嘆きの都
追憶其の六
第一章 集えよ、煌めく星々 二


第一章 集えよ、煌めく星々 一


 会議場。
 と、呼んで良いものやら。
 陸海軍の名だたる幹部に政府閣僚の最高位のメンバーが四角い卓を囲んで五十人ばかり。
 無論その中には、米田一基中将や真宮寺一馬大佐の姿もあるし、端の方で目立たぬようにしてしかし全景を見渡している京極慶吾中将の姿もある。
 しかし、これを会議場と見ることが出来ようか。
 目に見えぬ剣が視線と共に飛び交っているのを、ここにいる誰もが感じているのではないだろうか。

「……以上が、この数年のアメリカの動きである。しかし、もはやこの程度のことを今更諸兄に話すまでもなく御存知だろう」

 よく通る声で語っているのは粕谷満陸軍少将である。
 もうじき五十という年齢だが、十は若く見える。
 部下想いのある人柄が好かれていて、賛同者は多い。
 こんな彼の妻子が蒸発しているということを嘆く人もいる。

「確かに西洋文化のすばらしさは認めよう。だがそのことと、軍事的侵略を認めることとはまったく別問題である。現に見よ、アジア、アフリカの惨状を!自分たちこそが全人類の中で優越であるという妄想の下に世界を席巻する彼の者等の、世界に対する許し難き犯罪を!」

 この時代、欧州大戦の影響で欧米列強の植民地たるアジアアフリカ各地は宗主国からの搾取にあえいでいた。
 更に、宗主国の争いが植民地にも飛び火し、どさくさに紛れての版図拡大も行われていた。
 実は日本軍も、日英同盟を口実にして中国での利権をドイツから奪っているのでやっていることは大差がない。
 粕谷は、同じアジアの同胞に対するそのような所行は嫌っていたが、そのときはどうしようもなかった。
 だが、二度と繰り返させはせぬ。
 今度の戦いは意味のあるものでなくてはならない。
 軍事力に頼り一民族が他民族を支配する時代の終焉のために、全ての帝国主義を打破し、そして暴走することのない力が必要なのだ。
 それが彼の理想である。が、
 そこまではこの場では口にしない。
 陸軍内にいる日本の帝国主義者ですらも、今は抱き込まねばならないからだ。
 彼は理想主義者であると同時に現実主義者でもあった。

「そして今、欧州大戦の需要により経済大国となりつつあるアメリカは、太平洋へと動き出した。誰かがこれを止めねばならない。
 どこか。言うまでもなく、今のアジアでそれが出来るのは日本だけである。
 だがそのためには極めて多大な国力を必要とする。まして、この国の未来ある若者を多く死なせることにもなろう。その点においては私と朱宮中将との意見とは一致している」

 中程の席に座って、黙って話を聞いていた朱宮景太郎陸軍中将が、一瞬だけ粕谷の方を見た。
 粕谷も見た。
 年は僅かに朱宮の方が上だが、それ以上に朱宮の姿勢や眼差しには気品がある。
 陸軍士官学校で格闘技の教官をも兼任する武骨な粕谷と比べると、実に対照的な二人だった。
 その二人の視線が刹那の間火花を散らしたが、次の瞬間には粕谷は視線を聴衆に戻していた。

「だが、降魔を使えばそのような犠牲を払わずに済む。この国の未来ある若者を殺さずに済む・・・!そして、得られる力は莫大なものだ」

 一瞬だけ、粕谷が叫んだかのように聞こえた。

「だから私は諸君等に提案する。
 降魔を以て、我が国の軍事力と為し、不遜なるものどもを天空から焼き滅ぼさんと!」

 最後は芝居がかっている台詞ではあったが、粕谷の支持者達が盛大な拍手で応える。
 その数は決して少ない勢力ではない。
 聞いた米田と一馬は歯ぎしりした。

「その力を以て、世界に覇を唱えようというのか」

 その拍手を切り裂くように、決して大声ではない朱宮中将の声が凛と響き渡った。

「……いかにもその通りです、朱宮中将」

 自分の心と少々異なる意見を言っていることに舌が悲鳴を上げていたが、あえて無視する。

「ならば、この国が欧米列強の代わりになるだけで、世界は何一つ変わらぬ」
「中将の仰る抑止力としての使用ですか。そんなもので世界は止まりはしませんよ」

 朱宮中将は、粕谷よりももっと直接的であり、同時に間接的な手段を考えていた。
 降魔の絶対的とも言える力を背景に、全てを止める。
 無駄な戦いを、全て。

「止めてみせるとも」

 朱宮の答えに揺らぎはない。
 粕谷はいっそ羨ましかった。
 それは、最終的に自分が求めているもの……。
 だが、力は見せつけねば効果はない。
 反論しようとしたところで、横から誰かが立ち上がった。

「降魔を、本気で操れるとでも思ってんのか」

 この緊迫した場で、こんな口調で発言できるのは陸海軍あわせてもたった一人しかいない。

「米田……」
「米田中将……」

 居並ぶ瞳が、椅子を蹴るように立ち上がった米田に集中する。

「あれは純然たる魔だぞ。間違いなく人類の敵だ。そんなものを駆使できると本気で考えてんのか、おめえらは」
「力に善悪などあったか、米田」

 朱宮が、米田を飲み込まんとするほどの気迫で静かに言い放った。

「我々が見た力に、善悪などあったか」
「少なくとも魔の力なら俺はこの目で見た……その恐ろしさと同時にな」
「ならば一つであろう」
「それを手にした人間が魔に堕ちるって言ってんだよ」

 二人の言葉の激突はまったく遠慮がない。
 階級が同じだけではなく、この二人は経歴も近いしつきあいも長い。

「むざむざと死なせるよりは遙かにいい」
「人ならぬ者となって、それがいいか・・・!」

 階級こそ中将であるが、影響力を考えれば陸軍の最上位にいるといってもよいこの二人の激突を、陸軍の内部から止めることは不可能だった。
 青森陸軍参謀総長ですら、この二人を止めることは難しい。
 唯一止められる可能性がある京極中将は静観している。

 そもそも、陸軍参謀総長や海軍軍令部長が権限を振るいきれないからこのように盛大に紛糾しているのだ。
 これまでに前例があるならばその指揮を担う者が判断することもできる。
 しかし、降魔という戦力は日本帝国軍が初めて扱う領域だった。
 一番関係が深いのが米田の対降魔部隊。
 しかし、これを扱うのではなく、これを掃討する部隊であるため、それだけでは決着しない。
 かくて、米田が提案した降魔征討に朱宮中将と粕谷少将の二人が異議を唱え、このような事態になっているのである。

 しばらく続いた膠着を破る声は、横から入った。

「この神州を、魔の手に委ねるわけにはいかぬであろう」

 帝の側近であり、この場には宮内省の代表として来ている春日玲介方術士団長が威厳ある声と共に立ち上がった。
 齢既に七十を越えるが、背筋は微塵も揺らがず、静まり返ったこの場を見渡す瞳は衰えを感じさせなかった。

「春日殿、その発言は宮城の総意と見なされるが、よろしいか」

 議長を務める加藤総理が、中立の立場からはずれぬよう遠慮しながら確認する。

「いかにも構わぬ」

 ざわ、と空気が動いた。
 この発言は大きい。
 粕谷は即座に反撃に出た。

「しかし春日殿、魔の力とてそう無下にすることもないでしょう」

 傾きかけた空気を呼び戻すかのように、粕谷は自信あふれる声で語る。

「維新より前……西欧の科学が入るまでは、この日本においては霊も魔も身近な物であったはず……。畏怖しながらも私たちはそれを同時に利用してきたのではありませんか。だからこそ、今でも私たちは毎年初詣で神々に祈るというのに」

 張りつめた空気には、一度軽い冗談をはさんで和らげる。
 あちこちから失笑や微笑が漏れた。
 その余裕が出たところに畳みかける。

「ですが今、私たちは長年恐れていたその魔を完全に征することが出来ると申し上げているのです」
「そのようなことが可能と思うたか」

 これはまずいと察した春日が釘を刺しに入り込んだ。

「出来ます。降魔はこの地に残された過去の遺産……。かつては人が遣いしものだったはず・・・!」

 そう答えて、釘を打ち返したのは朱宮だった。
 聞いた瞬間、春日の表情が変わる。
 同時に、一馬も表情を変えた。

「朱宮中将……っ、貴君、書を読んだのか……」

 春日がひるみながら言った言葉は、場にいるほとんどの者が理解できなかったが、朱宮はそれに対して微かに笑った。

「そのものではありませぬ。ですが、事実を伝えているのが彼の書だけではないということですよ」

 ここで言う書とは、戦国の世に起こった降魔実験の顛末を示した書物、「放神記書伝」のことに他ならない。
 現物は現在確認されておらず、写本が三冊残されているのみだが、これは厳重に保管されているはずであった。
 朱宮は、それを盗んだのではない。
 当時の伝承などに残された記録を、自分でまとめたのだ。
 もちろん、そう言った事情を口に出しはしない。
 札を伏せ、同時に春日の伏せた札の中身を知っている、ということを場に示すのが目的なのだ。
 狙い通り、再び場がざわめく。

 特にざわついているのは海軍であった。
 会議の進行をほとんど陸軍に持って行かれて、これでは立場がない。
 浅葱海軍軍令部総長が抑えようとするが、止まらなかった。

「朱宮中将!今の発言について解説を願おうか!」

 海軍の急進派の一人である北村少将が耐えかねたように叫んだ。
 対して朱宮は悠然と構えたまま、簡潔に答えた。

「機密に関わること故、お話しできない」
「我らは機密に関わる資格すらないというのか!」

 会議場を覆い尽くさんばかりの怒声に、朱宮は柳のように緩やかに立ち上がった。

「知れば、後には引けなくなるぞ……。北村少将、貴君にその覚悟がおありか」
「愚弄するか、朱宮中将!」

 陸海軍は元々仲がいいとは言えない。
 この二人の激突で場が騒然となり始めた。

バアンッッ!

 その騒ぎを叩きつけるように、加藤総理が机を叩いて立ち上がった。

「これにて休憩とする!再開日時は追って連絡申し上げる!以上!」

 居並ぶ軍人達に決して引けを取らないその声に、場の騒ぎはようやく止まった。
 加藤とて、いつもは文官然としているがいざというときの実行力もある男だ。
 もちろん、で無ければこの時代に総理など務まらない。
 この総理に敬意を表して、朱宮、北村の両名は一礼して席に戻った。

 周囲もほっと一息ついて、退室する者、その場で大きくため息をついて椅子に倒れ込む者など様々である。
 一応の平静は取り戻したようだ。
 休憩といっても、しばらくほとぼりを冷ますためだから、今日中には再開しないのではないか。
 などと廊下から階段の踊り場で考えにふけっていた一馬に、春日方術士団長がやってきた。
 直接の面識は今日が初めての二人であるが、一馬の父龍馬と春日はかつてともに戦ったことがあるとも聞いている。

「龍馬の子よ……。人は弱い者なのかな」

 会議中は揺らがなかった春日の気迫が、周囲に人のいない今は弱い。
 帝都の魔を浄化する機構を担っている近衛方術士団。
 その団長を務める彼は、この数年の魔の力の増大に命を削られているのだ。

「朱宮殿も、粕谷殿も、何故氏綱の愚を繰り返そうとするかな……」
「私たちの先祖は魔の力に人が携わらぬように秘密の扉を築きました。知られざるからこそ、それに焦がれるのではありませんか」
「ふ……そうかもしれん」

 放神記書伝もそうだが、この国の陰の歴史はほとんどが常人の目には触れぬ所に封じられている。
 駄目と言われればやりたくなるのが人情、とはよく言ったものだ。

「二方の気持ちは分からぬでもない……」

 欧州大戦の惨状は、遠く離れたこの日本まで聞こえてくる。
 開発されたばかりの人型蒸気、化学の最先端から生じた毒ガスなどが、互いの国の未来ある若者を次々と死なせていく。
 それをこの日本で繰り返したくないのは春日とて同じだ。

「だが……」

 それに対抗するために、南北戦争でのブードゥー教部隊に続けとばかりに、ルネサンス以降隠棲していた魔女達を探し出して、彼女たちから黒魔術の秘義を強奪して使っていると聞く。
 強大な力は敵軍を圧倒するものの、同時にそうやって戦果を挙げた者の人の心を奪い去り、やがて、生贄や吸血鬼といった道に引きずり込んで、周囲共々破滅していく。

「同じであろうに……。仮に二方がその誘惑に抗し得たとしても、周りの人間が染まらずにいられぬ……」

 それを生き地獄と、人は言うのだろうか。

「我らの子、我らの孫の時代を闇に染めることがどうして許されようか……」

 そのとき一馬が考えていたのは、仙台に残してきた愛娘のことだった。
 裏御三家の後二つは絶えて久しいと聞く。
 残されているのは真宮寺家のみ。

 あの子に、戦えと教えたが……。

 今では自分が強要せずとも一人で修行を続けており、年齢を考えれば脅威的なまでの剣の腕を持っている。
 だが最初、木刀はおろか、竹刀を持つことさえ嫌がって泣いた娘の姿を、一馬は忘れてはいない。
 それでも、娘に剣の術を叩き込んだ。
 運命を切り開く力を持ってくれと願って。

 魔の力を根絶することはおそらく出来ない。
 何百年、何千年かかっても出来なかったのだ。
 ならばあの子は、いつの日にかそれに立ち向かわねばならないのだから。
 私の手の届かないところで……。

「どうした……?」
「いえ……、娘のことを少し考えておりました」

 少し考えに没頭していたらしい。

「そういえば、春日殿のご子息も方術士でしたね」

 春日の息子は、確か一馬とほぼ同い年のはずだ。

「……あいつが方術士になると言ったときには盛大に親子喧嘩をやったよ」
「そうなのですか?」

 春日が少し寂しそうに笑いながら言った言葉は、一馬には少し意外だった。
 近衛方術士団は日本全国から集められた精鋭だが、特に上位の者は機密に関わるため一子相伝であると聞いている。

「必要であると解っていてもな……、子供に同じ道は歩ませたくないのだよ」
「……そのお気持ち、私にもよくわかります」

 もしあの子が、私と違う道を歩んでいけるなら……、

 そう、例えば女優になったさくらの姿などというものも見てみたいと一馬は思った。




「こんなもん飲めたもんじゃねえ」

 会議場に備え付けのお茶はひどい味だった。
 元々おいしくないものが、会議が長引いてしまったので冷めてしまい、水の方がましという状況だった。
 番茶好きの米田としては、本来あまり味にこだわるつもりはないのだが、このところ病院であやめの入れたお茶を飲んでいて舌がそれに慣れてしまったようだ。
 そういえば前に真之介が同じ様なことでぼやいていたことを思い出す。

「けっ、あーの幸せもんが」

 味わわずに喉を潤すために茶を流し込んだ。
 やけに喉が渇いている。
 普段ならこんなことはない。
 しかし、今日は口論した相手が相手だ。
 会話し慣れている分、こういう会議場での激論はかえって疲れる。

「きゅうすを占領するな、米田」

 と、横に来ていたのは当の本人。
 米田は驚きもせずに、朱宮の茶碗に茶を注ぐ。

「言っておくが、不味いぞ」
「それは困ったな」

 朱宮が煎茶道の免許も持っていたことを思い出す。
 もっとも、口調とは裏腹に朱宮はあっさり茶碗を飲み干した。
 どうやら、こいつも同じらしい。

「なるほど、確かに不味い」
「お詫びと言っちゃあなんだが、今度一杯つきあわねえか?」
「却下する」

 朱宮が下戸であることをよーく承知の上でしかけた冗談に、生真面目に答えてから朱宮は会議場を出ていった。
 なるほど、この調子では今日中の会議再開は無くなったようだ。

「朱宮……てめえ、本気だな」

 見慣れた友の後ろ姿が遠く見えることが、米田は残念でならなかった。



 期待はずれだったな。

 米田と朱宮の会話に、会議場に残っていた者たちの神経が一瞬張りつめたが、この場は何事もなく終わってしまった。
 会議の間中傍観者を決め込んでいた京極慶吾陸軍中将はようやく立ち上がった。
 これ以上ここにいても意味はない。
 しかし、会議にわざわざ出席した甲斐はあったようだ。

 これから状況は大きく動くだろう。
 朱宮、粕谷、米田の三極に、海軍の北村。
 全体がそれに注目している間に、自分はかなり自由に動ける。
 もちろん、この三極を制御するために、粕谷には既に一手打ってある。

 関係の深かった水無月少将と水地助教授を失ったことで、彼は陸軍内部での影響力も、闇の者との関係もしばらく低下していた。
 これからの状況を使えば、そんなものはいくらでも修復がきく。
 それに、京極はそれ以上に期待していることがあるので、あまり二人に関しても惜しいとは思っていなかった。

 あの水地をも倒して見せた山崎真之介……。
 あいつがどこまで成長し、役に立ってくれるかという期待だ。

「閣下、お疲れさまでした」

 配下に抱え込んでいる青年将校らのリーダーである天笠中尉が、車に運転手を用意して待っていた。
 霊力は無いし、京極の裏の顔も知らないが、気配りが利くので部下としてはなかなか有能だった。

「ふ……」

 この者たちにも、いずれ役に立ってもらうときが来るだろう。
 いずれ……。

第二章 唱えよ、夢見る世界 一



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