嘆きの都
追憶其の六
第四章 燃えよ、我らが帝都 五
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一馬は迷う心配がなかった。
確か京極の執務室があったと思われる方向から、この陸軍省全体に影響している強力な陣の存在をひしひしと感じるからだ。
どこにこれだけの術の準備をしていたものか。
おそらく、生贄の大量使用で準備期間を一気に短縮したのだろう。
罠にだけ警戒しつつ、一気に執務室に踏み込んだ。
「ようこそ、真宮寺大佐。金剛もなかなか頑張ってくれたようだが、やはり足止めがいいところだったか」
京極は、見慣れたいつもの陸軍服ではない。
一昔前の陰陽師の姿をして、どこか禍々しいものを感じさせた。
部屋には赤々と燃える松明が四本。
床には多重陣が描かれていた。
いや、もう部屋とは言えなくなっている。
気がつけば壁が消失し、別空間となっていた。
「せっかく丁寧に準備したものを、おまえに破壊されたくないのでな。
実は先ほどの金剛との激突でも危なかったのだ。
だが、こうすればもはや邪魔も入らぬ」
強力な亜空間呪法だった。
空間の狭間に、通常空間から独立した特殊な座標域を無理矢理埋め込む。
ただの空間ではなく、術者がその空間を様々に応用できるのが恐ろしいところだ。
すなわち、京極の意のままに出来る空間と言うことになる。
「陸軍中将が、陸軍を切り捨てて何をするつもりだ」
今の京極は饒舌と見て、一馬は斬りかかるより先に聞き出すことにした。
京極がなんらかの術法を企んでいるとしても、ここで自分と話しながら進行させることは不可能だろうという目算もある。
「別に捨ててはいない。儀式発動前に鎮圧部隊は派遣してある。私の子飼いの部下たちをな。
ここで使ったのは、私の指揮下にない部分を切り捨てたに過ぎん。
陸軍内部の掌握と同時に、帝都の治安維持能力を低下させる。
そして生贄達は私の術の完成を助け、さらに反魂の実験台となって活躍してくれた。
あいにくと、こちらはうまくいかなかったが……」
「死霊魔術まで使って、帝都の封印を解こうというのか」
京極の表情が、ほう、と言うものになる。
「やはり王子で姿を見せるべきではなかったか。それだけで私の動きを読んでここまで来るとは大したものだ」
実際には事情は異なる。
一馬が京極に注意していたのは確かだが、最終的に決断を迫ってきたのは朱宮中将だ。
京極が一馬に感心したことをそのまま、一馬は朱宮に向けることにした。
裏返せば、朱宮と京極はつながっていないことがこれではっきりした。
そうすると、問題はもう一つの方だ。
「どうせ、この陣だけで何かを為そうと考えているのではないだろう。
粕谷少将に裏から援助してあやめくんと真之介くんを奪取し、巨大降魔を最大限活用……。
この陣は単体ではなく帝都の霊的封印のことごとくを解くための布石ではないのか」
「金剛が口を滑らせたか」
「実直すぎるのも考え物だと教えておくといい」
「貴重な意見いたみいる、大佐殿」
京極は一馬の言葉に冗談めかして答えた。
とはいえ、風塵とやらが真田診療所へ向かったのはやはり京極の差し金らしかった。
粕谷少将は気づいていない可能性が高いが。
「ところでだ、真宮寺大佐。私を手伝う気はないか」
「断る」
一馬は即答した。
「少しは考えてもらいたいのだがな。これでも私はおまえを高く評価している」
「真之介くんにも執心のようだな。水無月少将の暗殺事件を秘密裏に処理したのはおまえだろう」
「対降魔部隊は全員優秀だ」
世辞ではないぞ、と言うように返答には迷いがなかった。
「どちらにしろ応じるつもりはない。裏御三家の役目を知らんおまえではないだろう」
「おまえもまた、宿命に殉じる程度の男なのか」
京極の言い方は辛辣だった。
「魔を狩る者真宮寺家の後継者よ、いい加減に気づいて欲しいものだ。
この地上から魔が消えることはない。消し去ることもできない。
それを狩り続けるだけの無限地獄」
そこで京極は一拍置いた。
「娘がいるそうだな。名前はさくら」
京極が知っていても別段不思議ではない。
戸籍の存在しない真宮寺家といえど、陸軍大佐にもなる人間の家族構成くらい調べられてある。
「おまえに子供はいないのか」
「いない。いや………もしかしたらそんな現在も存在できたのかも知れん……」
京極はそこではっとなった。
自分が言うべきでない……思い出すべきではないことを口にしたことに気がついたのだ。
この男が明らかに動揺する姿など、そう見られるものではないだろうなと一馬は思う。
ただの野心家ではないこの男にも、忘れられぬ過去というものがあるのだろう。
「………、ならば子供を持っているおまえに聞きたい。
自分のみならず娘までも生贄に捧げてもいいというのか、破邪の血統よ」
「真之介くんと同じことを言うのだな」
妙な偶然に、一馬はほんの少しだけ笑った。
「させるつもりはない。さくらを……、あの子を生贄になどさせはしない」
「おまえがこのまま戦い続ければ、必ずやそうなる」
京極のその言葉は、どこか予言めいていた。
「率直に言わせてもらおう。宿命を捨てろ」
命令ではない。
断定だった。
「魔と戦うのではなく、魔と共に生きる道を選べ。そうすればおまえが犠牲になることも、おまえの娘が犠牲になることもなくなる」
推測ではなく、事実であるというように京極は語る。
「私は、おまえという人材が惜しい」
一馬は少なくとも、その言葉に嘘は感じなかった。
どうだ、という目で京極は一馬に問いかける。
一馬は、
スゥ……
ゆっくりと霊剣荒鷹を抜いた。
「……残念だ」
心底からのため息と共に、京極はうめいた。
「訳を聞かせてもらえるかな、大佐」
上官命令の濫用である。
冗談のつもりだったのかも知れないが、今度は一馬も笑えなかった。
「ここにくるまでに死んでいた人々を見た」
笑える気分ではなかったのだ。
「魔は業の結集でもある。魔に立ち向かうと言うことは、すなわち己自身と戦うことに他ならない」
「剣士としての答えというわけかな」
「そうではない。己に屈しては、魔に屈しては人は獣にも劣る。中将よ、おまえのしてきたことを見よ。屍を築いたところで先へなど進めはしない」
「己の中に確かにあるものを何故否定しようとする。傍にあるはずのものを、何故目を背けようとする」
「前を向き、成長しようとしてこそ、人間は生きているのだ。人の血を以てなど、成長とは呼べぬ」
「なるほど、獣にも劣る、か。だが、魔を手にすれば私は確かに強くなったのだぞ」
「その代わりに、おまえ自身も何かを失ったことがあるのではないか」
京極は答えなかった。
答えの代わりに、四方にかかげていた松明の火が火柱となって燃えさかり、京極の顔に壮絶な影を落として照らす。
交渉は、決裂した。
京極は手早く印を切り、空間を切り替えていく。
二人の間に大河が走り、周りを森が囲み、立っている場所は溶岩台地に変わる。
「五行相克……、天を射る炎!」
松明から炎が渦巻いて、まばゆい白炎となって放たれた。
金属すら蒸発するほどの高温だ。
「破邪剣征、百花斉放!」
一馬はこれに真っ正面から対抗した。
同じ直線攻撃をぶつけて相殺しあい、その激突に紛れて間を詰めに行く。
京極は武器らしい武器を持っていない。
攻撃は遠距離攻撃が中心だろう。
相手の間合いにおとなしく従っていることはない。
しかし、その程度で惑わされる京極でもなかった。
「五行相生……、荒ぶる大地!」
「なっ!?」
さしもの一馬も、飛び込むための大地そのものが沈むというのはかつて無い体験だった。
いや、その直後に一馬をはじき返すように今度は大地が浮き上がる。
それが、繰り返し襲ってきた。
直下型地震の実行なのだろうが、これはもう震度が六とか七とかの話ではない。
独立空間ならばこその地震だろう。
上に家屋でも有ろうものなら、粉々になっているはずだ。
だが、これほどの揺れにも関わらず、局部地震だ。
周りにある森林はわずかに葉が音を立てる程度の揺れしかない。
とすれば、一馬の周囲には地震の断絶層が存在するわけで……
「五行相克……、大地を流るる炎!」
周囲との境界領域で岩盤が砕け散った。
そこから吹き出るものは灼熱の溶岩。
足場が激震している一馬は、立っていることは出来ても飛び上がって避けることは不可能・・・!
「破邪剣征、千花嵐走!」
霊剣荒鷹が全方位へ向かって唸る。
一馬の気が風源となり、上と四方八方と、襲いかかってくる溶岩を障壁があるが如くはじき返していく。
脅威的なまでの剣速だ。
「ならば……、これでどうだ・・・!」
流れる溶岩の流れを変えて、河へと誘導していく。
「五行相克……、大気を払う水音!」
真之介から聞いたことがある。
大量の水が大量の高温熱源に触れたときに起こる現象……
確か、水蒸気爆発と言った・・・!
一馬は、衝撃波の到達する瞬間を見極めると、ほんのわずかだけその瞬間に飛び上がった。
数寸程度なら、この足場でもかろうじて飛び上がることが出来る。
そして、飛んできた衝撃波の威力は並大抵ではなかった。
空中に浮かんだ一馬を、そこから吹き飛ばすのに十分なくらい。
一馬に利用されて、ようやく京極は自分の失敗に気づいた。
「く・・・!」
局部地震の領域から一馬は悠々と脱出する。
無論、衝撃波の威力で大きく傷を受けないよう、霊力を展開して防御もしている。
安定した足場を確保した一馬は、
「破邪剣征、桜花放神!!」
京極まで一直線。
狙い違わず捉えた一撃は京極を、粉々にした……?
「!!」
その意味に即座に思い至った一馬は、桜花放神の直後で虚脱状態のはずの体勢から、足首を返し、上半身を回し、右腕を振り絞り、荒鷹で円弧を描いて、背後の空間に強烈な一撃を叩き込んだ。
ガキィンッ!
そこに、京極がいた。
全く装飾を排除した黒金の剣で荒鷹を受け止めつつ。
「つくづく……、大した男だ……」
微かに額に汗を浮かべつつ、京極はつぶやいた。
「複雑な命令を与えられる式神のようだが、制御を切り離すことを一瞬ためらったな。だから私の動きが間に合ったのだ」
ここまで京極は実体を見せずに、分身体だけを見せて戦いを展開してきたのだ。
だから、京極自らから放たれる攻撃はなかったのだ。
「断っておくが、大佐を見くびっていたわけではないぞ。正面から叩けば、あまりに危険と判断した故のこと」
「誉め言葉と受け取っておこう」
「そのつもりだとも」
力をずらせて、柄打ちに切り替えてから一馬は一旦体勢を外した。
五行元素の攻撃に加えて実際に武器を持ち出されると、接近戦が必ずしも有利とはならなくなる。
「既に十分本気で戦っているのだが、おまえを倒すにはそれでもなお不十分らしい」
言葉の内容の割に、京極はやけに淡々と話した。
「十割以上の力でお相手しよう」
ゴウッ!!
京極の気が一気に膨れ上がった。
いや、気と言うよりもこれは……
「法力……?」
「捨てたはずの力と今ある力、両方を駆使せねばおまえは倒せぬようだ。
今度こそ覚悟せよ、真宮寺一馬。我が野望の前に・・・!」
「ん・・・?」
鍛え上げた彼の戦士としての感覚が、金剛の目を覚まさせた。
念のため断っておくと、彼は今まで眠っていたのではなく、気絶していたのであるが。
場所は変わっていない。
陸軍省にある京極の執務室までの道の途中、三階の廊下だ。
そこら中にヒビが入ったり、壁が壊れたりしているが。
「誰だ。出てきやがれ」
右手に握りしめたままだった得物を握り直す。
傷らしい傷と言えば胸に走っている傷くらいで、後はかすり傷である。
少し眠っていたので、ダメージは半分くらい抜けていた。
戦って戦えないことはない。
「よく、気づきましたね」
高い、童女のような声が響くと、瓦礫の散乱する廊下の一角に影のような物が差した。
そこから、二つの人影が現れる。
一人は、妖艶なまでの美女。
もう一人は、百年くらい生きているんじゃないかという老人。
女の方は雨でもないのに傘を持っていて、老人はぷかぷかと浮かぶへんてこりんなカラクリに乗っかっている。
「変な奴らだな、帰れ帰れ。ここから先は立入禁止だ」
よっこらしょっと立ち上がり、追い払うように剣を左右に振る。
「立入禁止というても、既に一人通っていったようではないかのう」
「あん?一人だあ………」
金剛、しばし考える。
「しまったあ!あのナントカ大佐、俺が寝ている隙に先へ進みやがったな!」
「……気絶していたんじゃなかったのかしら」
「……世の中、馬鹿もここまで行くと才能じゃのう」
美女と老人……渚の作戦に従ってここにやってきた紗蓮と木喰は、一瞬は凄い戦士ではないかと思った男の予想を上回る言動に、顔を見合わせてからため息をついた。
「わかったぞ、テメエらもあのナントカ大佐の仲間だな。これ以上は誰一人通さねえぞ!」
「仲間というのは違いますけどね」
「まあ、ここを通ろうとするのは同じじゃからな」
「よおし、よくわかんねえが覚悟しな!」
『……………………』
返事をする気力を無くして………これがこの男の作戦だったという可能性を頭の中で必死に否定しつつ、二人は戦闘態勢に入った。
木喰は、小型の戦闘機械をいくつも取り出し、紗蓮は傘をさっと広げた。
「……!」
ここで金剛の表情が変わる。
相手の強さには何より敏感なのだ、この男は。
「……今日は楽しい一日になりそうだ」
それでもめげないのだから、木喰の言うとおり、確かに才能なのかも知れない。
「ふぉふぉ。どこまで耐え切れるかの」
木喰の声と共に、合計十機の小型機械が宙に舞い上がった。
木喰の念に合わせて自在に宙を滑る。
既に一馬と金剛の激突で、この付近は十分な広さが確保されていた。
「なんだあ、こいつは?」
「行けいっ!」
木喰の命令に呼応して、戦闘機械は一斉に集束された青白い光線を放った。
「うおっ・・・!」
とか何とか言いつつ、金剛は第一射をかわしきった。
即座に続く二射、三射、
かわすかわすかわす!
木喰はこの男の評価を少し訂正することにした。
ただの力馬鹿ではないらしい。
しかも、かわしながらしっかり間を詰めてくる。
「甘いわ」
狙ってくると言うことは、運動の方向が一点に収束してくると言うことである。
木喰は自分の眼前まで金剛を引きつけると八方から光線を叩き込んだ。
「どああああっっ!?」
今度は避けきれない。
十射中四射を食らい、だがそれでも金剛の攻撃は止まらなかった。
「むうっ!」
木喰は即座に自分の乗っている機械に防御命令を下す。
しかし、金剛の方がわずかに早いか・・・!
「残念でしたわね」
金剛のすぐ左に紗蓮が近づいてきていた。
「覇邪滅煌呪!」
紗蓮の手にした傘が閉じられたまま黒い輝きとなって一閃される。
金剛はぎりぎりのところで、手にした剣を防御に回した。
だが、想像以上に威力が大きい。
女の細腕から繰り出されたその威力は、空を裂き、唸りを上げて、防御した剣ごと金剛を吹っ飛ばした。
「あまり手加減は出来ぬようじゃの」
冷ややかに告げつつ、紗蓮の吹き飛ばした金剛に向かって、念を増大させた指令を以て攻撃する。
「ガアッ!」
気力で金剛は防御したが、一馬と戦った後ではその効果も十分ではない。
本気になった木喰の攻撃の方が上回った。
ズガズガガガアンッ!
盛大に瓦礫を壊しながら転がる金剛に、次々と追い打ちがかかる。
もう大丈夫だろう、という状態から、木喰は更に二斉射を叩き込んだ。
「案外、大した男だったけど……」
「急ぐとしようかの」
「コラ、待てい」
先へ進もうとした二人を、気流が妨げる。
「この程度で、俺を倒したと思うなよ・・・!」
瓦礫をはねのけて、金剛はまたも立ち上がった。
さすがに全身に傷を負っている。
一番傷らしい傷が、紗蓮の一撃で裂かれた左頬の傷で、ここからは鮮血がこぼれている。
だが、そこまでだ。
骨折もしていない。
まだ、一馬から食らった胸の傷のダメージの方が効いていた。
「行かせねえ……、あのナントカ大佐よりも嫌な予感がするんだよ・・・!」
その気迫には、さすがに二人も驚嘆を禁じ得なかった。
今の金剛には二人を倒す力はもう無いだろう。
だがそれでも、絶対に負けんという気迫は二人を圧倒した。
「ならば、二度と立ちふさがれぬように致しましょう」
静かに言い放つと、紗蓮はすっと傘を開いた。
「断っておきますが、見くびっていたわけではありませんよ。ただ、京極を倒すために出来れば力を温存しておきたかったの。でも……」
ゆらり……
紗蓮の傘が微かに揺れる。
「貴方を倒さねば京極の所に行けぬと言うのは事実のよう」
「やらせねえ・・・!五行相克……、鬼神轟天殺・・・!!!」
「輪華凄爛……、覇邪封滅陣!」
唸る稲妻を引き裂いて、紗蓮の傘が舞った。
表に描かれていた模様が移り変わり、傘そのものが魔法陣と化す。
金剛はその中に飲み込まれた。
「うおおおおおぉっっ!!!」
閉鎖された空間内で吹き上がる炎。
爆発する空間。
さしもの金剛も、二十発を越えたところでついに意識が途絶えた。
ドシャアッ
「大した男だったと誉めて差し上げましょう。これで生きているのがまだ信じられないけど……」
「まあよかろう。倒すべきは京極と、そして破邪の血統じゃ。放っておこう」
意識のない金剛をその場に残したまま、二人は先へ進んだ。
既に京極の支配がとぎれ、一度目覚めさせられた死者たちも全て倒れた建物の中を。
初出、SEGAサクラ大戦BBS平成十一年七月三十日、八月六日
楽屋に戻る。
もう一つの第十話目次に戻る。
帝劇入り口に戻る。
夢織時代への扉に戻る。