死者の艦 追憶其の三 |
「それでは、空中戦艦ミカサの浮遊実験成功を祝して、乾杯!」
『乾杯!』
帝都日報の記者の一人でもこの光景を目撃しようものなら、明日の新聞の一面は、先日の地震の話題から即座に変更となっただろう。
だが、この料亭で行われていることは、報道関係者はおろか、軍部のほとんどに対してさえ秘密なのだ。
しかし、陸海軍の最高幹部達のほとんどが列席している。
仲の悪いことで知られる両軍のお偉方が杯を交わしている光景は異様ですらあるのではないだろうか。
もちろん、貼り付けた笑顔の下はわかったものではないが。
そんな中、場違いなくらい若い青年が出席している。
階級章はつけていないが、実際の階級も場違いに低い。
もっとも、年齢と比較するとその階級はかなり高いのだが。
この青年こそがこの酒宴の立て役者と言っても良い、空中戦艦ミカサの特別技術顧問官にして陸軍対降魔部隊の一人である山崎真之介中尉に他ならなかった。
真之介は最初の乾杯の時に、形だけ杯をかかげたものの、黙々と飲みもせずに料理を口に入れている。
この酒宴の中で明らかに浮いていたが、そんなことを気にするでもなく料理を口に入れている。
食べている、ではなく、口に入れている、である。
まともに頼めば公務員の月収ほどもする料理なのだが。
「山崎ィ、どうしたあ。舌にあわんのか?」
「あやめの作る料理の方が遙かに旨いな」
真之介の答えにニヤリとしたこの酔っぱらいは、言わずと知れた対降魔部隊長米田一基である。
傍目にはすっかり出来上がっているようにしか見えない。
「おまけに酒には手をつけてねぇときたもんだ。おめえ、ちったあ楽しめよ」
「楽しめるか。大体アルコールなぞ、試薬、溶媒、洗浄剤などと言った使い方こそ適切であって、こんな毒物を飲むこと自体が間違っているのだ」
「かーっ、酒が不味くなることを言ってくれるぜ」
大げさに天を仰いでから、米田は再びニヤリと笑った。
「この間あやめくんに負けたのがそんなに悔しいのかあ?」
「やかましい・・・っっ!」
苦味と、自嘲と照れと、それから微かな愛しさが込められた叫びに、あまり迫力はない。
そう。飲まず嫌いではないのである。
飲もうと思えば一二杯ぐらいなんとかなる。
しかし、そんな真之介とは比較にならないくらいあやめは強いのである。
さすがに、ザルとまで言われる米田と渡り合えるほどではないが、米田と一緒に飲むことが出来るくらいは強い。
年下の女に負けては立つ瀬がないと、無理して飲んだ真之介は、四日酔いの地獄を体験する羽目になったのだ。
当然、その間に仕事は山積し、取り返すのに一週間かかった。
それ以来、真之介は一滴も酒を口にしていない。
真之介が至った結論は、酒なぞ頭脳の働きを鈍らせるだけの毒物だという偏執的なものになったのである。
一方、その日に、真之介の十倍は飲んだのではないかという米田は、酔った様子を見せたものの、その後仕事に呼び出されたときには既に素面だったという。
その件で、真之介はわかったことがある。
米田は酔ってなどいないのだ。
いや、酔えないと言った方がいいのかも知れない。
日露のころから米田を知っている者に言わせると、ほとんど手放すことのないあの酒は米田の涙なのだという。
すぐに乾き、その存在を感じさせない涙を、米田は流し続けているのだ。
涙を飲んで、酔えるわけがない。
楽しんでいるように見える顔の下で米田が思いを馳せているのは、死なせていった戦友や部下達なのか・・・。
「ん?どうした、山崎?」
どうやら、考えている間に米田の顔を見つめていたらしい。
「いや・・・、水をもう一杯くれ」
考えを隠すように店の女に声を掛けた。
唯一の若者である真之介に、店の女は好意的に反応し、すぐに水を持ってきてくれた。
あちらはと見ると、そろそろ無礼講の様相を帯びてきていいはずが、どうも落ち着いた印象を受ける。
表面上は賑やかだが、真之介はその場にまだ緊張感を感じていた。
今回、真之介の尽力による霊子核機関による浮遊実験の成功で、星龍計画と呼ばれてきた空中戦艦建造計画は完成まで三十年以上と言われてきた状態を一気に打破し、数年中の完成が確実な話になってきた。
人類史上最強の武器となるだろうこの空中戦艦ミカサが陸海軍どちらの管轄下に入るか、実はまだ決定していないのである。
これをどちらが押さえるかで、また一悶着あることだろう。
既に、お互いのあら探しが始まっていると言ってもよい。
「狐と狸の化かし合いだな」
水を持ってきてくれた女がその場を離れたのを確認してから真之介はポツリとつぶやいた。
「へっ、まあ、否定はしねえがな」
米田もこの宴を心から楽しんでいるわけではない。
空中戦艦を帝都の地下に隠匿するという時点で、米田は昔から星龍計画が気にくわなかった。
発進時に帝都に甚大な被害を与えることは明白であるというのに。
人々の生活を大きく破壊することが確実だというのに。
何のための兵器だ。
世界が滅亡する危機でも来ない限り、ぜったいにミカサを発進させぬと米田は心密かに誓っていた。
むろん、この環境でそれを表に出したりはしない。
「そう言えば山崎、おめえミカサに何か・・・」
米田は話しかける途中でふいに言葉を途切れさせた。
真之介が、周囲をうまく目を合わせぬようにして見回したからだ。
「読んでいるヤツがいる・・・」
真之介は唇を一切動かさない特殊なしゃべり方で言葉を発した。
隠密の技術の中には、たとえ声が聞こえなくても喋るときの唇の動きでその会話を読みとるという技術がある。
こちらを監視しているのではなく、注視している視線を感じ、真之介は読まれていると判断した。
「あんまり顔色が良くねえな。ここの空気に酔ったかあ?」
「ああ、少し風に当たらせてもらおうか」
即座に心得た米田はそう「喋って」、うまく話を作り上げさせた。
当然、答える真之介も心得たものである。
騒ぎの中、ほとんど気に留めるものもなく、二人は縁側へ出ていった。
真之介は背中に、舌打ちする気配を確かに感じた。
縁側に出て障子を閉めると、さすがに喧噪も大して届かなくなる。
「ふん、庭には気配は無さそうだぜ」
周囲を一見渡ししてから米田はどっかと座り込んだ。
むろん、ちゃんと一升瓶を持ってきている。
「で、読んでいたのは何処のどいつでえ」
聞いている者はいないとわかっていても、米田の声は少し小さくなった。
答える真之介もそれにならう。
あまりおおっぴらに言えることではない。
「おそらく、戦神、だろう」
「あいつか・・・・っ」
米田が顔をしかめる。
「戦神」というのは、最近陸軍内部で台頭してきた京極慶吾という男のことである。
その若さに似合わぬ(真之介よりは遙かに歳だが)天才的な指揮能力から、熱狂的な青年将校達が戦神とあだ名するようになっている話を二人とも聞いていた。
その彼が掲げる軍部による統治国家論は、青年将校達がはまり込むことからもわかるように、かなり過激な面を持っている。
しかし、それ以上に京極慶吾という男には得体の知れない影のようなものを感じるのだ。
今日の主席者の中では階級的には低い部類にはいるが、油断ならないことにかけては屈指かも知れない。
しかも、京極は真之介との因縁が浅くない。
あえて軍神と言ったのは、真之介の決別の意志を示していた。
もっとも、この場ではそれを持ち出す気はしなかった。
「あれは、あいつにゃ使わせちゃなんねえ。おめえが手を加えたとは言っても、ミカサが強大過ぎることは変わりねえからなあ・・・」
水をあおろうとした真之介の手がピタリと止まる。
その視線が、少し鋭い。
「あやめから聞いたな・・・、米田」
「ほー、そうか。あやめくんにだけは話していたのか。隅に置けねえなあ」
真之介の視線に構わず、米田はにやついた笑いを見せる。
真之介は一瞬、何のことかわからなかった。
「まあ、おめえなら何かやってくれていると思ったんだがよ」
その言葉の意味を理解した真之介の顔が、珍しくはっきりと引きつる。
「米田・・・、貴様はめたなっ・・・!」
「俺に黙って内緒の仕事たあ百年早ええぜ、天才科学者よお」
米田の仕掛けたカマにまんまとかかったというわけだ。
自己嫌悪でがっくりくる真之介に、米田の軽快な笑いが浴びせられる。
嘲るような笑いではない。
子供の行動に微笑む親のような、どこか安心させられる笑いだった。
「んで、結局の所どんな細工を施したんでえ?」
真之介がようやく顔を上げたのを確認してから、米田は改めて尋ねた。
真之介はしばらく悩んだ。
これを話しても良いものか・・・。
だが、米田の笑顔を見せられ、話しておく気になった。
その笑顔が、お前一人で抱え込むものではないと、語っているように見えたのだ。
先ほど飲もうとして止まった水をようやく飲み直してから、真之介は口を開いた。
「霊子核機関に制限をかけておいた・・・」
「ほう」
米田も、ミカサの基本設計に関してある程度の報告は受けている。
巨大質量を浮かび上がらせる極めて高出力な霊子核機関が、真之介の設計によりようやく実用化出来た代物だと言うことは聞いていた。
その全容は他の科学者達の追随を許さないものだという。
真之介が一番細工を加えやすい場所であることは確かなので、この答えを米田はある程度予想していた。
しかし、その続きは米田の想像を絶していた。
「霊子核機関は外部のエネルギーとの感応性が高すぎてな、その気になって整備すれば、周囲のエネルギー全てを吸い尽くして活動することが出来る。つまり、理論上はミカサの活動時間は無限になるはずなんだ」
それは、永久機関と呼ばれる仮想的な存在に近い。
実際には、エネルギーだけではなく、エントロピーを抱え込むからあくまで理論上は、ということであるが。
「しかし・・・、周囲のエネルギーを吸い尽くすということはな、乗組員すらも生きてはいられないということになるんだ・・・・」
米田は背筋が凍るような恐怖を覚えていた。
明冶初頭より日清日露とくぐり抜けてきたこの歴戦の勇士がだ。
「だから、霊子核機関に制限を掛けた。臨界に達する前にミカサは止まる・・・。絶対の死の船になる前に・・・」
そこまで言って、真之介は残っていた水を飲み干し、大きく息をついた。
それは、後悔と言ってもいいかも知れない。
霊子核機関に取りかかったのは、純粋に学問的興味からだった。
それがまさかここまでの代物とは、実際に作ってみるまで思いもしなかった。
だが、真之介の構想では、ミカサは必要なのだ。
いずれ、必ず・・・。
「なるほどな・・・」
米田はそう言葉を絞り出すのが精一杯だった。
軍内部には、兵を駒としてのみ考えその命を数字としてしか考えない者も多い。
それは、戦術論としては正しいのかも知れないが、今の米田は、それを人間の所業ではないと考えていた。
周り全てを滅ぼし、関わった者も殺して機密を保つような最強戦艦が完成してしまったら・・・。
少なくとも、真之介には作ることが可能なのだ。
それは、いつの日にか何者かの手によって完成する可能性があるという意味でもある。
いつの日にか・・・。
「それから、もう一つ、気になることがある」
米田の苦悩を知ってか知らずか、真之介がつぶやいた。
声の深刻さがまだ消えていない。
「制限を掛けても、ミカサを浮上させるだけの霊子力を発動させれば、周囲への霊的影響は削りきれなかったのだ。今回の実験から計算すると・・・、ミカサを発進させると帝都の霊的封印の三分の一が解ける可能性がある」
「なにぃ・・・?」
帝都は霊的に守られた都市である。
それは、翻せば数々の霊的封印を抱え込んでいることを意味する。
古い話では平将門による新皇宣言しかり、江戸幕府成立以後には天海僧正によって駿府から日光にまたがる風水術が張り巡らされ、明冶となってからは遷都と共に幾重にも術法がかけられている。
民間まで話を落としても、四谷怪談などに代表される幽霊話などは、帝都の霊的な側面を直に表しているのだ。
それらが解けたときに何が起こるか。
太正の時代に入り、この対降魔部隊を設立せねばならないほどに魔物の目撃談が多くなっているというのに。
しかし、真之介の予想は間違ってはいなかったが、正確ではなかった。
それは、今はまだ誰も知らない。
もっとも、わかるのは後日のことである。
「あれは、確かに作るべきではなかったかもしれん。だが、いつか必要なときが来る・・・。理屈ではない・・・。そんな気がするのだ」
そのときでも前線に立つのは、完成された霊子甲冑に乗る自分だけでいい。
ミカサには、米田と一馬、そしてあやめが乗り、支援に徹していればよい。
真之介の思い描く、未来の対降魔部隊の布陣はあくまで仲間達を守ることを主眼に置かれていた。
だからこそ、ミカサを生者の艦としてでも作り上げることにしたのだ。
「ミカサの発進を、行動を司るのは米田、お前になるだろう」
真之介の想う未来は、まだ閉ざされていない。
そこには確かに、希望があった。
「そのときは、俺はお前のそばにはいないかもしれん。だが、お前ならミカサを間違って使いはしない・・・。ミカサを死者の船にはしない・・・。そう、信じているぞ・・・」
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三人娘以下、風組を全員退艦させて米田は一人、ミカサの艦長席に座っていた。
既にメインエンジンである霊子核機関は六つとも火を噴いている。
この最後の時まで真之介の仕掛けた細工はしっかりと作動してくれているようだ。
しかし、風組の子供達が無事退艦したのを見届けた今、米田はあえてそれを破りにかかった。
真之介の仕掛けた細工は、周囲の力を吸い込むことを防ぐという。
ならば、こちらから無理矢理にでも与えることなら出来るのではないか。
いや、出来てもらわねば困る。
あやめの叫びが聞こえたような気がした。
もはや、霊子砲の発射まで間もないはず。
それを防ぐには、もうこれしかない。
米田は祈った。
神仏ではなく、日清日露、・・・そして第一次降魔戦争で、自分が死なせていった、全ての人々の魂に。
「ミカサよ!くれてやるぞ、俺の生命!」
霊子甲冑を動かせずとも、これでもかつて帝国陸軍対降魔部隊長を務めたのだ。
その自分の霊力を全て、六つの霊子核機関へ注ぎ込む。
もはや活動を停止しているはずの、機関が再び唸りを上げた。
ミカサは動き出した。
今にも放たれようとしている霊子砲へと向かって、確かに動いた!
「させるかあーーーーーーっっ!!!」
すまん・・・。山崎・・・。
だが、俺は間違っちゃあいねえ。
世界全ての命を守るためなら、この老木の命、安いもんだ!
今にも自分が突っ込もうとする聖魔城に真之介がいることも、
艦長席に持ってきていたあやめの神剣白羽鳥が、まばゆい光を発して自分を包んだことも知らぬまま、
米田の意識は閉ざされていった。
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