食堂でもかなり高級な物を食べるときは費用が追加でかかり、食堂の高級食の料金負担というのは、花札の賭ネタになることも多い。
その他のデザートや紅茶などは、別扱いである。
また、帝劇外に外食に行く場合は当然自己負担となる。
今回、大神が陥った状況は、この、盛大な自己負担の分である。
「まあ、こういうことなら、あたいは許してやっていいけどな」
こう言うことになっても、カンナの爽快さは変わらない。
煉瓦亭で料理が出てくるのを待ちながら、カンナの機嫌は上々であった。
「・・・・・・・・・・・・・・。」
対して、無言で目が冷たいのはマリアとすみれの二人である。
さっきから、一言も喋っていない。
すみれは夜会で、下卑た男の視線を浴びることは嫌というほど経験しており、
そういったしがらみから逃げたい心もあって(それだけが理由ではないが)、帝劇にいることもある。
あの男どもとは違うと信じていた大神が、こんな愚行に及んだことが許せないのであった。
マリアはというと、冷たい瞳を装って、その裏で思いに耽っていた。
どちらにも、素裸を見られたわけではないが、ニューヨーク時代、自分を支えてくれた男のことを思い出していたのだ。
軽薄そうに見えながら、最期は自分をかばって死んでいった男・・・。
ときどき、あの男と大神とを重ねている自分がいる。
大神に、あの男の代わりを求めているわけではない。
それはわかっている。
わかっているつもりであった。
一方、ずーっとふくれっ面なのはアイリスである。
不機嫌を隠そうともせず、時々大神に向けて細かな火花が飛んでいるのが、霊力のある人間には見えることだろう。
帝劇内ならともかく、ここで爆発されては後が大変である。
仕方無く、かすみが助け船を出した。
「アイリス、大神さんはね、アイリスを大人の女性とみているから、あんなことをしてしまったのよ。
だから、許してあげたら?」
ずるい・・・・・・・・・・。
聞いていた他の面々は、一様に思った。
アイリスに対して、大人の女性と言う言葉は殺し文句に近い。
「ホント・・・・?」
案の定、アイリスは表情をずいぶんと和らげて、かすみに確認する。
「そうよ、だって、子供だと思っていたら、シャワーを覗いたりはしないわ」
アイリス以外にもシャワーに入っていた面々がいたことなど考えないように、念押しする。
「ん・・・・、それじゃあ、お兄ちゃん、今度は許してあげるね・・・・。
だけど、いーっぱいごちそういただくからねー」
かすみと由里の二人は、内心で手を打って喜んでいた。
これで、煉瓦亭から帝劇に請求書が来ることは避けられた。
さて、もう一人の当事者、さくらはと言うと、ずっとうつむいたまま、全然顔を上げる様子がない。
恥ずかしくて、大神の顔がまともに見られないのである。
覗かれたことを責めるより、大神に覗かれたという事実の方がさくらの頭の中を支配していた。
制裁をたたき込んだ後、さくらは自分がわからなくなっていた。
同時に、自分自身に対する自信もなくしていた。
結局、何も言わずにうつむくしか出来ないのである。
今は、出来ればマリアやカンナの姿も見たくは無かったのだ。
大神から一番遠い席に座ってしまう自分が、嫌いであった。
煉瓦亭の照明が影を作って自分の顔を隠してくれることだけが、今のさくらの救いであった。
大神の隣に座ることになったのは、あまり嫌悪感のない紅蘭と椿であった。
もっとも、紅蘭は、自分の薬の塗った跡の観察をしているようにも見えるが。
しかし、大神に罰としておごらせて来ている割に、誰も大神を直接罵らないのは、それなりの理由がある。
今、大神は、一人で六破星降魔陣を成就しそうなくらいの、どんよりとした空気を漂わせて落ち込んでいた。
事情が事情とはいえ、ここまで惨めな姿を見せられては、追求する気も失せるという物で。
大体、みんなそろって色々と注文する中、大神は何一つ注文せずに落ち込んでいたのである。
自分の行動に対する自己嫌悪と、そして、来るべき困窮生活への絶望で。
伝票整理の達人である大神一郎の頭脳は、こんな時でも悲しいくらい正確に働き、みんなが注文した料理の合計金額と、
さらに追加で注文されるであろう料理の予想金額を、ほぼ正確にはじき出していた。
そして、頭の中でつけられた帳簿の最下段には、赤々とした金額表示が輝いていた。
そんな大神をよそに、その料理の数々がやってきた。
「お、来たで来たで」
あれだけ散々頼んだ割に、料理が出てくるのがずいぶんと早い。
それも当然で、今煉瓦亭内には、この十人しか客がいないのである。
すこし飯時からはずれているとはいえ、こんなにも客がいないのは、帝都市民の財布のひもが、
災害からの復興のためにずいぶんと堅くなっているからである。
煉瓦亭は、六破星降魔陣の被害から、真っ先に営業を再開した店の一つである。
再開当初は、帝都市民の住居そのものが被害にあっていて、自宅での調理が不可能な者が多かったこともあって、
連日長蛇の列が出来ていたが、政府が早急に対策を講じ、水道などの普及に務めたことで、やがて自宅で調理する者が増えていった。
そうなると、今度はみんな、外食を避けて支出を抑えるようになってきたのである。
そんなわけで、こんなに煉瓦亭が空いているのである。
しかし、これは助かったと言うべきだろう。
余人がいるようなところで、花組スタアを覗いたなどという醜聞話が出来るわけがないのである。
なお、煉瓦亭の店員たちは口が堅いので知られていて、彼らから話が飛ぶことはあるまい。
「・・・まあ、隊長も反省しているようですし、今回の行動については、この料理で手を打って、処分猶予としましょう。 以後、こんなことの無いようにして下さい」
マリアが、食事が来たのを見計らって言葉を絞り出す。
その言葉から、先ほどまでの苦悩を感じさせることはない。
「ほな、さくらはんも、そういうことで許してやりな」
紅蘭が場を取りなすようにさくらに声をかける。
「は、はい・・・・・」
蚊の泣くような、か細い声で一応の肯定の返事が返ってきた。
「なんや、大丈夫かいな、さくらはん?」
「え、ええ・・・・・」
「あたいもそういうことで構わないぜ」
カンナは今にも食事に取りかかるところ、と言った状態で相づちを打つ。
当事者たちが一応とはいえ納得したので、すみれも内心おだやかではないが、あえてとやかく言わずにおくことにした。
「よかったですね、大神さん」
椿の慰めが、大神の頭にどう響いたかは定かでないが、
「それじゃ、いただくとするか!」
カンナの声を合図に、大神にとっては地獄の宴が始まった。
「大神さん、払えるんですか?」
金額が金額だけに(客がいないと言うこともあるが)、店長が精算をやっているが、その口調はどちらかというと同情めいている。
この銀座に置いて、知名度だけなら大神はかなりある。
ただのモギリとしては不相応な丁寧な態度や洗練された物腰、容姿などから、大神自身も実はかなりの人気があり、
降魔陣発動前には、ここで大神の話をする女性の姿も多かったのである。
それに、店長自身も帝劇花組のファンであるのだ。
「これだけになるんですが・・・」
「なんとか、ツケていただけませんか・・・・」
亡霊のような声でそう言われては、思わず首を縦に振りそうになるが、こちらも仕事である。
「それがねえ、こちらも立て直すのに借金があったり、最近はお客さんもあんまり来ないし、結構苦しいんですよ」
被害が黒之巣会によるものであるため、帝都防衛を任務とする帝国華撃団降魔迎撃部隊花組の隊長としては耳に痛い。
とはいえ、手元に金のないことも事実である。
「今の私の全財産が、これだけなんですが」
財布を逆さに振って、出てきた金額は、必要な金の七割ぐらいである。
「なんとか当てがありませんか?彼女たちから借りるとか」
「それは勘弁して下さい・・・・・・・・・・・・・」
そんなことをすれば、せっかく猶予されている処分を召喚するようなものである。
「ツケてあげたいところですけど。スタアの皆さんならともかく、モギリの給料って高くはないでしょう」
帝国華撃団花組隊長の肩書きが使えれば何とかなるかも知れないが、それは秘密任務である。
大神は盛大に悩んだ。
しかし、帝劇に置いて、給料の前借りというのは原則として不許可である。
そも大神の現在の立場は、黒之巣会をうち倒した今、いつ原隊復帰を命じられるかもわからぬものであったので、次の給料が帝劇から払われるのではない可能性もあるのであった。
あやめさんにこんな理由で助けを求めるのもはばかられた。
悩んで、悩んで、悩んだあげく、一つの結論が出てきた。
「明日まで、待ってもらえます?」
「当てがあるんですか?」
「はい、なんとかなると思います、多分」
「じゃあ、今はここにあるだけでいいとしておきましょう」
なんとか、首はつながったようである。
「でも、大神さん。気持ちはよーく分かりますけど、覗きは止めた方がいいですよ」
大神は、背中で泣くしかなかった。
軽口を叩いたカンナは、そこで絶句してしまった。
大神の顔が、死人のそれを彷彿とさせるものとなっていたからである。
そう、
散々悩んだあげく大神が採った手段は、
前納している食費の一部を返してもらうことであった。
かくて、大神一郎の一日一食の困窮生活が、次の給料日、すなわち二週間後までの予定で始まったのである。