結局、洗面所でさくらがかみそりで切ることになった。
みんな大神の断髪式を見ようと集まっている。
大神はもう自分の髪型を見たくないのか、鏡を前にしても目を閉じたままだ。
「じゃあ・・・・」
そりそり・・・
「ん・・・・・」
「あ・・・・・」
「はい、終わりましたよ」
『あははははははははは!』
再び、みんなして大笑いしてしまう。
「ははははは・・・、け、結構可愛いで、大神はん・・・」
海軍士官学校当時は丸刈りだったとは言え、さすがにそこまで笑われてはいい気はしない。
もっとも、今回は爆発でちりぢりになっていたために完全な坊主頭である。
鏡で自分の姿を再確認して、大神はかなり落ち込んだ。
「まあ、これなら、お客さんに怖いとは思われませんね」
「ついでだから、この姿もブロマイドに・・・」
「今度こそ逃げるっっっ!」
由里の言葉が終わる前に、大神は戦術的撤退を計る。
しかし、追っ手には秘密兵器があった。
「大神さん、もう一度分、食事おごって上げますよっ!」
ぴた。
にっこり。
パシャ・・・・・。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっっっっ!!!!」
「うーん、現像が楽しみねー」
「大神さんファンのお客さんって結構多いから、売上も期待できるわ」
大神は帝劇を通る地脈の流れを黒く染めかねないまでに、部屋の隅に座り込んでいじけている。
「まあ、今回はこれで許したろうか」
「さすがに、反省しているようね」
自分で覚悟したこととは言え、さすがに大神は泣きたくなった。
「どうしたんですか?大神さん。食べないんですか」
目の前に出された料理に手をつける前に、大神はポツリとつぶやいた。
「身体を売るって、こういう気分なんだね・・・・・・・・」
女性を前にして言う言葉ではないが、大神の言葉に込められた絶望の深さに、誰も文句を挟めなかった。
泣きながら一口一口、噛みしめながら食べる大神の周囲にはそこはかとなく哀愁が漂う。
きっと、少し塩味が効いていたことだろう。
とはいえ、大神がしっかり食事をとっていたので、みんな気兼ね無しに仕事を依頼してくる。
当然、モギリの仕事もやらねばならない。
そして、夕食はないのだ。
ぐーーーーーーーーー。
またも空きっ腹を抱えながらの見回りになる。
しかし今日は、花組隊員室領域の、侵入禁止令が発令されていた。
紅蘭曰く、「がんばりや、ウチのチビロボたち」だそうだ。
どうやって侵入者と隊員を判別しているのか不思議であるが、ともかく、わずかながら仕事は減ったわけだ。
それ以上に、哀しかったが。
だが、やはり語るわけにはいかない。
大神の頭の中には、いくつかの打算があった。
そのためには、ここでこうして嫌われるのは、悲観すべき事態ではない。
むしろ好都合だった。
黒之巣会の残党を片づければ、自分がここにいる理由はなくなる。
おそらく、海軍への復帰命令が出されることになるだろう。
そのとき、自分がこの帝劇にとって、かけがえのない存在であってはならないのだ。
蛇蠍のごとく嫌われていれば、別れの際に、彼女たちを悲しませずに済む。
それに、魔物出現の度に舞台を邪魔されるような環境は、この帝劇にふさわしくない。
片が付くなら、自分一人で何とかするのだ。
大神は、夏に一度だけ自分が監督を務めた公演の日に、自分一人で出撃したときのことを思い出していた。
あのとき、彼女たちの舞台をやり遂げさせるため自分一人で出撃して、結局、自分一人では何も片づかなかった。
みんなは、公演を中止して、自分の所に来てくれた。
来てしまった。
帝劇を愛してくれる人たちが、彼女たちの公演を暖かい心で待っていてくれたから、その後夜遅くから公演をすることは出来た。
人々の心に感謝すると同時に、大神の心には、済まないという気持ちがあった。
帝都の人々へも、花組のみんなへも。
彼女たちが要らないのではない。
彼女たちを戦わせたくないのだ。
そのために、自分はもっと強くならねばならない。
帝都も、帝劇も、全て守れるくらい、強く。
かつて、陸軍対降魔部隊にいた青年が、同じように強さに駆られていたことを、彼は知らない。
大神が起きている間に、シャワーを浴びるのが怖かったのだ。
大神に覗かれるのを恐れているわけではない。
もし覗かれたら、自分の心がどうなるのか、わからないのだ。
あの日以来、さくらは自分の心が二つに分かれているような感覚に捕らわれていた。
迷った末、逃げるようにこの時間にシャワーを浴びることしか考えられなかったのである。
「・・・・!?」
地下に入った瞬間、さくらの全身に緊張が走った。
これは・・・、闘気・・・?
耳を澄ませば、風を裂くような音も先の方から聞こえる。
魔物かと思い、荒鷹を取りに部屋に戻ろうかと考え、そこで気づいた。
地下の先の方で、明かりがついていることを。
すぐ近くの鍛錬室のようだ。
そうっと、気配を消して近づいてみる。
扉が少しだけ開いていて、そこから光が漏れていた。
ヒュウッ!
中を覗いた瞬間、さくらは「切られた!」と思った。
その場に、倒れ込みそうになって、あやういところで持ちこたえる。
一息、二息して、ようやく身体はおろか服にも傷ひとつないことに気づく。
それは、剣気だった。
闘気が剣のように、壮絶に吹き荒れているのだ。
全身から冷たい汗が流れていた。
剣の達人であるさくらだから、この程度で済んだのであって、並の人間なら今ので昏倒しているだろう。
一体誰が・・・・。
もう一度、今度は闘気を受け流すような気をもって、中をうかがってみる。
大神さん・・・・・!
まだ見慣れたわけではない坊主頭だが、その二刀剣術の動きは見間違えようもない。
どこか、修験者や、虚無僧を思わせる雰囲気が、いつもと違う。
大神は、周囲だけでなく、自らをも切り裂くような剣を見せていた。
だが、その動きは正確にして冷酷ともいうべき。
大神が仮想している周囲の魔操機兵、あるいは魔物が、さくらにも朧げながら認識できる。
数十体ほどの敵を、大神は仮想しているようだ。
どうして・・・・。
微かに胸が痛んだ。
どうして、大神の戦い方の中に、自分の存在は考えられていないんだろう。
大神と共に剣を振るう自分のことを、どうして頼ってはくれないんだろう。
そこまで考えて、自分の独りよがりな考えに気づき、思考を上書きする。
どうして、花組のみんなのことを、考えていないんだろう、と。
ちょうどそのとき、数十体の敵を倒し終わった大神は、その場に倒れ込んだ。
無理もない。
夕食も無しに、こんな夜遅くまで、しかも、あれだけの動きをしていれば。
大神に駆け寄りたかったが、胸の痛みが足を縛り付けていた。
自分は、入ることを許されない。
痛みが、少し大きくなった。
大神にしても、この極限状態で、敵意を感じれば即座に反応しただろう。
だが、さくらの自然な気配は、そばにいても異常とは感知しなかった。
むしろ、当たり前のように思っていたのかも知れない。
悲壮な決意をしてはいても、自分の本心は、ひどく正直だった。
廊下の方には明かりがついていなかったこと以上に、それは大きかった。
結局、さくらには気づかないまま、大神は立ち上がり、再び戦いに入る。
今度は、「待ち」の戦い方。
寄せる敵を、次々と振り払っていく二振りの小太刀。
しばし、さくらは見とれた。
とはいえ、大神はいっこうに止める気配がない。
このままシャワールームに入っても、ちょうどそのときに、大神が訓練を終えて前後不覚のまま入ってきたら、と思うと、入る気になれなかった。
鼓動が、少し速くなる。
このまま帰る気にもなれなかった。
なにか、大神の助けになりたかった。
今の大神の助けといえば・・・・・、やはり食事であろう。
もし、作っている間に大神が訓練を終えたら・・・、いや、お弁当にすれば、あとで食べてもらうこともできる。
そう考えがまとまり、厨房へ向かった。
もともと料理が好きなさくらは、厨房に自分用の食材も用意してある。
手早く作れて、でも栄養のとれるものを、と頭の中で考えながらテキパキと作っていく。
問題なのはご飯だったが、これは厨房にあるご飯保存釜(紅蘭作)の中の物を借りることにした。
使用書にごまかし無しにきっちりとつけておく。
我ながら、半時間で作ったとは思えない、しっかりしたお弁当が出来上がった。
鍛錬室をうかがうと、大神はまだ訓練を続けていたので、風呂敷に包んで入り口の所に置いておくことにした。
「・・・・」
風呂敷の中に、「さくらより」と書いた紙を入れておくことにする。
精一杯の、自己主張だった。
「ん・・・?」
部屋の入り口付近に、風呂敷包みが置いてある。
この匂いは・・・、さくらくんのお弁当か・・・。
触れもせずに完全的中させる当たり、もはや人間業ではなくなってきている。
問題は、目の前に食料が置いてあるということだ。
何故、こんな所にお弁当が置いてあるのか。
「まさか・・・、俺のために作ってくれたってことは・・・、いや、まさか・・・」
あんなことのあとで、自分は嫌われているはずである。
まさか深夜にわざわざ作ってくれるはずはない。
多分、朝の訓練のために、あらかじめ作って置いたのだろう。
だったら、こんなところに置いてあるはずはないのだが、大神はさすがに正確な思考回路を維持するのが難しくなっていた。
とにかく、目の前に食料がある。
食べれば空腹が癒される。
意志とは無関係に、手が延びる。
風呂敷に手が掛かり・・・・・・・・・・・・。
「いかんいかん、盗み食いなど・・・・、それは人間として・・・・・・・・!」
自分を戒めるために、わざわざ言葉にしなければ、押さえきれなかった。
しかし・・・・、ちょっとくらいなら・・・・・・・・・・。
「だーーーーーーーっ!」
叫んで洗面所に走り込み、水を飲む。
「ようし、腹はいっぱいになったぞ!」
大声を上げて自分を無理矢理納得させ、シャワーを浴びて床につく。
せめて、夢の中ぐらいは、空腹が満たされることを願いながら。
その数時間後、早起きして少し軽い足取りで地下へ向かったさくらは、
「!」
鍛錬室の前に、そのままの状態で放って置かれたお弁当を見つけた。
ダッ!
シャワー室に駆け込み、冷たい水を頭から浴びた。
そうすれば、溢れてくる涙が消えてくれると信じて。
「大神さん・・・・・・」
その声は、大神には届かなかった。