行き、そして帰らざる思い出
真之介誕生日記念 追憶前章


 最初は、やってられるかと思っていた。


 藤堂家の傍流から聖剣の後継者が入隊すると聞いたときには、またか、と思った。
 一馬もそうだが、宿命や血統で無理矢理人間を引っぱり出してきてどうする。
 これではどちらが魔かわかったものじゃない。
 あいつに会ってみればなおさらだ。
 十四の女だと、貴様ら正気か!
 米田も一馬も、もう少し本気で反対してもよさそうなものを、
 よろしくおねがいしますね。
 あいつが、すっと微笑んだ。
 なるほどこの笑顔は犯罪だ。
 しかし、ここで屈しては駄目だ。
 認めれば、逆にこの笑顔が死ぬところを見ることになる。
 いいからとっとと帰れ。
 口にした瞬間、心のどこかが残念がっていた。


 だが、敵は恐るべき相手だった。


 霊子水晶の実験が佳境を迎えこちらはしばらく執務室に出なかった。
 そうしたらその間に、あいつはしっかり自分の席を確保していた。
 あ、机もらったからね。
 ちょっとまて。
 そんなことを言っている間に書類がどんどん片づけられていく。
 対降魔部隊は陸軍内でもやっかみが多いので、無駄な雑用が多く回ってくる。
 出動の無い日はそれで一日が潰されるのだが、
 あいつはそれを半日で片づけてしまった。
 十四の娘に陸軍中将と大佐がいいように使われて、
 貴様ら男子の誇りは無いのか!
 そろってすっかり丸め込まれている。
 だめだこれは。もうあてに出来ん。
 書き損じの書類を白インキで修正しつつ、戦慄を禁じ得なかった。


 だんだん逆らえなくなってきた。


 ミカサの最終調整へ向けて、帝大理学部の教授と打ち合わせをする。
 こんな若い研究者の博士論文を受理してくれた変人だ。
 しかし大学人にはめずらしく豪放で好感が持てる。
 彼と延々話していたら喉が渇いてきた。
 自動お茶入れ器を動かそうかと思ったところで、
 お茶を持って参りました。
 あいつがひょっこり姿を現した。
 いくらなんでもタイミングが良すぎるぞ。
 持ってきたついでにしばらく部屋を物珍しそうに眺めていた。
 片づけてはいないのでこちらが気恥ずかしい。
 考えてみれば、若い女を自分の部屋に入れたのは初めてだった。
 いたたまれなくなって横塚と話を再開させたら帰っていった。
 ほっと一息つく代わりにあいつの持ってきた茶をすする。
 うまい。
 あ、おい教授、勘違いをするな。
 別にあいつとは何もなくて、
 ええい、話を飛躍させるなと言っているんだ!
 教授が帰ったあとで、また喉が渇いてきたので今度はお茶入れ器で飲む。
 まずい……。
 あいつの入れた茶を飲んだ後では、こんなもの飲めたものじゃない。
 あいつは、魔物か。


 少しだけ、触れてみたような気がする。


 夜、論文を読んでいたら感知器を仕掛けてある廊下に反応があった。
 気配を消して近づいてくるが、敵意はない。
 この気配はあいつだと、簡単にわかってしまった。
 それだけ慣れてしまったと言うことは考えないようにする。
 まだ夜の十二時だ。
 もう二頑張りほどしなければならない。
 丁度いい。
 一応隠れていたつもりだったらしいあいつを部屋に呼び入れる。
 茶を入れろと言ったら反発してきた。
 自動で入れる機械があるんでしょう。
 あれだけ美味い茶を入れるおまえにそれを言われたくはないぞ。
 お前の入れた茶を飲んでから、不味くて飲めなくなったんだ。
 責任をとれ。
 お茶を入れる準備をしてくれたので、安心して論文に向き直る。
 どうにかして今日中に読んでしまいたいのだ。
 はいこれ。
 Thank you.
 頭の中が英語になっていたのでつい英語が口から出た。
 そうしたらあいつが興味深そうにのぞき込んでくる。
 それはいったい何なの?
 驚いた。
 こういうのを見て萎縮するどころか聞いてくるとは思わなかった。
 いいだろう、物理学の面白さを語ってやろうではないか。
 さすがに初心者にいきなり素粒子論を語るのは無茶だと思ったので、
 もう少し楽なニュートンの光の論理から話を始めてやった。
 米田や一馬はこういう話を聞くと即座に逃げ始める。
 だから耳を塞がずに聞いてくれることそのものが楽しかった。
 この笑顔を見ながらなら、時間を忘れて喋ることが出来た。
 こんな風に喋ったのは何年ぶりだろう。
 ふと気がつくと夜も遅くなっていた。
 簡単な内容だが今日はこの辺にしておこう。
 また茶を入れに来てくれ。
 あいつが頷いてくれたことに安堵している自分がいた。


 いてくれるならそれでいい。


 そう思うようになった頃だった。
 最近なりを潜めていたのに、また魔物が出現した。
 あいつは当然のように参加したがったが冗談じゃない。
 女を戦場に行かせられるか。
 対してあいつが言った言葉が、
 男女差別者、明冶の化石、むっつり助平。
 なんでそこまで言われなければならんのだ。
 理不尽を感じたが、交渉術でこいつに勝てんのは仕事ぶりからわかる。
 何とでも言え。
 この際こいつをここに留めて置ければそれでいい。
 口論なんぞやってる場合かと米田が言うが、それはあいつに言え。
 ごり押しで居残りを決定させてやったが、条件をつけやがった。
 帰ってきたら私と勝負しろ。
 出動を遅らせると面倒なので、しぶしぶそれは承知する。


 そんなわけで喧嘩というか試合というか。


 色々悩み込んでいたら不覚をとった。
 不意をつかれて酸を吐かれ、こちらも怪我をしてしまった。
 こんな戦場にあいつを引っぱり出してたまるものか。
 勝負は数日延期になったが、あいつが手当をしつつ皮肉を言う。
 私を連れていけば怪我しなかったのに。
 わかって言っているのか、こいつは。
 数日経って、場所は陸軍の鍛錬室。
 得物はとりあえず竹刀と言うことになった。
 傷つけたくないから素手の方がいいのだが、あいつが剣の戦いにこだわった。
 いざ剣を合わせてみると、言うだけの実力はある。
 だがそれは人間相手の剣術だ。
 魔物の武器は全身だということをわかっていない。
 しかし説得するのもばかばかしくなってきた。
 叩き伏せようとするとあいつに怪我をさせなければならない。
 やってられん。
 武器を狙ってきた一撃に、気が抜けたところで手を離した。
 どうだ、みたか。
 勝手にしろ。
 こうなったら戦場でなんとか守ってやるしかないらしい。
 嫌なはずのその事実が、少しだけ嬉しかったのは気のせいだ。


 不覚だった。


 参戦を認めてやってから、急に魔物の出現が増えた。
 それもただの魔物じゃない。
 降魔という、明確な敵意を持った特殊な魔物。
 戦闘能力はこれまでの下級の魔物の比ではない。
 明確にいつ始まったと定義するのは難しいが、今年、降魔戦争が始まった。
 それでも大挙して行動されていないため、今のところ恐慌には陥っていない。
 だがその分こちらは隊を分けて当たらねばならない。
 あいつの実力なら、小型降魔は十分倒せる。
 それを過信しすぎたのかもしれん。
 あいつ一人を留守番に残して帰ってきたとき、あいつの姿が無かった。
 報告を聞けば、出向いた先に出現したのは中型降魔。
 俺や一馬でも、まだ一人で相手取るには辛い相手だ。
 まだ未完成の瞬間移動で現場に急行する。
 一二本毛細血管が破れたがこれくらいはどうと言うこともない。
 急行した甲斐はあった。
 丁度あいつの剣が降魔に弾かれ、立ちつくしているところ。
 なにをぼーっと突っ立っている。
 位置関係上、割り込んでは止められない。
 ええい、世話の焼ける!
 短距離をもう一度瞬間移動して横様にあいつの身体を抱きさらった。
 馬鹿野郎。
 考えてみれば、女を抱きかかえたのは初めてだった。
 軽い。
 無事かどうか確認したかったが、何故かあいつの顔を直視できなかった。
 しょうがないので中型降魔を観察する。
 爪先に返り血などは見あたらないので多分大丈夫だろう。
 そこでおとなしくしていろ。
 いつまでも抱きかかえていたい気になってきたので、早々にほっぽり出す。
 今は戦闘中だ。
 お荷物扱いはないでしょう!
 あいつが元気に叫び返してきたので一安心して戦闘に集中できる。
 中型降魔と一対一は初めてだが、不思議と身体が良く動いた。
 後ろから、後押しされているような気分だ。
 ……悪くない。
 互角かそれ以上の戦いができていた。
 膠着状態になったところで、絶妙のタイミングであいつが横から斬りつける。
 文句を言いたかったが、文句の付け所のない援護だった。
 ひるんだところへ丁度光刀無形が入った。
 地面に倒したところで炎をかけて焼き尽くす。
 こちらの傷は数カ所。
 中型降魔相手でこれなら上々か。
 それにしても、あいつはまた無茶をしてくれる。
 顔に、怪我はしていないな。
 それだけを確認して、ようやく一息ついた。


 思いっ切り借りを作った。


 薬学と医学は専門外だ。
 くそう。
 人の実験時間にしょっちゅう出現してくれるものだから、なかなか研究が進まない。
 戦闘明けにたまった実験で二徹をやったら倒れてしまった。
 この風邪と言う代物はどうにか人類から駆逐できないのか。
 現在の体温、四十度。
 あいつが体温計を見ながら呆れてつぶやくのをぼうっとした耳で聞く。
 出撃を米田と一馬に任せて、にこにこと俺の世話なんぞやっている。
 感謝しなさいよ。
 さすがにこうなると逆らえない。
 氷水を換えるのも粥を作るのもあいつなので、完全に生殺与奪の権を握られている。
 俺はこんなに弱かったのか。
 退屈だからあいつと話すしかない。
 論文まで取り上げられてしまった。
 熱のある頭をもっと熱くしてどうすんのよ。
 学問は日々進化しているんだから止まっていてはならんと言っても聞き入れない。
 仕方なしに会話していくと、少しずつあいつのことがわかってきた。
 家のこと、妹のこと、剣のこと、ここに入った経緯。
 女の趣味に関してはよくわからん。
 今まで気を使って接してきたのに、それを言ったら爆笑された。
 何故だ。
 復帰する頃には、あいつといることが苦で無くなっていた。


 それから、二年と半年ほど。


 あいつの傍にいて、あいつが傍にいてくれて。
 戦いの連続。
 だが、あいつと一緒に生きているという実感があった。
 いつ死ぬかわからないからこそ、俺たちは分かり合えた。
 約束した。
 帝都を守ってもう一度、平和になった街を歩こうと。


 だが、どうやら果たせそうにない。
 済まん、あやめ。
 消え行く意識の最後に、あいつの泣き顔が見えたような気がした。




 太正十二年。

 Happy birthday・・・

 この黒之巣会本部で喋る者の無いはずの英語を聞いた。
 birthday、誕生日。
 久しく考えたことのなかった概念だ。

「誕生日……?いつ……?」

 誰に呼びかけたのかもわからないその声に、何故か俺は、呼ばれているような気がした。




初出、SEGAサクラ大戦BBS平成十二年六月六日





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