つかの間にて 追憶、年末番外編 |
年の瀬が迫った帝都を、真之介はどこか空虚な目で見つめていた。
魔術無しに、自分に翼が生えてこの街並みを冷ややかに見おろしているような気がした。
目を閉じれば瞼の裏に・・・いや、網膜にと言った方がより近いかも知れないが・・・焼き付いている鮮やかな赤のイメージ。
タンパク質に囲まれながら、酸素を抱え込んだ鉄イオンの色に過ぎない。
そのはずだった。
あれは・・・それだけのものに過ぎない。
なのに・・・何故だ。
あの赤が、生きている気がする。
常に自分を取り巻いている感覚がある。
そのとき決まって、光刀無形を隔てて感じた感触も同時に蘇るのだ。
同時に、耳の奥で幾重にも反響する叫び。
生々しい感覚の蘇った両手で耳を覆ったところで、無意味だと言うことは実証済みだ。
あれは、物理的な空気の振動ではない。
あわただしく動く人々も、通りの真ん中で空虚に立っている銀髪の美しい青年の漂わせる、表現しがたい雰囲気に、かすかに揺らぐ。
その場から、大地が揺らいで消え果てるような幻。
ただそこにいるというだけで、そこはなにか別世界のようになっていた。
どれくらいそうしていたか。
ふと我に返った。
そばに、いて欲しい人は、いない。
あわただしく買い物を済ますことにした。
正月用品もそうだが、それ以上に、紙切れに書かれてあるいろいろな物品を買い込んでいた。
診療所の院長から言われて注文し、ようやく受け取ったもののなかには、なんとも正体の分からないものもある。
これが本当に役に立つのか・・・。
どうも、薬の材料とのことだが、真之介は薬学はさほど詳しくない。
診療所の真田院長に、あやめの治療法をいろいろと教わっているのだが、いまいちよくわからない。
あやめがゆっくりと快方に向かっているのは解るのだが、未だに意識を取り戻していない。
巨大降魔を封じてから来年の初頭には一ヶ月が経つ。
あやめと二人でかけた封印がどれくらい持つかは不確定要素が強いが、真之介は大体それくらいだろうと見ていた。
少なくとも、それまでには回復して欲しいと思うのだが、同時に、そのままでもいいのかも知れないと思う。
意識を取り戻さなければ、少なくとも戦場に連れて行かなくても済む。
だがそれ以上に、あやめがそばにいてくれないということが、真之介には不安だった。
自らの意識にこびりついた、あの感触と感覚が消えない・・・。
買い物をしているときも、真之介の目はどこか違う世界をのぞき込んでいるような印象を与えていた。
「・・・」
「おお、帰ってきたか、真之介」
あやめの病室に戻ると、一馬が来ていた。
真之介がここのところ、対降魔部隊の執務室や研究室に戻っていないので、用件があるときは一馬か米田がこちらに来るようになっていた。
「見ての通りだ」
真之介はため息とともにそれだけを口にした。
あれ以来、真之介はずいぶん無口になったと思う。
あやめのことを心配しているから、だけではないはずだ。
あの日、仙台から慌てて帝都に戻ってきて、行方不明になっていた真之介とあやめをこの病院でやっと見つけたとき、何かが違っていた。
元々無愛想な男だったが、少なくとも仲間内では笑うことがあった。
しかしこの一ヶ月、一馬も米田も、真之介の笑顔をまったく見ていない。
いや、表情を変えることすら珍しくなった。
怒りすら、見せない。
そして、もう一つ気にかかっているのは、真之介が大空洞で起こったことをほとんど話そうとしないことだ。
一応の報告は、軍管理部に出しているが、内容はというと、
第三十四側道の最深部にて巨大降魔が出現。
調査に向かっていた帝大の学者は全員死亡。
第二陣の企業研究者のうち三名死亡。
残り九名は生存。
第八詰所の担当兵全員が死亡。
巨大降魔に対し暫定的な封印を実行し、その際、藤枝あやめ少尉が意識不明。
と、連続しない事実だけである。
もう一つ、その日の未明に水無月少将と彼の派閥の人間が、料亭で全員惨殺されている。
そのとき、料亭の店員は全員眠らされていたという。
軍情報部の報告によれば、詰所の襲撃と同じく、正体不明の魔物によるとのことだが、いかにも胡散臭い。
正体不明の魔物が大空洞から出てきたというのに、調査がそこで終わっている。
どこかで、情報が止められているのだ。
大体、術法を使い姿を確認させないような高等な魔物が今帝都を徘徊していたら、一馬は確実に察知できる自信がある。
おそらく、実行者は魔物ではない。
そして、米田が二週間で調査したところによると、軍情報部で、対降魔部隊解散の書類がやりとりされた跡があった。
そして、大空洞の封鎖命令も。
発行者は、水無月少将。
これが意味するものは、つまり・・・・。
真之介は、何も語らない。
自分が初めて人を斬ったのは、いつだったか。
米田が初めて人を斬ったのは、いつだったろうか。
対降魔部隊・・・・。
本来なら魔を相手にするはずの、人間とは戦うはずのない・・・、米田が目指した、人間を守るはずの部隊。
だからこそ、若い真之介やあやめがいることも、かろうじて容認していたのだが。
魔を敵とすることと、人を敵にすることと、
どちらが過酷なのだろうか・・・。
「封印した巨大降魔への対応だがな・・・」
真之介が、かすかに注意を向ける。
「まだ決定していない。米田さんが動いてくれているが、どうも軍内部の足並みが整わない状況だ」
「整わない・・・?」
「ああ。何か、軍内部で降魔を使役しようとする動きがある」
一馬は極力感情を押し殺すように言った。
本音を言えば、怒りをぶちまけたいところなのだ。
魔を狩る者の血統としても、また、人間としても、降魔を使うということは賛成などできない。
だが、今の真之介の前で、その感情を見せるのは危険だった。
彼に、どんな影響を及ぼすか解らない。
「あれは殺す。必ずだ」
真之介の目は鋭い。
あやめを傷つけた降魔への憎しみだろうか。
それは、危険なのだ・・・。
「真之介」
無言で、真之介は反応する。
「降魔とは、人の負の感情が結集したものだ。その降魔に、同じ感情をぶつけては、自分自身もおとしめることになるのだぞ・・・」
「既に聞いた」
どうにも、聞く耳を持たないという気配だ。
ただあやめが傷つけられたということでは無いのかも知れない。
大空洞の底で何があったのか。
それが解らなければ、説得も無意味なものになってしまう。
しかし、何度聞いても明確な答えは返ってこなかった。
今は、同じく大空洞の底にいったあやめが回復してくれることを願うしかないのか・・・。
「よし、帰ってきたな」
振り向くと、この診療所の真田院長が来ていた。
一馬は軽く会釈する。
初めは半信半疑だったが、この男装の女性が生半可な心霊術士ではないことは、ここまであやめを回復させたことからもわかる。
「院長、一応言われたものはそろえてきたぞ。あやめを早く回復させてくれ」
「どれ」
真之介の買い物袋から、なんだか訳の分からない物体を取り出してふんふんと鑑定してから、
「一時間ほどかかるから、それまでに禊ぎをしておいてくれ」
と言って、調合室に消えた。
「禊ぎ・・・?」
真之介と一馬は顔を見合わせた。
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一時間後、この寒い中冷水を浴びてきた真之介は、着物姿であやめの病室にいた。
どうも、儀式か何かをやるらしいというのは読めた。
しかし、真田はあやめが清浄の巫女と言うことを知っているはずである。
下手な霊力干渉が危険であることはわかっているはずだった。
一馬も気になるのでまだここにいた。
「よし、始めるぞ」
またもや唐突に、真田が現れた。
手にした茶碗を真之介に差し出す。
中には、なんとも形容しがたい色の液体が入っていた。
香りは悪くなかったが。
「この薬で、一時的に君の霊力を変換してあやめくんの霊力にあわせる。その間に君が彼女に霊力を注ぎ込み、回復させるんだ」
願ってもない話であった。
医者ならぬ我が身を呪いつつこの数週間悶々としていたのだ。
最後の実行が自分の手であるというのは、今の真之介にとって、ささやかな喜びであった。
「しかし、注ぎ込むと言ってもどれほどの霊力を使うのだ?」
久しぶりに表情が和らいだ気がする真之介を嬉しく思いながらも、気になったことを一馬は口にする。
こういう治療では、単純に一与えたら一回復するというものではないのだ。
移動中の損失も大きい。
「気にすることはない」
真之介は平然としたものだ。
「全力を注ぎ込めば、それで済むこと」
躊躇のない答え方はいっそ爽快ですらあった。
それを聞いて一馬も覚悟を決めた。
最悪の場合は、どちらかだけでも救うことになるのだろう。
「手順の説明の必要はないな」
真之介は頷くと、薬を一気に飲み干した。
身体の内部が作り替えられるような、壮絶な感覚が全身を走る。
だが、かまわずに全身の霊力を振り絞る。
あやめの心臓近くに手を当てて、ゆっくりと送り込んだ。
こんなときであっても、あやめに対しては真之介は無茶な行動はしなかった。
あやめ・・・目をさましてくれ・・・・
俺に・・・微笑みかけてくれ・・・・・
その思いのままに、真之介は霊力を注ぎ続けた。
真之介は、端から見ているだけでも疲労が蓄積していくのがわかる。
厳密に言うなら、生命力の消耗が激しい。
しかし、真之介は止める気はなかった。
あのとき、大空洞の底であやめが受けた苦しみはこんな物ではない。
自分が、それに負けるわけにはいかなかった。
バッ
皮膚のどこかが裂ける音がした。
次いで、頬から。これは見てすぐにわかった。
一馬は一瞬動きかけたが、思いとどまった。
真之介の目は、まったく衰えていない。
この三週間の死人のような瞳が信じられないほど、力に満ちていた。
「真之介・・・。おまえは、弱くない・・・」
我知らず一馬はつぶやいていた。
その言葉に後押しされるように、真之介はより一層の霊力を振り絞る。
そのとき、確かに生きている実感があった。
自分も、あやめも。
「あやめ・・・・・!!」
想いが、声とともに天を貫いた。
全ての闇を払えと叫ばんばかりに。
自分がここにいると、帰ってこいと。
「・・・・・・」
「あやめ・・・」
触れている手から感じるあやめの鼓動が、かすかに変わったように思えて、どこか恐々としながら、今度はそっと呼びかけてみる。
その声に応えるように、うっすらと、あやめの目が開いた。
「・・・真之介・・・?」
紅さえさしていない可憐な唇が、まずその名を紡いだ。
「あやめ・・・・・・・」
真之介は、笑おうとした。
しかし、そこでぐらりと体勢が崩れた。
意識がふっと遠くなるのを、なんとか踏みとどまる。
あやめの前で無様な姿は見せたくなかったのだが、しかし、身体に力が入らない。
「もういい、よくやったな・・・真之介・・・」
一馬は傍らによって、真之介を支えつつ、即座に血止めの処置をする。
子供扱いされた気分になって、真之介はその手を振り払いたかったが、できなかった。
そのまま、眠りの中に落ちていったから。
「真之介?」
「君よりは、ずっと状態はいい」
倒れてしまった真之介を心配になったあやめに、真田は笑顔で応えた。
しかし、あやめの顔は心配そうなままだ。
どうやら、自己紹介から始めないといけないらしい。
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寝台の上・・・?
真之介が目を覚ますと、そんな感覚があった。
まともに眠ったのはずいぶんと久しぶりという気がする。
このところ、夜はあやめの寝台の横に座って過ごしていたからだ。
首を動かすと、何だか見覚えがある場所だ。
なんのことはない。
あやめが眠っているはずの病室ではないか。
そこで跳ね起きた。
「あやめっ!」
病室の扉を開けると・・・なんだか料理のいい匂いがする。
まさかと思いつつも、診療所の台所へつかつかと歩いていく。
ガラッ
「あら、真ちゃん、起きたの?」
「あ、真之介、おはよう」
「おはようじゃないっっっ!!!」
思わず大声を上げてしまった。
台所では、おせち料理の準備がちゃくちゃくと進んでいるところだった。
何故かここにいる太田斧彦と、まだ病人姿のあやめが椅子に座ったまま、てきぱきと仕事をこなしていっていた。
「俺は何日寝ていた?」
どうやらまだ正月は来ていないようだが・・・。
「一日半ってところよ。今日は大晦日」
「待て、病人」
軽くあやめの襟元をひっ掴む。
「おまえはいったい何をしている・・・」
「見ての通り、お正月に備えておせち料理作っているの。真田さんはお料理が得意じゃないらしいから、お世話になったお礼もかねてよ」
額に青筋立てんばかりの真之介に対して、あやめは極めてにこやかに応える。
ともすれば、その笑顔に吸い込まれそうになるのをこらえながら、真之介は声を荒げた。
「三週間意識不明の重体だった人間がやっていいことじゃない・・・!」
「ああ、いいんじゃねえか。真之介ぇ」
背後から聞き慣れた声がかかった。
「少しは、女心ってのをわかったほうがいいぜ」
帝国陸軍中将にして対降魔部隊長、には決して見えない状態の米田が、一升瓶の腹で真之介の頭をこづいた。
「お正月になったら、しっかりと休むから・・・。今は、黙ってて」
襟元をにぎったままだった手に、そっと触れられながら見つめられて、真之介は返す言葉がなかった。
「真ちゃん。好きな男に自分の手料理を食べて欲しいっていうのが、乙女心ってものよ」
斧彦がそっと小声で教えてくれた言葉に、真之介は釈然としないものを感じながらも、それで引き下がるしかなかった。
「おーい、真之介。動くのに支障がないなら大掃除を手伝ってくれ」
三角巾で完全武装した姿の一馬が、真田とともに雑巾を装備しつつ声をかけてきた。
そうすると、あやめのこの行動は真田院長の許可済みらしい。
「掃除が終わったらみんなで年越しそばだからね」
「よし、それじゃあ俺もやるかあ」
米田まで腕まくりして、はたきを手にする。
どうやら、行く年来る年をここで迎えることが既に決定しているらしい。
「えーい、どいつもこいつも・・・・!」
叫びつつ・・・その一瞬、真之介は確かに、身体にこびりついていた幻影を忘れていた。
そして翌年、封印の消滅とともに、降魔戦争は新たな局面を迎える。
もう一つの第十話目次に戻る。
帝劇入り口に戻る。
夢織時代への扉に戻る。