嘆きの都
追憶其の六
第一章 集えよ、煌めく星々 一




 独特の匂いがする。
 研究室にこもってばかりと思われている真之介だが、実は本屋を回るのも好きだったりする。
 時を越えて触れることの出来る先人たちの英知。
 知識以上に、その経験と手法、発想に学ぶところが大きい。

 研究者としては独特の発想と評される真之介だが、その技術は、様々な物を統合させているに過ぎないと彼は考えている。
 独特の発想が出来ないと言うのは、一つの物に凝りすぎているからなのだ。
 まあ、だからといって、ニュートン力学からカバラ神秘学まで修めるという真似は、やはり常人のそれではないが。

 神田の古書街には、帝大の関係学書から、古くからの陰陽術の解説書など、様々な物が流れ込んでくる。
 どこをどうやったか知らないが、時折魔術書まで見つかることがある。
 本そのものより、前の所有者の走り書きが有益なこともある。
 そういった物を見つけるのはささやかな楽しみであった。

 本の壁を、ざっと表題を眺めながら見ていく。
 そうしていると実は、表題が背表紙に書かれていない、もしくは読めない本の方が手に取ることが多いということになってしまった。
 表題の存在意義について考え、微かに苦笑する。

 ふと、目にとまった。

 表題は、完全都市江戸の崩壊。
 風水系の書物の中にあった一冊だが、真之介の目を留めさせたのは表題ではない。

 水地新十郎、著。

 しばし、真之介はその文字を睨み付けた。
 文字はあざ笑うかのように何も答えない。

「亡霊め・・・」

 あきらめたように、その本を無造作にひっつかむ。

「親父、これ売ってくれ」

 何とも形容しがたい、・・・まあ、あまりいい心理状態とは言えない心のまま帰り道についた。

 街中は、今のところ平静を保っている。
 やや物価が上がっているのは、軍用物資の需要が出てきたためだろう。
 そしてもう一つ。
 猫や鼠といった小動物を見かけなくなった。
 それは・・・。

「ん・・・!」

 視界の片隅を小さく走り抜けた物がある。
 猫ぐらいの大きさだが、断じて猫ではない。
 猫に外骨格や翼があるだろうか。
 小型の下級降魔だ。

「ちっ・・・!」

 本を小脇に抱え、刀に手をかけようとして、

・・・・・・そうだった。

 苦々しい表情で、走りかけた足を止める。
 その腰に、常に帯刀を認められているはずの光刀無形はない。
 そんなものを、置き忘れたりしたわけではなかった。

 対降魔部隊は、現在任務停止中である。


*     *     *     *     *     *



 巨大降魔が出現して、・・・付け加えるならば、対降魔部隊の山崎真之介少佐と藤枝あやめ少尉がそれをなんとか一時的に封印してから既に二ヶ月以上が経過していた。
 大術法を使った後遺症で倒れたあやめが目覚めたのが一月ちょっと前。
 年末である。
 そして、年明け早々に下されたのが任務停止令であった。
 このために、対降魔部隊の区画は入るのにも許可を必要とすることになってしまった。
 あまりにうっとうしいので実験も停止している。
 それで、普段どこにいるかというと、
 あやめの入院している診療所であった。

「ただいま」

 と言うようになってしまっては完全に定着している。
 ここは、街中の診療所としてはけっこう大きい部類に入るだろう。
 帝都の中心からはやや外れたところにあるので、感覚としてはかなり大きい。
 内科中心だが、本質的には心霊治療なので結構何でも屋さんという感覚で患者は集まっている。
 数は多くはないが一応入院も可能であり、あやめは入院患者という位置づけでここにいる。
 で、真之介の立場はと言うと、住み込みの小間使いであった。

「真之介君、今日の診察終わったから器具の消毒と調合の準備よろしく」

 診療所長の真田は、診察が終わった後夕方に仮眠をとっている。
 わずかに心得があるので真之介にも解るが、心霊治療というものはその霊力を直に使うものなので疲労が大きいのだ。
 看護婦も三人いるのだが、彼女たちは特に霊力があるわけでもないし、住み込みというわけでもない。
 必然的に、真之介は補佐役になっていた。
 最初は気が進まなかったが、薬学に関していろいろと教えてもらえるので今では進んでやっている。

 慣れとは恐ろしい。
 てきぱきと、最初の頃の十分の一の時間で片づけてから掃除までして、それからあやめの病室に向かった。

「もっと来てくれたっていいでしょ」

 入って早々に文句を言われた。
 と言ってもあやめの口調は責めていると言うより、すねてみました、と言わんばかりに演技っぽい。
 これはわざとだ。

「・・・病室に用もないのにか?」

 冒頭に、「女の」とつけそうになったのを寸前でうち消した。
 口に出してしまえばなおさら意識してしまう。

 あやめは入院患者用のこざっぱりとした服を着て寝台の上で上半身を起こしていた。
 ほとんど寝間着である。
 あやめの意識がない間はそう言ったことに気を留めることもなかったのだが、今はこちらにも心理的な余裕が出来ているのだろうか。
 飾り気の無いその服が、かえってあやめの本来の魅力を感じさせてくれる。
 化粧っ気の無いその顔が、真之介は好きだった。

 そういったことは、もちろん絶対に口に出したりはしないが。

 もちろん、あやめは完全に治ったというわけではないから、その笑顔にも少し疲れが見える。
 いや、その言い方は正確ではない。
 常に霊力を消耗し続けているのだ。
 帝都の地下に眠る巨大降魔の、一時的な封印のために。
 そして今、その巨大降魔を巡って軍内で論争が起こっている。
 そのため米田の計らいで、意図的に入院させられていた。
 理由を聞かされれば当然納得せざるを得ないのだが、それでも病室は寂しい。
 もっと傍にいて欲しい。

 真之介に直にそんなことを言ったら照れるに決まっているので、それは口には出さない。
 でも、思ったらちゃんと来てくれたし、ぶつくさ言いながらも傍に近づいてきてくれたのであやめは嬉しかった。
 真之介と、心が通じたような気がしたから。

「ねえ真之介・・・。何かあったの?」
「いや、相変わらずだ。まあ、今日は米田と一馬の二人が会議に行っているから何か動きがあるかも知れないが・・・」
「そうじゃなくって、・・・あなたが」

 あやめの瞳には真っ直ぐに自分の姿が映っている。
 この瞳の前で隠し事をするのはかなり難しい。

「何で、解ってしまうのかな」

 真之介は、どこかあきらめたような顔で、微かに甘みを感じていた。
 その真之介の額を、あやめは上目遣いに指ですっと押す。
 なんだか、叱っているみたいだった。

「解るわ。あなたの顔にちゃんと出ているもの」
「・・・」

 あきらめたように、先ほど買ってきた本を取り出す。

「それは・・・」

 あやめも一目で著者に気がついた。
 忘れようはずもない。

「あいつが何を考えていたのか……もしかしたら解るかも知れないと思ってな……」

 そう、吐くようにつぶやいた言葉が終わる前に、あやめに手を掴まれていた。

「忘れないで、真之介……。
 私……ちゃんとここにいるから……」

 ここに……
 それが何を意図したものか。
 それが解らなくても、その言葉は真之介を支えてくれた。

「ああ……」

 これは現実。
 耳の奥に幾重にも響くあの叫びとは違う。
 確かな現実。
 この手のやわらかさ……ぬくもり……。
 目の前にある、あやめの美しい顔……。
 すべて、現実……。

コンコン。

「ん・・・・っ」

 なんだかいい雰囲気になりかけたところで、扉が鳴った。

「真之介君、薬の調合を始めるぞ」

 真田所長の半分眠ったような声が聞こえてきて、慌てて二人は手を離した。
 一馬といい、この人といい、どうして良いところで邪魔をしてくるのだと思ったが、この場はまあ仕方あるまい。

「じゃあ、ちょっとやってくる。
 ……ちゃんと寝てろよ」
「うん」



「いつまでこんな状態が続くのかね?」
「俺の方が聞きたいくらいだ」

 最近では真之介の方も慣れてきたので、会話しながらの調合も出来るようになってきた。
 もっとも、真田から見ればまだぎこちないが。
 どうやら真之介としては、フラスコとビーカーを使う調合の方が向いているらしい。

「現在封印の継続、維持に当たっているのは宮城の近衛方術士団だが、術そのものを一瞬でも解くわけには行かぬからあやめの掛けたそのままだ。おそらく少量だがずっと霊力を使われているんだろうな」

 苦々しい、という表情を真之介は隠しもしない。
 本音を言えば、今すぐにでも大空洞の底へ乗り込んで奴をぶった切ってやりたいところなのだ。
 それをわざわざ維持するなど……。

「そのあたりの原理は解らなくはないが……、しかし、米田中将からの指示はどういうことだね?」

 真田は米田から、あやめをしばらく入院させておいてくれと頼まれている。
 本気で真田と真之介が治療にかかれば、霊力を使われ続けていると言っても何とか回復させられないこともないのだ。
 だから、意図的なのである。

「あやめを議論の場に出さないためだろう……。過保護なんだよ」

 米田に向かって言ったはずの言葉だが、自分も同じ気持ちであることを、真之介は否定しきれなかった。



第一章 集えよ、煌めく星々 二



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