嘆きの都
追憶其の六
第四章 燃えよ、我らが帝都 三
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「来たれ!セントエルモの火!」
『どああああああっっっ!!』
真之介の魔術が発動して、結界に近づいた者から幻の炎に捕らわれ、壮絶な火傷を「感じて」後退していく。
藤枝あやめの入院するここ真田診療所でも防衛戦が繰り広げられていた。
攻撃側と守備側の兵力差は百倍以上。
それでも、診療所に落ちる気配はない。
「恐るべきは山崎真之介よ……」
本隊を引き連れて到着した粕谷少将は、先遣隊がほとんど壊滅しているのを見て唖然となった。
診療所の周囲は薔薇と思われる蔦で三重の結界が作られ、それに触れると蔦がからみつき人数がたまったところで診療所の玄関から魔術が飛んでくるという仕組みだった。
そこに立っているのはもちろん山崎真之介である。
「ねー真ちゃん、私たち役に立つでしょう」
「え、ええ……とっても…………」
斧彦と琴音の発案で、二人が持ち歩いている薔薇の花を結界に使ったのだ。
魔術で植物を強制的に育てることにあやめはやや不満そうだったが、これは仕方有るまい。
「中尉、薔薇の刺は醜いものから自らの美しさを守るためにあるのですよ。このような使い方こそまさに薔薇の神髄・・・!」
「はあ……」
「真之介君、少し疲れていないか?」
「ええ、まあ……少し…………」
真田でなくとも解るかも知れない。
とはいえ、魔術がかさんで疲れているのでは断じてない。
「向こうは本隊が到着したようだが……」
「五百が五千になっても負けるつもりはありませんよ」
あやめの頼みを聞いて、今はまだ手加減しているのだ。
出来るだけ、相手を殺すな、と。
封鎖されて外の様子のうかがえない窓を見通したいかのように、あやめは寝台から起きあがっていた。
怖かった。
自分を強奪しようとしてくる敵が怖いのではない。
真之介が変わってしまうことへの恐怖だった。
大空洞の底に赴き水地と巨大降魔と戦って、自分が目覚めたのはその数週間後だったが、その前後で真之介はどこか違ってしまったようだった。
前にも増して優しいけど、ふっと考えているときの表情などか、ひどく自分から遠く感じるのだ。
あんまりにも怖くなって、琴音にこっそりと情報収集を頼んでいた。
その日前後の記録は、情報に長けた琴音であってさえ入手困難、あるいは不可能なものが多かったが、魔物の仕業とされた二つの事件についてはどうにか突き止めた。
大空洞の詰め所と、料亭での水無月少将以下の大量殺人事件。
どちらも死者十名以上、生存者無しだ。
これに注目したのは乙女の勘と言っても良いかも知れない。
言いにくそうな琴音の態度もあやめの洞察力を助けた。
真之介がやったのだとしたら……。
自分のために、真之介が自ら死を振るったのだとしたら……
そのために真之介が苦しんでいるのなら……
その恐怖が、なによりも大きかった。
「行かないで、真之介……」
普段のあやめからは信じられないだろうはかない声が口から漏れた。
「私のために、これ以上……傷つかないで………」
あやめは誰も見ていない病室で一人、泣いた。
そんなあやめを知っていたのかどうか。
真之介としては、あやめを守るためなら周囲の軍勢全てを焼き払うことも辞さないつもりだった。
あやめを奪おうとするものは許さない。
あやめを物のように扱うことを許さない。
そうやって本気になれば、自分は誰にも負けるつもりはなかった。
「攻撃が、止んだな」
わらわらと続いていた突撃がぴたりと止まった。
本隊と共に一斉攻撃をしかけてくると思っていたのだが。
「何をやるつもりだ」
粕谷はここまでの戦況を聞いて、一旦攻撃を中止させた。
同じ様な攻撃を繰り返したところで、全軍かかっても落とせない可能性があると考えたからだ。
粕谷のとった行動は、原点に立ち返った明快な物だった。
すなわち、目には目を。
「もう来たのか」
電話局を朱宮側に押さえられているのを奪還しに向かった北村の軍勢はまだ攻めあぐねているはずなので、陸軍参謀本部まで伝令をやったのだが、呼びつけた風塵は予想以上に早く到着した。
「苦戦していらっしゃると聞いて飛んで参りました」
「言ってくれる」
術に数で挑むのではなく、術には術をぶつける。
同時に軍勢でも当たりに行けば、支えている術者は山崎真之介一人だ。
必ず耐えきれなくなる。
「高音はどうした?」
「この混乱で連絡が取れない状態です。念のため伝言は残しておきましたが……」
「そうか」
術者二人がかりなら勝利は堅いと考えたのだが、まあいいだろう。
直に手を下すのが自分なら、それはそれで申し分ない。
「砲撃も併用する。準備せよ」
おそらく、打ち込んでも結界に止められるだろう。
ならばこそ撃つ意味がある。
着弾しては困るのだ。
この攻撃の目的は殲滅ではないのだから。
だが、砲撃を防ぐのに山崎真之介が労力を割けば、その分結界は突破しやすくなる。
霊力と言えど、永久機関ではないのだから。
「風塵、砲撃と共に再び突撃を開始する。おまえは術を以て結界を打ち破ってくれ」
「心得ました」
粕谷はその間に部隊を展開する。
一点突破作戦では、まとまったところを全滅させられかねないと判断したからだ。
事実、先遣隊の半分はいきなりの大規模魔術で倒されている。
「準備、完了しました」
「砲撃十五秒前!」
要塞でも攻略するかのような野戦砲がずらりと並ぶ。
「第一射!撃てえっ!」
一度訪れていた夜の静寂を十数発の砲弾が切り裂いた。
同時に玄関に向かって突風が吹く。
同時に、取り囲むように千人の兵が殺到した。
「こう来たか!」
薔薇の蔓には自動的に防御するように規定命令を与えておいて、正面に集中する。
砲弾をまず結界を強化して撃ち落とす。
そこに竜巻が襲ってきた。
「術者がいるか・・・!」
一瞬、対応が遅れた。
結界に軍勢が触れるのと同時だった。
ガシャアンッッ!
乾いた音を立てて、第一の結界が破られた。
薔薇の蔓もよく頑張ったが、油を撒いて火をつけられたようだ。
やはり自動防御では限界がある。
「美という物を解らない連中ね!」
琴音が筋違いの怒りを兵士たちに向ける。
そこで真之介は一つ閃いた。
念のため用意して置いた顔料を使って、足下に手早く魔法陣を描く。
西洋系の陣に唐草模様を織り込んだ独自の代物だ。
「琴音、太田さん、この陣から植物に命令できるから、外の薔薇を想像して操ってくれ!」
『了解!』
二人とも想像力と意志は強固だ。
むしろ、迫られる兵たちが哀れに思えるくらいに。
「真田さん、結界への気力をしばらくお願いします!」
「それはできるが、君は?」
真田が尋ね返したときには、既に真之介は魔術に入っていた。
「来たれ、振夜の訪問者よ・・・!」
真之介の背に黒い翼が浮かび上がる。
二三度羽ばたいて真之介は宙に浮かび上がった。
「敵の術者を先に叩きのめします!」
風を使っているところから考えると、術者が空中にいる可能性が考えられた。
上にいるということは、重力の関係上戦闘では圧倒的有利に働く。
術をぶつけ合っても地上からでは不利と判断したのだ。
先ほどからの攻撃で、術者の場所の見当はついていた。
二つの結界を飛び出すと……自分の結界をすり抜ける工夫くらいはしておいた……光刀無形を抜いた。
「彩光紫閃、凄覇天臨!」
いきなり必殺剣を叩き込まれた風塵は防御がやっとだった。
「ぐおおおおおっ!!?」
風圧を集中させて威力を相殺しようとしたものの、到底防ぎきれる物ではなかった。
真之介は、「まずは小手調べ」などするつもりはまったく無しに攻撃したのだから。
この一撃で決められるならそうするつもりだった。
しかし風塵も撃ち落とされて地面に転がったものの、一撃で倒されるような腕で京極の側近はやっていない。
すぐさま体勢を立て直して飛び上がった。
その直後、
「彩光橙出、地錬尖塔!」
光刀無形が地面を舐め、土柱というか石柱が幾本も出現して風塵を貫こうとする。
「雷!」
力では金剛に遅れをとるが、風塵の神髄は速さである。
食らう前に、収束した電撃を叩きつけて石柱を砕く。
だが、真之介は更にその上を行った。
「混沌を制するもの、再び混ざれ!」
真之介は、先の必殺技を撃つ前から宙に呪紋を描いていたらしい。
発動した魔術は電撃を放った直後の風塵を完璧に捉えた。
うねるような音と共に、風塵の周囲の空間が揺らめく。
これは防ぎきれない・・・・!
「ゲホッ!!」
渦潮の中に飲み込まれたような感覚と共に、全身があらぬ方向にかき乱された。
並の人間なら四肢をズタズタにされていただろう。
強い・・・!
風塵は戦慄と共に心中で叫んだ、
まだ最初の攻撃から一分と経っていないのにこちらはこのざまだ。
一分と・・・?
とどめとばかりに光刀無形を振るいに来る真之介の姿を見て、風塵ははたと思い至った。
そう、この男は今、診療所の防御を他の面々に任せてこうしている。
つまり、そちらが限界に来る前に決着をつけるつもりなのだ。
言い換えれば、ここで一番有効な手段は、防御に徹して時間を稼ぐこと。
しかし、真之介の攻撃が金剛をも凌駕するのは既に経験済みだ。
水地を倒したというのは伊達ではない。
ここは・・・。
ブンッ!
急加速して宙に逃れ、間を取る。
「三十六計逃げるに如かず、か」
やや自嘲気味に笑ったが、これが一番有効だろう。
速さでは誰にも負けるつもりはない。
「こっちだ!山崎真之介!」
「くそ・・・っ!第三射うてえっ!」
衰えつつある軍の士気を鼓舞するように、粕谷は蔦を踏みつけつつ大声で号令を下す。
うねうねと気味悪くうごめく薔薇の蔦に、粕谷のいる本陣近くまで覆われている。
実害以上に、そのえも言われぬ雰囲気が、最前線の兵士達が衣服だけを綺麗に切り裂かれていることが、恐ろしかった。
「銃用の予備火薬を撒いて火をつけろ!恐れるな!相手は植物だ!」
伸びてきた薔薇の花にマッチの火を叩きつけつつ、全軍に通る声が夜に響いた。
その声とともに発せられた気合が、蔦を圧していく。
その威力に奮い立った粕谷軍は、生理的嫌悪感を払いのけるように火をつけていった。
「二人とも、二陣を捨てろ!三陣に集中!」
結界に気力を注ぎ込みつつも、真田はしっかりと戦況を見据えていた。
第二陣の薔薇は火をかけられもう持たない。
下手にこだわると次の防御が間に合わなくなる。
「く・・・・!」
薔薇を捨てることに良心の呵責を覚える琴音だが、今は真田の言うとおりだ。
「横ではなく縦に展開してくれ!おそらく第五射は防ぎきれん・・・!」
真田の持つ霊力は真之介の半分強と言ったところだ。
そしてそれ以上に、普段治療に専念した霊力の使い方をしている真田には慣れない結界防御はかなりの負担となっていた。
「まだか……真之介君……」
「第四射、うてえっっ!!」
「ぐ・・・!」
霊力を振り絞り結界に集中するが、この斉射を防ぐのと引き替えに第二陣は破られた。
次の斉射で第三陣を守りきれるかどうかはぎりぎりだ。
事態を悟った琴音と斧彦は、薔薇を壁のようにして展開する。
結界の曲率半径が小さくなっているので、その分密集させることが出来た。
火をつけられるのに対抗して、近づけないように斧彦は薔薇の刺を発射する攻撃を展開する。
魔術に関しては素人なのに、よくここまで扱えると賞賛すべき所かも知れない。
風塵を捉えようとして必殺技や魔術を連発していた真之介だが、風塵の速さを前に二割も当てられないでいた。
そうやって、時間をどんどん稼がれていく。
「どうした山崎真之介!息が上がっているぞ!」
実際は自分も飛行するのがやっとくらいの重傷なのだが、苦悶のうめきを飲み込んでつとめて平静を装い真之介を挑発する。
このあたりは、一馬や米田より若い真之介は精神面の弱さを突かれた格好になる。
「ほざけえぇっ!」
放たれた衝撃波は、最初の猛攻と比べると確かに威力が落ちている。
風塵はもう少し引き回して真之介の体力が落ちたところで攻撃をしかけるつもりだ。
嘲るように見下ろし、手招きする。
真之介は追いすがるが、風塵の動きの方が速い。
そうこうしている内に、第二陣が破られた。
「まずい・・・っっ!」
危機を察した真之介は慌てて診療所に戻ろうとする。
風塵にとっては、待ちに待った絶好の隙であった。
一瞬にして真之介の背後をとり、ここまでどうにか維持してきた風の力を一気に爆発させる。
「これでお別れだ、山崎真之介!」
ほとんど殺す気で放っていた。
そうでもしなければこの男には通用しないだろうし、手加減している余裕は風塵にはもう無かった。
「虚空の慟哭!!」
何重にも束ねられた高密度の竜巻が真之介を包んだ。
通常の音速を超える速度で渦巻いた風が、衝撃波と真空波を伴って真之介の身体を切り刻む。
さらに、あまりの回転に中心部分が準真空となった。
自身の内圧すらも真之介を痛めつける。
これで倒れろォッ!
この技を食らって生きているのは、これまで京極ただ一人。
文字通りの風塵の必殺技であった。
竜巻の中に、鮮やかな赤が混ざる。
真空に近い内部からは悲鳴があったとしても聞こえない。
「勝った・・・!」
風塵が風を解くと、真之介の身体は全身から血を吹きながら地面に落下した。
さすがにもう反撃は来ない。
これで、京極様から頂いた命令が果たせる・・・!
風塵は高揚感を覚えていた。
異能者として忌み嫌われていた自分の一家を庇護してくれた、大恩ある京極の役に立てたのだ。
仕事を完遂して戻れば、ねぎらいの言葉をかけてもらえるかも知れない。
光栄の至りである。
「いやいや、仕事を終わらせてからだったな」
真之介の方はまだ生きているようなので、この状態なら後で回収してもいいだろう。
ここは先に藤枝あやめ奪還を行うべきと判断した。
丁度、第五射を行うところらしい。
「これで終わりだ」
「第五射、うてえっっ!!!」
斉射とともに、玄関前へ向けて真空波を集中させた風球を叩き込んだ。
善戦した守備側の三人だが、さすがにこれは防ぎきれない。
真田は、なんとか砲弾を全てたたき落としたところで気絶した。
兵士たちの歓声と共に、第三陣が崩壊する。
診療所まで、もはや遮るものは何もない・・・!
「任務、完了」
そうつぶやいて、風塵は一旦京極の元に戻ろうとした。
残った二人だけではもはや何も出来まい。
だが次の一瞬、風塵は全身の血が凍り付いたかと思うほどの恐怖を覚えた。
ゴオォウッ!
「行かせるかあぁっっ!!彩光紅炎!」
叫びと共に、天をも焦がすかと思うほどの壮絶な炎が吹き上がった。
その叫びの声は間違いなく・・・
「お……往生際が悪いぞ!山崎真之介・・・!」
戻ろうとした自分を引き戻して、真之介を止めに行く。
だが、さしもの風塵もこれは軽率だった。
「朱凰滅焼オォッ!!誰一人、通すものかあっっ!!」
巨大な炎の鳥が真之介と光刀無形から吹き上がり、全てを焼き尽くすほどの勢いのまま、診療所の玄関までを一瞬にして駆けた。
その後に、断末魔の悲鳴……いや、それすら上げる間もなく燃え尽きる音が残る。
水地をも倒した真之介の奥義である。
並の人間が、いや、よほどの使い手でなければ耐えきれるわけがないのだ。
風塵が全身に大やけどを負いながらもかろうじてのところで死なずに済んだのは、ただ単に真之介の進行する直線上からずれていたと言うだけの偶然でしかない。
軍勢の約半分が、この一撃だけで焼死、あるいは戦闘不能の重態となった。
真之介は、怒りに燃え上がっていてもきっちり玄関前で止まり、気絶した真田の状態を確かめる。
この人には、まだまだ教えてもらいたいことが山とあるのだ。
この間の自分やあやめのような、一時的な霊力欠乏になっているようだが……命には別状はないと真之介は判断した。
「琴音、太田さん!真田先生を連れて中へ!ここは俺がくい止める!」
「無茶よ真ちゃん!自分のケガをわかっているの!」
起きあがった斧彦が、真之介の状態を見て悲鳴を上げる。
確かに、よく立っていられるほどのケガだった。
「行けます・・・!」
真之介の目は、どこか鬼気迫るものがあった。
それを遠くから眺めつつ風塵は、任務が完了していなくてもこの場は帰らざるを得ないと判断した。
これ以上戦ったとしても、既に瀕死に近い状態の自分は、真之介を倒すことも出来ずに殺されるだろう。
京極のためにならぬ死だ。
それよりもここは一度退いて命を永らえ、もう一度京極の役に立つ方を彼は選んだ。
丁度、炎の残りを引き裂くようにして粕谷が自ら診療所へ向かうのが見えた。
この場は奴に任せるしかあるまい。
さしもの真之介も疲弊している。
今なら粕谷は互角以上に戦えるだろう。
もはや空を飛ぶ力もなくなった風塵は、ふらつく足取りで参謀本部への帰路についた。
初出、SEGAサクラ大戦BBS平成十一年七月三十日
楽屋に戻る。
もう一つの第十話目次に戻る。
帝劇入り口に戻る。
夢織時代への扉に戻る。