虚ろなる貴方無き世界
追憶其の七
第八章 帰らない人々


第七章 今は亡き盟友


 今年何度目だろう。

 黄昏時の帝都で、人々はそんな思いを抱きながらその音と揺れを体感した。
 元々地震の少なくない帝都ではあるが、今年はそういった常識を超えた超自然的な現象が何度も起こった。
 不思議と、先ほどまでたちこめていた雲はどこにも無くなっている。
 これが最後になってくれればよいと願いつつ、異様なほど美しい夕焼けを見上げる者がほとんどだった。

 轟音の後、やけに静かになった感のある帝都の中で、神保町周辺のみは大混乱していた。
 怪我人を収容するために蒸気自動車が盛大に駆り出されて、近郊の病院へと次々に走っていく。
 中には、地上までの脱出行の途中で力尽きた者や、太陽を拝んだ途端に息絶えた者もいる。

 あやめと真之介の二人を担いでここまで戻ってきた一馬も、地上に出た途端に意識を失いかけた。
 だが、気を失っている場合ではない。
 真之介とあやめの容態は自分で見ても予断を許さないものであることは明白で、一馬は二人に霊力を分け与えながらここまで来たのである。
 それでもこの状態だ。
 こうなると並の病院では手の施しようがない。
 そもそも、一番問題なのは外傷ではないのである。

 一馬は、あやめの主治医であった心霊術士の真田光に頼むしかないと判断した。
 昨夜……いや、もう一昨夜になるが、芝公園の戦い後の治療活動で疲れているはずの彼女に頼むのは気が引けるが、今は彼女に頼るしかない。
 とはいえ、今の一馬には彼女のいる陸軍病院まで二人を担いでいくだけの力は残されていなかった。

「大佐殿、怪我人をお預かりいたします」

 丁度そこへ、担架を持った衛生兵が三人向かってきた。
 助かる。
 何しろ二人の手はまだしっかりと結ばれていて、別々に運ぶことは不可能なのだ。

「ああ、二人とも陸軍病院の真田術士のところへ運んでくれ。
 通常の病院では無理だ」
「心得ております。
 では」

 三人は手早く真之介を担架に乗せようとして、二人の手がどうやっても離れないことに閉口し、結局担架を二つ並べて二人まとめて運んでいった。
 苦笑しながらそれを見送りつつ、二人が助かることを祈ろうとして、
 一馬は、妙に引っかかりを覚えた。

 一馬自身、巨大降魔と直接やりあったのでかなりの傷を受けている。
 その一馬を放って真之介だけを手早く運ぼうとした。
 それに先ほど、心得ております、と言わなかったか?
 腕の良い真田は最近有名になったとは思うが、見た目の外傷はそれほど無く、霊力と生命力が危うい二人を見て、即座に真田の所に連れて行くべきだと、ただの衛生兵が判断できるだろうか。
 朦朧としかかった意識の中で、一馬の引っかかりは消えがたい不安へと変わりつつあった。

 自分は今、とてつもない失敗を犯さなかったか?

 彼らは真っ先に真之介を運ぼうとした。
 真之介の身柄を確保しようとするのは……真っ先に思いつくのは、真之介を最も警戒している方術士団だ。
 しかし今自分の応対をしたのは確かに衛生兵だった。
 誇り高い方術士団が衛生兵の服を着て偽装をするとも考えがたい。
 待ちかまえていたのだとしたらそもそも手際が良すぎる。
 今、動いていたのは、誰だ。

 追わなければと思ったが、既にここまでに体力も霊力も使い尽くしている。
 なんとか信頼できる者がいないかと思い、混乱している周囲を見渡してみるが、陸軍内部に内紛を起こしかねない要請をおいそれと話すわけにもいかない。
 途方に暮れているところで、一人、見知った男がこちらへ向かってきた。
 陸軍大臣代行、京極慶吾陸軍中将その人である。
 この男という可能性もあったが、わざわざ出向いてきたところを見るとその可能性は消えたようだ。

「お前らしくもない」

 かつて自分に地を舐めさせた男が満身創痍になっているのを見て、京極は心底から言った。

「どうなったのか状況を説明しろ。
 一般兵では話が要領を得ぬ」

 京極は自分でも直属の部下を何人も送り込んでおいたのだが、全滅してしまっていたのだ。
 一馬としては呑気に話している時間が惜しいが、無視するわけにもいかない。

「私も直接聞いたわけではないのだが、北村海軍少将がミカサの主機関の出力を巨大降魔に叩きつけたのだそうだ。
 真之介君とあやめくんの攻撃で弱ったところを狙って短期封印を仕掛けてな」
「ふむ」

 京極は顎に手をやりつつ、倒せたのか、とは聞かなかった。
 少なくとも、この一ヶ月の間常に感じ続けてきた地底からの言いしれぬ圧迫感は感じなくなっている。
 どちらにしても、ミカサの出力を炸裂させたということは大空洞に入り直すことすら難しそうだ。
 今はそれよりも、

「その山崎真之介と藤枝の巫女はどうした?
 まさかくたばったわけではあるまい」

 一馬は悩んだ。
 そういえばこの男は以前一馬を勧誘したこともあるし、真之介の潜在能力にも執心であった。
 やむを得ん。
 今はこの男に頼るしか無さそうだ。
 少なくともこの男なら二人を殺しはすまい。

「衛生兵に偽装した者に手渡してしまった」
「……、世話の焼ける」

 一馬の言わんとするところを察して、京極は舌打ちした。
 陸軍内部の反発分子か、方術士団か、いずれにしても厄介だ。
 放っておくわけにもいかぬ。

「仕方がない。これは貸しに……」
「頼む……京極……」
「!真宮寺!」

 そこで集中力が切れたのか、一馬は気を失って倒れ込んだ。

「……世話の焼ける」

 京極はもう一度口の中で繰り返してから、蒸気自動車で来た救護兵を掴まえて一馬を病院へと運ばせ、すぐにその場を立ち去った。





「真宮寺大佐は京極中将閣下が陸軍病院へと運ばせたそうです。
 藤枝少尉と山崎少佐の二人は、地上に生還していることは解っているのですが、その後どこに運ばれたのかまだわかりません」

 情報部に所属する大河原一美陸軍少佐の報告を、米田は治療を受けつつ聞いていた。
 ここは神保町入り口に近い商工会議所の一室である。
 まだ事態が収束していないので米田や畑中総司令といった何人かの将官は怪我を押して任務を続行していた。

「そうか。まあ、地上に出てきたんなら大丈夫だろ」

 方術士団長の春日光介は意識を失っていると聞いているので、米田はそれ以上深刻には考えなかった。
 むしろ気にかかるのはもう一人の方だ。

「その大臣代行閣下はどこに行ったかわからんか?」

 いささか冗談めいた口調で畑中は大河原に尋ねた。
 畑中大将にとっては、京極中将は若いと括られる世代であり、彼が大臣代行などという要職についているのは思うところがある。
 ただ、執務能力は認めているので表立っての文句は言わない。

「救護兵と病院の手配を終えた所で姿が見えなくなられたそうです」
「ふむ、こちらはこちらでやれということか。
 ずいぶんと信頼されたものだな」

 年長者を立てていると言うよりも、これは仕事をさぼって暗躍しているように思える。
 畑中は池谷陸軍参謀総長に当面の任務続行を伝え、地上で待機していた者たちに指示を出して大空洞への経路が一つでも生き残っていないか調べさせる一方、大空洞内に設置してある妖力計の数値を集めさせた。

 奴は……、巨大降魔はちゃんと死んだのか。

 それが今最も気になることだった。
 しかし、調べていくにつれて面倒な事態が明らかになっていった。
 この作戦が始まる前から巨大降魔の動向を地上へ送り続けていた妖力計は、その八割以上がミカサの爆発時に振り切れて故障してしまったらしく、正常な値を地上に送ってこれるものはほとんど無かったのだ。
 当たり前だが、巨大降魔とミカサ中枢に近い妖力計は全滅しているので調査が難しくなっていた。
 かろうじて集まった周辺域の数値を見て、米田も畑中も考えあぐねた。
 ほとんどが大空洞の枝葉の部分の妖力値であり、その数値はどれも地上より五割程度高い。
 ただし、以前から大空洞内はこれより高いくらいの数値であったとも報告されている。
 龍脈の通っている大空洞内は地上より霊力も妖力も集まりやすいのだ。

「……判断は、つきかねる、か」
「おい畑中、はやまるんじゃねえぞ」

 悩んでいるとも安堵したとも聞こえる畑中総司令の声に、米田は苦言を言わずにはいられなかった。

「……何のことだ」
「これ以上バタバタ死なれてたまるか」
「……」

 天文学的な金を投じて造られたミカサの自沈。
 さらには突入作戦九千名のうち、生還者は二千名にも満たない。
 畑中は巨大降魔を倒したと解ったら責任をとるつもりでいたのだ。
 悟られないように能面を装ったつもりだったが、

「……、米田。お前もな」

 元々仲が良かったとは言えぬ二人ではあるが、この戦いを共に生き残ったことで、不思議と親近感が生まれてきた。
 それは、生き残った将官がいかに少ないかと言うことでもある。
 数少ない生者同士で争っていても仕方あるまい。

「海軍にも報告しておかねばな。
 北村少将のことも……、よく言っておかねば」
「このオレを出し抜いてくれやがったんだ。
 絶賛ものだぜ」

 彼らも、生きているはずがない。
 この戦いでどれほどの犠牲を払ったことか……。
 二人はしばし、地底に向かって黙祷を捧げた。





 陸軍病院には戦場の喧噪がそのまま移転してきていた。
 民間の病院にも収容されているが、重傷者はやはりここに送られてくる者が多い。
 今日の作戦に際して相当数の怪我人が出ることをあらかじめ想定していたので、準備が整っていたのだ。
 むしろ、寝台の数は余っている。
 それはつまり、帰らなかった者の多さを示していた。
 一方で重傷者の比率が多く、一人当たりの治療や手術には手間がかかっていた。

 一番忙しいのが、客員医師として病院内の誰もが認める存在となった心霊術士の真田光である。
 一年前の巨大降魔出現の際に、大呪法を使って倒れたあやめの主治医となったのがきっかけで陸軍に関わるようになり、二将の乱において自分の診療所を破壊されてからは陸軍病院の一角を借りて開業している。
 西洋医学とは根本的に異なる彼女の心霊治療では瀕死の怪我人がここまでに何人も救われていた。
 しかし、一人一人を完治させるだけの時間と気力はない。
 命の危機を脱したら、あとは通常の治療に任せるしかなかった。

「次!」

 もう何十人診たかわからないが、瀕死の者はまだ列を作っている。
 巨大降魔との戦いの壮絶さがうかがえた。

「駄目だわ、ひかりちゃん。
 真ちゃんもあやめちゃんもこっちに来ていないみたいよ」

 治療の僅かな合間に、看護婦姿の太田斧彦上等兵が報告に来てくれた。

「一馬さんは508号室で寝ているのを琴音ちゃんが見つけてくれたんだけど、意識を取り戻すのはちょっと無理みたい」
「そうか……」

 真田は、周りの患者には解らない程度に顔を曇らせた。
 医療の現場で医者が患者に不安を与えるようなことはあってはならないからだ。
 一馬が生還していてこちらに来ているというのに、二人が揃ってここに来ていないというのはどういうことだ。
 不意に、作戦開始前に守屋に言われたことが頭をよぎった。
 まさか、……いや、今の奴ならやりかねない。

 その動揺は、馴染みの斧彦にまで隠し通せるほど軽いものではなかった。
 美の信奉者である清流院琴音少尉と心は十五の乙女の太田斧彦上等兵、一方で男装の麗人である真田光は、元々は女性参政権獲得運動に斧彦が参加したのがきっかけで知り合ったのだが、何故か意気投合して今に至る。

「あたし、他の病院探してくるわ」

 真田の落ち込みを見るに見かねて言った言葉に、真田は静かに首を横に振った。

「よっきーにはここにいて私を助けてもらわないと困る。
 まだ患者はたくさんいるのだから」

 斧彦が間近に来て身体を押さえると、怪我の痛みで暴れている患者もその痛みを忘れるのだ。
 感情を押し殺して自分に言い聞かせるように言った真田に、斧彦は何も言えなかった。
 斧彦とて真田の過去を全て知っているわけではない。
 ただ、過去の贖罪のために人の命を救い続けることを己に課していることは知っていた。
 瀕死の患者が列を為すこの場を離れることは、真田が自分の信念に反することなのだ。
 その苦しみの幾ばくかだけでも察して、斧彦もまた二人のことを案じていた。





 宮城、半蔵門前に一台の運送用蒸気自動車が静かに止まった。
 神保町や陸軍病院の喧噪が嘘のような静けさである。
 既に日は沈み、灯籠と提灯の灯りが照らし出している門から、近衛兵が足音静かに、しかし速やかに次々と現れた。
 宮城への狼藉は許さぬと、不意の闖入者である蒸気自動車を半円状に取り囲む。

「何者ぞ!」
「名乗るまでも無い。疾く、南雲副団長を呼べ」
「!!」

 近衛兵たちは蒸気自動車から姿を現した人物を見て驚愕した。
 こんなところにいるはずの無い人物だったからだ。
 守屋善治郎陸軍大将。

「何故……、貴君がここにいる」
「急げと言っている。山崎真之介のことで用があると伝えよ」

 守屋は近衛兵の混乱など一顧だにしなかった。
 兵たちはその不遜な態度に反感を覚えたものの、巨大降魔との決着が付いたとの情報は既に掴んでいたため、このタイミングで要請があるからには確かに尋常な事態ではないと考え、しぶしぶ宮城の中へ使いを出した。
 宮城に待機していた方術士団は後方部隊として臨戦態勢にあったため、連絡を受けた南雲副団長は即座に動いて半蔵門に駆けつけた。
 春日光介士団長が突入部隊の退却に当たっている今は、彼が近衛の最高司令官代行となっている。
 しかしその彼をしても、まさか本当に報告通り守屋大将が自ら宮城に来ているとはにわかには信じがたかった。

「……守屋善治郎。どういうつもりだ」

 そこで、南雲はようやく思い至ったことがあった。

「まさか貴君、旧幕臣とは聞いていたが、門番だったのか……」
「ああ、最内陣完成の折には一度貴様とも会っておる。
 それはいい。とにかく今は急いでこいつを引き受けてくれ」

 南雲の驚愕に答えのようなものを返しつつ、その話をするつもりはないと言うように、蒸気自動車の後部荷台を示した。
 荷台に被せられていた布を、衛生兵の格好をした守屋の部下が取り払うと、そこには意識を失った山崎真之介と藤枝あやめの二人が隠されていた。

「!!貴様、我らの立場を解っているのか……」
「解って来ておるわ。
 今の儂ではこやつを始末できん。だが貴様らなら出来よう。
 こちらの条件を呑むのならば、こやつらの身柄を引き渡す」
「……ほう」

 始末できない、という言葉の意味は、二人の周囲にうっすらと感じられる障壁のことを指しているのだとすぐにわかった。
 それも並大抵の障壁ではない。
 おそらくまともな物理攻撃が通用するものではなさそうだ。
 どうやら霊力が枯れているらしい守屋ではどうにもなるまい。
 ならばこそ、聞く価値があると判断した南雲は、話せと言う代わりにかすかに顎を突き出した。

「山崎真之介の魂だけは八鬼門に送るゆえこちらに手渡せ。それが条件だ」
「!!……単刀直入だな。
 維新から五十年を経ても今なお八鬼門が機能しているのが不思議だったが、なるほど、おまえたちが怨霊を絶やさなかったわけか」
「祭具に入れるなり何なり、貴様らの得意技であろう。
 その約を違えぬと約束せよ」

 納得がいったように頷く南雲に対して、危険を冒してこの宮城まで来ている守屋は話を急いだ。

「我ら近衛軍に大して、怨霊の巣に荷担しろと申すか、貴公は」
「ほざけ、五十年前にしたことを忘れたとは言わさぬぞ。
 まして、この帝都の発展に八鬼門封魔陣が寄与したことに気づいていないはずがあるまい」
「……ふむ、よくわかっておるわ。
 では最大の懸念について問うておこう」

 化かし合いは通じぬと判断した南雲は、さきほどからの疑問を口にした。

「貴公、何が目的ぞ」
「決まっておろう。全ては江戸の繁栄のためじゃ」

 守屋の返答には一切の迷いが無かった。
 東京を江戸と呼ぶことも、繁栄のためには犠牲を払うことも、その意志を伝えることも。
 八鬼門封魔陣を守り続けてきたであろう一族の誇りがその一言に結集していた。
 南雲はふっと笑った。

「いけ好かぬ輩と思っておったが、気に入ったぞ、守屋大将。
 だが我ら近衛軍とてその心意気に劣るつもりはない。
 その約、確かに心得た」
「……頼む」

 守屋はその言葉に安堵し、深々と一礼した。
 その対応を見て守屋の部下は真之介とあやめを乗せた担架を荷台から下ろし、近衛軍に引き渡した。
 宮城内には蒸気自動車の侵入は認められていないので、ここからは人力となる。

「守屋大将、子細は後ほど人をやる。
 今は速やかに去られよ。
 ここにいることが余人に知られるのは貴公にとって好ましくなかろう」

 陸軍内部でも守屋の素性を知る者はほとんどいない。
 米田でさえ守屋がうるさい旧弊としか思っていないくらいなのだ。
 そもそも帝国陸軍内にかつての徳川幕府の残党が残っているなど誰が想像しえよう。
 その組織が一体どの程度なのか、南雲はあえて聞かなかった。
 存在していることを知っていれば十分だ。
 少なくとも今はもう敵になることは無いと南雲は判断した。

「うむ、今は退散しよう」

 守屋は速やかに蒸気自動車に乗り込み、半蔵門から去ることにした。
 衆人の目が神保町に集中しているとはいえ、退散するのは急いだ方がいい。
 だがその途中、

「首領……っ!」

 蒸気自動車のハンドルを握っていた部下の浅月が、途中で急ブレーキを掛けた。

「どうした浅月」
「何者かが、地中を通って宮城に向かっていく気配を感じました」

 浅月は守屋の腹心の部下であり、ある程度の霊力を持っている。
 それにしても、すれ違ったのではなく、地中を通ってとは尋常ではない。

「何者かはわからんか?」
「魔物ではなく人の気配らしくはありましたが、魔の気配を感じました」

 守屋は考え込んだ。
 並の魔物なら宮城の結界に阻まれて入ることも出来ないので気にする必要も無いが、人だとすると宮城に入ることは不可能ではない。
 しかし、それならば、米田中将も、真宮寺大佐も動けないはずの今、誰が、何の目的で。






 あやめと真之介が揃って運ばれた先は、方術士団の法術使用棟であった。
 南雲は二人を運び込んですぐに物理的な抹殺をまず試みたが、短刀は言うに及ばず、剣や斧まで持ち出してきても、それが届く前に、光り輝く膜のようなものが出現して、触れた武器ごと南雲をはじき飛ばした。
 当然、二人に傷一つ付いていない。
 なるほど、守屋が始末できないと言ったわけが知れた。

「南雲様、これは一体……」
「これは、絶対結界の変型じゃな」

 破邪の血統が持つ特殊能力の一つだ。
 外界からの危機に対して、物理的にも精神的にも完全な防御力を発揮する。
 南雲は、維新直後に行われた魔の掃討の折、真宮寺龍馬がこの力を駆使して戦友を守るのを何度か目にしたことがあった。

 山崎真之介は破邪の血統とは関係ないとの調査結果が出ている。
 仮にあったとしても、分家から十代は経ているはずだ。
 そうなると、これを行っているのは藤枝あやめに他ならない。

「藤に連なるものの隔世遺伝か」

 裏御三家の一つ藤堂家の正統は絶えて久しいが、分家としてはかなり正統に近い血脈を残しているのが藤枝家である。
 ごく稀にだが、破邪の血統本家に近い力を有する者が現れることがある。
 この藤枝あやめは、その例に当てはまるらしかった。

「それが魔の者をかばい立ててはどうにもならぬわ」

 未だ痺れが残る手の具合を確かめつつ、南雲は呆れ気味につぶやいた。

「さすれば、いかが致しましょうか」
「絶対結界は無限ではない。繰り返し防げばいずれ術者が力尽きるが……」

 かつて、万能に思えた真宮寺龍馬のかばい立ても無限でなかったことを思い出した。

「米田殿に知られる前に片を付けたいところだな。
 守屋が急いだ気持ちもわかる。
 副団長全員に招集を掛けろ。
 儂は巨大降魔の死を確認するとともに光介を呼んで来る」

 方術士団長の春日光介はまだ神保町の混乱から戻ってきていない。
 そのためもあり、宮城では未だ巨大降魔の死を正確には把握していなかった。
 しかし、この絶対結界を突破しようとするのであれば、光介の力も要ると思われた。

「団長副団長全員で、ですか……」
「でなくば守屋との約に応えられぬ。急げ!」
「はっ!」

 指示を飛ばし、南雲もすぐに棟から出て外へ向かった。
 その動きを察知して、出所をたどったものがある。
 地中を移動する亜空間に潜って宮城の結界を突破した京極である。
 京極は守屋の暗躍までは思い当たらなかったが、真之介を抹殺しようとする勢力として最初から方術士団を疑っていた。
 春日光介が大空洞から帰還した直後であれば、自然、指揮を執っているのは副団長筆頭の南雲に違いない。
 まだ抹殺されていないのであれば、その南雲が出てきたところが最も怪しいと考えられた。
 式神を飛ばして潜望鏡のように地上を伺ってみれば、宝物殿でも皇族域でもないのに恐ろしく警備が厳重な法術使用棟は、周囲の環境だけで正解であると語っていた。

……頃合いか。

 念のため、南雲の気配が宮城から出たのを確認してから、京極は行動を起こした。
 全滅させるのはそう手間ではないが、死人を出すとあとがうるさい。
 棟の内部と周囲に残っていた方術士全員、眠らせることにした。

「五行相克、水面に立つゆらぎ……」

 五秒、十秒、十五秒……
 動く者が無くなったことを確かめてから、京極は実空間に姿を現した。
 法術使用棟の鍵ごとき、京極にとっては何ということもなかったが、面倒なので一気に棟の内部に実体化した。
 侵入者を捕獲すべく、呪縛の呪法が飛んできたが、これは予期していたので簡単に振り払う。
 果たして、棟内で最も広い部屋で、結界を突破するための準備がされているその中心に、山崎真之介と藤枝あやめの二人がなお固く手を取り合ったまま横にされていた。

 さて、どうしたものか。
 山崎真之介を洗脳して手駒にする絶好の機会だと思っていたのだが、試しに触れてみようとしたところ、案の定弾かれる。

「一応、私は助けに来たのだがな」

 口に出しつつ、苦笑せざるを得なかった。
 これではただ働きではないか。
 しかし、と思い直す。
 真宮寺に恩を売っておくのも悪くない。
 ここで協力しておけば、後々話がしやすくなるだろう。
 先の話になるだろうが、奴には出来れば自らの意志を残したままで配下になってもらいたいのだ。

 二人ではなく、二人が横たえられた寝台の方に念を込めて浮遊させる。
 さて、こんなところからはさっさと出ようかと思ったところで、
 扉の前に人影が立っていた。

「おや南雲殿。
 こんなところで会うとは奇遇ですな。
 陸軍大臣代行としては早く巨大降魔の死を確認して戴きたいのですがな」

 出て行ったことを確認したはずの人物が戻ってきていることに驚かされたものの、そのようなことはおくびにも出さずに対応する。
 驚いた風もなく冷笑を浮かべる京極に、人影は……南雲は苦り切った表情を見せた。
 亜空間呪法の心得があるため、わずかに感じた揺らぎを気にかけて罠にかけてみれば、

「鼠かと思ったが、とんだ御仁を捕まえたものよ。
 何の真似だ、京極慶吾陸軍中将。
 ここはかつての禁裏にも等しき場所じゃ。
 外者が入ることなど許されんぞ」

 南雲は老人とは思えないほどの気迫で脅しかけたが、京極は平然としたものだ。

「いえ、我が軍の有能な青年士官二人をこちらで保護して戴いていると聞いて急ぎ迎えに来たまでのことです。
 早々に失礼させていただきますゆえ、ご心配には及びませんよ」

 慇懃無礼という言葉が見事に当てはまる答え方だった。

「どうやって入った。貴様」

 南雲は歯に衣を着せるのを止めた。
 この宮城には常に何重もの結界がしかれている。
 ましてこの様な奥ともなれば、魔の者だけではなく通常の人間でも入ることは難しい。
 以前から何かと噂の絶えなかったこの男ではあるが、こんなところまで密かに侵入し、揃った士団員をまとめて昏倒させてしまうなど、ただの陸軍中将の為せる業ではない。
 おそらく亜空間呪法を使い、現世からわずかにずれたところを侵入してきたのだと推測されたが、それは極めて高度な呪法のはずだった。

「受付嬢がおりませんでしたので、一人でここまで参りましたよ。
 少しは近代化の努力をしていただきたいところですな」

 京極は態度を崩さない。
 寝台を滑らせるように引き連れつつ、つかつかと入り口に歩み寄った。

「行かさぬぞ、京極。
 山崎真之介もだが、おぬしも危険じゃ」
「そうだ、一つ訂正しておきましょう。
 私は、捕まってなどおりませんよ」

 先に仕掛けたのは南雲だった。
 だが直後に京極も対応する。

「十六式、封陽の岩戸!」
「五行相克、大地を払う業火!」

 繰り出された封印の呪法を、京極は真っ正面から打ち破った。

「こやつ……!」

 南雲は、この京極という男を完全に見誤っていたことを認めざるを得なかった。
 二将の乱の最中に全滅した陸軍省で生き残っていたのも、偶然ではあるまい。
 むしろ、逆だ。
 この男が全滅させたと考えた方が、よほど納得できる。

「二十一式、鬼殺の壮槍!」
「五行相生、峻厳なる山神!」

 繰り出される術の数々を、京極は確実に歩を詰めつつ振り払っていく。
 とはいえ、見た目ほどの余裕があるわけではない。
 他の副団長が駆けつけてくると、さすがに凌ぎきれるかどうかわからない。
 特に団長の春日光介が戻ってくると、京極としてはかなり状況が厳しくなる。
 外部へ呪法の影響が漏れない方術実験棟であったことが、ここまでは京極に幸いしていたが、誰が異常に気づくかわからないのだ。

「方術士団の奥義を拝見するのも一興ですが、そろそろ通して頂けますかな。
 これでも急いでいるのですよ」
「貴様が人助けなど考えるような男には見えんな。
 山崎真之介と藤堂の娘を手に入れて、何をしようとしている」
「……今のあなた方がしようとしていることよりは健全なことですよ」

 南雲の言葉が予言に聞こえたのは、あながち間違いではないからだろう。

「できればここで死人を出したくないのですが、やむをえませんな」

 京極としても、ここまで自分の手の内を曝してしまった以上、南雲をそのままにはしておけない。

「言うではないか。
 こちらには貴様を始末する理由があるぞ。
 宮城への侵入はそれだけで万死に値すると知れ!」
「でしょうな。この二人をここに連れ込んだことすら知られたくはないでしょう」
「解っておるならば後悔も無く死んでゆけい!八十四式、征夷の斉射!!」
「この江戸で征夷とは風流ですな……!」
「五十年前に勝負を決した一撃じゃ!止められると思うな!」

 呪法で編まれた幾千もの矢が、雨のごとく殺到する。
 京極は、避けなかった。

「何じゃと!」
「古い手ですが、それゆえに効果的ですな」

 式神使いは陰陽師の定番だ。
 身代わりにした紙人形が灰も残さず焼き尽くされるのを気にせず、京極は亜空間呪法で事実上地下から回り込み、背後から南雲の頭部を鷲掴みにした。

「お休み下さい、南雲殿。
 五行相克、夢を喰らう酒杯!」
「きさ……ま……!」

 さすがに宮城を丸ごと敵に回したくない京極は、殺しにかかるというはったりを効かせた上で、記憶の抹消を試みた。
 記憶というものは基本的には直近のものから消えていく。
 人間の脳についてはよく解明されていないが、そういうものであるという経験則が存在していた。
 少なくともこの一日の記憶ぐらいは消し飛ばしておけばなんとかなるだろうと京極は踏んだ。
 しかし、技の名前から記憶の抹消呪法だと気づいた南雲は全力で抵抗した。

「抵抗されますな。発狂するおそれもありますぞ!」
「見くびるな……この南雲、奴との約を忘れるわけには、いかんのだ……!!」
「奴?」
「ぐおおおおおおおおおっっっ!!」

 奴、が誰を指すのか気になったが、南雲からの返答は咆吼だった。
 予想以上の抵抗に、京極も手加減をしている余裕が無くなった。

「く……、消し飛べ!」
「ガアッ!!……もり……や、すま……」
「何?」

 意識もろとも吹き飛ばす衝撃を受けて、さすがに南雲の全身から力が抜けた。
 京極の手から離れて、ぐらりと身体が傾く中、それでも一瞬、狂気のような目が京極を射抜いた。
 だがそれもつかの間、意識はおろか知性も失ったかのような虚ろな瞳に変わり、そのまま南雲は床に倒れ込み動かなくなった。

 守屋だと?
 単なる北方帰りのバカだと踏んでいたが、奴が何かしていたというのか。
 考えてみれば、神保町の撤収の中で衛生兵を動かすことが出来るのは陸軍関係者に限られる。
 宮城に山崎真之介と藤枝あやめを引き込んだのが守屋だとしたら、奴は一体何者だ?

 しばし考えに没頭していた京極だったが、事態の切迫を思い出し、倒れ気を失った南雲の生存だけを確認した上で、速やかに宮城を後にした。

 数分後に現場に到着した他の副団長たちは、正体不明の侵入者に倒された南雲を介抱したものの、結局犯人はわからずじまいとなった。





「いやああああっっ!!真ちゃん!あやめちゃん!」

 絶叫する斧彦の隣で、やっとのことで仮眠から起きてきた真田は絶句した。
 意外すぎる人物が運んできた二人の状態が、様々な意味で予想を超えていたからだ。
 一つは、霊力と生命力の消耗の度合いだ。
 見ただけでわかる。
 二人とも瀕死というやつだ。
 だがそれ以上に真田を絶句させたのは、この状態になってもなお固く結ばれた二人の手と、二人を守っている絶対結界だった。

 そんなになってまで……。

 明らかに曇った真田の表情を見て、京極も不安になってきた。
 自分も、自分の一党も手を出せない今、この女性に頼るしかないのである。
 ここで山崎真之介を失うのは、後々のことを考えると非常に痛い。
 風塵に続いて、これ以上手札予備軍を失うわけにはいかないのだ。

「手の施しようもないのか?」
「心配無用だ。二人は必ず助けてみせる」
「……ひかりちゃん?」

 京極に答える真田の口調にただならぬものを感じた斧彦は、思わず声をかけた。
 すでにここまで百人近い瀕死の兵の命を救ってきた真田の霊力は、とっくの昔に限界を超えているはずだ。

「よっきー、二人を部屋へ運んで。
 あなたなら二人に触れることが出来るはずだから」
「あ、ええ……」

 京極はこれ以上自分がやることは無いと判断して、その場を辞して職務に戻ることにした。
 おそらく、仕事が山積しているだろう。
 首尾よく助かることを願ってはいるが、それ以上のことは出来ないのだ。

「これでいいかしら?」
「ああ。うん、それでいいよ、よっきー」

 斧彦は病院備え付けのベッドを片手で軽々と持ち上げて二つ並べ、その上に手を繋いだままの二人を横たえた。
 予想通り、絶対結界もこの男の前では素通しに近かった。

「あとは……、真宮寺大佐はまだ意識不明だったか。
 よっきー、米田中将への連絡をお願い。
 二人は救助されたって伝えてきて」
「……ひかりちゃん」

 斧彦は、その指示に素直に従うことが出来なかった。
 何故。
 何故、今、このタイミングで、そんなことを言うの。
 つぶやいたような声の言外にあるその思いを、真田は暖かく受け取りながらもあえて無視した。

「大丈夫だ。私の贖罪は終わってないから、こんなところで力尽きるつもりはないよ」

 自分では、うまく取り繕えたと思える笑顔が出来た。

「駄目よ、ひかりちゃん……。私が騙されるとでも思っているの。
 あなたは……」
「ああ、よっきー。大好き」
「!!」

 無理矢理にでも真田を止めようとして掴みかかろうとした斧彦は、この巨漢には似合わず余りにも隙だらけだった。
 その隙を、真田は見逃さなかった。
 人体構造を十二分に知り尽くしたささやかな一撃で、斧彦の意識は後遺症が無い程度に完璧に、断ち切られた。
 城塞のようなその巨体が、意識を失ってもなお真田を押し留めんとのしかかってきたが、真田はこれをなんとか堪えた。

「ごめん、よっきー。
 あなたは優しいから、二人と私を天秤にかけるなんてこと、させられない」

 もう一人の親友である琴音が情報収集のために出払っていてくれていた偶然にも感謝しなければならない。
 死後を託せる友人がいてくれるということは、よき人生だったのだろう。
 捨てた師の言う通りになったことだけは癪だが、それももうどうでもいいことだ。
 今は、この二人を救いたい。


 仕方がないと思い続けていた。
 江戸から帝都に変わっても、都の繁栄のために、怨霊による滅びを防ぐために、続けなければならないことだと思っていた。
 守屋と袂を分かってもなお、重ねてきた死の重さと、逃げてきた使命の重さとに苛まれ、逃げるように闇医者となった。
 自分の霊力を削り、誰かを助けているときだけ、それらの重みが和らいだ。
 琴音や斧彦といった友とともに活動していても、心の中には彼らにも見せない淀みがいつまでも残り続けていた。

 出会いは偶然であり、選んだ道の結果だったともいえる。
 琴音の紹介で救うことになった少女の恋人として付いてきたのが彼だった。
 女を捨てたはずの自分が、こんな年下の青年に惹かれることになるとは想像だにしなかった。
 だが、彼のことを知れば知るほど、闇の深淵を覗いてしまったかのように、目が離せなくなった。
 闇の救世主と水地が呼んでいたそうだが、考えてみればわからなくはない。
 纏っている力が、怨霊に取り殺されていなければおかしいくらいに負に傾いていたからだ。
 もしくは、人間の形を保っていられずに、あやかしになっているかだ。
 それを、おそるべき霊力、精神力、魔力で抑え込み、人間の限界を超えた強さを持っていた。
 まさに魔術士と呼ぶに相応しい。
 守屋と袂を分かつ前の自分であれば、迷うことなく八鬼門に捧げる生け贄に選んでいただろう。

 その魔術士たる彼が、都の繁栄に直結する蒸気科学者だという事実が、どれほど衝撃的だったことか。
 あの大空洞で霊子核機関の開発をしていたなどと、最初は信じられず、信じた後は驚愕となった。
 都の繁栄に怨霊など不要。
 この太正時代はもはや呪術の時代ではなく、人が科学の力で自ら繁栄を掴み取る時代であることを、彼自身が示してくれた。
 江戸は遠くになりにけり。
 私の選んだ道は間違っていなかったと、彼の存在によってやっと、信じることができた。
 そのあり様に、生き様に、惚れずにいられなかった。

 だが同時にわかっていったこともある。
 その危うい平衡を辛うじて人の側に傾けていたのは、彼一人の力によるものではない。
 傍にいる一人の少女がいるからであることもまた、自ずと知れた。

 今このときになって、ようやく悟ったことがある。
 私は真之介君一人に惚れていたのではなく、この二人に惚れていたのか。
 自分が男なのか女なのか、本気でわからなくなりそうだ。
 だが、その苦笑すら今は心地よい。
 その二人を、一緒に助けることができるのならば、これ以上望みうることがあるか。

 私にはこの降魔戦争を終わらせることができなかったが、二人はあの巨大降魔を倒してここに戻ってきた。
 二人が生きていれば、私が生き残ることで救われる以上の人々を、きっと、救ってくれる。
 それで、私の贖罪も終わる。

「あやめ、結界を解くのだ」
 必ずや、君も真之介君も助けてみせる。
 そうでなければ彼が、第二の巨大降魔にもなりかねんからな」

 脅しかけるように呼びかける。
 真田を拒んでいた絶対結界が、ふっと緩んだ。
 即座に二人に手を当てて、霊力を同調させようとする。
 単に霊力を注ぐだけではすぐに限界に来てしまう。
 自分と患者の霊力を同調させて、身体中の霊力の流れをよくしなくては、この瀕死の状況からは回復しないだろう。

 ……おかしい。

 何か、ひっかかった。
 おかしいのだ。
 真之介が妖力を持っていることは先刻承知している。
 だが、あやめまでが霊力だけではなく妖力を持っているとはどういうことだ。
 彼女は、藤に連なる清浄の巫女のはず。

 大空洞の底で、何があった!?

「ぐっっっ!!」

 驚愕した真田の身体と霊力に、さらなる圧力がかかった。
 真之介の霊力……では、ない!?
 彼の中にあって彼でないものとは、考えられるものは一つ。

 北条氏綱か……!

 真之介の妖力があやめを巻き込んで膨れ上がる。
 これでは、命は助かったとしても魂が持たない。
 私が惹かれたのは彼の魂だ。
 断じて、太古の怨霊ではない……!

「どけええええええええぇぇぇぇっっっ!!」

 全身全霊を賭けて荒ぶる魂を押さえ込み、自分の霊力を注ぎ込む。
 真之介の力さえ復活すれば、この怨霊すらも押さえ込めるはずなのだ。
 無謀な戦いではない。
 せめぎ合っている内に、馴染んだ二人の霊力が戻ってくる。

「これで……、私たちの、勝ちだ……」

 幸せに、なればいい。
 薄れていく意識の中で真田は、誰へとはなしに思った。





「南雲殿!」

 南雲方術士団副団長が目が覚めたとき、周りにいたのは残る二人の副団長のみで、団長の春日光介の姿は無かった。

「わた……し、は……」

 目が覚めたはずなのに、意識が混濁している。
 記憶が混濁している。
 思い出せない。
 自分は何をしていた。
 何をしなければならなかった。
 巨大降魔……いや、そこに向かったのは光介であって自分ではない。
 倒すべき、約束が……。
 誰との約束だった?
 いつの約束だった?
 いつした約束だった?
 思い出せない。
 思い出そうとすると、頭が……

「ぐ……おあああああ!」
「南雲殿……、我々がわかりますか!?
 いかが為されたのですか……」

 普段は優雅を是とする佐々木副団長も動揺を隠せない。
 そもそも南雲が倒れていた経緯さえ、何が起こったのかわかっていないのだ。
 さらに加えて南雲の口から、らしからぬ獣じみた声まで漏れるようでは、落ち着いていろという方が無理な相談だ。
 まして春日より若い富山副団長にとっては、はるか年長の南雲がここまでの異常を見せる事態が信じられなかった。

「……光介、は……」

 思わず光介、と呼んでいた。
 現団長春日光介の父である前団長春日玲介と世代の近い南雲にとっては、それらの名字や肩書きは父の方を真っ先に連想させる。
 直近の記憶がところどころ欠けている。
 その事実に気づき、あわてて言い直す。

「春日団長は、どうした……」
「巨大降魔への封印呪法で全霊力を使い果たしたらしく、現在は意識不明です」

 生きている。
 ならばよい。
 ならば、今やるべきことは……やらねばならなかったことは……。
 混濁して汚泥の中に掻き消えようとする記憶を必死でつなぎ止める。

「山崎……真之介は……、どうした」
「人事不省のまま陸軍病院に運び込まれたとの報告が入っております」
「生きて、いるか……」





 何とか任務を続行していた米田が力尽きて倒れた、という連絡が陸軍省に入ったのは翌日の朝だった。
 もう一人の畑中総司令もそもそも重傷であったので、池谷陸軍参謀総長は以後の事務作業を陸軍省に移させ、畑中、米田両名に休養を命じた。
 とはいえ、なかなか思うように作業は進んでいない。

「方術士団はなにをぐずぐずしているのだ。
 春日方術士団長が重傷とはいえ、こういうときのために副団長が二三人いるのであろうに」
「さて、宮城で何かあったのかもしれませんな」

 何喰わぬ顔で答えているのは、京極陸軍大臣代行である。
 大空洞に設置された妖力計は、地上から信号を送ったところで直るようなものではないと判断され、修復の試みはうち切られた。
 一方でミカサの爆発の凄まじさを物語るように、術法で補強されていたはずの神保町入り口もまた、半ばで完全に道を閉ざされていたのだ。
 そうなると、頼りになるのは専門家しかない。
 感知能力を持つ術士たちを抱えた方術士団に調べてもらうしかないのだ。

 池谷は、自分の努力ではどうにもならない事態が続いていることに疲れ果てていた。
 一方の京極はというと、陸軍とは別に彼独自の情報網を持っているし、秘密にしているが自身も陰陽師としての実力は帝都屈指である。
 この半日の間に大空洞内部の状況は大体把握していた。
 巨大降魔の妖力は途絶えている。
 それがわかっているので、彼の態度は泰然としたものだった。
 余裕すら浮かべているこの年下の中将に、池谷は薄寒いものを覚えたが、それについて何かを口に出すことはなかった。

「個人的見解を聞こう。
 君はどう思うかね」
「希望的観測、であることを願いますな」

 京極は一応年長者を敬うように若干の敬語らしい言葉で返答する。

「私もそれを願っている。
 もう一度討伐軍を送ることは不可能なのだからな。
 しかし、世の中が期待通りに動くなら事態はこうなっておらぬわ」
「では、少し論理的に考えるとしましょうか。
 あの戦略に長けた巨大降魔が生きているとすれば、我々が壊滅状態となっている今の状況を逃したりはしないでしょう」

 京極の価値観においてはこの状況はそこまで壊滅的というほどでもないのだが、ここはそれらしいことを言っておく。

「そして、ミカサの動力部に封印される前に奴は既に弱っていたようです。
 生命力もさほど残っていたわけではないでしょう」
「ふむ、可能性としては」
「死んでいる公算が大きい」

 京極はあくまで推論だけですよ、とでも言うように応答する。

「あと警戒すべきは奴が持つという再生能力ですな。
 大方、方術士団が結論を持ってこないのもそれを危惧してのことでしょう。
 少なくとも、奴の生命力を感知していれば黙ってなどいられんでしょう」

 池谷はうんざりした顔を見せた。
 日清日露では活躍した彼だが、人間以外の存在である巨大降魔との一連の戦いは彼の手に余る。
 度重なる魔術、無尽蔵とも言える兵力、そして自身の再生能力。
 人間相手の戦いならば兵法が通じる。
 だが、これはもう彼の本分ではなかった。
 その魔物との戦いで正確な指示を出し続けるこの京極とは一体何者なのだ。
 二つ名の通り、戦神だとでもいうのか。

「どちらにしても、結論はあと数日待ってみるべきでしょうな。
 そのころには方術士団も大体の結論を出してくれるでしょう」

 これは京極の本音である。
 念には念を入れておく必要があった。
 結局、池谷は京極の進言を受け入れて、最終結論を出すのは三日後として海軍、政府、宮城に連絡させた。





 海軍省では、浅葱海軍軍令部長以下山口大将を始めとする何人かの将官が集まって、待ちかねたように陸軍からの連絡を聞いた。
 陸上……というべきか、地下の作戦だったので、海軍から今作戦に参加した人数は陸軍の四分の一以下である。
 それでも、生存者数の余りに少ない数値、さらに犠牲者の遺体を一つも回収できなかったこと、
 そして何より、北村海軍少将とその一派がミカサと共に自沈したという事実が、一同の心を重くしていた。

 陸軍からの連絡役は、大空洞から生還してきた将官の一人、根岸陸軍中将である。
 彼は海軍の面々から尋ねられるたびに、その戦いの様子を思い出し、口にしなければならなかった。
 次々と倒されていく兵たち、
 無限とも言える生命力の巨大降魔、
 この世のものとも思えぬ術技の数々。
 戦争という名の非日常と隣り合わせに生きる彼らにとってさえ、それは、生き証人の口から聞いているのでなければ納得しがたい話であった。
 池谷陸軍参謀総長が報告役にあえて根岸を選んだのはそれゆえである。
 池谷自身でさえ、にわかには信じがたく、そして、信じたくない話の数々だったのだ。

「最後に、畑中総司令は決断されました。
 もし遺体を回収しようとしていれば、我々は生還できなかったでしょう」

 私見ですが、と断りを入れてから、根岸は最後に一つだけ自分の意見を入れた。
 確かな実感を持ち、ため息そのもののように吐かれたその意見を、否定できる者はいなかった。

「了解した、根岸中将。
 生存者の生還を優先した畑中総司令の判断に異は唱えぬ。
 今は我らも協力してことの始末に当たることを約束しよう」

 浅葱海軍軍令部長はやりきれない思いを抱きながらもそう答えるしかなかった。
 地の底深くで眠ることになった海の男たちの無念を思うと、道を同じくする者として無念極まりないが、指揮した畑中総司令を責められる状況でないことはよく解った。
 海の男どもを束ねる将官たちは、程度の差はあれ皆一様に同じ顔をして肩を落とした。

 そしてもうひとつ、別のことを考えている者もいた。
 空中戦艦ミカサについてである。
 陸海軍が双方とも所有を主張していた人類史上最大の兵器は、北村海軍少将の手により自沈、ということになる。
 総司令は陸軍。実行は海軍。
 どちらも、相手の責任を問えないことになった。
 内部爆発を起こしたミカサの修復には、最低でも五年はかかるだろう。
 ……いや、埋もれてしまった今となってはそもそも修復など不可能かもしれなかった。
 巨大降魔に止めを刺したのは海軍だと主張することは出来るだろうが、それが何になろう。
 人的代償とともに、物的代償も計り知れないのだった。

「それでは、小官はこれにて」
「待たれよ、根岸中将」

 いたたまれなくなってその場を辞しようとした根岸を、浅葱軍令部長が制した。

「何か?」
「巨大降魔の死亡調査期間は三日間でしたな。
 ならばその後で慰霊祭の開催について協議したい」
「慰霊祭、ですか……」

 その言葉に、申し訳ないとは思いつつも一同はほっとした。
 確かに、遺体がないからといって死者たちをそのままにしておくのはあまりにも忍びない。
 山口大将他、海軍一同に異論はなかった。

「出来れば、陸海近衛軍合同としたい。
 検討をお願いする」
「解りました。確かに参謀総長らにお伝えいたしましょう」





 二日が過ぎた。
 概略的には、帝都には何事も起こらなかった。
 厳密には、山崎真之介の抹殺をなお諦めない南雲方術士副団長が、春日士団長の意識が戻る前にと陸軍病院へ二度暗殺者を差し向けてきたのだが、先に意識を取り戻した一馬が京極の忠告に従って病院内に詰めていたために果たせなかった。

 その間、帝都全土では一件も魔物の報告例が無かった。
 大異変が続いた後で、これで戦いも終わるのだろうかという意識が帝都にじわりと広がりつつあった。
 真之介とあやめの意識が戻ったのは、巨大降魔の絶命確認期限まであと十時間と迫った夜のことである。
 まだ手を繋ぎ、目を開けるときも一緒だった。

「……生きて、いるな」
「……うん」

 隣にいる顔が、ちゃんと目を開けていることをまず確認した。
 次に感じたのは、隠しようもなく沈んだ大気だ。

「……どうなった?」

 二人が目を覚ましたことに気づいて近づいてきた一馬の姿が目に入ったので、とにかく話を聞こうと思った。

「何から、話すべきかな」

 どこか説明を嫌がるように一馬は答えてきた。
 自分はともかく、この男がこういう態度を見せるのは珍しい。
 あやめもそれに気づき、不安を覚えた。

「誰がどうなった!答えろ一馬!」

 真之介は意識を取り戻したばかりの体を無理矢理起こして一馬に詰め寄ろうとしたが、もちろん寝台から起きあがれる状態ではない。
 しかし、その焦りは確実に声に現れていた。

「まさか米田か!?あの年寄り、脱出できなかったのか!?」

 ぞんざいな言い方だが、つきあいの長い一馬もあやめも、その後ろにある真之介の心を知っている。
 普段からこの事態に至るまで雑な言い方を通しているが、真之介はこの家族を常に心配しているのだ。
 一馬は、そうではない、という言葉の代わりに首を横に振った。
 しかし残念なことに、この後に続けるのは吉報ではないのだ。
 そこへ、真之介の声を聞きつけて太田斧彦上等兵が病室に入ってきた。
 この病院内ではいつも看護婦姿だったはずだが、今は陸軍上等兵として正装し、喪章をつけている。

「……斧彦さん」
「真ちゃん。亡くなったのはね……」

 この偉丈夫が泣いてみせることはよくあったが、それがいかに下手な演技だったかがよくわかる。
 本当に悲しいとき、この男は思いの全てを押し殺すようにして、こんな顔をするのだ。

「ひかりちゃんよ」

 最初、二人にはそれが誰のことかわからなかった。
 しかし、斧彦がこんなに親しげに呼ぶ人物とはそう多くない。
 ややあってあやめは、自分たちが

「真田先生……」

 と呼ぶ人の本名を思い出した。

「……先生、が……」

 真之介は、何故だと叫びそうになった。
 しかし、声がそこで途切れてしまって音にならなかった。
 そんなはずはない。
 真田は大空洞へは従軍せず、ここで怪我人の治療をしていたはず……
 とまで考えたところで真之介は、自分の身体が綺麗すぎることに気づいた。
 巨大降魔との戦いで何度となく吹っ飛ばされた身体に、何の痛みもない。
 見てみれば、あやめも同じであった。
 それが示す事実がわからない二人ではない。

 どう言えばいいのだろう。
 何と言えばいいのだろう。
 言葉なんか、一つも思い浮かんできてくれなかった。
 ただ、悲しいということと、自分に対して怒っているということは、考えるまでもなかった。

「亡くなったのは、先生だけじゃない」

 一馬は、今は酷だとわかっていて言葉を繋げた。
 どちらにしても語らなければならないのならば、今一度に話すべきだろうと思ったのだ。

「北村海軍大将とその部下たち十五名は、ミカサの自沈を行うために大空洞に残った」
「……!」

 ミカサの自動制御機構が全て完成していた上であの提案をしたのではなかったのか。
 真之介は北村の名前も知らなかったが、通信機越しに打ち合わせをした人物だということは想像が付いた。
 その人物が死んだというのは、他人に無感動なことが多い真之介でもこたえるものであった。
 自分がミカサ建造について最後まで把握していなかったことが原因なのだから。

「……それで、巨大降魔はどうなった」
「中枢域の妖力計が吹っ飛んでしまったので正確な確認は出来ないが、生きている証拠はない。
 方術士団も同意見のようだ」

 二人が意識のない間に方術士団にさらわれて暗殺されそうになったことは、ひとまず伏せておこうと一馬は考えた。
 そんなことを知れば、真之介は今すぐにでも宮城に乗り込みかねない。
 一馬も腹立たしい気持ちはあるが、今ここでこちらが爆発しようものなら、終わるはずの戦いを別の方向へ泥沼化させてしまう。
 真之介より年を取っている分、冷静な判断を下すのは自分の仕事だと思っている。

「明朝の日の出までに妖力が蘇らなければ、巨大降魔の抹殺完了宣言が出ることになっている。
 降魔戦争はもうすぐ終わるよ」
「そうか……」

 凶報の後に吉報を言うのは古来よりの常套手段である。
 人は、後から言われたことの方が心に残りやすいものだ。
 しかし、今は受けた衝撃が大きすぎる。
 あやめはもちろん、真之介も、その後の言葉を続けることができなかった。
 気に病むな、などと軽々しいことが言えるわけもない。
 二人にとって真田は、いわば自分の身代わりとして死んだようなものだし、一馬にとっても、自分が二人を奪われることなくすぐに真田に診せていたらという悔やみがある。
 そして、琴音と斧彦は長年の友人を失ったのだ。
 降魔戦争はもうすぐ終わる。
 しかし、ここに至るまでに逝ってしまった人々の、何という重みだろうか。



 米田はそのとき、怪我の身体を押して外出していた。
 一人ではなく、同行者が一名いる。
 海軍大将、山口和豊であった。

 常日頃ならばどこぞの酒場へと一緒に繰り出す悪友同士であるが、そんな気楽なものではなかった。
 正装し喪章をつけて行く先は、神田にある弁護士事務所である。
 琴音に酒井弁護士という名前で尋ねたら、どうやって調べているものか、すぐに電話番号と地図を書いて渡してくれた。
 蒸気電話で要件は既に伝えてある。

「失礼します」

 弁護士事務所の応接室には、ここの所長である若い弁護士と、そして、喪服を来た婦人が待っていた。

「初めまして。陸軍中将、米田一基にございます」
「お久しぶりです。海軍大将、山口和豊です」

 深々と礼をした二人に対して、婦人はゆっくりと顔をあげた。
 美人ではないが、優しそうな顔だちの中年女性である。
 憔悴しきった顔が、なおのこと痛々しかった。

「米田様には初めてお目にかかります。
 北村隆彦の妻、景子にございます」

 夫の名を言うその声が震えていた。
 既に、聞くまでもなく状況は十分に推察できているのだろう。
 この場に、彼がいないことが何より雄弁なのだから。

「北村隆彦少将は……」

 とまで言ったところで米田は、山口が顔を横に振ったのに気づいた。
 そうだった。

「北村隆彦海軍大将閣下は、
 降魔の根拠地におきまして、
 矢船少将以下十五名とともに、
 降魔の首領と相討ち、
 殉職されました」

 大空洞や巨大降魔、ミカサのことを話すわけにはいかない中で、言葉を選びつつ米田はなんとか語り終えた。
 一言一言に、景子夫人がどのような気持ちを抱いているか。
 海軍大将の妻として、泣き出すのを必死にこらえているのが嫌と言うほど分かる。
 今更ながら米田は、北村を何としてでも連れて帰らなかった我が身の判断を悔いた。

「帝国海軍一同、北村大将の行動に敬意を表し、
 英霊への哀悼の念を抱くものであります」

 山口の言葉は、二将の乱に荷担したことで冷遇されていた北村の完全なる名誉回復を意味するものであった。
 夫人もこの数ヶ月の北村の苦悩をよく知っていたのだろう。
 その言葉に、ため息のようなものを大きく、一つ、ついた。

「どうか、英霊に報いるためにも、
 奥方様、ご子息、ご令嬢の生活と名誉につきましては、帝国海軍の名にかけて保証させて下さい」
「はい………………。
 ありがとう……、ござい……ます」

 そこまでかろうじて言葉を紡いで、耐えられなくなったのだろう。
 景子夫人は声を殺すようにして、泣いた。
 米田と山口は、それを、黙って聞くしかなかった。





「最後まで忠告を無視しおって、馬鹿娘が……」

 守屋は、霊安室の一角に安置された遺体のそばにたたずんだまま、誰にも聞こえぬよう口の中で声を押し殺した。
 現場での戦死者の遺体は回収できなかったため、ここに安置されている他の遺体は帰還中に力尽きた者か、あるいは治療の甲斐なく亡くなった者であり、それほど多くはない。
 ただ、混乱の中で葬儀さえ棚上げになっており、陸軍が関東一円の氷室から掻き集めた氷で辛うじて気温を下げて保たせていた。
 この特別扱いは、陸軍内部で光に命を救われた者たちによる、崇拝とも言える感情によるものらしい。
 これが、袂を分かった弟子が得た評価ということなのだろう。
 しかしそれも限度があり、光の葬儀は親友代表を名乗る二人の人物の手配により明後日執り行われるとのことだった。
 それにのこのこ参加する気はないが、かつての弟子の魂を八鬼門に送るには忍びなく、最低限の術を施した。
 我ながら甘いものだと自嘲する。

「だが、お前の願いは叶わぬ。
 それは、認めることはできん」

 南雲副団長と方術士団の無様な体たらくには失望させられたが、南雲が今なお真之介の抹殺を諦めていないことは把握していた。
 しかし、もはや人に任せることはやめだ。
 雛にさせるにも未熟に過ぎる。
 霊力が尽きた老骨とはいえ、まだ最後に燃やし尽くすものがあろう。

 人払いをしていたはずだが、外が慌ただしくなった。
 どうやら、招かれざる者たちが来たようだ。
 怪しまれぬように光の遺体から離れ帰り支度をする。
 案の定、霊安室に入ってきたのは、憔悴した顔ながらほぼ完全回復したと見られる山崎真之介とその他数名だった。
 こちらの階級章には気づいたようだが、直接の面識はない。
 山崎真之介は形式通りの敬礼のみを向けてきただけで、実際はほとんど目もくれないといった様子で光の遺体へと向かった。
 すぐ脇を通り過ぎる。
 駄目だ、今のこの状態では仕留められる保証がない。
 間近に来て、改めて感じさせられる。
 恐るべき魔人だ、こいつは。

……今は、その命預けておく。だが、必ずや……

 霊安室を出る時、藤の娘の視線が背中に向けられていたことが、少しだけ気になった。





 早朝、首相官邸に人が集まりつつあった。
 明冶帝の時代ならばここで御前会議となるのが通例だったが、今の帝の御病状を考慮して、最近ではこうなることが多い。

 池谷博明陸軍参謀総長、
 京極慶吾陸軍大臣代行、
 浅葱将一海軍軍令部長、
 横河晴樹海軍大臣、
 春日光介近衛軍方術士団長、
 安田実警視総監、
 鳥居元靖東京都知事、
 このうち、意識を取り戻したばかりの春日は士団員二人に肩を借りての参加となった。

 加藤登次内閣総理大臣以下、閣僚が全て顔を揃えた会議室で、東の窓の緞帳が全て開け放たれている。
 この一ヶ月の激務ではっきりとやせ衰えた感が強い加藤総理ではあるが、今日は比較的元気であった。
 まもなく降魔戦争の終結宣言が出せるのだ。
 喜ばずにいられようか。

「では、最後に春日方術士団長」

 全員揃ったところで、最終確認として春日に確かめてもらうことになっていた。
 もっとも、実際はほとんど儀礼的な意味しかない。
 この三日間、降魔の出現報告は全く無くなっており、地震の一つも起こっていない。
 事前に方術士団からは事実上の終結報告が内閣に出されている。

 京極もここに来る前に自分で大空洞に探りを入れたが、結果は同じであった。
 彼の中では、この会議はもう次なる活動のための起点だと考えている。
 大きく回り道をしたが、今度は一からじっくりと計画を立てて自らの意に添うようにしていくのだ。

 そう考えている間に、春日士団長が術を終えて、加藤総理に向かって頷いた。
 ゆっくりと加藤総理は立ち上がって、一同を見渡した。
 丁度、東の空から朝日が部屋に差し始める。

「ここに、降魔戦争の終結を宣言する。
 太正六年十一月九日、内閣総理大臣加藤登次」

 待ちかねていた記者たちが一斉に写真機を鳴らす中、加藤は陸海近衛軍の面々と握手を交わしていった。





「号外号外!内閣府から終結宣言が出たよ!」

 新聞配達所から威勢のいい声がいくつも駆けだしていく。
 この三日でようやく広がりつつあった安心感が確信へと変わり、街中に一気に人が溢れ出た。
 今まで魔物を恐れて外出を控えていた人々も食料などを買い求めに殺到し、街は活気を取り戻しつつあった。
 風に舞う号外が、帝都の隅々にまで終結宣言を伝えるかのように飛んでいく。

 その一枚が、街のはるかはるか奥、闇の深い奥にまで届いた。

「兄者……」

 目の前に飛んできた紙片を捕まえた巨漢が、同じく隠れ住んでいた兄の元へはせ参じた。
 兄は、弟よりもはるかに小さい身体でそれを受け取る。
 読み進めていくうちに、その身体が震えつつあった。

「兄者、終わってしまったのか……」
「まだだ」

 号外を握り潰しつつ、兄は顔を上げた。
 その顔には、怒りとともに不敵な笑みがある。

「まだ、終わってなどいない。
 何故水地師が降魔という手段を用いられたのか、それを人間どもはわかっていないようだな」
「それでは……!」
「陸海近衛軍合同慰霊祭が、十二月十五日にあるそうだ。
 丁度いい。
 これからの一ヶ月、忙しくなるぞ、羅刹」




第九章 忘れない楽園

初出 平成十三年七月二十五日
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