誰が為の生命 追憶其の一 |
後に改修されて、中国から来た発明少女によって煤だらけになるここの壁も、このころはまだ出来たままの新しさを残していた。
帝国陸軍対降魔部隊所属の山崎真之介中尉は、今日も三つほどの実験と研究を平行で行っていた。
これは、その一つ。
精巧な人形が一体と、それを囲むように描かれているのは、五芒星。
図形の少し外に立ち、何の生物の物とも知れぬ黒い皮で閉じられた書物を手に、一繋がりになった言葉を唱えていく。
言葉に合わせて、五芒星の線を沿うように黒い波動が走る。
その動きがだんだんと速くなっていき、極限に達したかと思うと、波動が人形に飲み込まれた。
人形が、独りでに、ゆらりと、立ち上がった。
立ち上がって、足をゆっくりと動かし、一歩、二歩・・・。
そこで、崩れるように倒れた。
「九秒か・・・」
部屋の隅に置かれていたなにやらの測定器の針は、9.8と目盛りを示している。
失望感をわずかばかり顔に出すも、舌打ちなどはせず、手際よく人形の歩行距離などを測った後、実験用紙に記録していく。
「またやっているのか、真之介」
実験用紙をそろえて、トンと叩いたとき、後ろから少しとがめるような色をした声がかかった。
「一馬・・・。頼むから普段ぐらいは気配を感じさせるようにしてくれ」
この男は、あまりにも身に纏った雰囲気が自然すぎる。
接近してきても、それを警戒させるような気配ではないので、別のことをやっているときに気づくのはかなり困難なのだ。
かくて、よく驚かされる。
真宮寺一馬。
裏御三家の最後の正統、真宮寺家の後継者。
北辰一刀流の達人にして、帝国最高の霊力保持者。
真之介と同じ、帝国陸軍対降魔部隊の隊員。
しかしその実体は、盆栽が趣味の一児の父親である。
娘のさくらの前で見せる笑顔から、戦場でのこの男を想像することは不可能に近い。
だが今は、どちらかというと戦場の彼に似ていた。
「前は日本呪符魔術で、今度は西洋魔術か」
「前回の方が持続時間、移動距離、反応性とも上だった。次は、ブードゥー呪術の予定だ」
一馬の声が帯びていた批判めいた部分を無視するような答えを返す。
とはいえ、これではぐらかせる男ではない。
「いい加減にしたらどうだ、真之介」
「・・・・・・」
真之介がここのところ熱心なのは、無人戦闘兵器の開発だ。
あまりに熱心で、翔鯨丸や轟雷号の技術者たちが、真之介を引っ張ってこいと文句を言い出す始末だ。
帝国陸軍でも最上級の技術者である真之介が関わっているかどうかで、開発速度に雲泥の差が出てくる。
その彼が今取り扱っているのが、よりにもよって、世界各地の呪術、魔術だというから穏やかではない。
蒸気機関と電気回路だけでは、自己判断できる無人戦士がつくれそうにないとの結論に至ったからだ。
代わりに、古代から報告例の多い呪術魔術等の研究に入っていったのだ。
確かに、その判断は正確であったろう。
だが、それが「正しい」とは限らない。
「何故、止めねばならない・・・」
対降魔部隊は、通常兵器では立ち向かえない「魔」に対抗するために設立された独立部隊。
霊力を以てすれば、「魔」と戦える。
対して、真之介の発想は、雑な言い方をすれば「毒を以て毒を征する」ともいうべきものだ。
それが可能であることを、真之介は既に実証している。
いくつかの初等魔術は身につけてしまっているのだ。
「魔に立ち向かうために、魔を使っていては、結局は人々を不幸に巻き込むだけだ」
「破邪の血統のご託は聞き飽きた」
真之介の言葉が響き、その場が止まる。
一馬の目が、それまでの柔和なものから鋭さを帯びてきた。
互いの視線は、一歩も引かない。
「人々とは、何だ」
視線にさらに叩き乗せるように、真之介が沈黙を破る。
一馬はまだ静止している。
真之介はさらに続けた。
「繁栄に酔いしれ、快楽を享受し、この帝都の真の姿も知らぬ人々か・・・!」
剣を抜き放つような言葉だった。
一馬の目が、鋭さの中に憂いを帯びる。
そこから言葉が繰り出された。
一陣の、風を呼ぶかのように。
「あやめくんを、戦わせたくないか」
真之介が、ひるんだ。
帝国陸軍特務中尉の仮面が吹き飛び、二十歳前の青年の素顔が露わになる。
無愛想で冷酷を繕う内に隠し続ける熱い魂が引きずり出された。
「何故だ!」
その魂が吼えた。
「何故、あやめが戦わねばならんのだ!」
藤枝あやめ。
対降魔部隊の紅一点。
そして、真之介とは周囲に認められた恋人同士であった。
真之介よりもさらに若い彼女が、その身に秘めた類い希な霊力故に、「魔」との戦いの最前線にさらされていた。
真之介を、常に自己嫌悪に苛む現実だった。
「帝都の、人々の、ためだと・・・・・・・・・・」
押さえ切れぬ霊力が、現実の風となって一馬に吹きつけられる。
「俺たちは人ではないのか!あやめは人では無いというのか!」
人々のため、その中に、自分の最も近しき者を入れられぬ現実。
「私たちは人だ。だからこそ、人々を守らねばならんのだ」
一馬の答えは落ち着いたものだった。
だが、一点の迷いも無いわけではない。
「お前は、平気なのか・・・」
真之介は、だからこそ引かなかった。
普段なら、こんな言葉を発することはなかったろう。
だが、一馬がどこか、自己犠牲的な影を見せたような気がした。
その、死に向かおうとする姿勢を、友として、許せなかった。
「若菜さんを、さくらちゃんを、戦場に駆り立てたとしても、お前はその言葉を繰り返せるのか!人身御供の裏御三家後継者よ!」
「言うなあっ!」
一馬の霊力が炸裂した。
言葉と共に真之介は吹き飛ばされる。
しかし、それは真之介を害しようとして放たれたものではない。
一馬が、自分に向かって放った霊力の、余波に過ぎなかった。
人身御供。
日本を裏から守り続けてきた、裏御三家。
その歴史は、常に犠牲と共に成り立っていた。
その命と引き替えに、数々の魔を封じてきたのだ。
人々のため、この国のためという、名目の上に。
一馬には、どこかそれを認めようとするところがある。
先祖代々がそうしてきたことを、否定するわけにはいかないのだろうが、自分もいざとなればそうするという気配があった。
それ故に、真之介は先ほどの言葉を放ったのだ。
自分一人の命では、ないということ。
そして、愛するものを戦場に送る気持ちが、どんなものかを。
失うという恐怖が、どんなことかを。
だから、真之介は思う。
破邪の血統の宿命など、ご託に過ぎないと。
一馬にも、家族はいるのだ。
母の桂。妻の若菜。使用人の権太郎。そして、一人娘のさくら。
「お前は、自分の幸せに、自分の近くにいる人の幸せに、哀しみに、ずっと、背を向けていくのか・・・!」
「そのために、全ての人々に犠牲を強いろというのか・・・」
「お前も人間だと言うのだ!」
二人とも、自分の言っていることが、絶対の答えではないと知っている。
それでも、お互いが、どこか間違っていることは確かなのだ。
「おおおおおおおおっっ!」
「はあああああああっっ!」
常に感じていた矛盾への、どうしようもないいらだちが、二人の霊力を激突させていた。
切り裂きたかったのは、自分かも知れない。
お互いが、違う姿の、同じ色の目をしていることを確認しながら、わずかずつ、間を詰めていく。
地が、微かに揺れていた。
と。
「何やっているの!二人とも!」
張りつめた空気を切り裂くのではなく包み込むような声が響いた。
その声にまず真之介の霊力が抑えられ、ついで一馬の霊力もおさまった。
「あやめ・・・」
「あやめくん・・・」
取り付け金具ごと吹っ飛んでいた扉の向こうに立っていたのは、藤枝あやめであった。
「また真之介かと思ったら、真宮寺大佐まで。どういうことですか?」
まだ十代の半ばでありながら、あやめの言葉は人を素直にさせる不思議な雰囲気を持っていた。
「えっと、あやめくん・・・まあ、そのケンカだ。うん。そうだな、真之介」
「あー、そうだ」
猫のようにおとなしくなる二人である。
「ほー。これだけの被害を出した、ケンカか」
もう一つ、あやめではない、もっと貫禄のある声が聞こえた。
二人の顔に冷や汗が浮かぶ。
「ええ、私もそう聞きましたわ。中将」
あやめが、最後の言葉を冗談めかして言った。
中将とはすなわち、対降魔部隊隊長を務める、帝国陸軍中将米田一基その人である。
「ぶわっか野郎ども!何考えてやがんだ!」
まず、雷が一発。
だが米田は、この二人が単なるいさかいでケンカをするような者では無いことを知っている。
理由も、なんとなく想像がついた。
「・・・、二人そろって、罰として晩飯抜きで掃除しやがれ」
二人そろって、である。
真之介と一馬はおたがい顔を見合わせて、がっくりとなる。
だが、どこか安堵感も見せる顔だった。
いそいそと、壊れた実験用具やらを片付け始めた二人に、あやめはそっと寄って、こっそりと言った。
「後で、二人ぶん食事持ってくるから」
聞こえていたはずなのに、米田はニヤリと笑って、何も言わなかった。
光が爆発した。
意味することは、一つだった。
「お前も、人間だと、言ったはずだっ・・・・・・」
そうするしかなかった。
本当に?
生きているのか?
あやめは?米田は?一馬は・・・!
無力。
絶望。
そして、生き残った彼は、
葵叉丹となった。
「誰が為に」改題
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