「お前は愚か者だ」
周りの全てを無視するかのように、京極は言い放った。
「愚か、か」
自分でも口にしてみる。
あまり、実感はない。
「裏御三家ごときの、宿命に殉ずる程度の男だったのか」
口調が強くなる。
この男が怒りを露わにしているというのは珍しい光景だ。
これまでに一度しか見たことがない。
「……殉じたつもりは、ないよ」
素直に自分の気持ちを言ってみたのだが、京極はそれを否定する。
「結果は、同じだ。
真宮寺一馬という希代の才能が、滅ぶ」
推定でも推測でもない。
それは断定の口調だった。
そして、自分の身体がそれを全身で肯定していることも同時に感じていた。
「惜しい」
「引き抜きの件ならば、一度断ったはずだけどね」
「いいや、その力はいずれ私のものにしてみせる」
奇妙なことを言った。
自分がもう長くないことを、今しがた断言したのはこの男ではないか。
いつか、など、無い。
それらの思いをまとめて、ふっと微笑んだ。
京極の眉が微かにつり上がる。
どうやら、気に入らなかったらしい。
「交渉ごとを始めてしまっては汽車に乗り遅れてしまうからね。
今生の別れとなるが、これにて失礼するよ」
三階級上の人間に向かって言う口調ではない。
だが突き詰めれば同い年なのだし、そもそもこの男は無暗に階級にはこだわらないところがあった。
真之介君にも執心だったと聞いている。
「今一度、会うことになる……」
横を通り過ぎるとき、先ほどと同じく事実を断定するように京極はささやいた。
「……地獄で、かな」
「お前は、愚か者だ」
最後の言葉には、口調とは違う音色がこもっていた。
陸軍省の建物を出て、琴音君……今度中尉になることが決まったらしい……が運転するケ型に乗って東京駅へと向かう。
人の流れがある。
ようやく平和が戻ったことに安心して動いている人々の顔がある。
「宿命……か」
不本意ではあるが、結果としてはそういうことかもしれない。
帝都を守ることには成功した。
ただし、代償と引き替えに。
そのことを考えずにいることは不可能だが、それでも今の帝都を見ていると安堵できる。
行き交う人々一人一人にも、家族がいるのだろう。
かつて、父もこの都に来た。
母もこの都に来た。
どうやら、権太郎も一緒に来たらしい。
詳しくは聞き及んでいなかったが、時期を考えれば今ではある程度の想像がつく。
維新直後の戦いに関わったのだろう。
相手が誰だったのかも、この五年でおおよそ知ることが出来た。
その働きと引き替えに、仙台藩は冷遇を免れたということも。
魔との戦い。
父は結局、長くは生きられなかった。
「母上、何故ですか」
十歳かそこらの自分だ。
幼い自分は、悲しいのが自分だけだと思っていた。
「父上は、何故亡くなられたのですか」
経過を尋ねているのではない。
魔との戦い、真宮寺家の宿命。
そんなことが何だというのだろう。
自分は、父に生きていて欲しかった。
傍にいて、話して、鍛えて、抱きしめていて欲しかったのだ。
もはや、絶対にかなわない。
あのとき、母は何も答えてくれなかった。
だが、自分のことを抱きしめて、泣いていた。
それが何より雄弁な応えだったと、今ならばわかる。
今は、自分も父親だったから。
使命のために戦っていたのではない。
宿命などに従っていたのでもない。
戦わねば、愛しいものを守れないから。
好むと好まざるとに関わらず、裏御三家最後の正統となった真宮寺家の者には必ず魔の気配がつきまとう。
自分が初めて魔物を切ったのは七つの時だ。
つきまとうだけではない。
駆り出されると言ってもいい。
父はそれまでに、計り知れないほどの魔を倒していた。
だからこそ、子供の自分でも生き抜くことが出来た。
自分があれを封ずることも出来ないままに死んでいたら、まだ幼いあの子が魔との最前線に立たされる。
それだけは、させるわけには行かなかったのだ。
娘のことを忘れたわけではないよ、真之介君……。
意識が、三十八の自分に戻る。
彼に影響されたところは大きい。
裏御三家の宿命を、彼は真っ正面から否定していた。
それは、藤に連なる者であるあやめくんのためというのが第一だったのだろうが、
結局、彼はそれを直に否定して見せてくれた。
だから、自分も未だに生き永らえている。
永くはない、それはわかっている。
だが、僅かでも時間がある。
娘と過ごす時間を、彼がくれた。
代償は、計り知れなかった。
あやめくんに、済まないと思う。
帝都の中でも一際目立つ赤煉瓦の巨大建造物が見えてきた。
東京駅。
この駅に初めて降り立った時には、まだ帝都の価値に納得していたわけではなかった。
父がかつて来た街。
そして……。
米田の真摯な頼みが無ければここには来なかっただろう。
煙景の都を、価値あるものとして見ていたわけではない。
だが、今はそれすらも思い出深い。
何年か後に、きっとさくらもここを訪れることになるのだろう。
終わったわけではないと、悲しいかな確信がある。
封じただけだ。
魔を倒しきれたわけではない。
あと少しさくらが成長したら、また戦いが起こる。
その戦いが最後だと……思おうとしただけか、微かな予感か。
さくらだけではない。
この戦いで自分たちの傍らにいた少女も、本来ならそこにいてはならない存在だ。
それが魔との戦いの最前線に駆り出された。
さくらがあと七年早く生まれていたらそうなっていただろう。
そう、正統ではないにしても、あやめくんも裏御三家の流れを受け継いでいる。
正統……というのも愚かしい概念だ。
男長子の家系が正統となり、それ以外が傍流となる。
遺伝上、長子の方が優秀であるという決まりなど無いし、ましてや正しいか間違っているかという判断などつきようもない。
年長者を敬えという儒教の思想が、権力者に都合のいいように曲解されただけだ。
それでもなお、裏御三家の血筋と呼ばれる家系が強い霊力を有しているのは、
……もはや、呪いなのではないだろうか。
この国に掛けられた、自分の家系を戦いに縛りつけるための、とてつもなく息の長い、呪い。
人身御供の家系とは真之介君の弁だ。
だが、永遠ではない。
自分もあやめくんも生き残った。
霊的なものが薄れゆく明冶、そして太正時代。
はね除ける力を与えてくれたのは、裏御三家の血を引かぬ米田さんと真之介君だ。
きっと、もうじき終わる。
魔の呪いも、聖なる呪いも、解けるときが近づいているのだという予感がある。
自分の手で決着をつけられなかったのが残念だが、
さくらが携わるであろう戦いが、永き呪いの終止符を打ってくれるのではないだろうか、と。
それも、裏御三家とは無縁の、真之介君のような一人の青年の手によって。
ふと、魔神器と向かい合ったときに鏡が見せてくれた光景が思い出された。
さくらとともに見えたあの青年が、もしかしたら。
車が止まり、降り立つと威風堂々たる西洋建築の駅舎が視界全てに満ちる。
少しだけ、微笑みたくなった。
この国に掛けられた呪いが弱まっているならば、そうさせた楔の名は間違いなく西洋文明と言うはずだ。
そっと、駅舎の赤煉瓦に触れてみた。
そう思うと、風に舞う蒸気の煙も、踏みしめる石畳も、どこか愛しいもののように思えたのだ。
改札のところで、米田さんとあやめくんが待っていた。
米田さんは仙台までついてきてくれるので簡素とは言え旅支度だ。
しかしあやめくんは、米田に促されてもうつむいたまままるで反応を示さない。
半狂乱に陥った一時期よりはマシになったと言えるのかも知れないが、
快活な少女の姿をこそよく知っているだけに、まるで抜け殻のようだと思わされる。
斧彦君が女同士なんとか慰めよう、と知恵を絞ってくれているらしいが、効果は上がっていないようだ。
「あやめくん」
彼は生きている、などと言ったところで意味はない。
それならどうして帰ってきてくれないのかということになってしまう。
さて、どうしたものか。
「悪いけど、面倒な仕事をやってもらうよ」
予想と違った言葉を掛けられたことに、かすかに反応を示してくれた。
「対降魔部隊は解散だ。
君にはそれに代わる部隊を米田さんとともに作ってもらう。
任務期間は……、真之介君に権限を押しつけるまでだ」
落ち込んでいた顔が、きょとんとしたものに変わる。
将官ではない自分にそこまでの命令権限はないが、
「藤枝あやめ特務中尉、返事は?」
米田さんがうまく承認してくれた。
「約束したんだろう、彼と。
君が生きているんだから、あとは帝都を守り抜けばそれでいい」
別に盗み聞きしたわけではない。
真之介君が以前大声で叫んでいたのを覚えていただけだ。
効果はあった。
虚ろな瞳に、微かだが確かな光が戻る。
「あいつが帰ってきたら、仕事をさぼりやがったのを叱りつけるついでに、結婚を強要しちまいな」
米田さんの言い方はいくらなんでもひどすぎではないかと思ったが、
それでもあやめくんの頬にさっと朱がさしたのでよしとすべきなんだろう。
これならば、大丈夫だろう。
「祝言が終わったら、一緒に報告に来るようにね」
「・・・・・・・・・・はい」
堪えきれなくなったのか、あやめくんは表情をぎゅっと崩して泣き出してしまった。
報告に来るときには既に自分が墓の中にいることにまで思い至ってしまったのだろう。
だが、その聡さが戻ってくれたのだ。
きっと、この子は前に進んでいける。
そう、信じよう。
汽車の時間が来た。
琴音君に、あやめくん、さきほど斧彦君も来てくれた。
それから……人混みの向こうに何人も知った顔が見える。
すっと頭を下げる。
本当に、たくさんの人と会い、そして別れてきた日々だった。
もうすぐ、終わる。
「一馬……」
「よして下さいよ」
米田が謝ろうとするのがわかったので慌ててそれを止めた。
何を謝ることがあろうか。
迎えて来てもらわねば、既に魔への対抗手段もなく、自分もさくらも殺されていたのだろうから。
汽笛が鳴る。
止まっていた客車が、ごとんと音を立てて動き始めた。
窓の外に映る帝都の全てが、後ろへと流れていく。
さらば、帝都。
初出、SEGAサクラ大戦BBS平成十二年六月二日
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