真夜中の夜明け
前編 2000ヒット記念レニSS |
黒鬼会を倒し、年の瀬も迫ってきた太正十三年師走。
帝劇ではクリスマス公演「奇跡の鐘」の稽古が始まっていた。
慌ただしくも、平和なある日、事件は起こった。
「レニが、倒れた?」
伝票整理の達人と化した大神が、事務室にやって来たマリアから聞かされた話は、大神の表情そのままに意外なものであった。
「ええ、さきほど舞台で発声練習をしているときに、突然」
「それで、レニは!?」
伝票をほっぽりだしてマリアに詰め寄って尋ねる。
大神があせるのも無理はない。
レニは体調管理が花組でもっともしっかりしていると言っても良い。
事実、この帝劇に来てから、レニは風邪一つ引いたことは無かった。
重大な病気の可能性を、大神でなくとも考えてしまう。
「大丈夫です。少し、貧血がひどかっただけのようですから」
聞いて大神は全身の力を抜いて椅子に倒れ込む。
「よかった・・・。でも、なんでレニが貧血なんか・・・」
「大神さん、レニだって、年頃の女の子なんですよ」
「え?」
かすみの遠回しの言い方では、鈍感な大神にはどうも解ってもらえなかったようである。
こっそりとため息をついてからマリアは言葉を続ける。
「レニは今、医務室で寝かせてありますので、あとで隊長も様子を見に行って上げて下さい」
「医務室?レニの部屋でそのまま寝かせてあげた方がよかったんじゃ・・・あ、そうか・・・」
「ええ」
言いかけて、大神は思いだした。
レニの部屋には、寝台と呼べる物がない。
今でも、床の上で毛布をかぶって眠っているのだ。
医務室は帝劇ではなく、帝撃の設備である。
地下の中ほどに、医療ポットの部屋と隣り合わせに設けられていた。
医療ポットは主に外傷の治療に使われ、軽い外傷や病気の場合は医務室を使う。
現在、医務室に所属する人間はいない。
いざとなれば、かつてのあやめと同じように、副司令のかえでが様々な医務を行うことになっている。
しばらくは、米田の秘書として帝劇に配属になった影山サキが、事実上の主任看護婦を勤めていたのだが、彼女は、もういない。
彼女が帝劇を去った後、この医務室も薬品の徹底的な検査が行われたが、何故か、毒物、劇物などは一つも入れられていなかった。
何故だろう。
その問いに答える者も、いない。
医務室備え付けのベッドの上で眠っているレニの横には、アイリスが心配そうについていた。
「あ、お兄ちゃん・・・!」
言ってから、大きな声になってしまったので慌てて口をふさぐ。
まだ、レニは寝ているのだ。
「アイリス、レニの状態は?」
「うんとね、かえでお姉ちゃんがさっきいろいろやってくれて、目を覚ましたらもうだいじょうぶだろうって」
「そうか」
レニの寝顔を見るのは初めてである。
舞台では少年の役をこなすレニも、こうしてみるとやはり女の子の顔に見える。
その表情から、どんな夢を見ているのかはわからなかった。
一時間ほどしただろうか。
静かに閉じていた瞼がすうっと開いて、レニの蒼い瞳に光が射す。
「レニ、大丈夫か・・・」
「レニい・・・」
二三度、まばたきをして、目の焦点を合わせているようだ。
「隊長、アイリス・・・。僕は・・・?」
「みんなでれんしゅうしていて、いきなりたおれたんだよ」
「倒れた・・・、ここは・・・」
そうつぶやいてから、首を少し動かして、今の状態を確認する。
と、
「うわあああああっ!」
いきなり叫びが上がったかと思うと、大神の視界が閉ざされた。
レニが今までかけていた毛布が飛んできたのだ。
視界が閉ざされている間に、何かが派手な音を立てた。
「どうした!レニ!」
あわてて毛布を振り払うと、ベッドのパイプが折れてひっくり返っていた。
レニは床にうずくまって頭を押さえている。
「レニ!」
あわてて駆け寄ろうとしたら、大神の視界がひっくり返った。
これは・・・確か・・・!
「くっっ・・・!」
こちらの腕をひねるレニの腕を逆に押さえつけ、巻き込むように抱え込んで、自身は床を蹴りつけるようにして着地する。
レニに投げられたのだと、頭で理解したのは足が地についてからだった。
前に一度、レニに投げられていなければ対応できなかっただろう。
気がつけば、レニの顔が間近にあった。
「あああああっっ!?」
レニは大神の顔を見て・・・、いや、どちらかというと近くに人がいることに驚いたように叫びをあげて、大神を突き飛ばそうとする。
華奢な身体からは信じられないような力だった。
「レニ!しっかりするんだ!俺だ!大神だ!」
突き出された左腕を胸元で受け止めて、レニの両の二の腕をつかみ、呼びかける。
そうすると、今度は蹴りが飛んできた。
的確に男性の急所を狙ってきている。
「くっ・・・!」
身体をわずかに動かして、大腿部でその蹴りを受け止める。
一瞬、痺れが走るほどの衝撃だった。
「レニ!ごめんっ!」
さらに間を詰めて、レニの身体を抱き締めた。
抱擁と言うよりも、縛り付けるようにしなければならないほど、抵抗力が強かった。
「レニ・・・、大丈夫だ・・・。ここには、敵はいないよ・・・」
ふっ・・・と、レニの身体から力が抜けた。
「たい・・・ちょ・・う・・・」
自分を抱き締めてくれている人間が誰かを確認するようにつぶやいて、そのまま大神に身体を預けた。
「ふう・・・」
刹那のやりとりだったが、全身が汗で濡れていた。
海軍士官学校で随一といわれた大神の実力に勝るとも劣らない強さだった。
こんな、線の細い少女だというのに。
「あ、アイリス、大丈夫か?」
そう言えば、すぐ横にいたアイリスのことを忘れていた。
それほど、レニに対して集中しなければならなかったのだが。
「んー、おにいちゃん・・・、レニは?」
シーツの塊の中から声がする。
どうやら、声を聞く限りは大丈夫のようだ。
右手でレニを抱えたまま、左手でシーツを取り払ってやる。
「ぷはっ。・・・?レニ・・・、どうしたの?」
ぐったりとなって大神に寄りかかっているレニに駆け寄り、そうっと手を伸ばした。
そのつらさを、代わって受け取りたいと思っているのだ。
「?・・・!」
レニの身体に触れて、まず感じたのは恐怖だった。
いつも、心を読まないように心掛けているアイリスだが、レニと共感しようとして、その感情に同調させられたのだ。
「アイリス?」
「お兄ちゃん、レニが、怖がってる・・・」
「え?」
自分が抱き締めているのが悪かったのかと、あわてて大神はレニを離そうとした。
だが、レニは大神にしっかとしがみついて離れようとしなかった。
その肩を、腕を、細い身体全体を、細かく震えさせながら。
「レニ・・・、怖い夢でも見たのかい?」
困惑しながらも、大神はレニに尋ねてみた。
「夢・・・?怖い・・・・、こわい・・・、こ・・わ・・い・・」
首を左右に激しく振り、大神をそっと見上げた。
しかし次の瞬間、かあっと頬を紅潮させたと思うと、大神から離れてばっと走り出した。
「レニ!」
「レニぃ!」
止める暇もなく、部屋を出ていき、階段を駆け上がる足音が聞こえてきた。
取り残された大神は、アイリスと顔を見合わせる。
「一体・・・どうしたんだろう・・・」
「お兄ちゃん・・・?レニに変なことしなかった?」
唐突だが、アイリスの言うことは考えられなくも無い。
だが、大神には今回、まったく身に覚えがなかった。
「いや、まったく思い当たらないんだ・・・」
大神は頭を抱える。
服の胸には、乾ききっていない雫の跡があった。
帝劇入り口に戻る。