嘆きの都
追憶其の六
第七章 祈れよ、永久なる乙女 一
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さすがの刹那と羅刹にも疲れが見える。
何しろ米田一馬の二人と切り結んだ後で、手当も無しに侵入者の掃討をしているのだ。
追いすがり、捕獲し、叩きのめす。
この兄弟には慣れた仕事で、紗蓮が言ったとおり確かに適任なのだが、かつて一日でこれほどたくさんの侵入者を掃討したことはない。
「これで……半分は倒したはずだ……」
まず祭壇へ向かった不届きな面々を叩きのめしてから、今は外周部をしらみ潰しに捜索している。
厄介なのは火をかけられることだった。
さっきも、二人に追われてヤケになった兵士が近くの民家に火をつけた。
相模ならともかく、二人は術で火を消すことは出来ないので、やるせないが取り壊し消火になる。
二人の他にも何人か戦える者が残って侵入者を掃討しているが、さすがに消火要員までは確保していなかった。
「兄者……、やけに静かになったと思わないか?」
「……」
刹那は厳しい顔のまま答えない。
実は弟よりも先に気づいてはいたのだ。
先ほどまで感じていた壮絶な戦いの気配がほとんど感じられなくなっている。
この空域に膨大な霊力が蓄えられている分、感知能力は否が応でも低下しているのだが、両陣営の誰の気配も特定できない。
勝ったのか、負けたのか。
無論、勝っていると信じたいしそうだろうと思っていたが、
番人は最悪を考えて行動せよ。
水地に仕事をもらったときに言われた言葉である。
最悪の、場合……。
「羅刹、まだ無理は利くな」
「お、おう。もちろんだとも」
「飛ばして行くぞ。そして出来るだけ早く祭壇に戻れるようにするのだ」
最悪の想像……、こちらが完敗の場合を考えたのだが、この推察となる判断には最悪でない部分が入っていた。
すなわち、渚はそう簡単には倒されるはずがない、という確信。
彼らにとって、渚はそれほどまでに信頼に足る存在なのだ。
「はあ……」
半分以上がちぎれ飛び所々赤く染まった巫女服は、もはや原形をとどめていなかった。
全身の激痛に意識が遠のきかけるが、まだ負けない。
負けて、たまるもんか。
そのあやめに更にもう一撃を加えようとした渚の、表情が止まった。
怒りに燃えていた瞳が、冷水でも浴びせられたかのようにその色を失っていく。
「…………そん…………な……」
怒りで自分の感覚がおかしくなってしまったのではないかと思った。
そも、膨大な霊力が蓄えられているこの環境下では、気配の感知もそう容易ではない。
だから、嘘だと思った。
そんなことがあるはずがないと思った。
もう一度確認すれば、疑念は晴れると思った。
そして、
「……………」
感じた気配は知っているものだったが、あってはならないものだった。
あり得ないことだった。
「……みんな……」
茫然自失といった表情でポツリとつぶやいた渚の声は、あやめにはひどく幼く聞こえた。
親を探して泣いている子供のような声。
だが、渚は涙を見せなかった。
藤枝あやめの前で感情に屈して泣くような自分では、先生に申し訳が立たない。
負けたくない。
泣くのは、後でも出来る……!
渚の全身に気力が満ちる。
凄まじい威圧感だった。
間近ということを差し引いても、もしかしたら水地と対峙したときに感じたよりも……。
「そこで、見ていて下さい」
渚は冷たい声であやめに告げた。
儀式は一時中断と言うことらしい。
渚の分の圧力が無くなったために、こらえるのが少しだけ楽になる。
これならまだ、何とか耐えきれるはずだ……。
「耐えても無駄になると言うことを、解ってもらいます」
その言葉であやめは、真之介がこちらに来ていることを理解した。
おそらく、相模らの防衛線を今しがた突破したのだろう。
そこで、ズキリと胸が痛んだ。
仕方のないこと……と言ってしまえばそうかも知れない。
本来は、敵同士。
特別扱いだっただけのことだ。
だけど……、真之介に会えないつらさを紛らわしてくれた。
話し相手になってくれた。
人質とかじゃなくって、対等に話してくれた。
何よりも、そう……
あずさは、自分にとって初めての友達だったのだ。
特別な存在。
それは裏御三家などの霊的な家系ではよくあることなのだが、家の外の者とは話すことも接することもほとんど無い幼少時代が確約される。
かろうじて自分には妹のかえでがいてくれたが、それでもやはり姉として毅然たる態度と自覚を求められた。
対降魔部隊に入って、ようやく会えた対等の存在、真之介。
しかしそれ以上に、同性の完全に対等な存在として自分に接してくれたのはあずさが初めてだった。
今になって、解る。
巫女としての努めも対降魔部隊の任務すらも忘れたかのように素直に従っていたのは、脱出が失敗したとか、土壇場でひっくりかえしてやろうとか、色々考えていたことよりもなお、
なによりも、あずさと友達でいられなくなるのが、離れるのが嫌だったからだった……!
真之介は自分のこととなると見境が無くなる。
直接やり合って負けたあずさが無事でいられるとは思えない。
真之介……あずさ……
矛盾する感情に挟まれて、あやめは頭がどうかなってしまいそうだった。
真之介に会えなかった二ヶ月。
でも、決して不幸せではなかった二ヶ月。
もう……二度と来ない二ヶ月。
どんな形でもいい……お願い……生きていて……
自分の身勝手さを情けないくらい噛みしめつつ、それでもなおあやめはそう願わずにはいられなかった。
入り口前に最後の防衛線を引きつつ、町中に散った制圧部隊の一割強は食い止めてきた闇の者の最後の戦士たちを一蹴して、真之介は祭壇のある建物に突入した。
問答無用という言葉を行動で表したら、おそらくこれは満点の回答ではないだろうかと思わせる動きだった。
「コラ、あんまり先走るんじゃねえ……、山崎」
「なら年寄りは後から来い」
にべもない言葉だが、これはこれで米田のことを心配しているのである。
ただ、それよりもあやめを助けることを優先していると言うだけで。
「ええいくそ、若いってのはいいよなあっ!」
毒づきつつ、米田は真之介に食らいつくのを諦めざるを得なかった。
あの死人のような身体のどこにこれだけの力が残っているのかと感心してしまう。
恋する乙女が強いというのは最近よく聞くが、恋する野郎も実は大概強いんじゃないだろうかと米田は思った。
もっとも直後に琴音と斧彦の顔を思い浮かべてしまい、その推測を自己嫌悪とともに即座に否定したくなったが。
一馬に向かって頷いて、……一馬は心得て真之介の後ろについていった。
疲れている米田よりも、真之介を一人で行かせる危険性の方をこそ憂いたからだった。
ともあれ真之介は迷いもせずに地下へと突入する。
あやめくんの匂いを追いかける犬みたいだなあ、と身も蓋もない考えが頭をよぎった一馬だが、こっそり微笑んだだけで口にはしなかった。
「来ましたか」
「あやめえぇっっ!!」
祭壇の間の全景が網膜に飛び込んでくる。
「真……之介……」
悩みととまどいの渦中にあったあやめではあるが、その声を聞いたとたんに懐かしさと愛しさがこみ上げてきて、顔を上げてそっと呼びかけた。
目と目が、合う。
その視線をたぐり寄せるかのように一直線にあやめの所へ駆け寄ろうとしたところで、
この波動はっ…………!!
一度目は水地研究室、二度目は真田診療所で、これでもう三度目だ。
身体が憶えてしまっている。
しかし何も見えない。
気がついたときには食らっていた。
渚の放った不可視の波動が、相対速度で威力を四倍にして思いっ切り真之介を吹っ飛ばした。
「ガァ……ッ!!」
相模に食らった凍傷のいくつかが衝撃で裂けて、おまけに思いっ切り脳震盪を起こされていた。
それでもなお、空中で執念のままに体勢を立て直そうとする。
そのすぐ横にもう、渚が迫ってきていた。
振りかぶったその手に、電撃で作られたような剣が輝く。
しかし、ここで一馬が止めに入った。
渚が電撃剣を振り切るより早く、その横から荒鷹が一閃する。
かわせはしない……!
そう確信できる間合いと動きだった。
だが、
次の瞬間には真之介は電撃剣の直撃を食らっており、荒鷹は渚にかわされており、その後襲ってきた波動で一馬と真之介は吹き飛ばされた。
「なっ…………!?」
絶句。
真之介の倍の人生経験とそれ以上に実戦経験を持つ一馬だが、こんなことは今まで食らったことも見たこともなかった。
床の酒船石に叩きつけられた真之介に、渚の第三……いや、第四撃が迫る。
「真之介!上!」
誰の声かは言わずもがな。
真之介はその声だけで反応して跳ね起きた。
「WaterGate!」
霊的な水は電気伝導性がある。
幾重にも重ねた水の架け橋で、電撃を接地させようとしたのだ。
だが少々そちらに流れたものの、渚の電撃剣はほぼ原形を残して真之介に迫っていた。
「!?」
空気が霊水より三桁以上抵抗率が低いと言うことはあり得ない。
これは何か別の現象が起こっている……!
科学者の頭でそう考えつつ、真之介はとっさに光刀無形を構えた。
実体のない剣を、霊力も込めない固体では例え二剣二刀の一本であっても受け止めきれないのは解っている。
しかし、剣の一方を接地すれば話は別だ。
いくら何でも金属よりは伝導性が低いはず!
さすがに今度は、真之介の知識は彼を裏切らなかった。
電撃がさすがに消えて無くなる。
改めて見ると正体がおおよそ想像がついた。
原子電離態かっ!?
気体、液体、固体に続く、第四の物質状態である。
知識として知ってはいたが、実験室の装置外で見たのは初めてだった。
分子が電離して極度に通電性が良くなった状態だ。
それ以上考えている余裕はなかった。
「ハアアアアッ!」
渚は電撃を失ってもなお存在している掌中の電離態を、高速で拡散させた。
「くっ……!」
とっさに呼吸を止める。
電気的に活性化した空気……特に酸素は身体に直接影響がでる。
粒子加速器の試作実験をやっているときにはこれのせいで派手に寝込んでしまい、あやめに迷惑をかけたのだ。
実はその一件があやめにとっては大きな転機だったのだが、しかし今は寝込むわけには行かない。
向き直ろうとしたところで、渚の手刀が飛んできた。
しかしその動きは鋭さよりも優雅さの方が目立つ。
この程度の攻撃、粕谷の動きに比べれば……!
舐めるなと舌打ちしつつ、そこから反撃に転じようとする。
だが、
かわす寸前で、渚の動きが一気に加速した。
「!!」
楽々かわせるはずが、紙一重の所になってしまった。
それに付随して、例の波動が飛んでくる。
「しゃらくさい!」
このままではやられっぱなしだ。
横からようやくたどり着いた米田と米田が妨げにかかるのに合わせるようにして、
「彩光紫閃、凄覇天臨!」
「くらいやがれえっ!」
「破邪剣征、桜花霧翔!」
三方から手加減無しの同時攻撃。
先の戦いでの傷が深い米田と一馬はそれほど動けるわけではない。
出来ればこの一撃で勝負を決めたいところだった。
間合いと時間は完璧のはず。
かわせるわけはない……!
消えた。
達人の目六つがかりでもその動きを追えない。
「そん……な……っ」
三つの攻撃は全て空振りする。
同士討ちにならなかったのはさすがというところだが。
その隙に向かって、祭壇の前にまで戻っていた渚が必殺技を放っていた。
「精霊集約、精華翔舞!」
鮮やかに軽やかに、渚の両手が舞う。
そこから繰り出される無数の精霊の舞が、一切の逃げ場無く三人を襲った。
精霊が吹き抜けたあとには、ズタボロにされた三人が転がっていた。
「…………」
あやめは悲鳴を上げることすら忘れてしまうほど、間近にいる渚の強さが恐怖だった。
おそらく相当な強さだったはずの優弥や相模らを差し置いて指導者になっているからには、儀式能力だけでなく実力も相当なものだろうとは思っていたが、
「……こんなに、……強かったの……」
さりとて、余裕というわけでもなさそうなのがせめてもの救いだ。
倒れた三人を睨みつつ肩で息をしているので、追撃がようやく止まった。
「先生……みんな……、私、絶対に、負けませんから……」
「それは……こっちの台詞だ……」
三人の中で一番先に立ち上がったのは真之介だ。
ただし、黒い炎を身に纏いつつ。
「真……之介……」
その炎を見た瞬間、あやめの心にふっと言いしれぬ不安がよぎった。
過去にも真之介の魔術実験で色々な物を見てきたが、その黒い炎は今まで見た中でもっとも強く畏れを呼び起こした。
単に強大というわけではなくて、真之介にとって良くない物のような……そんな予感がしたのだ。
「あやめ……悪いがもう少し待ってくれ。そいつを叩きのめすには思ったより時間がかかりそうだ」
「研究室でも真田診療所でも、私に手も足も出なかったというのに、よくそんな言葉が言えますね。闇の救世主」
「くっ……」
渚の言葉の最後の一節に、揶揄するような色合いとそれをしのごうとする気配を感じて真之介はうめいた。
確かに、水地の研究室で見えたときには、自分はほとんど蛇に睨まれた蛙だった。
「貴方の実力などその程度……」
つぶやいたその言葉は真之介に向けてこそいたが、どこか虚空へ向けて話しているようにも聞こえたのは……。
「先生の望んでいたことは私が受け継ぐ。
あなたなんかに……あなたなんかに……!先生の意志なんか解るものか!」
「……わかりたくもない、そんなもの」
黒い炎を光刀無形にみなぎらせて、一振り、二振り。
まだ、十分行ける。
だが問題は、渚の攻撃にどう対処すればいいかと言うことだ。
「真之介君、何とか手だてを考えるんだ。
まさかとは思ったが、あの術者、時間を止めて来るぞ」
「……何だとぉ」
一馬の言葉にぶったまげたのは米田である。
真之介はちょっと考えてから、冷静に、
「不可能だ」
と結論づけた。
「いくら魔術でも、自分以外の全世界の時間に働きかけるなどと、そんな莫大なエネルギーをどうやって調達する」
言われてみれば、確かにとんでもない話だ。
「しかし先ほど、そうとしか思えない状況だったぞ」
「奴が瞬間移動か空間転移を使えることは多分間違いない。それではないのか」
真田診療所でも、渚は瞬時にして姿を消していた。
同じく診療所で食らった念動力といい、渚が相当高位の超能力者であることはほぼ間違いない。
かなり数は限られるが、歴史上そのくらいの事例がないわけではなかった。
だが、時を止めるとなると……。
さすがに科学者の端くれとして、そんな常軌を逸した現象は認めたくないところである。
言ってしまえば彼の使う魔術も大概かも知れないが、それでも一応のエネルギー限界らしき物はある。
例えば、いくら魔術でもこの日本を丸ごと焼き尽くすような真似は真之介にはできないし、物質を完全無から作り出すこともできない。
のんびり考えている時間はそう無かった。
音もなく動作もなく、波動が三人を襲った。
いつ繰り出したのか全く解らない。
そも動いたようにすら見えなかったというのに。
「ぼやっとしてんな!山崎!
現象が不明だろうが、倒しゃあいいんだ、倒しゃあ!」
どうやら科学者の思考回路に陥ってしまったらしい真之介に米田の一喝が飛ぶ。
「……そうだった!」
こう考えている間にもあやめが苦しんでいる。
それを一瞬でも忘れてしまった自分を殺してやりたくなった。
「Worthy is the lamb!
力の精霊、我が手に集え!」
二つの魔術を平行して唱えるという無茶な真似に出た。
単発で攻撃を出しても避けられるとの判断だ。
「Grand Cross!」
この術単体でも交差する二つの攻撃からなる。
その上で左手にエネルギー弾と、右手には剣による必殺技を構えていた。
どこかで必ず捉えてみせる!
が、渚は避けない。
その手に電撃ではなく霊力が集中する。
「っ!!?」
「あなたなんかに……、私は負けない……っ!!」
光の軌跡を残して、渚の霊力が精霊と共に一閃される。
「精霊集約、精華剣舞!」
Grand Crossがものの見事に交差点で相殺、……いや、うち砕かれた。
さらに、長い黒髪を青白い霊力と精霊たちで翻しつつ、振るわれる第二、第三、第四、第五、第六閃!
米田と一馬に一撃ずつ、あとは全て真之介に向けられている。
「せめて……みんなと一緒に描いた夢……。あなたに……あなた達なんかに止めさせは、しないっ!」
玉の汗をこぼしつつも、渚は更に不可視の波動を止めの一撃とばかりに放った。
「やられてたまるかあっ!」
「桜花放神!」
どうにかこうにか身体を動かして米田と一馬はこれを相殺しにかかる。
「すぐに助けてやるぞ!あやめ!!」
渚の叫びに対抗するつもりもあったのかもしれない。
聞いている方が恥ずかしくなってくるような叫びを上げつつ、真之介はまず左手に構えていたエネルギー弾、そして、
「水地と同じ一撃で倒してやる!彩光紅炎!」
頭の中にいつまでも響き続ける水地の声を、この一撃で振り払ってやるとでも言うかのように、
「朱凰滅焼ォッ!!」
残り二閃に真っ向から突っ込んだ。
かつてこの技で水地の必殺技と正面からぶつかり合って、勝っているのだ。
いかに渚が強いと言っても……
「何ィッ!!?」
二発目の精華剣舞を突破したところで、相手の威力の余りにこちらの炎が全て吹き飛ばされてしまった。
当然のようにそのあと来る波動は直撃だった。
「ガハアッ!」
鮮血を吐きつつ、酒船石の上を盛大に跳ね飛ばされる真之介である。
この連戦で、もう血が足りなくなっているはずだ。
「……つ……、つええ……」
何とか波動をしのぎきった米田と一馬だが、その恐ろしいまでの強さに、荒く息をして隙を見せている渚に斬りかかるのも忘れた。
真之介は水地を倒したのだ。
そしてこの三人がかりで小田原の黒鳳も倒したのだ。
如何に先の優弥たちとの戦いで疲弊しているとはいえ、まさかこの渚一人にここまで苦戦することになろうとは……。
あえぐように胸を押さえつつ、……呼吸を整えているのではない……、渚の目に涙がにじんでいた。
「私は……、強くなってしまった……。
優弥さんよりも、黒鳳さんよりも……、先生よりも強くなってしまった」
まるで筋が通らない。
ならばどうして泣くのだろう。
消えそうな意識の中であやめが抱いた疑問に答えるように、渚の声色が変わった。
「違う……私が強いんじゃない……。
みんな……先生すらも弱くなってしまった……。
江戸から変わってしまった、緑も、水も、大気すらも変わってしまったこの都のために……!」
自分が泣いていることに気づいて、渚は衣の裾でぐしぐしと強引に涙を拭った。
こんな奴の前で、泣きたくなんかない……。
「そうでなかったら、みんなが負けるはずがない。
みんなが出来なかった分まで、私があなた達を殺す……。
帝都も壊す……!生き残ったみんなを、私が救ってみせる!
先生が望まれていた闇の救世主になるのは私……。
あなたなんかが……、私から先生を奪ったあなたなんかが、救世主であってたまるもんか!!」
「なりたいとも、思わんわ……!」
口の周りを赤く染める凄惨な姿ながら、真之介は渚の叫びに屈するものかと無理矢理立ち上がった。
あふれてくる血を触媒にして魔術の炎を呼び、霊からふんだくった黒い炎と合わせる。
「来たれ、死の真……、っ!!」
一瞬で渚が目の前に現れていた。
もはや米田と一馬は眼中に無いかのような動きだった。
「ガッ!?」
気がついたら横から電撃剣で切られていた。
いつ剣を出したのかも、いつ切られたのかも解らなかった。
本当に……時間を止めている……!?そんな、馬鹿な!!?
毒づいた一瞬の思考の後、その一撃を追いかけるようにしてあの波動が真之介を吹き飛ばした。
「!!」
追いかける、ように……?
吹き飛ばされながらもなお、視線を動かして渚の様子を確認する。
剣を振り切って平衡を崩し、その場に膝を突いている。
剣のあとで何かしたようには見えない。
しかし波動を放つとき、渚が何をしているか見えなかった。
つまり……
「読めた!」
実験の妙案が浮かんだときのような爽快さで真之介は叫んだ。
そっちに意識が向いて受け身をとるのを忘れてしまい、思いっ切り酒船石に叩きつけられてしまったが。
「つ……」
「読めた、ですって……」
敵意をそのまま視線にした表情で渚が睨んでくる。
「ああ、この波は音波でも電磁波でも霊力波でもない。
そして基本的に防御のしようがなかった。
これは……空間そのものを揺らしている次元震とでも呼べばいいか……?」
「!!」
渚の目が大きく見開かれた。
「発生の原因は、……いくつか考えられるがおそらくは時間のズレ。
貴様は、時間を止めているんじゃない。
自分を時の流れから引き剥がして、相対時間速度が無限大に近くなるように動いている。
攻撃のあとから来た波動はつまり、時間の速度が再び一致しようとするときに生じた歪みと言うことだ……!」
「……!!」
「あのー、山崎。何を言っているのかさーっぱりわからんのだが……」
わざと米田はのんびりと言っている。
真之介が何を説明しているのかほとんど理解できないというのは本当なのだが、意図は別の所にあった。
渚が祭壇から離れ、しかも意識が真之介に集中しているこの隙に、一馬が気配を忍ばせてあやめを救いに行っているからだ。
真之介の言ったとおり、渚を倒すのは一筋縄ではいきそうにない。
ならば、隙を見つけて助け出す方が早い!
この辺りは若い真之介では不可能な打算だった。
うまく行った。
渚が茫然としている間に、一馬は祭壇までたどり着いていた。
「真宮寺大佐……」
出来れば真之介に助けて欲しかった、と思うのは贅沢かな、と心中で自分を叱るあやめである。
一馬はそっとあやめの右手首にはまった鎖を外そうして……
「!?」
手をかけた瞬間、一馬の全身に霊力の奔流が襲いかかってきた。
「くっ……!」
「ああああっっ……!!」
全身で支えていた霊力の流れが右手方向に向かって一気に集中して流れ込んでいく。
その圧力に耐えきれず、あやめは悲鳴を上げた。
これではさすがに渚も我に返る。
「味なことを!」
瞬間移動してあっという間に一馬の背後をとり、その背中に電撃剣を振るった。
一馬の反応速度も低下している。
かわすことはおろか、防御動作すらも間に合わなかった。
今回はあの波動は放たれていない。
速いが時間をどうこうしているという攻撃ではなさそうだ。
どうも、本来ならそう多用できる技でもないと思う。
「貴方の言うとおりですよ、山崎真之介……」
一馬を祭壇からはたき落としてから、向き直るのはやはり真之介の方へだった。
あやめの手の鎖は外されておらず、あやめの手に掛かる圧力も元に戻った。
「私はみんなより速い時間の中にいることが出来る……。
その気になれば、一千倍以上にまでね」
元々の渚の動きの上にこれでは、何が起こったのか三人にも見抜けなかったわけだ。
米田はふっと、何かが気にかかった。
何か……頭の中で微かに理論が繋がりそうな……
速い時間。
それが意味しているものは……
「だけど正体が分かったからと言って、それが真似できるわけでもないでしょう」
説明しているようにも、自分に言い聞かせているようにも聞こえる言い方で渚は事実を突きつけた。
この力は、私が望んだ力。
私の夢をかなえてくれた力。
それをこんな奴らに真似できるわけがない。
されたくは、ない。
「時間の方はな」
自分の血で空中に魔法陣を書きながら、思いっ切り逆らうような声で真之介は答えた。
「こそこそやったのでは見たところあの祭壇は破れそうにないらしいからな。
今度こそ完膚無きまでにうち倒して、あやめの救出の邪魔はさせん」
「……無駄なことを!……」
「WhiteMist!!」
魔法陣から白い煙の様な物が吹き出した。
そのまま周囲にたちこめるそれは、濃い霧。
渚と真之介の間は特に意図的と解るくらいに濃い。
「今度は霧に紛れて動こうというのですが。案外姑息ですね」
「測定装置だ、これは」
魔法陣をまるで実験器具のように取り扱いつつ、謎な答えを返す。
「測定……?」
「準備完了。いいからあの波動をしかけてこい。
待てばその分、あやめを苦しませているんだからな……!」
「もはや無駄だというのに……、
ならば、この一撃で消し飛んで……!」
一際強烈な波動が渚から放たれる。
が、今度はそれが視認できる。
普段は透明な大気に白い霧がたちこめることで、その歪みが観察できる!
この太正時代になってもまだ、理系の研究現場における物理現象の多くは人間の視覚に頼った観察によって測定されることが多い。
粒子加速器のような視覚では追跡できない現象には測定器を特別に作るが、それはまだ例外と言って良かった。
特に物理実験を多く行ってきた真之介は、観察する事にも長けている。
観測された歪み……波動の周期と位相を瞬時に計算して、手元の魔法陣を発動。
即座に三歩ほど引いた。
「避けられるものですか!」
渚の放った波動は広範囲に及ぶ。
確かに、見えても避けられる物ではない。
だが元より真之介には避けるつもりはなかった。
魔法陣を越えたところで真之介の体に届く前に、波動が消滅した。
「そんなっ……!」
「こちらも教えてやる!」
波動を凌ぎきったのを見計らって、真之介は一気に間を詰めた。
「波動の性質の一つ、干渉だ!」
波は正方向と負方向に揺れ動きながら動くが、この振動が正反対になる同じ周期の波を重ねると揺れ幅が零になる。
数学的に言うと、位相が百八十度ずれた波を発生させたのだ。
発生源に使った装置ならぬ魔法陣は、本来は召喚魔法に用いるための空間にあけた穴で、これを故意に振動させれば次元震と同じことが出来るのではないかと狙ってみたのだ。
よし……今度こそ……!
接近したのは、渚とほとんど離れていないあやめを巻き込まずに、かつ渚の全方向への逃げ場を防ぐ必要性があったからだ。
「漂いし霊よ!一つに集いて砕けよ!」
右手は光刀無形を抜いたままで、左手一本で呪紋を描いた。
霊力だけではなく、それに誘われるようにしてこの周辺には通常の百倍近い密度の浮遊霊や精霊が集まっている。
それらが、渚の全方向から流星のように迫る。
「!!」
これだけ密集していては、いくら加速しても避けることは不可能だ。
瞬間移動にしても、あくまで瞬間的な高速移動であってその間にある障害物を無視できない。
この状況で瞬間移動を使うのは、ケ型が速いからと言って森林を突破しようとするようなものだ。
これを凌ぐには、食らっても耐えるか、意地で全てを迎撃するか、そしてもう一つは、
「……どうする……?」
真之介は、渚が考えられるもう一つの手段で来ることを狙っていた。
瞬間移動とは別の、真田診療所の建物の内側に突如として出現した能力。
それを使わせるのが目的だったのだ。
命中寸前に、流星雨の中心から渚の姿が消えた。
動いたのではなく、自分のいる場所と別の場所を入れ替える空間転移だった。
うまくいってくれ……!
「彩光紫閃……」
やや離れた場所に姿を現した渚は祭壇のあった高さの空中に現れ、着地しようとして僅かに足下が崩れる。
また、微かにめまいを覚えた。
転移は運動ではなく空間座標が変化するので、よほどうまくやらねば平衡感覚を維持できないはず。
……と、実は確信があったわけではなかったが、結果的には真之介の狙い通りに行った。
実験をするときなんてこんな物である。
「凄覇天臨!!」
ここまで、渚には一太刀も浴びせていない。
それは言い換えれば、渚はここまで全ての攻撃をかわしていると言うことだった。
極めて、厳密に。
逆に言えばそれは、身体の耐久力に自信がないと言うことなのではないかと考えた。
一撃浴びせられれば戦況は変わる!
狙い通り、渚の反応は一瞬遅れた。
それでも直撃をかわしたのはさすがと言うべきか。
肩口から胸元へ浅くだが初めて渚に傷を負わせた。
予想が正しければ、この傷だけでもかなりの痛手になるは……
「なっ…………………!!!!???」
そのまま朱凰滅焼を叩き込もうとしたところで、真之介は絶句した。
顔にかあっと血が上って、思考が吹っ飛んでしまった。
渚の服は凄覇天臨のかすったところがその下に撒かれていたサラシまで裂けていたのだが、その下に見える素肌がかすかに……
……えーと、その……なんだ、つまり、それは……
「お……女……ぁっ?」
という結論しか出てこなかった。
初出、SEGAサクラ大戦BBS平成十一年九月二十四日
楽屋に戻る。
もう一つの第十話目次に戻る。
帝劇入り口に戻る。
夢織時代への扉に戻る。