もみじ小戦・第二話
「餓狼」前編


戻る


ぐー。

 お客を入れ終わって一息ついたところで、大神の腹が我慢できずに鳴った。
 さすがに客前ではこらえていたが、(腹の虫の音を我慢するなど人間業ではない気もするが)、 客席の戸が閉まってとうとう緊張の糸が切れた。

くすくす・・・

「大神さん、お煎餅食べます?」

 笑いながら好物のお煎餅を取り出した椿の顔が女神にも見えてくる。
 椿はさほど大神を軽蔑した様子はない。どちらかというと同情してくれている。
 まあ、あまり関係ないのにおごってもらったという思いがあるのと、 モギリの間中の大神の引きつった笑顔を見ていれば同情の一つもわいてくるのだが。

「朝からご飯たった一杯で、ずーっとお仕事でしたからね。ほんとに大丈夫ですか?」
「うん、まあ、椿ちゃんのおかげでなんとか今日の飢え死には免れそうだよ」

 水と共に、もらった煎餅を腹の中に収めてから、やっと言葉が出てきた。

「もう、大神さん、冗談きついですよ」

 いや、実際に冗談ではない。
 こんな生活が二週間も続くのかと思うと、さすがに餓死の可能性も頭から否定できない。
 食堂の残飯をあさる自分の姿を想像してしまい、大神は自分の想像力を呪った。
 それは、仮にも海軍士官学校主席卒業の面目にかけて、死んでも出来ないことであった。
 最近、自分でもそのことを忘れかけている気もするが。

「大神さん、午後の部が終わってから食堂に行って来たらどうです。余り物が出てるかもしれませんよ」

 帝劇の食堂は、人気メニューのいくつかを、注文より先に作ることがあり、時々それが余ることがある。
 そう、残飯と、余り物は違うのだ。
 人間は、食欲の前に無力なのかも知れない。
 大神の思考回路は、あっさりと修正された。

「うん、そう言えばそうだね。後で行ってくるよ」

 と、簡単に仕事が終わらないのが、帝劇における大神の立場である。

「大神さん、迷子みたいなんです」
「ちょいと、兄さんや、前売り券はどこで売ってるんじゃったかの」
「大神さーん、事務局からポスタアの追加持ってきて下さーい」
「この花束、すみれさんに渡して下さい」
「ねぇ、カンナお姉ちゃんどこー?」

 等々。
 すべて終わったころには、食堂も片づいていてしまった。

「ごめんなさい、大神さん。色々頼んじゃって」

 椿に素直に頭を下げられては、怒る気にはなれない。

「まあ、ひょっとしたら何か残っているかも知れないし、行ってみるよ」

 とぼとぼ、といった音でもしそうな足取りで厨房へ向かう。
 何があると、期待しているわけではなかった。
 ただ、一握りの希望くらいあってもいいではないか。
 なんだか訳の分からない理屈が頭の中を走っている。
 そんな思考は、厨房にたどり着いたとき、自分に向けられた殺気を感じて中断することになった。

「ぐす・・・おにいちゃん・・・・・・・・・」
「ア、アイリス・・・・・・!?」

 涙目でこっちを睨んでいるのは、間違いなくアイリスである。

「おにいちゃん・・・・・・・、アイリスのケーキ、かえしてよ・・・・」
「へ?」

 アイリスの言葉は唐突で、大神には何のことかよくわからなかった。
 ケーキと言われても、一体何のことか。

「おにいちゃんでしょ!アイリスがとっておいたケーキ食べちゃったの!」
「いいいっ!?ちょ、ちょっと待ってくれアイリス!お、俺はケーキなんか食べていないぞ!」

 アイリスの身体から火花が飛び始めたので、さすがに命の危険を感じた大神は必死の形相で叫ぶ。
 体力の低下している現在の体調で電撃を食らえばショック死する可能性もあった。

「だって、今一番おなか空いているのお兄ちゃんでしょ!お兄ちゃん以外だれが食べたのさあ!」

 アイリスの言うことも、筋が通っている。
 確かに、今帝劇で食べ物が無くなったら、誰もが真っ先に大神を疑うだろう。
 かといって、身に覚えのない大神に、むざむざと殺されるいわれは無い。
 下手に説得をしている余裕もなさそうだ。
 自分にもわかるが、食べ物の恨みは恐ろしいのである。

「わかった、アイリス。俺が嘘をついているかどうか、心を読んでみてくれ」
「えっ・・・?」

 アイリスの身体から放電がピタリと止む。
 実は、七月にアイリスが心を読めると言うことがわかってから、花組全員でそれを止めるように言い聞かせたのである。
 人の心というものは、他人が覗いていいものではない。
 アイリスは、それまで他人の心を読めることが極当たり前だった。
 だが、その恐ろしさ、罪としての意識をわからせることで、それを止めさせたのだ。
 そして、心を読むことなく、人の心を理解させようとしているのである。
 だから今は、アイリスも大神の心を読もうとはしていなかった。
 大神こそ、一番にアイリスにそれを教えてくれたのだから。

「お兄ちゃん・・・、どうして・・・?」

 アイリスの驚きはそれゆえである。

「アイリスは、人がどう考えているか、今学んでいる最中だからね。俺がこういう風に言っているときは、嘘をついていない。 そのことをわかってくれ。今は、勉強だと思って、少しだけ、俺の心を読んでみてもいいよ」
「うん・・・・・・・・」

 恐る恐る、といった様子でアイリスは大神の瞳を見つめる。
 「いいよ」と言われても、教えられた罪の意識がまとわりついているようだ。
 それは、アイリスが人間として成長している証でもあるので、大神は少し微笑んだ。

「お兄ちゃん・・・、嘘ついていない・・・。本当のこと言ってる・・・」

 パッと明るくなったアイリスの表情だが、次の瞬間、少し翳った。

「ごめんね・・・、お兄ちゃん・・・。疑ったりして・・・」

 大好きな大神を、自分の思いこみから疑ってしまったということを反省している。
 アイリスが落ち込んでしまったのを見て、大神もちょっと困ってしまった。
 ここは、話を元に戻した方が良さそうである。

「うーん、どんな風に無くなっていたんだい?」
「うん、ここにアイリスがとっておいたケーキが、お皿ごと・・・、なくなってるの。
だいじにとっておいたイチゴのケーキ・・・、ぐす・・・、なくなっちゃった・・・」

 また落ち込みそうになってしまい、大神は慌てて言葉を続ける。

「よし、犯人を探そう!このままじゃ俺も悔しいし、アイリスもくやしいだろう?」
「でも、見つかるかなあ?」

 アイリスの超能力に過去視覚能力は無い。

「だいじょうぶ、俺も協力するよ。二人でこの事件を解決するんだ」

 見つけたら少し分けてもらえるかも知れないと言う、情けない動機もあった。
 このことをアイリスが知ったら何と言うことか。
 アイリスに、心を読まないように教えておいて良かったと言うべきなのだろうか。

「・・・うん。えへへ。なんだかアイリスたち。たんていさんみたいだね」

 幸いにも、アイリスの気分は明るくなったらしい。
 さらに、幸いにも、大神の情けない思惑はわからなかったらしい。

「ハハハ、そうだね。じゃあ、捜査開始だ」

 かくて、帝劇中を探し回る探偵ごっこが始まったわけだが、ケーキを分けてもらうぐらいじゃ割に合わない労力を費やして、 ようやく犯人を突き止めるのは日も暮れる頃になってであった。



次へ



目次に戻る。
二階に戻る。
帝劇入り口に戻る。
夢織時代の扉に戻る。