もみじ小戦・第六話
「紅い声」第伍編




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「色情狂が、偉そうに吼えおって……」

 倒れたときに口の中を切ったのか、血の混じった唾を吐きつつミロクは立ち上がった。
 先ほど狂気の笑みを見せていたときとはまた違った、明確な意志が瞳に宿っている。
 すなわち、殺意。
 それが形となって音を立てた。

「!!」

 とっさに半歩引いた大神の鼻先をミロクの剣閃がかすめた。
 速い!
 いつ踏み込まれたのか、確認するのがやっとだった。

「まずその高い鼻をへし折ってやるつもりだったのだがな!」

 次いで右の尾からは炎の一閃、これは左の小太刀に気力をみなぎらせて受け止める。
 左の尾からは巻き起こる火の竜巻、それに対抗しては、

「狼虎滅却、空裂爪旋!」

 さすがにミロクも繰り出した技の最中に迎撃は出来ない。
 しかし、右の小太刀一本では相殺しきれない。
 わずかながら残りを食らったところで、

「雷落!」

 稲妻を携えて、ミロクの剣が両手で一刀両断を狙うかのように振り下ろされる。
 両手を左右に使ってしまい、正面は完全に無防備。
 
 殺った!

 ニコリともせずにその確信とともに……

「ぐっ……」

 大神の右足が高く振り上げられ、振り下ろそうとしたミロクの手が合わせられている剣の柄尻を蹴り上げた。
 銃や剣だけではなく、格闘だってカンナといい勝負が出来るくらいの実力はあるつもりだ。
 狙い違わず、剣はミロクの手を離れて宙を舞う。
 だがミロクは、しまった、とも言わずに、

「雷針!」

 ビシリと大神に向けて右手の人差し指を突き出すと、宙に舞い上がった剣からは収束された稲妻が発射される。
 左足で床を蹴って反撃しようとして、わずかに反応が遅れた大神は右胸にこれの直撃を食らった。

「ガアアアッ!」

 衝撃で吹っ飛ばされ、苦痛に我慢できずに叫びと共に床を転げ回る。

「いい様だ。大神一郎」

 やはり笑いもせずに言うと両の尾を振るって、地を滑る火を二発、大神のいる場所からほんの少しだけ離れた場所を交差するようにして放った。
 転げ回りながらだった大神は、この微妙な差に目算を狂わされて、避けきれずに左足に炎を食らった。

「ぐあああっ!」
「止めだ」

 左右から集まる炎が火柱を作り上げた。
 火葬してやろう、と言わんばかりの壮絶な火勢を持っている。
 避けきれない!
 左足の痛みと、全身に蓄積されたここまでの戦いの疲労が大神の歩みを三歩ほど遅らせた。

 観念しそうになるが、大神は目を閉じたりはしなかった。
 気力を振り絞ってそれに対抗しようとする。
 だがそれを無茶と判断した大河原が、ギリギリで大神の襟首を掴んで引っ張り、かろうじて火柱の直撃をかわさせた。

「大河原、まだ立ち上がってこれるとはな」

 ミロクが第二撃を放とうとしてくるのを確認するより先に、大河原は銃を発射した。
 その弾丸はミロクの発する炎のために、空中で融解したように見えたが、次の瞬間高い破裂音と共に爆発して四散した。

「なっ…………!?」

 六年前、ある青年技術士官に対降魔用装備として作ってもらったシルスウス鋼爆裂弾だ。
 数はそう多くない貴重品だが、今ここで惜しんでいる場面ではない。
 その青年士官がいなくなったときに泣いた少女のことを、大河原はよく覚えている。
 その後、見ている方がつらくなるくらい必死で、全力で、自分の力で生き抜いていこうとした少女のことを。
 現代の今をとやかく言うべきではないだろう。
 だが大河原は、あの光景を二度と見たくなかった。
 今大神が帰らなければ、その光景を少なくとも六つ見なければいけないのだから!

「大河原ァ……」

 二発目の爆裂弾をミロクは剣の腹に当ててかろうじて直撃を避けた。
 だが、確実に効いてはいる。
 方形盾ならいざしらず、剣で爆裂弾は防ぎきれない。
 それは分かっているのだろうが、しかし無数のかすり傷を作りつつもミロクはひるまない。

「狙いが落ちているな、大河原。
 ここに来るまでにわらわの部下や同志たちことごとくをうち倒してきてくれたようだが、ただで済むとでも思っていたか!」

 そう叫ぶとミロクは、大河原と相対している内に自分の背後に回ろうとした大神に尾を直撃させた。
 後ろを振り返ってもいない。
 大神は再び悲鳴を上げてよろめく。
 実は話の半分は大神にも向けた言葉だった。

 黒之巣会の戦士たちを蹴散らすときにも、大神は少なからず傷を受けている。
 更にミロクから受けた火傷も深い。
 いつもならかわせたであろう一閃でも、かわしきれなくなってきているのだ。

「マリア・タチバナと相対したときの様に尾を切り落とそうとするつもりだったようだが……」

 よろめいた大神に、更にいくつもの火球を叩き込んでいく。

「この尾はわらわを支えてくれる命。
 わらわの意志によってでもなくば、わらわの身体からは離れぬのだ!」

 左右の尾がぴたりと息を合わせて斜め十字に振るわれる。
 身体は銃口を向けている大河原に向いたままで、だ。
 さすがにここまで食らってはもはや戦えなくなってしまう。

「狼虎滅却、風切空牙!」

 この技はまだ見せたことがなかったはず!
 見切られずに炎を何とか相殺することが出来た。
 しかしミロクに与えた傷は、わずかに肩をかすめただけだった。

「今の貴様では、わらわたちの前にこれがやっとのようだな」

 受けた傷を確かめるようにすうっとなぞり、その血をぺろりと舐めた。
 敵として戦っている最中でなければ、怖いくらいの色気を感じたことだろう。

「帰らせなど、せぬ」

 威圧感と言うよりは、憎悪そのものをたぎらせてミロクは二人を牽制する。

「この二人はな、大神一郎」

 この二人は、と言ったところでミロクは自分の尾を揺らめかせた。

「元々はそれぞれが一人の妖狐だったのだよ」

 一見、何の関係もなさそうなことをミロクは言った。

「六年前のことだ。
 まだ、あの小娘らと変わらぬくらいの年だった頃、すでにわらわは吉原でも指折りの女になっておったわ。
 それまでに相手にした男の数と内訳、聞きたいか?」

 嘲笑めいた物が消えているだけに、なおさら恐怖を呼び起こさせる瞳をミロクはしていた。
 この世の地獄を味わい、どん底をはいずり回った者の、底知れぬ目だった。
 別に答えを期待していたわけではないらしく、単に圧倒するのが目的だったらしい。
 ミロクはそのまま話を続ける。

「そのころのわらわはそれでもまだ、まだ男を信じようとしておった。
 一夜限りの交わりだけではなく、わらわの元に通い詰めてくれる陸軍士官殿を愛そうと、頼ろうとしておった。
 愚かなことにな」

 その言葉は、現在と過去と、どちらにも向けられているように聞こえたのは何故だろうか。

「愛していると言われ、身請けしてくれると契りをかわして、それを信じて子を孕んだ」

 おそらくこのようなところだから、妊娠を防ぐための薬などがあって、普段はそれを常飲しているのだろう。

「だが、それを告げた二ヶ月後、明樹はぱったりと来なくなったよ」
「……」
「……」

 明樹というのがその男の名前なのだろう。
 その一瞬だけ、ミロクの顔から憎悪が消えた。
 代わりに彼女の面に現れたのは、どうしようもない寂しさだった。
 だが、すぐにそれは消えた。
 自分がわずかな時間とはいえ、そんな表情をしてしまったことに気づいたのであろう。
 それを隠すためにか、左の手に右の手の爪を血が出るほど強く突き立てて、無理矢理憎悪の表情に入れ替えた。

 大神は半ば話に絶句していたのだが、大河原はいささか違った。
 明樹という名前に聞き覚えがあったからだ。
 最近の名前ではない。
 あれは……誰の名前だったか。
 その考えをする余裕など与えぬとばかりに、ミロクの語る過去は更に陰惨になっていった。

「子を産めば商品価値は下がる。
 無理矢理堕胎して、……死にかけたよ」

 少しだけ、納得した。
 先ほどミロクが、大神の行動を糾弾するような言葉を、取りようによっては花組の少女たちをかばうような言葉を吐いたわけが。
 小娘どもと嘲りつつも、
 周囲に倒れている少年少女たちに対するように非道な真似をしても、
 どこか心の奥底で、それを繰り返したくはないと思い続けていたのではないだろうか。

「生死の境をさまよい、命が尽きかけたときに、わらわの商品価値を惜しんだ店の者たちが秘術を使ってな。
 丁度その頃、今のわらわと同じように帝都を破滅させようとして失敗し、その戦いで死にかけていた妖狐の少女たち二人と互いの命を共有することでかろうじて命を繋いだ」

 ふわりと、その尾が揺れる。
 何かを語っているのように。

「結局、生き残れたのはわらわだけだった。
 わらわの執念が強かったのか、二人の傷が深すぎたのかはわからんが」

 その話題の渦中の尾にポッと炎が灯る。
 やはりその光も、どこか寂しげに見えた。

「二人は、わらわの妖力としてのみ残った」
「その二人を、利用し続けてきたのか……」
「黙れ」

 大神に向けて、圧縮させた怒りが声となって放たれる。
 哀しみをたたえた怒りが。

「目標が出来たのだよ、わらわには。
 わらわの命を救ってくれたこの二人の命に報いるためにも、二人が滅ぼそうとしていた帝都は必ずや滅ぼさねばならぬ。
 そして、かつてわらわと交じおうた獣どもを全て、この地上より焼き滅ぼしてやろうとな!」

 大気が、瞬時に膨れ上がった。

「うわっ!!」
「おおっ!!」

 表面積が広くて燃えやすい障子などがあっさりと燃え尽きる。
 二人に霊力がなかったら、おそらく髪も眉も焼き飛ばされていただろう。
 堪えつつ、二度も坊主にされてたまるかと歯を食いしばる大神である。
 倒れていた少年少女たちは、さすがに高熱に目を覚ましたものの、高熱に追い払われる獣のようにあたふたと大広間から出ていった。

「人生の先達として、あの小娘どもに教えてやる。
 恋にほだされ、男を愛したところで、何一つ報われぬ事を……
 ましてや、貴様のような男をな」

 そのものが燃えさかっているようなミロクの視線に大神は言い返すことが出来ない。
 若い彼をミロクの言葉表に立たせるのは危険と判断した大河原は、耐え難い高熱に逆らって大神より一歩進み出た。

「それはおまえの本心ではあるまい、ミロク」

 ミロクと比べてさえ倍近い年月を経てきた声が、ミロクの炎に逆らって低く響く。
 その声に安心できるものを感じ、大神は自分の未熟さを一瞬恥じたが、すぐに声を引き締めた。
 もう、そう何度も剣を振るう力は残されていない。
 一撃か二撃、そんなところだろう。
 自分の力も、相手の隙も、無駄に出来ないのだ。
 大河原が上手くミロクを突き崩してくれることを祈りつつ、二刀を握り直して集中する。

「……口から出任せとは、仮にも検閲官の名が泣こうと言うものだぞ、大河原」
「私は検閲官としての目に誇りを持っておる。貴様たち黒之巣会が我らが有楽町帝撃通信局を占拠していた間、ただ縛られていたとでも思うのか」
「…………」

 八月頃のことである。
 死天王二人、刹那に続いて羅刹まで倒された天海が、黒之巣会起死回生を狙って帝都の情報機関部を押さえるために、ラジヲ放送局、有楽町帝撃通信局を占拠していたことがあった。
 このときに通信局の検閲官をやっていた大河原は、司会の長曽我部崇ともども、叉丹とミロクによって監禁状態にされていたのである。
 いわばそのときに、残りの黒之巣会死天王二人と天海とを観察する機会に、図らずも恵まれていた。

「貴様の言う通りだよ、大河原。
 わらわは天海様をお慕いしておった。
 あのお方はわらわの身体になど興味を示されず、わらわの力をそのままに認めて下さったお方じゃ」

 半ば観念したようにつぶやくミロクは、しかし大河原から視線を外していない。

「そしてまた、この帝都を滅ぼせる偉大な力を持ったお方。
 じゃが、その天海様を、そこにいる男が……」
「違う」

 いきり立とうとしたミロクの動きが、そこで止まった。
 大河原の言った静かな一言は、彼の鳴らす検閲音以上に、ミロクにとって強烈に響いた。

「な……なんじゃと……?」

 声に、隠しきれない動揺が入り混じっている。

「それもまた、貴様の本心ではあるまい、ミロク」
「ふ……、や、やはり口から出任せの連続が……。そのような戯言を聞く耳など……」
「おまえは、自分の憎しみを……自分の存在意義を失わせぬために、自分の想いを無理矢理にでも、あのように精も涸れた老人にすり替えていただけだ」

 すうと、ミロクの顔から血の気が引いた。

「……ぬう……、き……さ、まなどに……な、にが……」

 蚊の鳴くような声が、吐き気を堪えているらしい右手の間から漏れた。

「あのとき、貴様が事あるごとに憧憬の目で見つめていたのは、天海ではなく……」
「だぁまれええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっ!!!!」

 逆上しきった絶叫と共に、ミロクは全身から稲妻をたぎらせて剣を振り抜かんとする。
 話から察するにおそらくこの稲妻の力の方は、ミロクが生来持っていた霊力によるものなのだろう。
 炎を使うことを完全に忘れているかのようだった。
 怒りそのものを具現化したようにほとばしる光と音の乱舞が剣閃とともに大河原に向けて……

 だが、その動きは自分自身を完全に忘れたものだった。
 稲妻を放った直後ならばその隙は決定的となっただろう。
 しかしこの一撃を撃たせるわけには行かない。
 多少の霊力を持っているとは言え、食らえば大河原は生き残れない。
 それに力任せなその動きはすでに十分に隙だらけだった。

 勝機!

 霊力を蓄えて機をうかがっていた大神は、二刀と共に瞬時に床を蹴ってミロクの至近距離に迫った。
 あと二瞬遅れたら、大神の方が稲妻の直撃で消し飛ばされる。
 外すことは許されない。

「はあああああっっっ!!」

 力の全てを、怒りの全てを注ぎ込んだ、稲妻の剣が降ってくる。
 だが、この間合いと交錯ならば、それよりも先にミロクの心臓を打ち抜ける……!

「狼虎滅却……!」

 そこで、ミロクと視線が激突した。
 大神にはまだ察しきることの出来ない、あまりにも多くの想い。
 だが、大神にもその目を見てたった一つだけ分かったことがあった。
 そうだ。
 あのとき考えずにいられなかったこと。
 もしかしたら、ミロクは……

「くっ……!!」

 一瞬のためらいの後、大神は矛先を変えた。
 刀身を破壊しても再生されては意味がない。
 破壊するならば……

「絶空光閃!!」

 スレスレのところで大神の必殺技が唸る。
 ミロクとある意味では同種とも言える稲妻を伴った二閃。
 一閃は、今にも振り下ろされようとしていた剣の柄を直撃。
 もう一閃は心臓をわずかに外して、ミロクの左肩に突き刺さった。

「ガアアアアッッッ!!?」

 振り下ろされなかったミロクの稲妻が、剣の砕け散る甲高い音と共に暴発してミロクを包み込む。
 大きくよろめいた拍子に、肩に突き刺さった剣が抜けて、鮮血が吹き出した。
 確認は出来ないが、柄を破壊したときの衝撃で両手首は完全に折れているはずだ。
 だが、それだけの傷を負いながらも、ミロクは倒れなかった。

「貴様は……あのときに殺しておくのだった……。
 我ら死天王が全て揃っていたあのときに……、
 魔操機兵が完成しておらなかったとしても……、
 何が何でも……、この災いの芽を摘んでおくのだった……!」

 あのとき。
 おそらく、死天王と華撃団が初めて見えた上野公園の戦いのことを言っているのだろう。
 大神の、花組隊長としての初陣でもあった戦いだ。
 確かにあのとき、幹部用魔操機兵は神威一体しかなかった。
 だが彼ら死天王の持つ超常の力を十二分に駆使されていれば、魔操機兵無くとも苦戦は免れなかっただろう。
 出撃した四人が全滅し、帝国華撃団が壊滅していてもおかしくはなかった。
 だが歴史の流れはそうはならず、今完全壊滅の危機にあるのは黒之巣会の方だった。

「ミロク……もう、よせ」

 手負いの獣そのもののぎらつく瞳を叩きつけ続けていたミロクの顔が、大神のその言葉であっけにとられた。

「大神くん!?」

 あまつさえ向けていた剣を一旦下げてしまった大神に、隣の大河原ですら慌てた。

「降伏してくれ、ミロク。
 この地で絶大な影響力を持つおまえならば、黒之巣会が無くても十分に生きて行けるだろう。
 もう、帝都転覆など諦めるんだ……」
「いかん、大神くん!そんな理屈が通じる相手ではない。
 ここで倒しておかねばいずれ力を蓄えてまた同じことを繰り返すぞ!」
「わかって……ます……、だけど……」

 霊力を持っていたがために人生を狂わされたミロク。
 望まぬ力を持ってしまったが故の悲劇。
 だけど、そう、ミロクは花組のみんなと同じだった。
 ただ、霊力を持っていた少女という、たった一つの、そしてあまりにも大きな共通点が。
 アイリスなど、その力故に幽閉されていたことすらあると聞いている。

 何か一つ間違っていれば……、
 そのとき、帝劇という場所がなければ……、
 あやめという助けがなかったら……。
 彼女たちもミロクと同じようになっていたかも知れないのだ!

 その想像が、その恐怖が、大神の剣を握る手を震えさせずにいられない。

「大河原の言うとおりだぞ。
 この土壇場でわらわが、はいそうですかと従うとでも思ったのか」

 手首から先が力無く垂れ下がっている右手で、左肩の傷から吹き出る血を押さえようとしつつ、紅に染まった壮絶な顔は拭おうともせずにミロクは、笑みとも怒りとも悲しみともつかぬ表情をした。
 まだ二十代であろうその顔が、ひどく老いて見える表情だった。

「だめ……なのか……」
「フン…………………、言われて引き下がれるような人生だったら……」

 キラリと、ほんのわずかに一瞬、ミロクの目に光るものがあった。

「わらわも、黒之巣会に入ることなどなかったわ!!」

 帝都をも裂けよと言わんばかりに叫びつつ、その光も即座に蒸発する。
 ミロクの纏っていた着物すら、一瞬で燃え尽きた。
 これは、今までの炎ではない!

「二人とも……、わらわに最後の力を!!」

 二本の尾が燃えさかっている。
 今までは炎を放っていたそれそのものが燃え尽きようとするほどの炎。
 床と言わず、天井と言わず、周囲と共に己をも焼き尽くそうとする苛烈な炎が猛り狂う。

「貴様を……断じて生かして帰しはせん!!」

 大神の噛みしめた唇から赤い物が一筋、したたり落ちる前に蒸発した。

「馬鹿野郎ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!」

 ミロクか自分か、どちらに向けたのか分からない叫びが、振り絞った霊力と共に大神の全身から解放される。

 俺は、帰らなきゃいけないんだ……!!
 約束は、破らない……!!
 俺は、約束を破らない!!

 先ほどまで身体を呪縛していた恐怖を、約束が断ち切った。

「断じて……!小娘どものところになぞ……!!」

 自分の夢の前に立ちはだかった、忌々しい娘どもの顔を思い浮かべ、溢れ出る憎しみを全て炎につぎ込んで突っ込んだ。
 真宮寺さくら、神崎すみれ、マリア・タチバナ、イリス・シャトーブリアン、李紅蘭、桐島カンナ。
 自分の仲間を、尊敬すべき天海を、夢をかけた黒之巣会を、打ち砕いてくれた許すべからざる、断じて許せぬ者ども。
 幸せになど、させぬ。
 断じて、断じて!
 あの世よりとくと見よ!刹那、羅刹、天海様!
 そして、生きているか死んでいるかも分からぬ叉丹よ!

 叉丹……。

 そういえば、帝国華撃団の中にあいつが気にかけていた女がいた。
 何故自分がそんなことを覚えていたのか。
 だが、無性に腹立たしさがこみ上げてきた。
 小娘どもに抱くいた憎しみ以上の力が溢れてくる。
 奴も……許せん……。
 帝国華撃団副司令官、藤枝あやめ。
 叉丹が気にかけていた……いや、そうでは……ない、全ての、全ての元凶…………!!

『何!!!』

 三人の口から、同時に驚きの声が上がった。

「な……、なぜ……だ……」

 ミロクの左の尾が、彼女の意志に逆らってその動きを止め、炎すらも消滅した。

「なぜだ!!わらわは、そなたらの……」

 理由は分からなかった。
 だが、ミロクの左半身の炎が消えて、彼女が茫然となっていることは間違いない。

「狼虎滅却……」

 やるせない想いと共に、だがしかし全力を込めて。

 茫然となっていたミロクだが、大神の放つ闘気によって無理矢理我に返らされた。

 いや、快刀乱麻は既に見切っている。
 防げずともまだかわすことは……

 だが、大神の動きはミロクの予想とは違って、

「きさ……」
「無双天威ィィッッッ!!!」

 その瞬間、光と音とが爆発した。
 天空の高みより落ちてきたが如く、稲妻が天井を裂いてその場に炸裂した。
 未完成のこの技は、大神の全身……特に両腕の傷からさらに鮮血を吹き出させることになったが、壮絶とも言える威力は間違いなくミロクを直撃した。

 死ぬ……わらわが、死ぬ……。

 否定しようのない失墜感。
 自分の身体が朽ち果てていく感触。

 こいつを……大神一郎を殺すことも出来ずに……
 既に一つの尾は燃え尽き、もう一つは自分の言うことを聞かない。
 剣は砕け、両手は折れ、何もすることが出来ないのか……
 わらわには……もう……何も……

 そのとき、朽ちて行く身体が、何かから解放されたように感じた。

 あった。
 これだ!!

 苦しんだ証。
 汚されたこの人生の全てに通して塗り込まれた、最も忌むべき、どうしようもなかったもの。
 振り返れば、こんなものが自分の人生そのものだったのかもしれない。
 だが、いまわの際において、これが最後の最後で役に立ってくれる。

「わらわの全身に染みついた幾千の男どもの……煩悩全てをその身に受けて……」

 ミロクは、笑った。
 自分を、嘲笑った。

「色欲の化身と化せ!大神一郎!!」
「なっっ!!」

 圧倒的な光の中で無に帰していくミロクの身体から、黒ですらないおぞましい色の霊体が剥離して、一斉に大神に乗り移ろうとする。

 貴様が大切に思う小娘どもも、劇場で笑っておる女どもも、貴様の憧れている藤枝あやめも、
 何もかも、自らの手で汚し尽くすがいい!!

「フフフ…………ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!!!!!!」

 わらわ死すとも、これで帝国華撃団もお終いだ!!

「うああああああぁぁぁぁっっっっ!!」

 剣を取り落として頭を押さえ、絶叫する大神の苦悶の表情を最後に見れたことに満足しつつ。ミロクの視覚は閉ざされた。

 これで、いい……。
 天海様、御下へ参ります……。

 そう考えて天海の面影を思い浮かべようとして、何故か出来なかった。
 その代わりに幾度と無く繰り返して現れる面影は、初めて会ったときから不遜だったあの男。

 ……わらわは、いつもあの男を見ていた…………?

 その事実をようやく自分で悟った次の瞬間、ミロクの意識は閉ざされ、
 そして、無に帰した。





「ご苦労だったな」

 曇天の夜の遙か高みより、誰の目にも届かぬところで、彼は一人つぶやいた。
 一人というのは正確ではないかも知れない。
 その傍らには、ゆっくりと人型を、いや、断じて人に有らざる特徴を持った姿に変わりゆく塊が三つある。
 ずいぶんと成長してくれた。
 最終段階のすぐ手前くらいだろう。
 かつて見た上級降魔に比して見劣りは否定できないが、手下としてはこんな物かも知れない。

 かつて……?

 今しがた自分が抱いた思考に釈然としないものを抱いてしまい、振り払うように眼下へと目を向ける。
 吉原の街の入り組んだ建物群の中でも一際大きな建物……本来なら屋根は紅く塗られていて目立っていたのだが、今は違う。
 中央に、地の底まで届いているような大きな穴が空き、紅い屋根瓦はあらかた吹っ飛んでいた。

 大した威力だ。

 穴の底にて、虚ろな表情で倒れている大神に大河原が駆け寄っていくのが見える。

 どういうことだ。
 ミロクの最後の反撃が効いたか。
 最後の最後まで役に立ってくれたと言うことか。

 口の中だけでつぶやくと、従えた三体の人型……上級降魔とともに、彼は黒之巣会に別れを告げた。


第七話「白い魂」へ



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