もう一度この街で
追憶其の四


 銀座の洋食屋で、あやめは妹と向き合っていた。
 帝国華撃団構想も、米田が真宮寺大佐の娘を迎えに行ったことで一段落したと言っていいだろう。
 久々にゆっくり時間が取れたところで、欧州生活を続けている妹のかえでがちょうど帰省していたので、こうして会っていたのである。

 とはいえ、普段はお互いの仕事に熱心な二人。
 交わす会話の内容も、どうしても仕事のことがほとんどになってしまう。

 ひととおり話し終えて、少し会話が途切れた。

 コーヒーカップの中のミルクをかき混ぜながら、かえでは思い切って尋ねてみた。

「姉さん・・・。真之介さんと、また会えると思っているの・・・」
「約束したの」

 あやめの答えに迷いはない。
 信じている。

「きっと会える・・・。この街を守っていれば・・・、もう一度・・・」 


*    *    *    *    *    *    *


 真之介は椅子に座っていた。
 何をしているというわけでもない。
 背もたれに体重をかけ、全身の力を抜いたまま、どことも知れぬ虚空に視線を這わせていた。
 いつも膨大な資料で溢れかえっているはずの机の上も、その周りも、ずいぶん片づいている。

 単に、掃除くらいしかやる気にならなかったのだ。

 莫迦莫迦しい・・・。

 その言葉を口に出したのかどうか、自分でもわからなかった。


 士官学校を出てもいない成り上がり者が・・・
 あんな若造が私の上だと・・・
 もう、仲間でも何でもない・・・
 魔術を使って取り入ったのではないか・・・
 元々、人間かどうかも疑わしいというものだ・・・
 あいつ、嫌いだ・・・
 化け物だ・・・


 慣れたつもりでいたのだがな。

 異能者は疎まれる。
 幼い頃より天才と呼ばれてきた分、同じだけの敵意も浴び続けていた。
 この対降魔部隊に入って、ようやく自分の居場所らしいものが見つかって、少し気を抜いたせいかもしれない。
 久しぶりのあからさまな敵意は、思いの外こたえた。
 霊力のある真之介には、それを現実の圧力のように感じていた。

 大きく息を吐き出す。

 そろそろ、部屋中の空気が自分のため息で満たされた頃ではないだろうか。
 などと愚にもつかぬ事を考えていた。

 茶をすすろうとして、茶碗が空になっていることに気づいた。
 前に自動茶入れ器を作ってみたのだが、あやめの入れた茶を飲んだ後では飲めたものではなかったので廃棄処分にしていた。

 捨てるべきではなかったかも知れない。

 何に対してそう思ったのか、自分でもわからなかった。

 喉が渇いた・・・。

 他人事のように自分の状態を見つめていた。
 遠くから足音が近づいてくる。
 誰かは、確認するまでもない。

コンコン

「真之介、起きてる?」

 予想したとおりの声だった。
 起きている、と聞かれたのが生きている、と聞かれたような気がした。

「ああ」

 扉を開けて軽やかに入ってきたあやめだが、すぐに雰囲気の異常に気づいた。

「どうしたの一体・・・。ソロモンの魔神でも呼び出したの・・・?」
「いや・・・。済まないがあやめ・・・、茶を入れてくれないか・・・」
「うん・・・」

 自分で入れなさいよ、と言おうとしたのだが、前に文句を言われたのを思い出し、言うのを止めた。

 お前の茶を飲んだ後では、もう飲めん。

 あやめとしては、悪い気分はしない。
 もう少し真っ直ぐな言い方で誉めて欲しいと思うのだが、真之介らしい言い方だとも思うので複雑である。

「はい、どうぞ」

 考え事をしながらでも、あやめの手は鈍らない。
 芸術的とも言える入れ方を、真之介は少し安らいだ気分で見ていた。

「ああ・・・」

 まず一口。
 期待したとおり、美味い。

「落ち着くな・・・」

 やっと、ため息の入っていない息が出た。

「で、あやめ。こんな時間にどうしたんだ」

 まだ正午になっていない。
 いつもの真之介なら眠っていることもある時間である。

「そうそう、おめでとう、真之介!噂で聞いたわよ。昇進したってね」

 笑顔いっぱいのあやめに対し、真之介の表情は対照的なまでに暗い。

「お前の耳にも入ったか・・・。ほとんど公然の秘密というやつだな」
「どういうこと・・・?」

 聞かれて真之介は、机の上に転がしてあった辞令を、紙切れでも放るようにあやめに手渡した。
 おそるおそる目を通したあやめは、首をかしげる。

「これ、どういうこと・・・?」

 あやめが聞いた噂は、真之介が二階級特進して特務少佐に任ぜられたという内容であった。
 真之介の年齢を考えれば、帝国陸海軍の歴史を通じても史上初の快挙であろう。
 しかし、辞令の方には但し書きがあった。

 ただし、本件は秘密事項に関わるため、公式な昇進は今後二年間に多段階的に行い、それまでは極秘となる。

「ミカサの起動成功ゆえの昇進って訳だろう。しかし、星龍計画そのものが最重要機密だからおおっぴらには出来ん。それで、というわけだ」

 またため息が出た。

「俺が魔術で取り入ったという噂もあるようだが・・・、どいつもこいつも・・・」

 改めて嫌悪を覚え、吐き捨てるように言いながらも、心のどこかで女々しい自分に自己嫌悪も覚えていた。
 辞令を渡すとき、米田と一馬は祝ってくれた。
 増える給料で酒でもおごれと言うくらい、自然に、何一つ嫌なところのない心で。
 あやめは噂で聞いてすぐ、自分のところに来て素直に祝ってくれたのだ。
 それなのに、自分はこの年下の少女に当たり散らすように愚痴っている。

 いたたまれなくなって、拳を握りしめる。
 爪が手のひらに当たって、かすかに血がにじむ。
 ・・・自分を殴りつけたかったのかも知れない。
 その手に、そっとあやめの手が触れた。

「・・・あやめ・・・」
「真之介・・・さびしいの・・・?」

 間近にあやめの瞳があった。
 考えてみると、こんな風にあやめと手を触れ合わせるのは初めてのような気がする。
 絹を思わせる、不思議な感覚だった。
 そしてそれ以上に、あやめの手から流れ込んでくるような何かあたたかいものが、真之介の心に深い安らぎを与えてくれた。
 触れている手だけではなく、その瞳にも吸い込まれそうな魅力を感じる。

 そのとき、あやめの美しさを自分はまるでわかっていなかったのだと思い知らされた。
 若い同僚の連中が口を揃えて言うように、確かにあやめは素でいても美人である。
 十代半ばとは思えないほど凛としたその美しさは、しかし決して若さを損ねているものではない。

 しかし、あやめの魂まで見たことは無かった。
 それが今、微かにあやめの瞳の向こうが垣間見えたような気がしたのだ。

 うつくしい・・・。
 あたたかい・・・。

「いや・・・、もう、大丈夫だ・・・・」

 自分が微笑んでいることを、頭の片隅で自覚していた。
 頭の残りの部分は、あやめに抱きとめられていたと言ってもいいかも知れない。

 年上の威厳無しだな・・・・。

 自嘲だった。
 だが、なんと心地よい自嘲だろう。

 こういうのを、幸せというのか・・・・。

 その気持ちを、あやめも感じていた。

 いつも、幾重にも重なったガラスで屈折させた姿でしか見えなかった真之介の心が、今初めて真っ直ぐに見つめることが出来た。
 天才と言われ、自分で作り上げた壁の中で孤高たらんとする仮面の下は、確かに自分とさほど変わらぬ年齢の青年の、いや、少しそれより差し引いた方がいいかも知れない、寂しそうな表情をしていた。
 そこには、外見だけでなく人間としての自分の存在を、同じ高さで認めてくれる、素直な心があった。
 そうして、本当の意味で、自分を頼ってくれた・・・。

 対降魔部隊。
 霊力を備えた者たち。
 それは、並の人間とは明らかに違う。
 だが、そこに集まった俺たちは、私たちは、だからこそ、同じ場所にいてくれる同じ人間が欲しかった。
 自分を、同じと認めてくれる心が欲しかった。

 真之介は手を伸ばした。
 あやめも手を伸ばした。

 そうっと、手に絡まったあやめの髪とともに、あやめの首に手を回す。
 そおっと、真之介の背中に手を回すと、真之介の髪に手が絡まった。

 どちらからともなく、お互いの身体を抱き締めていた。
 どちらからともなく、魂を触れ合わさせていた。

 自分たちに出来るという自覚はなかったが、お互いに疑問はなかった。
 触れあう魂に呼応して、引き寄せられるかのように、互いの唇が近づいていく。
 触れあうか・・・、触れあわないかというところで、あやめははっと身体を引いた。

「あやめ・・・」
「だめ・・・、やっぱりだめ・・・、これ以上は・・・」

 真之介を拒絶しているのではない。
 それどころか、真之介の胸にすがりついて今にも泣き出さんばかりの表情だ。

「嫌いなんじゃないの・・・、嫌な訳じゃないの・・・。でも・・・私・・・私は・・・」
「藤枝家の巫女、か」

 真之介の口から出た言葉にハッとなり、恐る恐るその顔を見上げる。
 美貌とすら呼べる整った顔立ちに、真っ直ぐな思いと微かな怒りがある。

「真之介・・・。知って・・・いたの・・・」

 彼の口からその名が出た以上、答えは一つだ。
 それでも、確かめるのが怖い・・・。
 知るのが怖い・・・。
 真之介は、あやめの不安げな視線を真っ直ぐに受け止めながら、しっかりと頷いた。

「藤枝家から、二剣二刀の後継者が来ると聞いたときに、調べた」
「じゃあ・・・最初から・・・」

 初めて顔を合わせてから・・・今まで・・・

「私が・・・、怖くなかったの・・・?」
「何で怖がらねばならんのだ」

 身体を離そうとするあやめの手をしっかりと握ってやる。
 言葉よりも雄弁に、ここにいていいと叫んでいる。
 ぬくもりの伝わる手を見つめながら、無理矢理呼吸に言葉を載せる。
 喋るなんてことが、出来そうになかった。

「だって・・・私は・・・・」
「魔を狩る破邪の血統に対して、清浄を司り都の浄化をなす者。巫女と呼ばれる者は、その中でも特に優れた力故に、人の身で交わることは不可能とされる」

 そのつらさを察してか、真之介はすらすらと答えた。

 真之介の口からこう淡々と説明されると、自分と関係のない霊子物理学の解説を聞いているような気がしてしまう。
 だが、思い直す。
 これが現実なのだ。
 逃れられない、自分の現実なのだ。

 涙が溢れてくる。

 自分の宿命を重いと思ったことは何度もあった。
 だが納得もできた。
 世の中には様々な仕事があり、たくさんの人がそれらに携わることで世の中は成り立っている。
 その仕事が、人より少し特殊で重いだけ・・・。
 そう、思ってきた。

 だが今、真之介の腕に抱かれていて、あやめは初めて、自分の宿命を忌まわしい、と思った。

 どうして私は、普通の女の子として生まれてこなかったんだろう。
 どうして私は、普通の女の子のように育てられなかったのだろう。

 私は、普通の女の子にはなれない。
 どうしても・・・。
 どうしても・・・・・・・。

「そう・・・っ、だから・・・、これ以上踏み込めばあなたは・・・」
「死なないっっ!!」

 涙が、止まった。

 その声には微塵も躊躇はなかった。
 あやめの哀しみを、苦しみを、全て吹き飛ばしてくれた。

「真之介・・・」

 自分が泣いている間、一度たりとも逸らさずに自分を見つめてくれていたその顔へ、もう一度顔を近づける。
 近づけて、ゆっくりと目を閉じる・・・・・・・・。

トントンっ

『!!!』

 突如鳴った扉の音に、二人は弾かれたように身体を離した。
 お互いに顔を見合わせると、相手も同じ顔をしていた。
 残念さと、恥ずかしさが混ざり合ったような、少し照れた笑顔だった。

「・・・誰だ?」

 鏡に向かって表情を整えてからちょっといらついたように答える。
 何だか肩すかしを食らった気分だ。

「私なんだが」

 飄々と返ってきた声は一馬のものだった。

「一馬っ!何の用だ!」

 照れ隠しに叫びながら扉を開ける。
 おや、と思った。
 一馬が、軍服ではなく私服姿だったからだ。

「ああ、これか。実は、米田さんが久々に休みが取れたので、真之介の昇進祝いも兼ねて、洋食屋でおごってくれるそうだ。二人とも外出着に着替えてくれ」

 いいところで邪魔されたものの、悪い話ではない。
 名残惜しそうに、もう一度見つめ合ってから、あやめはちょっと早足で自室に戻っていった。

「か〜〜〜〜〜〜〜ず〜〜〜〜〜〜・・・・」

 あやめがいなくなって、真之介は一馬に文句の一つでも言いたくなってきた。
 が、

「君の実力と決意は買うがな」

 言いかけたところで、一馬の口からは予想外の言葉がかえってくる。

「死ぬか生きるか・・・私の見たところでは現時点で五分と言ったところだろう。今、君たちを死なせるわけには行かない。死なせたくはない。まだだ・・・。今はまだ、君に踏み込ませるわけには行かない」

 真之介は最初、何を言われたのかよくわからなかった。
 しかし、一馬は入ってきたときに、あやめがいることを別に不思議そうに見せなかった。
 ということは、つまり。

「立ち聞きしていたなっ!一馬っ!」
「あれだけ強い想いの込められた霊波をかわしていたら、部屋の外にいても感じて聞こえてしまうよ」

 思わず赤面する真之介である。
 そんな真之介に、一馬は諭すように言葉を続ける。

「強くなれ、真之介。あやめくんの全てを受け止めてやれるくらい、あやめくんの全ての鎖を断ち切れるくらい、強く・・・」

 その言葉は真之介には、一馬が自分自身にも向けて言っているように聞こえた。
 一馬も、守る者のために強くならんとしているのだ。

 今はまだ足りない・・・。
 今はまだ、力が足りない・・・。

「しかし・・・、そういうのも年の功という物なのか?」

 いつも自分は対等に話しているが、やはりこうしてみるとずいぶんと一馬は落ち着いて見える。
 熱い想いを秘め、激することなくしかし、あがらい続けている。

「んー、そうだな。多分君も子供が出来ればわかるよ」
「なっっっっ!!!?」

 なんだかさらりととんでもないことを言われたような気もするが。

「ほらほら、女性より着替えが遅くては面目が立たないぞ」

 この間の外し方は多分、本当に年の功だろう。
 真之介は勝手にそう決めつけた。

*     *     *     *     *

「・・・・・・・・・・」
「どうかなぁ・・・・」

 くるりと一回りしスカートを翻してあやめが尋ねてくるが、真之介は絶句している。
 あやめの私服姿を見たことはこれまでにも何度かあったが、全て和服姿であった。
 ところが、今日のあやめは珍しく洋服である。
 落ち着いた和服は確かにあやめの雰囲気にあっていて真之介は好きなのだが、洋服だとこれはこれで、年相応の少女らしい快活さがよく現れていた。

「洋食屋に行くのに和服だとおかしいかな、と思ったんだけど・・・」
「はあん、そりゃあ確かにそうだな」

 合点がいったと手を叩く米田である。

「しかし、洋食とは珍しいですね。どういう風の吹き回しですか?」

 一馬の言うとおり、米田は羊羹と番茶、日本酒をこよなく愛する大の日本党である。
 洋食は余り趣味ではないはずなのだが。

「なーに、この間日本料理の料亭でまずい飯を食ったからな。たまには洋食も食ってやろうと思ったんだよ。それより、山崎。さっきからずーっと黙りこくっているが、惚れ直したかあ?」

 そう言って、背中をバシンと叩かれて、真之介はようやく我に返った。

「・・・・っ!誰がだっ!米田あっ!」
「おーおー、照れてんのかあ?」
「似合わないかしら、これ・・・」

 米田に掴みかからんばかりの真之介の背中に、あやめの少し心配そうな声がかけられる。
 振り返ってみると、声そのものの、不安そうな顔である。
 ここで似合わないと言えたら、人でなしの烙印を押されても文句は言えまい。
 実際、これは意外に似合っていた。
 案外、あやめはどんな服を着ても似合うのかも知れない。

「あー、その、なんだ。悪くは、ない」

 それを聞いてあやめの表情がぱっと明るくなる。

「おお、真之介が絶賛しているぞ、あやめくん」
「ええ、わかってますよ。一馬さん」
「ええい、どいつもこいつも!行くぞ!」

 顔が赤くなっているのを隠すように、先頭に立って銀座の街へ踏み出した。

「へいへい、仰せに従いますってか」

 だから、真之介は見ていなかった。
 米田の表情が、父親のようにほころんでいたことを。

*    *    *    *    *    *    *

 食事が終わると、米田と一馬はなんだかんだと理由を付けて銀座の街に消えていった。
 なんだか、励まされているのか、からかわれているのか。
 複雑な気分である。

 道ばたに二人して立っていると、通り過ぎる人たちが振り返って、あるいは羨望の目で見つめてくる。
 真之介は余り自覚していないが、少し若いものの、美男美女同士、なんともお似合いの二人なのである。
 少しは雰囲気を感じたのか、あやめはそっと真之介の手をとった。

 真之介はそれに気づいて少しとまどったような表情を見せたが、その手を優しく握り返した。

 悪い気分ではない。
 いや、いい気分だった。

 あやめと初めて会ってからずいぶん経つのに、こうして二人で街に立つことはなかった。
 真之介はいつも仕事に追われて、研究室から出ることも少なかったから、当然と言えば当然なのだが、今真之介は、とてももったいないことをしてきたような気がした。
 陸軍内部で化け物と疎まれるよりも、今この街でこうして噂になる方が気分がいい。

「少し、歩くか」
「うん」

 周囲に人だかりの前身のような物が出来始め、果てはカメラを取り出した者までいるとあっては、さすがにここにいるのは躊躇われた。
 カメラを取り出した者は、どこかの記者かも知れない。
 そうでもなければ、高価なカメラを持っているはずもない。
 二人は、本来表沙汰になってはならない対降魔部隊の一員なのだ。

 しかし、今の真之介にはそんなことよりも、こうしてあやめと手を取って逃げ出す状況が楽しかった。
 一旦その場を駆け足で離脱して、足を緩めたところにショーウインドーがあった。
 あやめがその前に足を止めたので、真之介は一緒になってそれを眺める。

 最近流行りだしたというウェディングドレスをうっとりと眺めるあやめの隣で、頭の中であやめにその服を着せてみた。

「似合うかもな・・・」

 意識せずにつぶやいた言葉だったが、

「えっ・・・?」

 はっとこちらを振り向いたあやめの頬が赤い。

「な、何を言ってるのよ、真之介・・・」

 照れ隠しに、真之介の手を引っ張って先へ進む。

「もう、いいのか」

 これ以上、見ていられる訳ないでしょう・・・。

 口の中だけでそっとつぶやいた言葉に、もう少しだけ付け加える。

 いつか・・・、あの服を着せてね・・・、真之介・・・・。

 そのとき、二人のつないだ手の間に、確かに同じ未来像が見えた。

 しかし、この銀座を二人して歩いていると、どこに行っても大なり小なり噂になってしまう。
 これでは喫茶店などに入れたものではない。
 仕方がないので、街角で売っていたクレープなるものを買って、銀座の真ん中あたりで百貨店の中に入り込んだ。

 一応の休憩所になっている屋上は、平日と言うことでほとんど人がいなかった。
 ひなたぼっこをしている文士らしい青年と、高村煎餅店と書かれたはっぴを着た七、八歳くらいの女の子。それにその子の母親らしい婦人だけである。

 ここなら、大丈夫だろう。

 やっと一息つけて、先ほど買ったクレープを食べる。
 なんだか、不思議な味がした。
 悪くはない。

 一口、二口嚥下して視界を巡らすと、転落防止用の柵の向こうに銀座の街並みが見下ろせた。

「ねえ、真之介・・・」

 下から吹き上げてくる風に髪を遊ばさせながら、つぶやくように尋ねてきた。

「前に、帝都が嫌いだって言ってたよね・・・」
「ああ・・・」

 この帝都に済みながら、その真の姿を知りもしない人々が築いた帝都。
 宿命に縛られた人々に守られながら、快楽を享受する人々の住まう帝都。
 しかし・・・。

「今は、嫌い・・・?」

 少し、考え込む。
 即答して頷いても良さそうなものだったが、それを押しとどめるものが心の中にあった。
 よく、見えない・・・・。

 手の中に残っていたクレープを口に放り込み、半ば無意識のうちに残った包み紙を捨てようとしたとき、包み紙が正方形をしていることに気がついて、はたと手を止める。
 しわのついた紙を平らに引き延ばしてから折り紙を作る。

 尋ねたあやめは、答えを急かすでもなく微笑みながら、真之介の手の動きを見つめていた。

 できた。

 少し、複雑な形の紙飛行機である。
 真之介は、空中司令塔の建造のために航空力学を学んだことがある。
 結局、飛行船型を採用したので飛行機技術は使わなかったのだが、ちゃんと頭には入っていた。

 出来た自信作を、はい、とあやめに手渡す。
 あやめはクレープを左手に持ち替えて、右手で飛行機をそっと構える。
 青い空に浮かんだ雲に向かって、

「えいっ!」

 ふわ・・・

 飛び出した直後にすうっと浮かび上がった紙飛行機は、銀座の風を翼に受けて確かに飛んだ。
 飛んでいった。

「今は・・・悪くない」

 ゆっくりとその姿を小さくしていく紙飛行機を見送りながら、大きな息と共に真之介は答えた。

「そう・・・」

 心からの微笑みを浮かべて、あやめは応えた。
 残ったクレープを食べ終えて、包み紙を真之介に手渡す。
 真之介は同じ微笑みを浮かべながら今度は違う形の紙飛行機を折った。

 作り終えて、あやめの手を取る。
 頷いて、あやめは真之介の手にその手を添えた。
 お互いに、見つめ合ってから、

『それっ!』

 先に行った飛行機を追いかけるように、その飛行機も空に舞った。
 風次第では、もしかすると東京湾まで届くかも知れない。
 無茶なと言われるかも知れないが、ふと、そう思った。

「あやめ・・・」

 銀座の街並みと、その上の空を見つめたまま、真之介はそうっとあやめの肩に手を回した。
 ちょっと驚いて、それから安心したように、真之介にもたれかかる。

「また、こうやって、この街を見渡そうな・・・」

 今日、聞いた中で、一番穏やかな真之介の声だった。

「ええ・・・、この街を、私たちで守って・・・・」



 しっかりと頷きあった二人の約束。
 それは確かに果たされる。
 しかし、守られなかった。

 時は移り、太正十三年。


 私は強くなった。
 私は、強くなった。


 赤き月を背にし、銀座の街並みを見下ろしながら、彼のどこかでつぶやいた者があった。
 そして、彼の手が、再びあやめの肩に回されていた。
 あやめの手には、紙飛行機ではなく、

 剣と、珠と、鏡・・・。


 私は、強くなったのだ・・・。


 虚ろな目をしたあやめの顎に手をかけて、


 だめ・・・


 あやめの唇に接吻する。

 あやめの姿を引き裂いて、黒い姿が現れる。

 二人して、銀座の街を、そこに立つ七人の人間を見下ろす。

 そして、二人の姿は、夜の銀座の街に、東京湾を目指して消えていった。



初出、SEGAサクラ大戦BBS平成十年十月十七日



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