、牧野とは非常に息があう。
 人脈、人望ともに高く、卒業後は実業家の道を歩む傍らで研究室同窓会の幹事も務める。

明冶四十五年度入学生 牧野

 関西から上京してきた苦学生。
 しかし研究室ではツッコミを得意として、酒井とは非常にノリが合う。
 卒論は「太閤と淀屋が果たした功罪」
 卒業後は大阪に戻って大阪商工会議所の事務員となり都市計画に関わるが、 研究室で学んだ自己哲学と現実との差に苦しみ続けることになる。


太正二年度入学生 天津

 都市計画事業に興味を持ち、近代都市の主に上下水道についてを専門とした。
 卒論は「近代都市における下水道の必要性」
 卒業後は巻菱財閥に就職。

太正二年度入学生 風間

 足尾銅山事件の舞台となった足尾地区の生まれで、環境破壊を憎んでいる。
 卒論は「都市と産業の相克」
 卒業後は反政府勢力に身を投じることになった。

太正二年度生 霧衛

 水都としての東京に注目し、運河と埋め立て事業に特に興味を持っていた。
 卒論は「東京とヴェニスの類似性と非類似性」
 卒業後は単身イタリアに渡り、帰国後は内務省勤務。

太正二年度生 手島

 生粋の江戸っ子で、都市の中での住民生活を守りたいと思っていた。
 卒論は「江戸と東京の生活」
 卒業後は東京都民政課に就職。

太正二年度入学生 夢織

 水地が現在の帝都に否定的なので、それに喧嘩を売りに来たという一番の変人学生。
 卒論を書いている暇がなかったので、単位取得卒業になっている。
 喧嘩していたくせに一番影響を受けて、卒業後も大学院生として研究室に残留。


太正三年度入学生 水沢成斗

 偉くなって六人いる弟妹たちを楽にしてやるという動機で入ってきた実直で勉強家な青年。
 卒論は「運河上の住民生活」
 卒業後は大蔵省に入り、その二年後から帝劇建設に関わることになる。




理学部物理学科素粒子物理学研究室


教授 横塚太助


太正三年度入学生 河野


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