嘆きの都
追憶其の六
追章 去れよ、悲劇の巡り



第七章 祈れよ、永久なる乙女 四


「あとはヒ・ミ・ツ。行ってきまーす!」

 元気そのもの、天真爛漫。
 まあ、見る者の心を和ませることは間違いない、月並みな言い方をすれば天使のような笑顔でアイリスは駆けていった。
 しかし、それを見送るさくらの顔はもう、思いっ切り不機嫌そのものである。
 大神が他の隊員と一緒に行動しているときは多かれ少なかれそうなのだが、特に今回は、アイリスが堂々とデートと公言しているだけに、心中穏やかではない。

「なあさくらはん。アイリスはまだ子供やねんから、そないに怒ることもないんとちゃうか?」
「私、おこってなんかいません」

 さくらの殺気すら感じさせる言葉に、おおこわ、と肩をすくめて見せる紅蘭は、どこか状況を楽しんでいた。

「ふふっ、二人とも劇場の前で何をしているの」
「あ、あやめさん」

 表に出るときに軍服では目立つので、和装の私服姿であやめが出てきた。
 傍目には劇団の教官か何かに見えることだろう。
 アイリスを見送るつもりだったのだが、もう行ってしまった。

「大神くんに聞いたわよ。アイリスを説得したときにはお手柄だったようね、さくら」
「ええ」

 ちょっとすねたような返事をするさくらは、どこか説得したことを後悔していたのかも知れない。
 今月の終わりには自分も誕生日がある。
 そのときに大神をデートに誘ったら、応じてくれるだろうか……。
 などと考えていたのだ。

 そんなさくらにあやめは苦笑しつつも、咎める気にもたしなめる気にもならなかった。
 さくらが大神に関して嫉妬深くなる理由も解るような気がしたから。
 彼女の父一馬が、自分の知らないところで傷ついて帰ってきて、そして、死んでしまったから。
 また同じようにして、自分の知らないところで自分の大好きな人が変わってしまったら……、傷ついてしまったら……。
 その恐れがあるから、何が何でも傍にいて欲しいのだろうと最近解ってきた。
 つき合わされる大神は大変だろうとつくづく同情するが。

「ところでさくらはん。お手柄って、どんな風にアイリスを説得したんや?ウチまだ詳しくは聞いとらんのや」

 さくらの機嫌が悪くなりそうなのを察して、興味深げな言い方で紅蘭がうまく持ち上げる。
 お笑いが基本と本人は言っているが、実はその裏には細かい気配りがあるのだ。

「うん……大神さんがね、子供でいいじゃないかってアイリスに言ったの」

 その後に彼が付け加えた言葉は、思い出したくないので言わない。

「それを聞いて思いだしたの。私も子供だったんだって」

 優しい父と一緒にいた頃が。

「だからアイリスに言ったの。
 誰でも子供だったときがある……。
 大人になってしまうと、子供には戻れない……って」
「大人になりたい……、子供に戻れない……か」


*     *     *     *     *


「大人になりたい……。
 戻れないって、あの子は解っていたのかな」

 支配人室であやめから報告を受けた米田は、番茶をすすりつつしみじみとつぶやく。
 ことりと茶碗を置き、支配人室の調度品のように偽装して常に近くにおいてある神刀滅却に目をやった。
 アイリスと同じように、大人になりたいという夢を抱いて、そして、かなえてしまった女の子がいたことを思い出したのだ。

「ええ……」

 あやめも、そのとき傍にいてくれた生涯ただ一人の友人の面影とともに、同じことを思い出していた。

 生きていれば、あの子は十九歳。
 霊力指導力とも、マリアの代わりに花組のリーダーになっていたかもしれない。

「いえ……」

 そう思ったとき、裏返しによぎった想いがある。
 逆もまた、ありえたかもしれないと。
 ここにいる子たちも、もしかしたら帝都の敵になっていたかも知れないのだ。
 今あの子たちが愛する者を失ったら……。
 あり得ない想像ではなかった。

 支配人室の窓の向こうに、丁度来た帝鉄に乗る大神とアイリスの姿が見えた。
 あやめの視線に気づいて、米田も背後の窓を振り返る。
 嬉しくてたまらないらしいアイリスと、ちょっと困りながらもさほど嫌そうに見えない笑顔を見せている大神がなんともはや。

「大神……、おめえは死ぬんじゃねえぞ」

 その想いは、あやめも同じだった。
 あなたの存在が、あの子たちを支えている。

 あの戦い……。
 多くの人が死んでいった戦い。
 誰も、誰一人として幸せになれなかった戦い。
 もう……あの悲劇を決して繰り返さないで。


 黒之巣会死天王となっていた刹那と羅刹の二人をも倒した若き青年は、その羅刹と死闘を繰り広げた地浅草に向かって、今日はなんとも平和な顔で出かけていった。



主題歌 嘆きの都


初出、SEGAサクラ大戦BBS平成十一年九月二十四日



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