嘆きの都
追憶其の六
第四章 燃えよ、我らが帝都 六



第四章 燃えよ、我らが帝都 五


「粕谷少将……」

 あたりは炎に包まれ、かろうじて生きながらえた者たちの苦悶の声があちこちから聞こえてくる。
 何とか軽傷で済んだ者たちが、重傷者たちを回収して撤退命令を実行していった。
 この状態では、軍団を以て攻めるというのはもはや不可能に近い。
 だから、生存者の救出を第一にして、攻めは自分一人でやろうというのだろうか。

 真田診療所に藤枝あやめを奪取せんとして襲いかかった粕谷少将の軍は、事実上壊滅した。
 そんな光景を背後に、赤々と燃えさかる炎に壮絶な鬼神の如く照らされてその男は姿を現した。
 真之介は、相手の名をつぶやいてからどうにか両足に力を込めて姿勢を立て直した。
 客人を迎えるためではない。
 来た者を迎え撃つために。

「恐るべき男だ、おまえは」

 二十歩ほどまで間が詰まったとき、粕谷は歩を止めた。
 そこで真之介が視線に力を込めたせいなのかどうか。

「まさか、軍勢の半分以上を壊滅させられるとは思わなかった」

 粕谷の語りは淡々としていた。
 怒りと哀しみのどちらも、表現しうる限界を超えて尚、彼は山崎真之介が必要なのだ。
 そして、どうしようもなくその意志に男として惚れ込みそうになる。
 感情を切り捨てねば、発狂しているところかも知れない。

「これが、人の力と魔の力の差という訳か……」

 尋ねたのだろうか。今のは。
 確信が持てなかったので、真之介は答えなかった。
 本音を言うならば、喋るだけでも辛いのだ。

「山崎真之介少佐に告ぐ。藤枝あやめ少尉の身柄を当方に引き渡せ」

 最後通告だった。
 真之介の今の状態では受け入れざるを得ない……という所なのだが、

「対降魔部隊は独立部隊。故にその命令を受ける理由はない」

 自分の傷を省みると言うことは思考の外にある真之介であった。

「そうか……」
「、訂正する」

 諦めたように構えを取ろうとした粕谷の耳に、意外な言葉が入ってきた。
 だが、その次の言葉は意外でも何でもなかった。

「命令など知らん。そして、あやめは絶対に渡さん」
「よく言った」

 自分にこの青年と同じだけの……、いや、この半分ほどの覚悟でもあれば、もしかしたら違う人生だったかも知れないと思う。
 その答えに、その想いに、粕谷はわずかに嫉妬のようなものを覚えた。
……よそう、振り捨てた過去はもう戻らぬ。
 今は、未来を動かす為にここにいるのだ。

「正義などとおこがましいことは言わぬ」

 軍刀をその場に投げ捨てて、粕谷は素手で歩を進める。

「我が希望の前に屈するのだ、山崎真之介・・・!」
「断るっ・・・!」

 その言葉で、戦いが始まった。

「彩光……、!?」

 真之介が剣に力を込めようとしたときには、既に粕谷が間合いに入ってきていた。

ガンッ

 剣を持つ右手に強烈な蹴撃が叩き込まれ、一瞬気力が途切れそうになる。

 この動きは・・・、先ほどの術者よりもさらに速い・・・!

 そう思った次の瞬間、天地が逆転していた。
 振り上げた足の戻りに姿勢を低く下げて、後方から両足首を払われたのだ。

「来たれ、振夜の……」
「遅いっ!」

 天地逆転のついでに背中を見せた隙を、粕谷は見逃さなかった。
 空中に逃れることすら出来ない。
 身体ごとぶち当てるような肘打ち、そこから強烈な横飛び蹴りで真之介の身体を診療所の壁に貼り付けた。

「ガ・・・ハ・・・ッッ!!」

 そういえば、粕谷少将が陸軍学校で三種の格闘技の教官を兼任する超人だと言うことを、真之介は激痛と共に思い出していた。
 さすがに手から光刀無形がこぼれ落ちる。
 さらに、真之介の身体が壁からはがれ落ちるところで、

「ハアッ!」

 左足首を掴んでの、背中合わせでの背負い投げという無茶苦茶な技をしかけられた。
 詠唱が必要な魔術は間に合わない。
 この間合いに入られた時点で、真之介の魔術はほぼ全て粕谷に封じられたと言って良いだろう。
 こうなると打つ手は……

「どうだあっ!」

 喧嘩じみた動きで、投げられながら空いている右足で粕谷の眉間を蹴りつける。
 わずかに、粕谷の手が緩んだ。

「空烈!連衝!」

 一文節音の呪法ならば間に合う。
 大気を破裂させる衝撃波をいくつも出現させて粕谷の手を振り払う。
 身体が宙に浮く。
 詠唱の時間が出来た。

「押し流せ!大いなる海の女王!」

 玄関から外に向けて瞬間的な津波を発生させた。
 粕谷は踏みとどまろうとしたが、地面ごとえぐられてはさすがに無理だ。

ズザザザッッ

 召喚魔術の効力が切れて、水があらかた引いたときには粕谷と真之介の間は十メートル強離れていた。
 この間合いなら、粕谷が間を詰めるより早く……

ガンッ!

 高速で飛んできたいびつな金属塊が真之介の肩を直撃した。

・・・なん・・・だ・・・っ!?

 粕谷が足を振り上げていた。
 真之介に考えている余裕はなかったが、粕谷が蹴り飛ばしてきたのは結界の第三陣を砕いた砲弾の、朱凰滅焼で蒸発しきらなかった残りだった。
 これだけの隙さえあれば、粕谷はぎりぎりで接触することが可能だ。
 真之介は既に最初に叩きつけられたときに光刀無形を手放している。

「一旦、眠れっ!」

 伸び上がるような右拳の一撃が真之介の顎を捉えた。
 顎の骨の砕ける不気味な感覚が、衝撃と共に真之介の脳を物理的に揺らがせる。

「・・・・っっ!!」

 口の中に血の味があふれる感触。
 だが、真之介は逆にそれで自分の意識が飛んでいないことを確信した。
 振り抜いた今の一撃で粕谷は勝負を決めるつもりだったのだろう。
 必殺の一撃を加えた直後は、霊力があろうと無かろうとに関わりなく、最大の隙が生じる瞬間なのだ。

「我が血の盟約もて来たれ、死の真紅!」

 口の中にあふれてくる血を詠唱と共に呪紋として粕谷に吹き付けた。
 直後、粕谷の全身が炎に包まれる。
 だが、やや弱い。
 真之介の魔力がこの連戦で尽きかけていると言うこともあるし、先刻の津波で粕谷の全身が濡れていることを考慮に入れていなかったのだ。
 真之介は自覚していなかったが、風塵の放った虚空の慟哭で受けた傷での失血のために、既に血が足りなくなってきてるのだ。

ガク・・・ッ

 その上、顎への一撃が足に来たらしく、真之介の膝が崩れた。
 一方粕谷は濡れた大地に転がって、手早く火を消そうとしている。
 瞬間の判断力は粕谷の方が上だ。

 倒せてはいない……、まだ倒せてはいない・・・!

 光刀無形は手を伸ばして届く範囲にはなかった。
 魔術しかない!

「力の精霊……、我が手に集え・・・!」

 残る魔力を振り絞って、両手にエネルギーを集める。
 生半可な一撃では粕谷は倒しきれない。

「ハアアアアッ!」

 自分の体より大きくなるまで巨大化させた光球を、丁度炎を消し終えた粕谷の立ち上がりに向けて放った。

「!!」

 避けきれないと判断した粕谷は両手を交差させて防御した。
 光球が粕谷のその手に触れた瞬間、大爆発を起こす。
 防御したものの、耐えきれずに粕谷は吹っとばされた。

ドシャアアアアアッ

 盛大に転がり、大地を滑る。

 これで……倒れてくれ……

 さすがに真之介にも自分が限界に来ていることがわかった。
 魔力は今ので使い尽くした。
 霊力はまだかろうじて残っているが……

ザッ……

 粕谷が立ち上がった。
 両腕がだらりと下がっているところを見ると、今の一撃で折れたのかもしれない。
 少なくとも今は使い物にはならないだろう。
 しかし、粕谷の最大の武器は拳でなくて脚だ。

「つくづく……大した男だ……」

 ゆっくりと歩を進めながら粕谷はつぶやいた。
 目の前にいるこの男は、とうの昔に死んでいて当然の状態である。
 先ほどの風塵との戦いから加算して、常人ならば致命傷となるであろう傷が、端から見てわかるだけで五カ所。
 出血によって、本来は緑のはずの軍服は余すところ無く赤黒く染まっている。
 その軍服すらも右上半身はズタボロで原形をとどめていないが、同じ色に染まっているので一応全身服を着ているように見えるという有様だった。
 それでも、目はまだ闘志を失っていない。
 粕谷が立ち上がってくるのを見るや、腰に残っていた光刀無形の鞘を引き抜いて、杖のようにして……いや、立ち上がればそれを刀として構えた。

 これが、人間としての格の違いか……

 自分の半分も生きていない青年から感じる威圧感……、迫力……それらを越えた何かに、粕谷は恐怖と共に憧憬をも覚えた。

「私は、おまえを殺したくない……」
「俺は、おまえを殺してでもあやめを守る……」

 小気味よい返事が返ってきた。
 断られたというのに、いっそ爽快であった。

「これで最後だ」

 殺さずにこの男を屈服させることは不可能かも知れないが、出来るだけ殺さぬよう努力しよう。
 北条氏綱の器としてではなく、一人の武人としての思いから粕谷はそう考えつつ一歩踏み出した。
 丁度そのとき、相手の筋肉の動きすらも聞き取るまでに鍛え上げられた粕谷の耳が、遠くに軍靴の音を微かに聞いた。
 海軍軍令部からの制圧部隊の可能性が高い。
 部下は既に脱出させている。
 彼も急がねば脱出する時間もなくなるだろう。
 最後の一撃を加えるべく、駆けだそうとした瞬間、

ドオオンッ!

 空間そのものが揺らいだような衝撃が伝わってきた。
 真之介から放たれたものではない。
 その証拠に、彼も姿勢を崩し鞘で杖ついている。

「何だ・・・?」

 見れば、診療所の扉と窓ガラスが全て砕け散っていた。
 繰り返した砲弾の衝撃波と音にもびくともしないように真之介が強化しておいたそれが。
 真之介の顔色が……もうすでにお世辞にも良いとは言えないが……確かに変わった。

「あやめっ!」

 そう叫ぶと、信じられないことに真之介はその身体で走り出していた。
 一瞬で、壁の傍に転がっていた光刀無形を拾い上げると、診療所の中に駆け込んだ。

「……若い、な」

 呆れるより先に感嘆して、粕谷も後を追った。
 何が起こったというのだ。


 中の壁にもいくつもヒビが入っていた。
 強化しておかなかったら建物ごと崩れていたかも知れない。
 真田は診察室の寝台に寝かされていた。
 こちらは問題ないらしい。
 とするとやはり……
 あやめの部屋の前で、琴音と斧彦が倒れていた。
 琴音は部屋の中から吹き飛ばされたらしく、扉の向かいの壁に打ち付けられて気を失っていた。
 斧彦は倒れながらも何とか意識がある、という状態のようだ。
 この二人はこう見えても陸軍の中ではかなりのエリートである。
 その二人をあえなく倒した者が中に……

「宿題は済みましたか。山崎真之介少佐」

 気絶したあやめを宙に浮かべて、そいつはこちらに背を向けつつ悠然と声をかけてきた。
 祭祀に用いるような古い型の着物。
 腰まである長い黒髪。
 服の上からでも細いとわかる身体つきだが、その霊力は生半可なものではない。
 そして何より、その声には覚えがあった。

「おまえは……」
「高音・・・!」

 言葉を続けたのは、後を追ってきた粕谷だった。
 半歩と離れていない背後だが、今は攻撃するつもりはないらしい。

 そして、ゆっくりと振り向いたその人物の顔は、
 帝大史学科近代都史研究室の講師……
 いや、この状況でその呼び方は適切ではないだろう。

 水神、水地新十郎の弟子、高音渚。

「妙なところでまた会ったな」

 光刀無形を握り直しつつ、真之介は敵意をむき出しにした。
 目に映る情景が、気を抜くとすぐに霞んでくる。
 常に自分自身の意識を全力で支えておかねばその場で倒れそうだ。

「その様子では宿題を解いていないようですね、闇の救世主様」

 高音の最後の一語にも、それに負けぬ劣らぬ敵意があった。
 少なくとも、敬っている言い方ではない。
 そしてその言い方は、確かに大空洞の底で会ったときの水地を連想させた。

「そんなことはどうでもいい……あやめを返せ」
「自分の状況を見てから喋りなさい、山崎真之介」
「……もう少し早く加勢に来て欲しかったものだぞ。
 そうすればあれだけの死者は出さずに済んだ」
「何?」

 粕谷がどこか安堵したような、どこか恨みのこもったような言葉を高音に向けたので真之介は思わず聞き返した。
 それはつまり、高音が粕谷の仲間と言うこと・・・!

「心外ですね。次の段階のために準備をしてきたというのに」
「ほう」
「業務連絡です。生き残っている兵たちを連れて小田原城へ向かって下さい」

 それまでより一層淡々と、感情の全てを消し去ったような声で高音が粕谷に告げた。

 小田原城……だと・・・?

 真之介はいぶかしんだが、粕谷はなるほどという顔をしている。

「何にしても……黙って行かせると思ったかあっ!」

 光刀無形を振りかぶり、高音に向かって斬りつけた。
 動く途中でまた傷口が開いたらしいが、真之介は気にしなかった。
 残された霊力を振り絞り、一撃・・・!

スッ……

 その一撃を、高音はあっさりとかわす。
 速い、と言う領域をいっそ越えている。
 そんなことを思わせるほどの動きだった。

「人質のことは気にしないのですか」

 高音は意外そうな顔で尋ねてきた。
 問いかけた言葉の内容の割に、あやめに刃物も何も突きつけてはいないが、高音が動くのに合わせてあやめも移動させられている。
 浮遊の術ではなく、念動力で浮かせているらしい。
 厄介だった。
 解除するには術者の精神集中を解くしかない。

「……おまえらは何にしてもあやめが必要なのだろう。今は害するような真似はしないはずだ」
「殺さなくても、他に方法はある、と考えないのですか。
 例えば、この顔に一生残るような傷が付いたらどうするつもりですか」

 高音の聞き方は皮肉っている者のそれではない。
 本当に尋ねている。
 真之介が何と答えるのか知りたがっている。

「……かまわん。さらわれて生贄として殺されるよりは遙かにいい」

 しばしの熟考ののち、真之介は言い切った。
 それに対して、高音は不快とも言える表情を示す。

「女の気持ちを考えないのですか。いい度胸ですね」

 真之介に向けて片手を広げる。
 何らかの攻撃をしようというのは確かだ。
 琴音と斧彦を倒した攻撃は一体何なのか……。
 だが、当面の危機を無視して真之介は答えた。

「そうなったら、俺の命と引き替えにしてでも、必ず治してやる」
「そう都合良くいかなかったら・・・」
「どちらにしても、責任があろうと無かろうと…………」

 そこで真之介はチラリとあやめの方を見る。
 あやめの意識がないことを確認したのだ。

「あやめと結婚するのは、他の誰にも譲るつもりはない」
「…………」
「…………………………」

 高音の顔に、思いっきり呆れた、という表情が満ちる。
 後ろでは粕谷が必死に笑いをこらえていた。

「そんなにおかしいか、おまえらあっっ!!!!!!!」

 自分の発言に思いっきり後悔して、白いを通り越して土気色になった顔が微かに赤くなる。

「いや……、そこまで言えたら、大した……ものだ……」

 粕谷は裏に意図を全く込めることなく、心底そう答えていた。

「……………………………殺す………………!」

 常の状態ならば、額に血管が浮き出ていただろう。
 あいにく今は血が足りないが。

「寝ぼけるな」

 その真之介に向かって冷徹な声がかかった。
 誰の目にも、誰の耳にも明確なその感情は、憎しみ。

「その答えならばこそ、私はあなたを許さない」

 真之介の全身に緊張が走る。
 この感覚は確か、前に・・・

「私から先生を奪ったあなたを許さない・・・・・・・・!」
「!!」

 高音のその声と共に、真之介は吹っ飛ばされた。
 何も視認できなかった。
 何も見えなかった。
 超能力ならば感じるはずの微かな精神波も感知できなかった。
 攻撃の手段となったものが何かわからなかった。
 ただ、全身を波動のようにして捉えるこの感覚は覚えがあった。
 研究室で高音から感じた、電磁波でも音波でも熱波でもない波動……あれだった。
 そう考えていたら、真之介の身体が宙づりにされた。
 支えられているのは首一本。
 今度はわかる。
 高音から念動力が発せられていた。
 それでも、あやめを浮かせている念動力は途切れない。
 かなりの超能力だ。

「殺すのはあなたじゃない……。私が、あなたを、殺す・・・・・・!」

 偽りの無い、隠し様の無い殺意があった。

「よせ高音!ここで山崎少佐を殺してしまっては、この後の計画が成り立たんだろうが!」

 さすがに様子がおかしいと粕谷は思った。
 山崎真之介を殺してしまっては計画が成り立たないのではなかったのか・・・!?

「……かまわない。やっと、この男を殺せる……」
「よせ・・・!」

−−−彩光緑貫、雷神疾走!−−−

「ッ!!」

 宙づりにされた状態から、二人が会話している間に霊力を練り上げて真之介は技を放っていた。
 極限まで収束させた電撃。
 これならあやめを巻き込むことはない。
 だが高音は、光速に近いはずのこの攻撃にすら反応してかわした。

「悪あがきを・・・!」

 そこで首にかかっていた高音の集中が緩んだ。
 あやめからも離れた。

「彩光紫閃、凄覇天臨!!」

 完全に捉えた一撃……、今度こそかわせるはずがない・・・!
 が、
 消えた。
 眼前に捉えていたはずが……
 直後に真之介はあの波動を再び食らい、吹き飛ばされていた。
 だが真之介も倒れない。
 踏みとどまり再度剣を振るおうとする。

「アー、診療所内にいる者に告ぐ」

 いきなり、緊迫感を欠如した声が外から響いた。
 どうやらメガホンを使って拡声しているようだ。

「こちらは海軍から鎮圧に来た海軍大将山口和豊である。ただちに武装解除し投降せよ」
「なんだ、米田のうわばみ仲間か」

 威勢をそがれて、ため息混じりに真之介はつぶやいた。
 酒に関しては、米田と渡り合えるという化け物だ。
 一応、今はこちらの加勢ということになるのか……

「やむを得ん、撤退するぞ、高音!」
「くっ・・・・・・!」

 ここで、高音は真之介を殺すことが出来たはずだった。
 だが、粕谷の声に思わず身体が反応していた。
 高音はあらん限りの憎しみを込めて真之介を睨み付けた後、あやめを引き寄せた。

「あやめを・・・放せえっ!!」

 全身で、あやめを奪い返そうと突っ込んだ。

「あなたは殺す・・・!必ず・・・!!」

 その声が真之介の耳に響いたと思った次の一瞬、高音の姿はあやめと共に消えていた。

「……これは、瞬間、移動・・・?」

 付近に気をめぐらせてもあやめの気配を感じ取れない。
 少なくとも十キロメートルは離れているはずだ。
 気がつけば粕谷も姿を消していた。
 こちらは包囲網を実力で突破しているのではないだろうか。

「小田原城……」

 確かにそう言っていた。
 そこならば、確かに十キロメートルがどうのと言う距離ではない。
 身体を引きずるようにして外へ向かう。
 が、もはや意識が途切れそうだ。

「おう、山崎君?」

 山口大将の声が耳元で聞こえたような気がした。

「小田原へ……、お・・・だ・・・」

 意識が途切れる最後の最後まで、真之介の身体は前へ向かおうとしていた。
 支える山口を振り払おうとする動きが止まった。
 慌てて山口は脈を確かめる。
 弱い……が、確かに生きている。

「担架を持って来い!陸軍……、海軍……あー、どこでも構わんから早急に山崎少佐を病院に連れて行け!」

 慌てていたのでつい裏の階級で指示してしまったが、この際そんなことはどうでもいい。

「まったく、大した子だ……」

 どう見ても死体にしか見えない状態で運ばれていく真之介の姿を見送りながら、山口はため息をついた。
 五百の兵で取り囲んだのに、粕谷には突破されてしまった。
 それも、両手が効かない状態で。
 その粕谷と、その率いる軍勢をほとんど一人で相手にしたのだろう。

「大将閣下、診察室で病院関係者と思われる一般人を一名保護いたしました。
 意識はありませんが、外傷は見あたらない模様です」
「陸軍少尉を一名、上等兵を一名同じく保護しました。
 おそらく清流院少尉と太田上等兵と思われます。
 両名ともケガは骨折と裂傷がいくつかで、軽微な模様です」

 骨折で軽微もないだろうが、先ほど真之介を見送った後ではそう言う印象にもなるだろう。

「粕谷軍の動向は掴んでいるか?」
「ここに来るまでに一中隊を倒したのと、四小隊ほどが西に向かっているのが確認されていますが、それ以外では……」
「ふむ……」

 合わせても、いくら何でも少なすぎる。
 軍勢の半分以上はどこに行ったのだ。
 焼死体がずいぶん転がっているが、それでも少ない。
 それに真之介が小田原とか言っていた。

「橋本少佐はこの診療所を警察と協力して検証してくれ。
 瀬川大尉は横浜方面へ急ぐのだ。粕谷少将の捕縛を無理に狙うのではなく、行方を捉えるのを最優先させること。
 後の隊は儂とともに電話局と新聞社の奪還に協力する」

 親粕谷の北村海軍少将を放っておくことを山口は危険視したが、陸軍に続いて海軍まで内部抗争を露呈するのは出来るだけ避けたい。
 北村少将の軍は制圧隊として、朱宮中将旗下の軍が占拠している帝都日報社を攻めている。
 そこに協力と称して割り込んで、北村の動きを封じるしかない。
 それで、こんな命令だった。

「米田君……、宮城はまかせたぞ……」




第四章 燃えよ、我らが帝都 七


初出、SEGAサクラ大戦BBS平成十一年八月六日



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