紐育の悲しき三角関係
第七節
轟華絢爛第一巻反逆小説


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「終わった……」

 ほぅと肩の力が抜けて、マリアは必殺技を撃った体勢のまま膝をついた。
 ロシア時代のこと、ニューヨーク時代のこと、
 それらへの決着が今、ようやくついたような気がした。

「いや、まだだよ。マリア」

 レイノルズが死んでから風がほとんど止んでしまった港に、ボードヴィルの流暢な日本語がやけにはっきりと響き渡った。
 そう、ボードヴィル。
 自分を守って死んでいった男。
 自分のために蘇らされた男。
 言わねばならないことが、あまりにもたくさんあった。

 ゆっくりと振り返ったそこで、マリアは何が起こっているのか把握するまで多少の時間を要した。

「ボードヴィル……?」

 ボードヴィルは彼愛用の……見覚えのある銃を構えていた。
 ただし、銃口の向いている先は自分ではない。
 向いているのは、

「Don't kill Maria. 俺の雇い主はそう言った。そしてもう一つ言ったんだよ」

 向いているのは、

「おまえを、出来る限り苦しめろとね」

 向いているのは、

「ここまで、おまえが苦しんでくれたおかげで俺は解雇されずに済んだ。
 これで、仕上げだよ」

 向いているのは、大神だった。

「ボードヴィル……」

 大神は既にバレンチーノフとの戦いでボロボロになり、身動き一つ出来ない状態である。
 ボードヴィルが狙いを外すはずがない。

「どういうこと……?」
「俺としてもね。おまえに新しい男が出来たってのは、バレンチーノフほどじゃないにしても傷ついているのさ」

 その仕草は今までと何も変わっていない。
 だからこそ、それは本気にしか見えなかった。

「ミスターオーガミが死ぬのが、今のおまえには一番こたえるだろう。
 二度目の、隊長の死だ。
 それが俺の任務なんだよ」

 隊長の、死。

 その言葉が、マリアの中で幾度も反響する。
 単語の反響と共に、網膜の中に幾度も浮かび上がるあの光景。
 木霊する銃声。
 倒れ落ちるユーリー。
 バレンチーノフに仲間もろとも売られて、陥ったあの危機。
 ……違う。
 ……違う!
 隊長を……助けられなかったのは、私のせい……
 私が、隊長を助けられなかった。
 あのとき、撃てなかったから。
 あのとき、撃っていたら。
 撃てていたら!
 撃てていたら!!

「これで、任務完了だ」

 指が、ゆっくりと引き金に掛かる。

ガアアンッッ!

 銃声が一発、響いた。

 ぐらりと身体が傾き、
 ボードヴィルの身体はコンテナから落ちた。

「あ……」

 かすかな硝煙の残る銃を構えて……マリアは茫然としていた。
 何も言葉が出てこない。
 引き金を引いたのは自分。
 自分が、彼を撃った。

「あ…………」

 力の抜けた両手から銃が落ちて、乾いた音が響く。
 風は、完全に止んでいた。

「マリア……」

 大神の声だ。
 彼は、隊長は、無事だった……。

「行くんだ……彼の、ボードヴィルの所に……」

 かなりひどい状況だが、大神は何とか体を起こして言った。
 そうでもなければ、マリアはこちらに来てしまう。
 今は、ボードヴィルの所に行かせてやるべきだった。
 なぜなら、大神はボードヴィルから何一つ殺気を感じなかったから。

「行くんだ、マリア」

 もう一度重ねて言うと、ようやくマリアは頷いてボードヴィルの所へ向かった。

 落下の衝撃で、ボードヴィルは左肩を折ったらしい。
 だが、それはこの際には大した傷ではない。
 マリアの撃った銃弾はボードヴィルの胸の中央を正確に撃ち抜いていた。
 あんな無意識でさえ正確無比だった自分の腕が、いっそ憎いと思う。

 ボードヴィルは盛大に血を吐いていた。
 バレンチーノフとは違い、生き返ったというのに生身の人間の様だった。
 蘇生の術を使った人間の魔力の質によるのかもしれない。

「ボードヴィル!」

 かつてのように彼の身体を抱き起こす。
 向いた彼の顔は、あのときと全く同じだった。

「マリア、悪夢は晴れたか?」

 開口一番に苦痛のうめきではなく、唐突なことをボードヴィルは聞いてきた。

「……ボードヴィル……」

 悪夢は……、頭の中で、網膜の前で、何度となく反響し蘇ってきたはずのあの光景は、
 ユーリーが死んだあの光景は、
 自分が撃てなかったあの光景は、
 蘇らなくなっていた。

「あなたは……」

 彼の顔を見ているのが耐えきれなくなって、マリアは彼の身体を抱き寄せた。
 そうすれば、少なくとも彼の視線を見なくても済む。
 やっと、やっとボードヴィルの真意が分かった。
 彼はやはり何一つ変わっていなかった。
 女のためなら命を落としても構わない。
 その言葉の通りの人生を終わらせた男は、蘇っても同じだった。

「ボードヴィル……私は……私は……」
「おうおう、美人が台無しだな」

 そう言ったボードヴィルの血にまみれた手が自分の髪をそっと撫でるのを感じた。
 不快ではない。
 だが、つらかった。
 自分が泣いていることを、マリアははっきりと自覚していた。

「こんな役得がもらえたんだ、雇い主には感謝しなきゃなあ」

 急速にぬくもりが消えていく身体で、ボードヴィルは相変わらずの口調でマリアに語りかける。

「ごめんなさい……私は……私は……」
「マリア、俺は約束の返事を聞いていない。
 聞かせてくれないか」
「約束……?」

 ボードヴィルは……あのとき……
 「俺のために苦しんで生きようなんて、思うなよ」
 あのとき、自分は応えることが出来なかった。

「約束してくれるな、マリア」

 すっとマリアの顔を引き起こして、真っ正面にマリアの瞳を見つめる。

「してくれなければ、俺はまた化けて出るぞ」

 蒼くなる顔で、それでもボードヴィルは笑った。
 確かに笑った。

「やく……そく……する……」
「よし」

 まるで幼い子供にするように、ボードヴィルはぽんぽんとマリアの頭を叩いた。
 二回、
 三回、
 四回目は、無かった。

 マリアの耳の横を通り過ぎて、その手が地面に落ちた。

「ボードヴィル……………………」

 答えはもう、返ってこなかった。

「ボードヴィル、ボードヴィル、ボードヴィル、ボードヴィル…………」

 かき抱いた彼の身体が、灰となって崩れていく。
 あのときとは違う、だが間違いない死の感覚。

 あのとき、もう一つ彼に応えていない質問があったことを思い出した。

「ボードヴィル……あなたは……かっこよかった……。
 でも……」

 手に掛かる重みが、完全に……消えた。

「バカよ……あなたは……」











ドゴオンッ!

「…………」

 偵察用脇侍から送られてきた映像を映しだしていた銀幕に、その後ろの壁が立てる派手な音とともに大穴が開いた。
 羅刹がその拳を叩きつけたのである。

「あまり派手に暴れて、落盤を起こすのは止めてくれ」

 叉丹はため息とともに映写機の電源を切った。

「叉丹殿、結局奴を支配しておかなかったのか?」

 不機嫌を隠そうともせず、詰問口調で叉丹に尋ねる羅刹は珍しい。
 だが、この場合は当然であるとも言える。

「最初は支配していたのだが、後から性格だけは解放しておいた。
 性格をそのままにしておいた方が、マリア・タチバナに与える衝撃は大きいだろうと思ってな。
 これが単に奴の屍に襲わせるだけであったら、あんな愁嘆場は作れなかっただろう。
 あれでは不服か?」
「ボードヴィルに大神一郎を狙うように命令したのは、いささか遅すぎたのではないか?
 もっと早く命令していれば、マリア・タチバナに邪魔されることもなく大神一郎を抹殺できたはず。
 そうすれば……奴は最も苦しむことが出来たはずだ!」

 怒号が嵐のように叉丹に吹き付ける。
 返答次第では、とでも言うように羅刹の鋼の筋肉に緊張が走る。
 だが叉丹は涼しい顔をして答えた。

「抹殺しては、おまえに恨まれると思ったのだが?」
「……!」

 羅刹は次の句をなんと続けて良いものか思案する。
 その彼の前に、叉丹は一枚の紙片を差し出した。

「これは?」
「築地に行ってかろうじて破片を回収できた蒼角の詳細な機体記録の最後だ。
 よくよく見てみると、測定温度が明らかにマリア・タチバナ個人で出せる凍気を越えている」

 羅刹は考え込んだ。
 それはつまり……。

「あれか……!
 芝公園でも見せた……合体攻撃……!?」

 天海が自ら赴き、実験途上ながらもかなり優秀な機体であった脇侍「侍」をあっさりと破壊せしめた技が思い出された。
 明らかに個人で叩き出せる霊力の限界を超えた一撃。
 互いの霊力を融合させて、一足す一を二どころか、無限にまで近づける奥義。
 羅刹もそれはよく知っている。
 最愛の兄刹那とともに、彼もそれを使うことが出来たから。

 叉丹は、羅刹の回答に大きく頷いた。
 マリア・タチバナが合体攻撃を行った相手……、それは大神一郎以外に考えられない!

「なるほど……よくわかった」

 押し殺した声で、羅刹はつぶやいた。

「大神一郎を生かしておいたことには感謝いたす、叉丹殿」

 一度頭を下げて、だが羅刹は次に上目遣いで睨んでいるともとれる様な視線を叉丹に向けた。

「だが、我には貴君という人物がわからなくなったのも事実。
 貴君は……なんのために動いているのか?」
「六破星降魔陣を完成させ、この帝都を滅ぼすために」

 ためらい無く叉丹は答えた。
 いつもと変わらない口調で、いつもと変わらない表情で。
 二人の視線が、しばし無言のまま激突する。
 抑えてはあるものの、互いの闘気はすぐにでも刃を交わせるほど研ぎ澄まされている。
 叉丹は帯剣しているし、羅刹はその肉体が武器となる。
 さらにはこの場には、羅刹本来の武器である蒸気駆動鋸も転がっていた。
 激突すればどちらかが重傷、下手をすれば死ぬ。

「六破星降魔陣、次なる封印の地は?」

 沈黙は、羅刹の方から切れた。
 ここで叉丹と戦っても、意味は無いと判断したのだ。
 今自分がやることは、兄と交わした約束を果たすこと。
 そして兄の仇をとることなのだから。

 六破星降魔陣を仕掛けるために出動すれば、嫌でも奴らは出てくるのだ!

「浅草だ。
 娯楽に興じて群がる者どもと共に、やつらを一掃してくれることを願っているぞ」
「言われずとも」

 羅刹は身を翻した。
 これ以上叉丹と睨み合っていることを、本能的に避けたことをどうしても否定しきれなかった。

 去りゆく羅刹の背中に、叉丹は口の中だけで告げた。
……精々、頑張ってくれ。
 その唇には、いつもと同じ冷笑が浮かんでいた。

 席を辞した羅刹は、楔の禊ぎをしている間に向かった。
 打ち込むべき楔の準備はあと数日で完了するはず。
 今は、為すべきことに向かって行こう。

「見ていてくれ、兄者。
 奴らにはこの羅刹が、必ずや無惨な死をくれてやる……」

 幸い、奴らには仲間がいる。
 一人一人順に殺していけばいいのだ。
 マリア・タチバナと、大神一郎の目の前で。

 そして、奴らを全滅させた暁には、

「この忌まわしき帝都が、崩壊する……」








「立てるかい、マリア」

 自分が立ち上がるだけでもつらいだろうに、マリアの今の隊長はそう言って彼女に手を伸ばしてきた。
 しばらくボードヴィルとの別れを噛みしめる時間をくれたのが、この青年が単に不器用なだけの男でないことを示している。

「はい」

 立てる。
 立ち上がれる。
 取ったその手は、ちゃんとぬくもりを残していた。


終節へ


初出、SEGAサクラ大戦BBS 平成十一年十二月二十九日



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