嘆きの都
追憶其の六
第五章 狂えよ、はかなき絆 五
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一週間とちょっと。
その間、あやめは平日は儀式のつき合いで脱出のための調査もほとんど出来なかった。
一回あった日曜日には町の概要を見るので精一杯だったので、結局まだ儀式につき合っている。
今のところ、霊力を利用されていることは不安材料だが、即刻何か破滅的な事態は起こっていないので、その場で死んでやるという最悪の決断には至っていない。
しかし一方で、さすがにあやめは心配になってきた。
これだけ経っても助けが来ないことに怒るより先に不安が湧き起こる。
自分が見捨てられた、という可能性は考えない。
絶対にあいつは助けに来るという確信がある。
まず第一の理由として、ここが完全な秘密都市であることが考えられた。
所在も解らない所に救助には来れない。
冷静に考えてみれば、過去降魔戦争二年間で降魔の巣となるような場所を探して帝都内を色々探索したときにも、こんな場所は見つからなかったのだ。
そう簡単にこの場所が解るわけないのである。
どこか別の所を捜索している可能性の方を重視したかったが、……そこでどうしても引っかかったことがある。
当の真之介が今どうしているか。
生きているに間違いないと言い聞かせた想いは、今では確信となっている。
さりとて情報があるわけではない。
どうしようかと悩んだ末に、もっとも直接的な方法を採ることにした。
「山崎真之介、ね」
同僚の真之介がどうなったか教えて欲しい、と監視役兼生活管理担当者であるあずさに直接頼んだのである。
初対面の時から屈託の無い反応をしてくれるこの妖狐の少女に、あやめはある程度心を許していた。
許している、というよりはもっと親しみをこめた表現の方が適切であったかも知れない。
それは、あやめ自身は気づいていなかったが、彼女の決して長いとは言えないここまでの人生の中で、初めてのことだったのだが。
それはともかくとして話を聞いたあずさは、すげなく断るとか、理由を質すとか、任務相応と思われる対応のどれにも当てはまらない表情をしてその名前を復唱した。
笑ったのである。
意地の悪いものでも、冷たいものでもない。
興味津々で顔を突っ込んでいる、と言えば一番ぴったりくるだろう。
「同僚、ねえ」
莫迦にした笑いではなく、楽しくて仕方ないというにやにや笑いであった。
その声には、疑問を通り越した逆説の確信がある。
「本当?」
といって、つんつんと人差し指であやめをつつく。
「本当にぃ?」
「な、何よぉ」
ちょっとこういう反応は予想していなかったあやめである。
拒否されたら、捕虜の扱いに関して最近欧州で明文化が進んでいる国際法条文でも取り出して、
あずさとえんえんやり合って説得させる自信の下に頼み込んだのだが、かえって困惑してしまった。
客観的に見れば、あやめはこういう経験は非常に不足している少女なのである。
「と、とにかく、真之介は生きているの?」
「生きているらしいわよ。渚ちゃんが未だに警戒を解いていないしね」
嘘をついている様子ではない。
確信はしていたものの、その言葉を聞いてふうっとあやめの肩から力が抜けた。
それは、これで自分が助かるとかいう打算より先に、真之介が生きているということに対する純粋な安堵感であった。
しかし生きているなら生きているで、今どうしているのだろう。
自分の考えに没頭しそうになったあやめは、嬉しそうな笑顔をじいーっと近づけてきていたあずさに気づいてびっくりしてしまった。
「で、その山崎真之介とはどこまで行ってるわけ?」
ようやくあずさの表情の意味に遅ればせながら気づいたあやめは、さすがに表情がぶっ飛んだ。
「な、ななななナナななな……なにを言っテるの、そ、真之介とそんナことしテ無いってば」
「声がうわずってるよ」
極めて冷静なあずさの声は、どこかネズミを玩具にしている猫の鳴き声を連想させる。
しかし軽い悪意はあっても敵意はない。
「だってえ、生死を賭けた戦いの中で背中を預け合う若い男と女……。
一つの戦いが終わり見つめ合う二人。そして……うーん、素敵な情景ねえ」
「ちょっと」
さすがに美しい額に青筋の兆しくらいは見せつつあやめはすごんでみせるが、狼狽を隠せない表情のままではあいにくと全く効果がない。
「隠さない隠さない。素直に吐けば遠山の金さんにも情けはあろうってもんだよ、あやめ」
「隠してないってば」
絶対に言葉の用法を間違えている。
それだけは確信しつつも、明確な反論がなかなか言葉になって出てこない。
「で、接吻は今までに何回やったの」
とうとうあやめはこけた。
「戦いが終わった後の勝利の接吻……うーん、浪漫ねえ」
「いい加減ぶつわよ、あずさ」
「ひょっとして、毎晩お休みなさいの接吻?」
ゴン!
ついにあやめの本気の拳があずさに繰り出された。
とはいえ霊力を込めたわけではなく、単に拳の振りが本気であっただけなのであずさはちょっと痛い程度なのだが、それはつまるところほとんど反射で動いていたということらしい。
「照れ隠しに殴るなんて、ますます怪しいわよねえ」
「全然人の話聞く気ないでしょ、あずさ」
「あやめが隠すからじゃない」
全然あずさはへこたれていない。
「本当に何にもないんだってば……」
実を言えば、そうなりそうになったことはない訳じゃない。
でも、出来ないのだ。
自分の身体に流れている、清浄と言う名前の忌むべき力が。
接吻などしたら、真之介の身体にその力が襲いかかってしまうかも知れない。
でも、真之介はそれでもかまわず近づいてきてくれた。
結果的には、今はまだ真之介の実力不足であると懸念した一馬がお邪魔虫に入って止まったのだが。
そう回想するあやめの表情に嘘はないとして、あずさはちょっと……いや、かなり残念に思う。
「それじゃあ、告白はどっちから?」
「してないわよ!」
と叫んでから、そういえばそうだったと自分でも変に振り返った。
お互い、面と向かって好きと言った憶えはない。
大体、世界最大の語彙収録数を持つあやめ所有の真之介語辞典の中にさえ、その単語はない。
「そこまで嘘つくと可愛げが無いぞ、あやめ」
「そこまで尋問する方も可愛げが無いと思うんだけど」
「これは渚ちゃん直々の調査命令でね」
「嘘でしょう」
「わかる?」
疲れた。
すっごく。
「とにかく……今の真之介がどうなっているのか教えて欲しいんだけど」
無理矢理話を完結させて本題に戻す。
あずさはにこやかな不満顔を見せていたが、ここは納得して上げることにした。
「遠く離れて恋人を思う……か。しょうがない、ここはこのあずささんが一肌脱いで上げましょう」
「あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・す」
明確な敵意のこもった棒読みであやめは一応礼をして置いた。
あずさが実に楽しそうな足取りで出ていってから、あやめはようやく気づいた。
今のやりとりで、緊張感も使命感も完全に忘却することが出来てどこか嬉しがっていた自分の存在に。
調査報告員は思ったよりずっと早く報告を持ってきた。
個人的興味がその原動力になったことを否定できる者は、当の本人も含めて皆無であろう。
「入院中?」
「うん、兄様から教えてもらったんだけどね」
あやめは夕食の場であずさから真之介の状態を聞いていた。
なんだか、自分も図太くなったと思う。
で、話を聞いてみれば入院中で意識がないとのこと。
ついでに、米田達が小田原に出向いていることも教えてもらった。
「兄様は山崎真之介を暗殺しにいったんだけどね、方術士団が防御をしっかり張っていて出来なかったんだって。
あやめの恋人って相当重要人物扱いだねえ」
否定する気も無くして、行儀悪く御飯茶碗を傾けて一時的にあずさの視線を遮る。
「やっぱり気になる?」
「回答はさし控えさせていただきます」
「病床に倒れた男を健気に看護する……、気持ちは分かるけど許可できないからね」
「分からないでよ」
それはさておき。
あの真之介が意識不明で倒れたままということが、ちょっとあやめには信じられなかった。
診療所での戦いから十日は経っている。
今、どれだけ傷ついているんだろう。
そう思うと、無性に真之介の傍に行きたくなった。
その意味では、あずさの指摘は正鵠を射ている。
前に真之介が倒れた時みたいに、世話してやらなきゃと思う。
不謹慎だと思うけど、真之介と長い時間一緒にいられるのは自分かあいつかどちらかが倒れたときくらいなのだ。
この半年、あいつに守られっぱなしだった。
久しぶりにしょうがない奴だなあって思えるのが、どこか嬉しかったのかも知れない。
なんだか、自分でもよく解らない心理状態だったが。
以上、全て口に出しては言わない。
そんなことをしたら、あずさの苛烈極まる攻勢の中にむざむざ飛び込むようなものだと、あやめは一つ学習したのだ。
「うまい具合にみーんな小田原の方に集中してくれて、これでこちらは心おきなく儀式に専念できるからね。そんなに無茶なことあやめに強いるのは無いと思うから安心してよ」
「ということは、明日の日曜日は規定通り休めるのね」
「うん、そういうこと」
その返事であやめは決心を固めた。
脱走してやろうと。
翌日曜日の昼の内に、この町を歩いてみて大まかな構造を調べておく。
捕虜にしては、日曜日の行動はあまり制限が掛けられていない。
監視役のあずさも四六時中傍にいるわけではない。
外周部のいくつかの場所に、地上への出入り口があるらしいこともあずさから聞いていた。
大体あの辺だろうと見当はついた。
怪しまれない程度に回ったので、接近しておくことはできなかったが。
夜、就寝時間から一時間くらい待って、ひょっこりと起きる。
誰かに会ってしまったら、トイレに行くところだったとでも言うことにしよう。
座布団を畳んで毛布の中に入れて、一応簡単な偽装工作はしておく。
あずさが見に来た場合は気配でばれるだろうが、彼女は昼間しっかり起きていたからおそらく今はぐっすり寝ているはずである。
一方、自分は町を回った後で昼寝もしたからまだそんなに眠くない。
念のため、台所にあった包丁の中から持ち運びやすそうなものを拝借しておくことにした。
「あずさ、ごめんね」
口の中でそっとつぶやいて、あやめは夜の町に出た。
大体、これでも特殊部隊の一員なのである。
隠密行動くらいはちゃんと心得ている。
それに、あずさが人手は少ないと言っていた。
この町の人口も、町の見た目に比べて多くはない。
誰かに遭遇する可能性の方が少ないはずだった。
それでも、出来るだけ気配は殺しておく。
結構、順調だ。
このまま行けばどうにか出口を発見できるかな、と思ったところで、
「!!」
全身が警報を発した。
何者かの意識に「ひっかかった」と感じたのだ。
探るまでもなく、かなりの速度で気配が近づいてきている。
ここまで来たら言い訳が通じる訳もない。
強行突破するしかない。
「いい度胸だ」
間近に子供が迫ってきていた。
いや、子供のような身長だがその声は大人のものだ。
前髪が目を覆い隠しているが、その奥から睨み付けるような視線をあやめは確かに感じた。
それにしても、いつ接近された?
考えている暇はなかった。
急所を狙ってはいないが、小男の爪が襲いかかってきていた。
短刀と呼んだ方がいい包丁に気力を込めて、この一撃を弾く。
「!?」
ふっと、力が抜けるようだった。
こんなに消耗していたの、私……?
真之介の言ったとおり、半年休んでいた影響はかなり大きかったらしい。
体力を消耗し続けているのに慣れてしまって、それが普通と思ってしまったのだが、決してそんな軽いものではなかったらしい。
真之介にいつも突っ込んでいる自己管理の甘さが、自分にも言えたことがちょっと悔しい。
だが、そんな呑気なことを言っている場合ではなさそうだ!
身体が悲鳴を上げそうになるのをこらえて、さらに包丁に霊力をこめる。
神剣白羽鳥と比べて、あまりにも効率が悪い武器だがこの際贅沢は言えない。
「深仙降翔、梟禽地襲!」
狙ったのは小男の方ではなく、その眼前の地面だった。
ごうっと土煙と土砂が立ち上る。
この隙にあやめは一気に距離をとった。
「味な真似を!」
小男が舌打ちしている間に、方向を見定めてさらに外へ抜けようとする。
捕まったら最後だ。
霊力を消耗してふらつく足を叱咤して走る。
どうやらうまく撒いたのではないだろうか。
「そこか……」
不意に耳元で、いや、鼓膜に直接届くような声が聞こえた。
その直後、あやめはなんらかの術下に入った。
足下から上空へ引っ張られるようだ。
間違っても好意的な術ではあるまい。
精神力を集中させて、どうにかこれに対抗しようとする。
全快時ならば即座に結界を張り替えしてこれをしのげたはずなのに……。
こらえきれない!
ぼっ!
一瞬で視界が変化していた。
微かに落下したような感覚があり、その場に転がってしまう。
「手こずらせたな」
ひょいと襟首を持ち上げられた。
目の前にいたのは、食堂で見たことのある真っ白な大男だった。
「離しなさいよぉ」
じたばたと暴れるが体格が違いすぎる。
大男はびくともしなかった。
「兄者、捕まえたぞ」
「危ないところだったが、よくやったな」
そう言って姿を現したのはさっきの小男だ。
信じられないが、小男の方が兄で大男の方が弟らしい。
「あまり世話を焼かせるな、封印の巫女」
包丁もあっさり奪われ、霊力も尽きていたあやめはあえなく縛られてしまった。
自分がここまで脆弱になっていたことが悲しかった。
正座させられている。
膝の上にはしっかり石臼まで乗せられていた。
「脱出できるとでも思っていたのですか。この町の守護者である彼ら兄弟に脱出させないように頼んであったのですよ」
いくら何でもザル過ぎる監視だと思ったら、しっかり裏があったということらしい。
渚の説明を聞かされながら、あやめは泣きたくなってきた。
「これで解りましたか。あなたには自力で脱出できるだけの力は残っていない」
その言葉を聞いて、あやめははっとなった。
渚の隣りでちょっと申し訳なさそうな顔をしているあずさに尋ねる。
もしかして、
「もしかして、わざと一度脱走させたわけ・・・?」
「あ、わかっちゃった?渚ちゃんがね、一度思い知らせておいた方が手っ取り早いだろうって言ったんで、ちょっと罠にはめてみたの。ごめんね、あやめ」
そう言って目の前で手を合わせて謝るあずさである。
「でも、あやめも私に黙って脱走しようとするんだからおあいこだからね」
普通、脱走するのに監視官に断って脱走する人間はいないと思うのだが、あやめは反論する気も失せた。
「そうですね、ちょっと仕置きを加えておきましょうか」
「あんまりあやめにひどいことしないでよ、渚ちゃん」
あずさに頼まれて、ちょっと渚は考え込んだ。
「そうですね、じゃあこういうのはどうでしょう」
「味、する?」
「するわけないでしょ……」
あやめの御飯茶碗によそられた御飯には、これでもかというくらい大量の綺麗な緑色のワサビが混ぜ込まれている。
見ただけで鼻につーんと来そうだ。
「うわあ……」
のぞき込んで中を見た優弥が絶句する。
「これが一週間?」
「だってさ」
「渚ちゃんも凶悪なことを考えるなあ。ま、あきらめろや藤枝のお嬢」
渚の計略にまんまとかかったことを思い知らされて、あやめは今度こそ素直に待つことにした。
真之介が助けに来てくれるのを。
初出、SEGAサクラ大戦BBS平成十一年八月二十一日
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