注。本稿は未完成の没原稿です。
プロジェクトX再開を機に、没原稿供養としてアップします。
基本的にオリキャラしか出てきません。
夢織時代の過去の対降魔部隊SSを読んでいると、登場人物が若干わかりやすくなります。



OHKニュース9



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 江戸の昔から人々の隣にあった東京湾。

 今ここに、帝都東京を見下ろす二つの塔が立っている。

 一つは太正十三年に帝都の盾となったミカサ船首。

 もう一つは太正十六年に爆発寸前に帝国華撃団により停止された新ミカサ。

 人類史上最高の建造物となった二つの塔には、同じミカサという名が付けられている。

 超弩級空中戦艦ミカサ。

 二度に渡って帝国華撃団とともに帝都を守り、その後空前の繁栄を帝都にもたらした空中戦艦の、

 遺跡である。

 太正時代を象徴するようなミカサであるが、その計画は実に江戸末期にまで遡る。

 かつて、ミカサは別の名前で呼ばれていた。

 星の龍、星龍計画。

 開国のさらに前より、明冶の文明開化を経て今に至る繁栄が、この計画とともにあったことを知る者は少ない。



これは、途方もない夢に賭け、義に応えた男達の、世代を越えたドラマである。



プロジェクトSS(オープニング)


天空を走る星龍

黒船来航 蒸気機関の衝撃

大江戸大空洞 人外魔境と呼ばれた場所

出力不足 不可能の烙印

維新が砕いた 技術への夢



夢の新技術

ハレー彗星が二度巡る

霊子工学界未曾有の天才

降魔戦争 霊子核機関爆発

そして、龍が天に舞う


天かける星の龍
〜人類史上最高の艦を作れ〜







『日本全国の皆様、こんにちは。アナウンサーの長曽我部崇です。
 えー私は今、海抜3780メートルの、地点におります。
 寒いし、すごい風だよ、これは……うああああっっ!!
 っとぉ、3780メートルといっても、別に帝都から離れて富士山に来ているわけじゃありません。
 ここはれっきとした帝都の目と鼻の先にある、ミカサ管理所の外。
 つまり、東京湾に突き刺さったミカサの半ば付近で……だあああああああっっ!
 これは放送にならないよ……、中に入ります』

バタンッ

『ふぅ、落ち着きました。
 さくらさんも外に出てみるといいですよ。
 そうしたら、袴が』

「……長曽我部さん!!」

『はい。
 済みません。
 ……しかし私も初めて来たんですが、これはすごい眺めですよ。
 浅草十二階に昇ったときもすごいと思いましたけど、あれでさえ100メートルも無いんですからね。
 文字通り桁が違います。
 雷様を下に聞くっていうやつで、間近にあるはずの帝都がかすんじゃっているんです』

「皆様こんにちは、アシスタントの真宮寺さくらです。
 ここは既に富士山の山頂より高いんですけど、実はさらに続きがあって、
 頂上は世界最高峰のマウントエベレストと同じぐらいまであるんです。
 すごいですよねえ……」

『太正十五年には通信塔として、旧ミカサが使われ、
 太正十六年には蒸気供給源としてこの新ミカサが使われて、
 すっかり帝都市民にはおなじみとなったミカサですが、
 実はつい三年前までは国家機密としてまったく知られていない存在でした。
 帝都の地下から出現したものだというのに、ミカサがどうやって出来たかは謎のままでした。
 ですが……』

「二年前に陸軍大臣がクーデターを起こすという前代未聞の不祥事が起こり、
 さらに今年の初めには陸軍が導入した新型兵器が暴走するという事態が重なりました。
 ここに至って陸軍は、失墜した市民からの信頼を取り戻すために、大幅な組織改革に取り組み、
 いままで闇に葬られていた数々の機密文書も公開されることになりました。
 その中に、あのミカサに関する記録があったのです」

『その資料の一部が今この仮設スタジオにあるんですが、
 これがまた凄い量なんだよなぁ……、
 ラジオの前の皆さんにはお見せできないのが、ちょっと残念。
 今日皆さんにお伝えする事実は、公開された資料と、
 資料に記されていた多くの人々を訪ねることでようやく明らかになりました。
 それは、私たちの想像を絶する苦難の歴史だったのです』

「しかし一方でその苦難の歴史が、
 維新後の日本の発展に直接関わっていたということも解ってきたんです」

『今こうして私たちが何気なく使っている蒸気の力が、
 どうやって使えるようになってきたのか。
 そのことにも注目してお聞き下さい』

「物語は今からおよそ九十年前、1835年に始まります」









 天保六年、1835年11月。
 日本中を、いや、世界中を衝撃が走った。
 天空全てを覆うほど巨大な彗星の出現である。

 彗星とは地球とともに太陽の周りを回る星の一つで、楕円軌道を描いて何年かおきに太陽に接近し、そのとき長い箒のような光を伴うことから帚星、転じて彗星と呼ばれる。
 しかしこの時代、この彗星の正体を知っていたのは欧州の天文台のみであった。
 18世紀のイギリスの天文学者エドモンド・ハレーが、様々な文献を調べた結果から76年おきに来る極めて明るい彗星を予言し、1758年にその予言が実際のものとなったため、ハレー彗星と呼ばれるようになっていた。

 だがもちろん、このころの日本はまだ鎖国の中にあって彗星の名前も素性も知らない。
 人々にとってその彗星は、当時もっと身近なものとして受け止められた。
 彗星がもっとも接近して輝いた日に生まれた赤子の中に、この彗星にちなんだ名前を付けられて後の日本を変えることになった男がいる。
 幕末の志士、坂本龍馬である。

 長い身体と尾を輝かせて星の海を渡るその姿は、まさしく龍に見えたのだ。

 その龍を、他の人間とはまったく違った目で見上げていた少年が大坂にいた。
 御笠宗吉。
 当時十四歳。
 周りの大人が龍を見上げて畏れおののいたり、酒を飲んだりしている中で、彼はとてつもないことを考えていた。

「いつか、あれをつくってやる」


 御笠宗吉は1821年文政四年に、大坂商人である御笠屋の長男として生まれた。
 御笠屋は紀州徳川家の御用達を務める一方で、長崎との取引で南蛮渡来の品を取り扱うことでも知られていた。
 そうして入手した中に、当時はまだ禁制に近い蘭学書もあった。
 宗吉は商人としての才能はそこそこだったが天性の科学の素養があり、小さい頃から蘭学書に記載されたからくりの図面を真似して妙なものを作っては、子どもたちの間で流行らせていた。
 しかし彗星を見たころから、その勉強ぶりは本格的になった。
 医学書ターヘルアナトミアを解体新書として翻訳した杉田玄白の「蘭学事始」などを入手して、蘭学書を読もうとし始めた。
 当時の日本で知られたオランダ語は基礎的なものに過ぎず、その信憑性すらも怪しかったが、宗吉は記載されたからくりを自分で再現することでオランダ語を徐々に自分のものにしていった。

 元々御笠屋の人脈があったこともあるが、蘭学に興味を持つ者が宗吉の周りに集まり始めた。
 紀州の下級武士だった松本孝雄もその一人である。
 紀州藩と御笠屋との取引を通じて知り合った彼は、算術が得意であった。
 漢数字に比べて圧倒的に計算しやすいアラビア数字を集団内に普及させたのは彼である。


 しかし1839年、天保十年に幕府は蘭学者への大弾圧を開始する。
 いわゆる蛮社の獄である。

 御笠宗吉たちの集団も当然その標的とされた。
 しかし、おとなしく捕まる宗吉ではなかった。
 彼はかねてからのつきあいがあった紀州藩が徳川御三家の一つであることを承知で、紀州に逃げ込んだ。
 逃げ込んだ先で紀州藩士である松本孝雄が奔走し、藩政を取り仕切っていた老中たちに直に話し合う機会を作った。
 その会見の場で宗吉は、試作中の蒸気機関を実演してみせたのである。
 宗吉は、星の龍を飛ばす動力として蒸気機関の採用を考えていたのだった。
 彗星を飛ばすには生半可な力では足りないことくらい解っていたため、とにかく西洋で最新の動力技術を選んだのだった。
 このとき宗吉が見せた蒸気機関は車輪などがついているわけではないピストン部分だけのものだったが、それでも凄まじい音と煙を上げて回転する蒸気機関に老中たちは腰を抜かした。
 驚いて声も出ない彼らを前に、宗吉は苦笑しつつこう言った。

「南蛮の最新技術はこれよりもっとすごい。
 研究して彼らに追いつく手段を整えておかなければ、大変なことになります」

 このとき宗吉は本音を口にしないように苦労していたという。
 出来ることなら、鎖国などすぐに止めてもらって欧米に留学しに行きたかったのだ。
 しかしこのときそれを口にするのは危険すぎた。
 やむなく、技術の必要性を訴えることに賭けたのである。

 その賭けに宗吉は勝った。
 紀州藩は密かに宗吉らの集団に協力を約束し、無罪放免となり再び研究に携わることができるようになった。
 結果としてこの後、宗吉らの学問は蒸気機関を中心にしたものになっていく。
 やはり長崎越しに届く情報は断片的であり、蒸気機関についても宗吉は自分で考えねばならないことが多かった。
 そのため宗吉らの蒸気力学はかなり独創的であり、当時西洋でも知られていなかった現象のいくつかを宗吉は掴んでいた。
 例えば、現在蒸気灯に使われている蒸気と石炭ガスを混合した気体の発光現象を宗吉たちは西洋よりも五年早く発見している。


 宗吉が紀州で結婚し、研究に追われながらも長男宗一郎が誕生するころ、日本近海には欧米列強の船が日本近海に姿を見せるようになってきた。


 一応は秘密の研究となっていたが、その規模が大きくなってくるにつれて隠し通すことが難しくなってきた。
 1847年、弘化四年。
 宗吉らの研究はついに幕府の知るところとなった。
 だが、幕府から派遣されてきたのは投獄のための人員ではなく、幕府暦方を名乗る京極慶栄という男だった。
 のちの陸軍大臣、京極慶吾の祖父である。

「そなたたちの技術を見込んでやってもらいたい仕事がある。
 西洋列強のいかなる船にも負けぬ、最強の船を造ってもらいたい」

 この五年前には清国がアヘン戦争で英国に敗れており、幕府は危機感を募らせていた。
 しかし、鎖国を祖法とする幕府がよもや欧州流の軍艦を買うわけにはいかない。
 そこで宗吉らの研究に白羽の矢が立ったのである。

 だが、船という注文は宗吉にとって予想外のものだった。
 幕府は鎖国以来、国内において外洋船の製造を禁止している。
 このため、国内の造船技術は貧弱極まりなく、船という選択肢は最初から宗吉の頭に無かった。
 だが、受け入れなければどうなるかは、蛮社の獄で思い知らされている。
 宗吉は、幕府からの依頼を受け入れるしかなかった。

 幕府の依頼を受けたことで、二つの状況が改善された。
 一つは資金である。
 赤字続きの幕府とはいえ、さすがに国家存亡の危機に対処するための予算は惜しまなかった。
 このため、宗吉たちの研究は紀州藩に居たときよりも潤沢な環境で進むことになった。
 もう一つは、開発の場所である。
 新型兵器の開発は国家機密中の国家機密である。
 おいそれとどこかに置いておくわけにはいかない。
 京極慶栄が宗吉たちに提示した開発用の現場は、誰もが予想していない場所だった。
 この帝都の遥か地下にある大空洞、大江戸大空洞と呼ばれる場所だったのである。

 1804年、文化元年に発見されたこの空洞は、長さ数千メートルとも言われる由来不明の空洞だった。
 江戸の真下にして、誰にも知られない場所だった。
 宗吉は、大坂で生まれた次男創次郎の顔を見ることもできず、この地下空洞にこもることになった。
 時に1850年、嘉永三年。
 星龍計画は、100万都市江戸の足元で、人知れず始まった。

 しかしこのとき、宗吉すらもどうすれば星龍が形になるのかまったくわかっていなかった。
 宗吉の手には西洋のものとは違う形状の蒸気機関があった。
 高温高圧の蒸気を一方向に噴出させれば、その逆方向に物体が進行することは把握していた。
 宗吉はこの原理を使って竜を模した細長い物体を飛ばせないかと考えていたが、計画開始早々にそれではどうしようもないということがわかった。
 空を飛ばそうとするときに、空気から受ける圧力に支配されて物体がバラバラになってしまうことが予想されたのだ。
 宗吉は龍を飛ばすという夢が現実的ではないことをいきなり突き付けられた。

 とはいえ、宗吉が優れていたのは夢想家としてではなく、技術者たちのアイデアをまとめる力だったと言われている。
 このときも、宗吉は自分のアイデアを破棄して、船大工たちの技術を活用する方に舵を切った。
 だが、風に慣れているはずの帆船の構造を利用しようとしてもうまくいかない。。
 帆船は水の上に浮かんで、水をかき分けながら進む構造になっている。
 これを空に浮かべようとすると、水から受けるはずの浮力がなくなってバランスがとれなくなる。
 空を飛ぶ船。
 その形状からして躓いてしまった。



 星龍計画に参加した船大工の中に、御舟和政という男がいた。
 彼の作った船は、黒潮の荒波にも決して壊れないとカツオ漁師たちから絶大な信頼を寄せられていた。
 町人ながら、房州一の名人と讃えられたその腕を見込まれ、名字帯刀を許された。
 星龍計画に関わる者たちのほとんどは故郷から離れて江戸に居を構えていたが、御舟和政は月に一度は江戸湾に船を走らせて里帰りし、地元の漁師たちの船の手入れをしていた。
 宗吉とともに星龍の形状に行き詰っていた御舟和政は、里帰りした故郷で手入れする船の先端をあれこれと工夫していた。
 水面下に突き出た構造、鳥のような羽を持つ構造、帆柱を斜めに立てた構造。
 和政が狂ったのではと噂されたが、彼はいたって正気だった。
 試作した釣り船に乗せてもらい、太平洋の荒波にも出た。

 和政がその日乗っていたのは、カツオ釣りの漁船だった。
 



「俺が作りたいのは魚じゃなくて龍なんだが」
「鯉だって滝を登ったら龍になるじゃないですか。カツオを空に浮かべたら龍になりますよ」







 勝から星龍の処置を託されたものの、新政府には金が無かった。
 明冶政府は既にイギリスを始めとする国に多額の借金があり、それを返さなければならない上に、国内の軍備と産業を早急に整えなければならなかった。

「星龍計画実現の可能性は限りなく皆無に近かろう。
 それよりは国力を現実的な政策に傾け、一刻も早く欧米に追いつかねばならん」

 西郷と大久保は、星龍計画の無期限凍結を決定。
 同時に御笠宗吉を江戸幕府に与した罪で拘束し、日本有数の商家御笠屋は取りつぶしとなった。
 この苛烈な措置にはもう一つ理由があった。
 取りつぶした御笠屋の財産は新政府の財源とされることになったのである。

 だが、黙ってそれを受け入れる宗一郎ではなかった。

「御笠屋の奉公人は、皆俺の家族だ。
 誰一人、のたれ死にはさせない」

 没収されるはずの財産の約半分を隠した宗一郎は、その金を奉公人たちに分配し、仕事を与えるべく東奔西走した。
 創次郎もまた、星龍計画に関わった技術者たちを再就職させるためにかけずり回った。

 幸い、星龍計画技師たちの再就職は比較的明るかった。
 欧米から蒸気機関という知識が入ってきたものの、日本には蒸気技師が決定的に不足していた。
 黒船以前より蒸気機関に関わってきた星龍計画技師たちは、どこでも引っ張りだこだった。
 創次郎から当座の生活費を受け取るとき、鉄工の一人跡部慶介はこう誓ったという。

「必ず宗吉さんの恩に報います。
 いつか最高の技術者になって、星龍を造れるようになって、帰ってきます」

 西郷らの言う通り当時の力ではまだ実現が極めて困難であることを、技術者たちは自ら思い知らされていた。
 今のままでは政府要人たちを納得させることも、自分たちを納得させることもできない。
 日本の科学技術を鍛え上げ、いつかもう一度星龍に帰ってくるという思いを胸に抱いた中には、

 後に八幡製鉄所の筆頭技術者となった跡部慶介の他、
 海軍蒸気研究所の立ち上げから参加することになった門脇彦右衛門海軍大将。
 神崎忠義とともに神崎蒸気商会……後の神崎重工の設立に携わった松本孝雄。
 国産紡績機を作り、糸皇帝と呼ばれることになる帝国繊維社長、清水弘泰。

 維新後の日本を数十年で欧米に追いつかせ追い抜かすことになる技術者たちの若き姿があった。
 先進的な研究の続けられた星龍計画は実現こそしなかったが、維新後の日本を発展させることになったのだ。





 星龍を作り直すために必要なものは、強力なエンジンと、資金。

エンジン基本理論→仰木と横塚










 残る問題は、資金だった。
 日清戦争の勝利で得た多額の賠償金は八幡製鉄所に回され、国家予算は戦時の赤字を埋めるのに精一杯だった。
 星龍の再建造には膨大な金がかかる。
 門脇らが絶望しかけたとき、意外な人物から面会の申し出があった。

 元星龍計画蒸気技師にして、現帝国紡績社長、清水弘泰である。
 綿だけではなく上質の絹織物を生産して欧米に輸出していた彼は、当時日本有数の資産家にだった。
 京都の料亭でひとしきり再会を喜び合った後、清水は言った。

「今の私があるのは、御笠さんと星龍があってのことです。
 星龍を作るのならば、是非とも資金協力させていただきたい」





 御笠宗吉死去。
 享年七十四歳。





 まだ機関の出来ていない段階だったが、理論値から星龍の大まかな設計を作ることは可能だった。
 いや、作らなければならなかった。
 機関の完成を待ってから作り始めるには、星龍は……いや、ミカサは巨大すぎた。
 元々の星龍計画からして巨大な船体になることが分かっていたため、機関と船体とは同時進行で作らなければならない。

 創次郎と、御舟和政の息子和明は、横塚から借りた論文を参考にしてミカサの基本設計値を計算し始めた。
 まだ蒸気演算機が発明されていない明冶の半ばである。
 算盤のみを頼りにして、膨大な計算が始まった。

 霊子核理論の可能なエネルギー量の巨大さに圧倒されていたが、計算を初めてみるとこれをどのように使えばいいのかが問題となった。
 まず当初の星龍計画でも考えられていたプロペラ方式で計算したが、あまりにも効率が悪すぎた。
 それに、そもそも幾千のプロペラを周囲に装着した龍などあるだろうか。

 御舟和政の設計した準円筒形型でミカサを浮遊させると決めて計算をし直したが、やはり空気に対して浮力を生じさせる方法ではどうしても限界があった。

 二ヶ月の時が経ち、何千枚めかの紙を丸めてゴミ箱に投げ捨てたとき、
 重力に引かれて落ちる紙屑を何気なく見ていた創次郎はあることに気づいた。
 霊子核機関はエネルギーを純粋な力に近い形で取り出すことが出来るが、引力ではなく斥力という形で取り出すことも可能だった。
 引力が地球の重力に代表される引き寄せる力ならば、斥力はその逆で反発する力である。

 ならば、地球の重力を打ち消してミカサを浮かせることも出来るのではないか。

 普通の科学者ならば不可能と片づける思いつきだったが、常識を越えた計画に関わってきた創次郎はどんな思いつきでも検討してみることにしていた。
 単に斥力を発生させるだけでは、ミカサの部品と部品を反発させるだけで地球に対して作用させることは出来そうにない。
 ミカサにかかる重力をまるごとうち消すように働かせるためにはどうしたらいいか。
 再び膨大な計算が始まった。

 一緒に計算している和明から創次郎の奇想天外な発想を聞いた仰木も、機関造りの研究に直結するためしばしば足を運んで共に検討を重ねていった。
 設計図を書き直すこと二百七十五回。

 ついに完成したミカサの設計図は、内部に斥力を充填拡散させるための広大な空間をそなえたとてつもなく巨大なものだった。
 全長、8000メートル。
 霊子核理論通りの出力を出せる機関ならば、これほどの巨大な鉄の塊であっても十二分に浮遊させることが可能な設計となっていた。



 工事監督責任者である門脇は、材料となる鉄鋼の開発のために出向いていた八幡でその設計図を受け取った。
 ひとしきり大笑いしたあと、
 設計のとてつもなさに絶句している技術者たちに向かってこう言った。

「星の龍をつくろうってんだ。
 こうでなくっちゃ、伝説にならねえだろうが」



 こうして、ついに空中戦艦の再建造が始まった。
 しかし、本当の困難はこれからだったのである。





さくら「さて、ゲストをお招きしています。
    糸皇帝こと、帝国紡績前会長の清水弘泰さんです」

さくら「あのとき既に事業は紡績だけでなく織物全般に及んでいたそうですけど、
    

清水「私はこれで男爵位まで頂戴しましたが、叩き込まれた心意気はあくまで技術者なんですよ。
   星龍計画が無ければ今の私はありませんでしたし、
   帝国紡績の経営は順調でしたからそこでもう一度挑戦したくなったんです。
   だから資金だけでなく、自分でも現場に飛び込みましたからね」

さくら「さて、清水さんを始め多くの技術者たちがミカサの建造に着手しましたが、
    人類史上最大の艦を造る工事は、理論が揃っていてもなお困難の連続となりました」





 明冶三十二年1899年十月、ミカサの建造は大江戸大空洞の拡張工事で幕を開けた。
 帝都地下一万メートル付近に広がる大空洞は、元の星龍計画においてはそのまま使えるほど広大な空間だったが、
 新しく作られるミカサを建造するには、長さ8000メートル、高さ4000メートル、幅2000メートルという
さらに巨大な空間が必要だった。
 しかし、大空洞付近の岩盤は帝都地表部とは比べ物にならないくらい頑丈であり、いつ作業が終わるか分かったものではなかった。
 さらに門脇彦右衛門技術中佐を団長とする技師団は、作業開始後二日で人型蒸気を用いた作業法を諦めざるを得なかった。
 人型蒸気が振るうツルハシの半分以上が、岩盤の強度に耐えきれずに折れてしまったのである。

 悩んだ末に門脇は、ダイナマイトを使用することにした。
 1867年にスウェーデンのノーベルが発明したこの高性能爆薬は既に世界各地の天堀型鉱山で使われていたが、
 地下を掘るに使われるのは初めてのことだった。








 建造開始から一年あまりが過ぎ、工事が順調に進んでいるように見えたある日、ミカサの底部で作業していた技術者の一人があってはならないものを発見した。
 厳密に計算されて作られたはずのミカサの船体が、一部で歪みはじめていたのである。
 驚いた御舟和明は慌てて設計図の再計算をやり直したが、間違いはなかった。
 しかし実際にミカサの底部に、計算を大きく上回る重量がかかり、船体が歪んでいた。

 鉄で出来た艦は錆を生じて重くなることはある。
 だが戦艦が錆びついては困るため、錆対策は当初から八幡製鉄所の総力を挙げて行われていた。
 鋼板は、表面にわざと生じさせた酸化膜に保護されたまま、塗装を待っている状態だった。
 重量が増えているはずがないのに、組立前の待機鋼材の重量は確かに増えていた。
 地上に保管していた鋼材は重くなっておらず、大空洞に持ち込んだ鋼材は重くなる。
 しかも一度重くなった材料は、地上に持って帰っても重いままだった。

 原因究明と解決策を求めて持ち込まれた材料を解析することになったのは、本来素粒子学を専攻とする横塚教授その人であった。
 重量分析、成分分析を終えた横塚は仰天させられることになった。
 鉄鋼は全て、原子レベルで質量が増加していた。

 あらゆる物質は原子で出来ていて、普段の私たちが見る物質の変化はその原子同士が結合し、あるいは離れることによって起こっている。
 原子そのものの重さが変わることは無い。
 それが常識であった。

 しかし分析の結果、本来質量が56であることが最も多い鉄が質量58に、炭素は12から13へと。
 原子の性質に関わらない中性子という素粒子が加わり、あらゆる原子が重くなっていた。

 横塚の研究する素粒子学では本来極めて高いエネルギーを必要とするはずの反応が、
 当たり前のように起こっていた。
 横塚は今さらながらに大空洞の異常さを思い知らされていた。







 仰木の死後、
 当時大学四年生だった阪本一が計画への参加を希望したが、横塚は許さなかった。
 霊子核機関は常人の手に余る。
 生半可な技術力の若者が手を出せば、仰木の二の舞になることは分かっていた。

 むろん横塚自身も納得していたわけではない。
 仰木が命を賭けた研究をそのままにしておくことに、技術者として敗北感を味わい続けてきた。

 そんな横塚の心境を変えたのは、仰木の妻美千子だった。

「先生。
 この娘が大きくなったときに、父は何故死んだのか、何のために死んだのか、
 教えてやれるものならば、どうか教えてやって下さい」

 当時国家最高機密だったミカサの開発陣は、家族にすら何の研究をしているのか明かすことが許されていなかった。
 母に連れられて来た娘頼子はこのとき七歳。
 ただ悲しみにとまどうその瞳が、横塚には忘れられなかった。

 この子の父の死を、自分の愛弟子の死を無駄にしてはならない。
 研究室を閉鎖してミカサ建造に参加することを考え始めた横塚だったが、多くの未来ある学生を抱える身でそれは別の苦悩とのせめぎ合いになった。

 そんな折、ミカサの仕事とは別に軍から妙な申し出があった。

 
 山崎真之介陸軍特務少尉。
 当時十八歳になったばかりだったが、この前年に陸軍の人型蒸気の寿命を一挙に1.8倍にする伝達系の開発の他、画期的な発明をいくつも作り出していた。
 


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長曽我部「今夜はもう一人ゲストをお招きしています。
    門脇海軍大将の下で蒸気技術を学ばれた、神崎重工蒸気技師永田太さんです」


永田「いやあ、おやっさんは厳しいっていいますか。
   人には優しいんですけど技術には妥協しない人でしたね。
   居眠りしても怒らないけど、疲れて手を抜くくらいなら昼寝しろって言われました。
   最期に俺たちに託した言葉が今でも忘れられません。
   神崎重工が世界一の蒸気重工会社になれたのは、おやっさんの遺言のおかげですよ」


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 度重なる天変地異によって大空洞への道すら閉ざされていたため、川崎工場から遙か地底まで坑道を掘ることになった。
 それでも半世紀前から飛躍的に進歩した作業用人型蒸気が、わずか三ヶ月でミカサのある空洞まで掘り進めた。

 確認のため真っ先に飛び込んだ創次郎だったが、大破したというミカサの姿を見るのは恐かった。
 再建すると言っても果たして可能なのかわからない。
 降魔戦争の三年間、特に最後の一年間は、門脇を始めとする帝都近郊にいた多くの技術者たちの命を、その技術もろとも奪っていた。
 ミカサの船体が粉々になっていたらもはや再建など出来ない。

 降魔の首領との激戦が行われたという胴体部分にたどりつき、照明灯を点けた創次郎は息を呑んだ。
 ミカサは通気口から大きく船体が裂けて瓦礫となって散らばり、無惨な姿をさらしていた。
 同行した技術者達は皆そろって失望のため息をついた。
 だが、ミカサをよく知る創次郎にとってはその姿はまったく別の意味を持って見えた。
 ミカサの大きさを考えれば、直径数百メートルの穴さえも全壊ではない。
 しかも口を開けているということは、船体上部は崩壊せずに残っているということになる。
 ミカサに近づいて船体を調べた創次郎は感嘆させられた。
 核機関の爆風が直撃した通風口以外の船体は、ほとんど原形をとどめていた。

 清水と跡部の創った繊維強化鋼は、核機関爆発の衝撃に耐えていた。

 さらに驚くべきことに、爆発の元となったはずの六基の霊子核機関は、無傷のままで残っていた。

「これなら、十分再建出来る。
 今度こそ、星龍を飛ばすことが出来るぞ」

 創次郎の呼びかけに、生き残った技術者たちが再び集まった。
 御舟和明が政府から下された命令に応えて、帝都と一体化したミカサに変形機能を付け加える再設計を行い、
 霊子核機関からのエネルギー供給機構の再構築は、帝大横塚研究室の卒業生で再度志願した阪本一が、横塚教授を説き伏せて参加した。











 隣では老人がうわごとのように「この世の終わりじゃ」と言っていた。
 まさしくその通りの地獄絵図となった帝都に、さらに大地が揺れた。
 この上さらに地震まで起こるというのだろうか。
 しかし、そのとき低い音が聞こえてきた。
 忘れられるはずもない、帝都の遙か地下深くで幾度と無く聞いた、霊子核機関の振動音だった。

「まさか……」

 帝都が裂けて、そこから人智を超えた存在が姿を現した。
 しかし、創次郎だけはそれが何か、その大きさがどれほどか知っていた。
 全長八千メートル。

「ミカサだ!」

 宗吉がハレー彗星を見てから八十九年。
 星龍がついに帝都の上空に浮かび上がった。
 帝都全土にはびこっていた魔物が、今にも幼子を殺そうとしていた魔物が、
 霊子核機関に吸い寄せられるようにして上空へ舞い上がっていった。
 集まってくる魔物達を全て吹き飛ばすかのように、門脇が心血を注いで作り上げたあの九十三センチ砲が、ついに放たれた。
 帝国華撃団を阻んでいた魔城の門が、跡形もなく砕ける音が響いた。




アナウンサー 長曽我部崇 真宮寺さくら
語り 大河原一美
制作 OHKエンタープライゼス20