嘆きの都
追憶其の六
第五章 狂えよ、はかなき絆 二



第五章 狂えよ、はかなき絆 一




 ようやく目が覚めた。
 たちの悪い二日酔いを五十倍くらいにしたらこんな気分だろうか。
 ひどく頭がガンガンする。
 身体全体が、慣れない仕事をした後のように重い。
 吐きそうな気分をこらえつつ、あやめは何とか立ち上がった。

 服は真田診療所の入院服そのままで、寝跡がついている以外は特に乱れた様子はない。
 ちょっとだけほっとする。
 それから、考えようとすると頭痛が悪化しそうになるのをこらえながら、一段階前の記憶をまとめる。

 部屋の中に突然、髪の長い人が現れて、それから………

 なんだかあっさりとそこで途切れている。
 多分そこでいきなり気絶させられたのだろう。
 とすると今の状況はだ。
 そこであやめは自分の周囲を見渡してみた。

 まず布団だ。
 病院の寝台ではない。
 中に詰まっているのは綿だろうか。
 特に高級でも粗悪でもない。
 それが敷かれているのは畳部屋だ。
 あやめの実家のような整然とした雰囲気ではなく、もっと一般的な住宅……と言うよりは、長屋の一つ、と言った趣がある。
 だが、どこか違和感を感じる。
 部屋の中はやや暗く、灯りはいろりの火だ。

……わかった。

 この部屋には電気がないだけでなく、最近の……文明開化以後の物体が見あたらないのだ。
 もちろんこの時代でも、都市部を離れればそんなことは珍しくない。
 とはいえ、電気はなくとも何かそれなりに最近の物があってもよさそうなものだが……。
 そこまで考えて、ちょっとだけあやめは苦笑した。
 自分がそれだけ、花の都東京の暮らしに慣れてしまったと言うことなのだ。
 だが、そこで気を引き締める。
 事態は思ったよりも悪そうだ。

 気絶させられた後、真之介がそいつを倒してくれていたらこんな所にいるはずはない。
 そうするとどうやら見事にさらわれてしまい、ここは敵の本拠地と言うことが考えられた。

「……真之介……」

 そっと、口の中でその名を呼んでみる
 あいつが黙ってそれを見過ごすはずがない。
 戦って、どうしたのだろう。
 負けたのか、それともさらう方の手際がよかったのか。
 傷ついているんじゃないだろうか、それとも……。

 そこであやめは、自分の想像に慄然となった。
 無敵の様に思われる真之介でも、実際のところ自分より三つ上なだけの青年なのである。
 いいかえればそれは、彼もまた人間であるということだ。
 死ぬはずがない、ということは無い。

「真之介……」

 今度の声はどこか切ない。

「真之介ぇ……」

 離されて、ようやく実感する。
 いつも世話を焼いているつもりでどれだけあいつに頼っていたのか。
 どれだけあいつの雰囲気に守られていたのか。
 東京に出てきて初めて会ってからずーっと、あいつの存在に安らいできたことも。
 あいつがいなくなってしまったら……、その想像はあやめの精神にいくつもの氷の剣のように突き刺さった。
 考えられないのだ。
 そうなったときの自分が。

……大丈夫、死ぬはずがない。
 死んでるはずがない。
 誰があいつを殺せるっていうの。
 米田さんや真宮寺大佐ですら、あいつを倒せるかどうかだろう。
 診療所においても一千からなる粕谷の兵士を、確かに約束通り誰一人通さなかった。
 それに、もしあいつに何かあったら、自分は気づいているはずだ。
 生きている。
 きっと生きている。
   まだ助けに来ないのは……多分今頃寝てるに決まってる。
 真之介にとっての朝は正午まで入るのだ。

 自分の部屋の、机の上か机の下か、ともかく寝台ではないところで決して多いとは言えない睡眠時間を確保していた真之介の寝顔を思い出して、 ほんの少しだけ微笑む。
 あの表情はなんだか実年齢以上にかわいいのだ。

……だから、たすけに来てくれるよね、真之介。

 きっと、起きたら喜んで救いに来てくれる。
 男のプライドがどうのこうのとしょっちゅうぶつくさ言っているんだから。
 そうしたら私も、たまには思いっきりお姫様になっちゃおう。

 自分にそう言い聞かせて自分を励ます。
 うん、ちょっとだけ元気が出てきた。
 布団を抜け出して……ちゃんと畳んで片づけてから……あやめは少し部屋の中を見て回った。
 古い造りの割に、畳の上もちょっとした家具の上もよく掃除されている。
 障子と襖は破れもなく、ちゃんと手入れされているようだった。
 庶民的だが、かなり清潔である。
 しかし、本当にここはどこだろう。
 帝都近辺にまだこんなところが残っているとも思えないが。

スッ……

 微かな音を立てて、背後のふすまが開いた。
 軋みもしなかったので、あやめはかえって驚いてしまった。
 そこにいたのは、

「もう目覚めたのですか、さすがに対降魔部隊の一人と言うだけのことはありますね」

 多分、自分をさらった張本人だろう、黒い髪の長い細身の美形が立っていた。
 藤に連なる者、と言われなかったことにどこかあやめはほっとした。

「私をさらったのはあなたね」
「そうです、藤枝あやめ少尉」

 睨み付けるようにふらつきながらも立ち上がると、自分とほぼ同じくらいの背丈だった。
 ほんの少し相手の方が高いと言う程度だ。

「高音渚と申します。以後どうかよろしく」

 渚は頭を下げず、目礼だけを言葉に加えた。

「以後ってことは、私は生贄ではなく巨大降魔を操れってことかしら」

 あやめが渦中の人物になったのは、昨年末に巨大降魔に暫定封印をしかけた第一術者であるからだ。
 術を選んでいる余裕がなかったので、永続型の術は使えなかった。
 そのため、常時あやめの霊力と巨大降魔の封印は直結している。
 あやめが死ねば巨大降魔の封印は解ける。
 あるいは、あやめの霊力をたどって巨大降魔を操ることもできるのではないか、というのが粕谷少将の考えだったらしい。
 それは無理だろうと自分では想うのだが。

「いえ、長期的に生贄になってもらいます」
「は?」

 長期的と言う単語と、生贄という単語はどう考えてもつながらないような気がするのだが。

「それではすぐ水風呂を用意しますから、入った後でこれに着替えて下さい」

 そう言って渚が取り出したのは簡易的な巫女服だった。
 嫌悪感を覚え、ちょっと引く。
 宿命の巫女とか言う言葉を、真之介に会ってから忌むようになった自分があった。

「……嫌だと言ったら……?」
「着替えを用意しません」

 追い打ちとばかりに渚は扇子を取り出した。
 自分でぱたぱたと仰いでから、閉じてすっとあやめに向ける。
 うだるほどではないが、やはり微かに汗ばんでいた。
 以後、と言うことはまあ少なく見積もっても一週間以上だろう。
 下手をすれば何ヶ月にもなるかも知れない。
 真之介に助けてもらうときに、自分が汗の匂いのこびりついた服を着ていたら……
 想像上の自分を嫌悪する。
 かくんとあやめの肩と首から力が抜けた。

「……私の負けでいい……」
「結構です。では後ほど」



 風呂が終わって着替え終わると、再び高音が現れた。

「ひょっとして、見ていたわけ?」
「常時ではありませんが、監視はついていると思っていて下さい」

 あやめとしては怒声を叩きつけたい気分だったが、こう事務的に言われると何だか怒る気も萎える。
 今度から周囲に気をつけておこうと心に誓うことは忘れなかったが。

「少々なら、歩けますね」
「歩けるわよ」

 本当は少ししんどいのだが、歩けない、なんて言った日にはどんな運ばれ方をされるか解ったものではない。
 今もまだ、自分の霊力の一部が巨大降魔にしかけた封印に捕らわれているのが解る。
 やや強い倦怠感として知覚できるそれは、まだあれが誰の手にも落ちていないと言う安心感も与えてくれた。
 それを誇りに変えてすっくと立ち上がる。

「では、祭壇に向かいますのでついてきて下さい」

 そう言われて、ようやく家の外に出た。
 薄曇りなのか、太陽の位置が解らなかったので何時頃か推定することは出来なかった。
 そして、並ぶ街並みに妙な感覚がある。
 さっきまで自分がいた長屋と同様、一時代前の雰囲気を持ったこの街は、しかし、外を歩いている人間がいなかった。
 街全体に感じるはずの人の生活感も希薄だった。
 といっても、まったく無い、と言うことでもなかったが。

 次に考えたのは、ここから脱走することである。
 しかし、ここがどこかも解らずに脱走したところで成功するはずもないし、それによって相手の心証を悪くして悪い事態を招くだけだろう。
 そんなわけで、拘束されているわけではなかったが、間接的に自分が縛られていることを悟った。

「ねえ、ここはどこなの?」

 教えてもらえないだろうとは思いつつも、腹立たしさと打算と興味に駆られて尋ねてみると答えが返ってきた。

「江戸の地下です」

 が、答えとは言うものの、かえって疑問が増えることになってしまった。
 じゃあ何でこんなに明るいのかとか、江戸と言うことは五十年ちょっとその……何だ……あれだ……真之介が言っていた……そう、タイムトラベルとかしてしまったのかとか、まあ色々である。
 この情報量では脱出するわけには行きそうになかった。
 くやしい。

「つきましたよ、中に入ります」

 色々考えている内に、目の前に神殿らしき物が現れていた。
 らしきもの、というのは、神社とも仏閣とも大きく趣を異にする建物だったからだ。
 木造でも煉瓦造りでもない。
 瓦葺きでも藁葺きでもない、何かの……。
 真之介に見せてもらったことのある石英や金属鉱の結晶体を思わせるような外観だ。
 どちらかというと、そう、建物と言うよりは自然物に近い気がする。
 不思議と、人の手が入った物という感じがしなかった。

 考え込んだあやめを促し、渚はすたすたとこの神殿らしきものの中に入って、すぐに地下へと向かう階段を下りていった。
 もっとも、渚の言うことが正しければさっきいたところも既に地下なのだろうが。

 火でもアーク灯でも電灯でもない少し青白い灯りが続く廊下を過ぎると、巨大な空洞に出た。
 さほど強くないこの灯りでは天井が見えないくらい高い。
 そして床は、

「これは、酒船石・・・?」

 円と楕円を線で結んだその形状に見覚えがあった。
 奈良は飛鳥地方で見られる謎の石造物体、酒船石だ。
 それがびっしりと敷き詰められている。
 ずーっと見渡していくと、空間の奥の方に祭壇のような物があった。
 その祭壇からは特に多くの線が床へ伝っている。

 そして祭壇の近くには一人の少女が立っていた。
 歳はあやめと同じくらいだろうか。
 薄手の衣を一枚、紐とも帯ともつかないような物でまとめた簡素な格好だが、それ以上に髪の間から伸びた耳と、背後に踊る三本の尾が特徴的で、華やかさを感じさせる。
 妖狐と呼ばれる古い妖怪の一族であることを、あやめは朧な記憶をたどって思い出していた。

「私、あずさ。よろしくね、封印の人」

 近づくと少女は気楽な口調であやめに話しかけてきた。
 捕虜としての待遇は悪くないらしい。
 自分をここまで連れてきた渚が無愛想なことに比べれば、ずっと親しみがもてる。

「私は藤枝あやめ。あやめでいいわ」

 敵なのだろうという意識はあったが、気楽さに感化されたのかあやめはつい答えていた。

「あずささん、早速なんですけど調整を終わらせておきたいので」
「うん。設置は終わってるからすぐに出来るよ。あやめ、こっちに来てくれる」

 いきなり友人口調である。
 不吉な予感を覚えさせられる祭壇であるが、あまり抵抗する気が起きなかった。
 何重にも文様が刻み込まれてはいるが、貴金属や宝石類による装飾は無い。
 ただ目につくのは、祭壇の四方に設置された四つの像であった。
 大きさ十数センチといった所だろうか、並々ならぬ力を感じる。
 これらは無論、優弥が五人の仲間の命と引き替えにようやく宮城から奪還してきた四神の像に他ならない。

「はい、これつけてね」

 拘束具とすら呼べないような細い鎖のついた腕輪と足輪をはめられて、自分が捕虜だと言うことを思い出した。
 腕の方は上から引っ張られている格好だが、鎖が繊細さを感じさせるくらい細い。
 儀式の内容次第では、瞬時に脱出しなくてはならない。
 しかし、引っ張ってみるとこの鎖は意外に頑丈だった。
 そしてそれ以上に、自分の健康状態はまだ悪いままで、かつ、渚とあずさの二人に監視されていてはこの場から逃げることすら不可能だった。
 即座に殺されることは無いようだが、死んだ方がマシになるかもしれない、とちょっと背筋が冷たくなった。

「それでは始めます」

 渚は、あやめの正面にある朱雀の像に霊力を注ぎ込んだ。
 とたんに四つの像が光り出し、あやめは四つの鎖に盛大に霊力を吸い取られる感覚に耐えきれず悲鳴を上げる。

「ああああああああっ!!」
「渚ちゃん!一旦停止!やっぱり強すぎるよ!」
「ええ」

 酒船石の線を霊力が走るのを確認してから渚は祭壇の機能を停止させた。

「はあ……っ」

 立っていられなくなったあやめは前のめりに倒れそうになるが、上から腕を引っ張る鎖がそうさせてくれなかった。
 代わりに全身から滝のように汗が祭壇にこぼれ落ちる。
 それ用らしい巫女服は汗を吸ってもそれほどひどい着心地にはならなかったが、あやめはもう着替えたくなってきた。
 あずさが用意していた水筒から水を飲ませてくれなければ、脱水症状で気絶に逆戻りしていたかも知れない。

「第五段階では強すぎましたか」
「第七段階で一撃昇天だからこれくらいと思ったんだけど」

 物騒なことを言われている。

「あずささん、二段階下げて下さい。それならおそらく大丈夫でしょう」
「……長期的な生贄って、霊力を吸い取り続けるってこと・・・?」
「ありていに言えばそういうことです」

 ようやくあやめは合点がいった。

「私一人の霊力で何をするつもりなのよ」

 自分の霊力だけで帝都をどうにか出来るとは思えない。
 巨大降魔の封印を解くというのならば自分をさらったのも解るのだが……。

「水地センセイの作った巨大降魔と霊的につながっているからよ」
「え?」

 あずさが言った言葉で、あやめは思いだしたことがある。
 あの水地が言っていたことだ。
 降魔に霊的な物を加えると進化するとか何とか……。
 巨大降魔を操るなんて不可能だと想っていた思考が、水地の名前を聞いただけで恐怖と共に否定的推量になってくる。
 恐るべき敵だった。
 真之介が勝てたのが信じられないくらい。
 この者たちは、水地と直結しているということなのか。

「あずささん、一応秘密なんですよ。気をつけて下さい」
「渚ちゃん、ごめーん」

 渚がため息混じりにたしなめるので、あずさはちょっと舌を出して謝った。
 あやめは考えを中断してそちらの方に興味が向いた。
 やはり妖の者であるせいか、二人の年齢差は見かけとは違うらしい。
 一応、外見上は渚が二十ほど、あずさが十六七といったところで、それ相応の口調なのだが、お互いに対してはその年齢関係が逆のように思える。

「もう落ち着きましたか?ではもう一度試してみます」

 今度は軽い貧血のような感覚だ。
 これなら長時間でも何とかなりそうな気がする。
 増幅されたらしい霊力の流れが酒船石の上を動き回るのを確認する余力もあった。

「では明日からこの強度で拘束します。それで、一日の予定ですが……」

 祭壇を停止させてから、渚はファイルを取り出した。
 渚としては大学で使っていたので慣れてそのまま使っているのだが、それが文明開化以後の物体としてやけに新鮮に見えてしまう自分があやめはちょっと嫌だった。

「朝六時起床、
 六時半朝食、
 七時から九時半まで祭壇にいて、
 三十分の休憩の後また二時間半祭壇。
 十二時四十五分から昼食で、
 一時半から二時間半を休憩を挟んで二回。
 七時十五分から夕食で、
 八時からもう一回二時間半、
 十一時就寝とします。
 よろしいですか」
「………………………あとで、予定表と時計くれる?」

 あまりにもすらすらと並べたれられ、あやめは反論する気も失せた。
 捕虜にして生贄への対応としては厚遇すぎるほどとも言える内容だが、これでは脱出するための気力も残りそうにない日程である。
 ともかくそれを肯定と受け取って、渚は書類をめくる。

「それから……、御飯は玄米に限るとか、みそ汁は赤出汁しか駄目とか、納豆は水戸のがいいとか、豆腐は木綿以外食べないとか、魚は生でしか食べられないとか、牛蒡を食べると体調を崩すとか、なめこは食べられないとか言った、食べ物の好き嫌いはありますか?」
「・・・ないわよっ!」

 本当は少々の好き嫌いくらいあやめにもある。
 が、ここで一々細かく指摘し返す気には到底なれなかった。
 何だかどうでもいい、というのが素直なところかも知れない。

「よかったわー、人手が足りないからあんまり色々作る余裕無いのよね」
「では、大体は私たちと一緒に食事と言うことになります」

 あやめは、冷遇されているのか厚遇されているのか解らなくなってきた。
 あずさが言った、「人手が少ない」ということは頭に刻み込んでおいたが。

「では、明日からに備えて、本日は早めに休んで下さい。
 なお、日曜日は基本的に休みとします。
 また、一ヶ月のうち数日休みたいときには自己申告して下さい。
 以上、何か質問は?」
「ちょ、ちょっと待って!あれから何日経ってるのよ」
「一日経っていません」

 ということは、少なくともここは現代太正の時間そのままらしい。
 これでようやく安心する。
 脱出する意味が手元に戻ってきたからだ。
 それから、休日を確保できることも。
 江戸の地下、ということは脱出する最低限度の方向が解っていることになる。
 すなわち、上。
 階段か、次元の穴か、魔術による昇降機か、ともかくそれがありそうなところを探すことだ。
 とにかく、希望を捨てずにいる意味はありそうだ。

「では、今日はこれにて」
「あれ渚ちゃん、まだ仕事あるの?」

 内心であやめがそんなことを考えているのを知ってか知らずか、あずさはあやめの手足の鎖を外しながら、不思議そうに尋ねた。

「今、黒鳳さんから連絡が入ったので、ちょっと行ってきますね」

 それをきいてあずさの顔が少し曇る。
 渚が行くということはすなわち……

「あずささん、気になさらないで下さい。つらい訳じゃありませんから」

 そういって微笑むと、渚はフッと姿を消した。




「手当なんかいらねえっつーの!」
「いいからおとなしくしてろ重傷人!傷口から腐ってくるわよ!」

 宮城の戦いで春日玲介から受けた優弥の傷は決して軽傷ではない。
 あずさの姉であるあずみは、手当を嫌がる優弥が脱走しようとするので怒って、とうとう自分の炎を使って監禁することにした。
 あずみも妖狐である。
 その操る炎は生半可ではない。

「おとなしく手当なんか受けてる場合か!俺は相模を手伝いに行くぞ!」

 あずみ、あずさ姉妹の兄である相模は、やはり同じく妖狐であるが二人をさらに上回る実力で、ほぼ優弥と互角である。
 相模と優弥はしょっちゅう喧嘩しているが、周囲の評価はと言うと「喧嘩するほど仲がいい」という所である。
 その相模は今、優弥が宮城から持ち帰ってきた祭器を片手に、帝都の外周部へ出向いていた。
 なんだかんだ言いつつ心配だということもあるだろうが、それ以上にあずみの目には自暴自棄になっているようにしか見えなかった。

「あの中将サンや五樹たちに申し訳が立たないからってわけ?
 何寝言ほざいてんのよ!
 自分を痛めつけて自己満足に浸るような男の誇りなんか、だから嫌いなのよ!」

 さすがのあずみもぶちきれた。
 その指摘がものの見事に的を射ているため、優弥も言葉に詰まる。
 宮城の戦いで優弥は、古くからの友五人と尊敬していた朱宮中将を失った。
 優弥をよく知っているあずみは、その気持ちだって分かる。
 あずみもこの町で育ち、五樹たち五人とは優弥ほどではないにしろよく知った仲だった。
 しかしだからといって、今の優弥を肯定できるかというとそれは別問題だ。
 こんな荒れたこいつを放っておけない。
 許せない。

「これ以上ごねるようなら、腕の一本くらい焼き尽くすわよ。本気で」

 あずみは睨み付けるような視線と共に、四本ある尾の一本を炎に変化させた。
 あずみが本気になれば、亜鉛や錫程度の金属ならあっさりと蒸発させるほどの高温を生み出せる。
 まともに食らえば、優弥とてただでは済まないはずだ。

「……わかった」

 渋々、諦めたように優弥はどっかと座り込んだ。
 やれやれとため息をついて炎と収めてから、あずみは優弥の傷の手当を始めた。




「まだ、休んでいた方がいいのではないか」
「このくらいで休む気にはなれないわ、動いている方が気が楽だもの」

 黄泉の宝具の一つを持ち外陣を回る相模について来ているのは、一馬と京極の連合に敗れて木喰の犠牲によりかろうじて脱出できたばかりの紗蓮だった。
 幸い、彼女自身にはそれほどの重傷はなかったとは言っても、休んでいた方がいいのは間違いない。
 だが、休む気にはなれなかった。
 京極の亜空間に一人残った木喰が生きていられるはずがない。
……自分一人だけ助かった。
 その引け目がある。
 精神が痛む。
 少々だが、身体が痛んでくれなければ釣り合いがとれない。

 相模は妹たちとは違い、冷静だった。
 これは止めても無駄だろう。

「いいだろう。ついてくるなら精々働いてもらう」

 そういって相模は黄泉鈴……宝具の一つを紗蓮に手渡した。

「軍の目が小田原に向いているとはいえ、慎重にやる。今日は小手調べだ」
「解っているわ」

 黄泉の宝具が一つ足りない状態では八鬼門を解放とまでは行かないだろうが、武蔵を引っぱり出すつもりはないし、活性化させるくらいならこれでおそらく用が足りるはずだ。
 必要なのは、造り替えられた物を元に戻すことなのだから。



第五章 狂えよ、はかなき絆 三


初出、SEGAサクラ大戦BBS平成十一年八月十四日



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