短編「水のない都市」第一節
轟華絢爛第二巻反逆小説
八月は熱海のことである。
真っ先にそう思い出す。
陥穽を仕掛けるために同行したはずの自分。
花組の面々や大神がまるで馬鹿みたいに気を抜いていたのを裏であざ笑いつつ、自分では絶対と思える罠を作り上げた。
……本当だろうか?
冷静に考えれば、穴はそこら中にある。
キネマトロンを、面々の目につく場所で破壊したこと。
こちらの通信機をわざわざ設置型にして利用を許したこと。
花組に不協和音を生じさせるのであれば、それこそすみれの向こうを張るわけではないが大神に夜這いを仕掛ければ良かったのだ。
もっと完全にしようと思えばいくらでも出来たはず。
いや、考えなくても解る。
自分は、その穴を最初から知っていた……!
わからない……
私は何をしているの……?
あのときも……
「いいなあ……二人とも胸が大きくて」
「さくら、はしたないわよ」
少し拗ねたように唇をとがらせつつさくらが鼻下まで湯に浸かったので、マリアは笑いながらやめさせた。
「いいな……って言われてもね。舞台の上では締め付けないといけないから結構不便なのよ」
「アラアラ、そんなことを言ったらせっかくのいい胸がかわいそうよ」
サキは肩まで浸かっていたのだが、誇示するようにその部分まで湯から引き上げる。
大きさだけならマリアに軍配が上がるが、サキは見せる姿勢という物を心得ているし、形でも引けを取るつもりはない。
それは、言い換えれば見られることに慣れた振る舞いだった。
「男性には母性回帰願望というものがあるわ。
男性に対して美しい胸というのは、とても魅力的なのよ。
その生まれ持った素質を無駄にするなんてもったいないわネ」
その言葉にも、妙に説得力があった。
かつてお化粧の楽しさをあやめに教えられたときのように。
「この際だから言わせてもらうわネ。
マリアさんの服装は根本的に間違っているワ」
マリアの服装というと、冬は赤い上着に黒いコート、夏も全身を覆う長袖だ。
肌の露出は首から上だけで、服のラインは身体のラインを活かすのではなく殺すようにしかなっていない。
「ま、間違ってる、なんて言われても……」
こういうジャンルの指摘にはマリアは弱い。
反論しようとしたものの、全然言葉が出てこなかった。
「舞台の上での男役は結構ヨ。でもどうして普段まで自分の色気を隠そうとするの?
少しはさくらさんを見習ったらいいのヨ」
「あ、あたしですか?」
大きさとか美しさでとうとうと語られてしまい、自分の胸を隠すように湯に顔の半分まで潜っていたさくらは、いきなり名前を出されてびっくりした。
それも話が繋がらない。
どうして胸の大きいマリアが胸の小さい自分を見習わなければならないのだろう。
「そうよ、さくらさんのサマードレスを見なさい。
ノースリーブで腕の線から鎖骨を経て、うまく胸まで美しく線が通っているワ。
多分大神さんの身長から間近で見下ろすと、胸の輪郭がうまく想像できるくらいになっているはずよネ。
でしょ?さくらさん」
「な……ななななななななに言ってるんですか!サキさん!
そそそそそそんなことありませんよっっ!」
サキに湯を浴びせるさくらだが、照れ隠しであることがバレバレである。
「でも大神さんは似合ってるよ、って言ってくれたそうじゃない。
由里さんから聞いたんだから間違いないでしょ?」
「それは……確かに大神さんはそう言ってくれましたけど、でも言いようが無くてお世辞だったかも知れないけれど、でも大神さん本気で言ってくれたのかも知れないし、もしそうだったら嬉しいなぁってこっそり思ったりしたりして、ひょっとしたらもっと別のことを考えていたりしたらその恥ずかしいなって……だから……」
「はいはい、ごちそうさま。のぼせてるわヨ。さくらさん」
「あ……」
熱気とは別の意味でさくらの顔が赤くなる。
「でもそれでいいのヨ。あのサマードレスでデートしている最中ににわか雨でも降ってきてしまえばもう、お膳立ては完璧ネ」
「ちょ……サキさん、お膳立てなんて言い方は……」
「アラ、マリアさん、さくらさんが怖いのかしら?」
「え?」
「さくらさんの魅力に大神さんがくらって来ちゃったら大変だものネ」
「べ、別に私はその隊長が大変とかいうんじゃなくて……」
「ア、ごめんなさいネ。単にマリアさんも可愛い服を着てみたいってことよネ」
「ええ……。って、それは……!」
「そうなんでしょう?」
重ねてサキが問うと、今度は反論は返ってこなかった。
うつむいて顔を赤くしているのは、さくらと同様にのぼせているわけではない。
思い出してしまったのだ。
丁度二年前、楽屋でこっそりクレモンティーヌの衣装を身体に当てていたのを大神に見られたことを。
サキの言うとおり、男役ばかりしているからこそ心の中では可愛い少女の服に憧れてしまうことはある。
さくらを見習え、という言葉はまさに正鵠を射ていたのだ。
「でも……私が買いに行っても……その……」
「仕方ないわネ、今度私がマリアさんに似合う服を探してきてあげるワ。
た、だ、し、必ずその服を着ること。約束ヨ、マリアさん」
そう、花組の人間関係は極めて微妙な平衡の上に乗っている。
意識的にか無意識的にかはともかく大神は、この月はアイリスと親しくなったかと思うと、次の月はすみれとカンナ、という具合で、一人の隊員に注目し続けることが少ない。
……単に、浮気性とも言えるのだろうけど。
しかしこの花組隊員の中での交代制度のようなものがあるために、誰か一人の大神にならずに花組が維持できている。
それを、どこかで突き崩さなくてはいけないと思ったのだ。
一人の隊員に大神がこだわるようにすれば、もはや鉄壁のチームワークなどとれなくなる。
それなら何故マリアを選んだのか、という問いには、
……自分のように世界の裏を見たマリアに肩入れしたのか、という問いには、
サキは、自分では答えられなかった。
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