紐育の悲しき三角関係
第五節
轟華絢爛第一巻反逆小説


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「どうだ?紅蘭」
「間違いあらへん。これは本物や」
「五つめか」

 客席を囲むロビーへの通路、トイレ、観葉植物の蔭、五つ目はテラスにしかけられていた。
 いや、おかれていた。
 さすがに、屋根裏と言った裏手にまで設置することは出来なかったようである。
 それが発見を容易にしていた。

 ただし、それとは別に多数の偽爆弾も設置されていた。
 こちらは懐中時計が仕込まれているだけの代物で、箱の中にはボードヴィルのサインと共に「残念賞」と書かれた紙があった。
 冗談をしかける時と場合を心得て貰いたいものだと思いながら、このようなひたすら無駄とも言える芸には素直に感嘆してしまう紅蘭である。

 残念賞は有り難くもらっておくことにしておいて、見つけた爆弾は紅蘭が一つ一つ解体していく。
 光武に爆雷を搭載させている紅蘭にとって、この程度の爆発物処理は大した問題にはならない。
 爆弾一つ一つはそんなに大きいものではなく、劇場ごとどうにか出来るものではなかった。
 一般人が直撃を受ければ確かに危険であるくらいの代物ではあるが。

「妙やな」

 どうしても紅蘭に爆弾の前に立ってもらうしかないのが歯がゆい大神は、軽い集中ではあるが紅蘭の作業中は霊子防御を張っていることにしている。
 解体用のねじ回しを紅蘭がひとまず置いたのを見て集中を一時停止したときに、やけにはっきりと紅蘭のつぶやきが聞こえてしまった。

「何がだい、紅蘭」
「あ、ああ。聞こえてもうたか、大神はん。
 大したことやあらへんねんけどな、マリアはんが開けたときには遠隔操作で爆発したっていうわりには、今こうやってうちが解体しているというのに全然爆発せえへん」

 そういえばそうだ。

「それに……こいつも疑わしいで。ちょっと確かめて見よ」

 そう言って紅蘭は、遠隔操作を受け付けるための物のように見える回路箱を取り上げて、その重さを右手で振って確認してから、その回路箱も開けてみた。
 中に入っていたのは、抵抗やコンデンサを繋いだ回路ではなくて、

「やっぱりな」

 ただの電熱線がクルクル巻かれてあっただけだった。

「どういうことだろう?」
「ボードヴィルはんが冗談ということはわかるんやけど……、うーん」





 陸から海へと強い風が吹いている。
 そのおかげで、人気のない夜の港と言っても静寂とはほど遠い状態だった。
 音をかき消せる。
 待ち伏せには極めて有利な状態だった。
 その風を凍てつかせんばかりの声でマリアは叫んだ。

「どこだ!バレンチーノフ!」

 マリアは意識して、ロシア語でもなく英語でもなく、日本語を使っていた。
 かつての私とは違う。
 その決意を込めて。

「来てくれたか、マリア」

 返ってきた答えも日本語だった。
 それも、かなり慣れた発音の。

「君が俺の言う通りにしてくれたのは初めてかも知れないな」

 人の良さそうな笑みを浮かべつつ、バレンチーノフは積み上げられた荷物の間から姿を現した。
 マリアの記憶の中にある彼の姿とはいささか異なっている。
 そろそろ中年にさしかかろうという年齢になるバレンチーノフだが、最期に見たときは褐色がかった金髪だった頭が、完全に白髪となっていた。
 顔に刻まれたしわもずいぶんと増えたような気がする。
 だがその顔は忘れようもない。
 そしてその瞳の中心にある狂気にも似た炎は隠しようがなかった。

 かつてすぐ近くでこの男の顔を見たことがあったのを思い出して、マリアは微かに吐き気を覚えた。

「やっと、俺の愛に応えてくれる気になったかい」
「その声をこれ以上、聞くに耐えないわ」

 ロシア語でなくて良かったと思う。
 ロシア語で今の台詞を聞いていたら、我慢できずに激高していただろう。

「つれないな。だが、変わっていないようで安心したよ。
 一緒に戦っていた頃のまま……あの、魅力的なクワッサリーのままだ」

 マリアはその言葉を聞き終わる前に銃を抜いていた。

「撃てないな、マリア」

 その指が引き金に届く寸前に、バレンチーノフは冷ややかに言った。

「劇場に仕掛けられたという爆弾を解除するにはどうしたらいいかわからない。
 俺がいつ爆弾を爆発させるかわからない。
 俺がどこかに操縦盤を設置したのかもわからない」

 銃口を正面にしながら悠然と喋りつつ、マリアに一歩一歩近づいていく。

 その通りだ。
 全て聞き出すか、紅蘭が全爆弾を解体するまでこいつを殺すわけには行かない。
 そして、全てを発見したという確認をするのは極めて難しいのだ。
 もうない、と言うことがどうして言えるだろう。

「いや、殺さなくてもいい。
 右腕だけではなく、今度はその左腕も飛ばしてやるわ」

 それを聞いてバレンチーノフは微かに笑った。
 彼のコートの右腕の中には、何も入っていない。
 そこには。





 作戦司令室で爆弾捜索の指揮を執っていた米田の所に、待ちかねていた通信の一つが入ったのは、頭上の舞台で寛一とお宮の即興劇が始まったころだった。
 この公演になってから脚本通りに舞台が進行したことがないと言う二人のため、噂を聞いていた観客たちは誰一人として違和感を覚えていないと言うことに、
 喜んでいいのか怒っていいのか少し悩んでいたところである。

 ここまでに紅蘭が六つ目を発見、解体し、黒子衆が三つを回収している。

「長官、慌ただしいようですけど何かあったのですか?」

 花やしきに到着したあやめからの通信である。
 声と共に、司令室正面の電影板にあやめの顔が映し出された。
 警察での調査は思いの外長引いたようだが、疲れている様子は微塵も見せない。
 花組の少女たちならその姿に憧れようが、八年前からあやめを知っている米田にとっては痛々しくさえ思える。
 それでも、あやめの実務能力には今も昔も頼らざるを得ない。
 つくづく心の中で詫びつつ、

「うむ、劇場に爆弾が仕掛けれらたのだ。
 現在紅蘭たちが解体に当たってくれていて、経過はそれほど悪くない」

 あやめは仕事で忙しくてここまでの状況を聞いていないはずなので、かいつまんで説明する。
 どうやら外にも仕掛けられているらしいこと、
 向こうが遠隔操作をしてくる可能性があること、
 マリアの知人バレンチーノフが犯人らしいこと、
 マリアが一人そこへ向かっていることを告げた。

「……何ですって、長官……」

 あやめの顔は画面越しにすら分かるほど蒼白になっていた。

「バレンチーノフ、だそうだ。
 マリアはかつてその男の右腕を撃ち抜いたとか言っていたが……そういえばあやめくんはその場にいたのだったか」

 時期を考えればあやめがマリアをスカウトしに行った頃のことだと米田は思い至って、説明の必要が無かったかと頭を掻く。
 だが、

「生きているはずがありませんわ」

 あやめの返答は米田にとって意外すぎる物だった。

「彼は死んでいます。
 二度までもマリアを罠にかけようとして、最期はマリアに額を撃ち抜かれ絶命しています。
 それは私が確認しました」

 それが意味するところは、つまり……
 米田は即マイクを掴んで客席外放送を入れた。

『大神事務員、直ちに会議室に来るように』

 会議室というのは、まさか作戦司令室と放送するわけにも行かないので暗号でつけられた名前である。
 確かに作戦会議もここで行うことがあるので、的はずれでもない。
 着替え機能を切ってあるダストシュートで、大神はすぐに降りてきた。

「どうしたんですか、長官。……あやめさんも」
「大神、この一件が単なるバレンチーノフ一人の復讐ではないことが分かったのだ」

 考えれれる可能性は二つ。
 何者かがバレンチーノフの名前を騙ってマリアを無理矢理呼びだしたこと。
 しかし、劇場に送りつけられてきた手紙には、バレンチーノフしか知り得ないことも書かれてあった。
 そうすると考えれられるのは、本来なら考えられないもう一つの可能性だ。
 そう、本来なら考えられない話であるが、今回はボードヴィルという例が直に姿を現している。
 バレンチーノフが、何者かによって蘇らされている可能性だ。

 つまり、バレンチーノフの背後に何者かがいる。
 何らかの意図があるのだ。
 ならばこそ、個人では雇いきれないほどの人間に金を渡し、爆弾を設置できたことも納得がいく。

 米田はそれらを手っ取り早く大神に解説した。
 ただ、それならばこそどうしても納得できない疑問が大神の口をついて出た。

「なぜマリアは彼が生きているなどと嘘を言ったのでしょうか」
「おそらく、嘘じゃないわ。マリアはそう思いこまされていたのよ。
 強力な暗示……人一人を蘇らせるくらいの魔術師ならば考えられないことじゃない。
 遠隔操作に見えたタイミングの良すぎる爆発も、連動魔術をしかけておいたのかも知れないわ」

 ある事情で、魔術にも多少の知識があるあやめである。
 マリアが触れることになったら爆発するように設定しておいたのだろう。

「マリアもあなた達も、そいつに騙されていたのよ。
 バレンチーノフが右腕をやられただけでまだ生存していると思わせることで、疑いなくマリアを引きずり出すためにね」

 かろうじて生き延びたバレンチーノフが逆恨みしたと思わせて。
 そして、それは見事なまでに成功してしまったわけだ。
 ニューヨークでの結末を知らない人間がここまでまとめて騙されてしまった。

「何のために、そんなことを……」
「大神くん、マリア一人では危険だわ。
 急いでマリアの所に行って」

 そうだった。悩むのはこの際あとだ。
 復活しているはずのバレンチーノフ、さらには強力な魔術師がいるとなっては。

「大神、轟雷号に急げ!
 光武を持ち出すわけにはいかんが、輸送機関としても現段階で最も速い。
 劇場内を監視できているわけではなさそうだから、地下からなら出ても問題あるまい!」

 爆弾を解体しているというのに一つも爆発しないことがその確信を強めている。
 ただし、玄関は監視されている可能性があった。
 ならば地下から行けばいい。

「了解しました。
 それと長官……、もしかしたら劇場に設置されているのは爆弾だけではないかも知れません。
 あくまでそんな気がする……というのですが、よろしくお願いいたします」
「けっ、生意気な口を叩きやがって」

 米田は自分も考えていたことに、この若い部下も行き着いていてくれたのが少し嬉しかった。
 そのときは、この刀で何とかするまでだ。
 珍しく、米田は今帯剣していた。

「よし、マリアを頼むぞ大神」
「はいっ」

 私物の二刀小太刀を手に取った大神が乗り込むと、轟雷号は弾丸列車の異名に少しも恥じぬ速度で発進していった。





 背後から風切り音!
 強烈に吹く陸風の轟々たる音の中に、マリアの研ぎ澄まされた神経は後ろから迫ってきた物の存在を捉えていた。
 寸前で横に飛び去りつつ銃を撃つが、読んでいたバレンチーノフは、狙いの浅いその一射を楽々とかわしていた。

「さすがだなマリア。
 身体から目が離れていると噂されただけのことはある」

 かつて、背後であろうとも扉の向こうであろうとも、マリアはまるでそこが見えているかのように動き、敵を屠っていった。
 その硝煙と弾丸を、周囲に近づく者全てを焼き払う火の鳥に見立てて付いたあだ名こそ、「クワッサリー」なのである。
 それこそが、マリアの持つ霊力の一端。
 十やそこらの少女を革命軍随一の戦士とさせた……ユーリーやバレンチーノフと巡り合わせた能力だった。

 一方のマリアは一度バレンチーノフを睨め付けたが、上手く体勢を動かして、彼に背を見せないようにしつつ、先ほど一撃を加えようとしてきたものの正体を見た。

「……人型蒸気」

 特徴的なその姿とエンブレムに憶えがあった。
 米国モトロール社製造、人型蒸気の第一号スタア、とか言った。
 用心棒時代に雇用主から見せられたことがある。
 そのときは鈍重そうな物だと思ったが、今目の前にある機種は鈍重を越えて威圧感がある。
 スタアそのものは南北戦争直後に開発された化石機種なので、これは改良型なのだろう。

 しかし、操縦者は誰だ。
 バレンチーノフ一人ではなかったのか。
 マリアは舌打ちした。
 こいつは、復讐すらも他人の手を借りた罠で済ますほどの男だったか……!

「まさか、ボードヴィル?」

 一番あって欲しくない想像が口からこぼれたが、返事は無い。

「何を惚けているマリア。行くぞ」

 改良型スタアの右腕に仕込まれた回転式機関銃がその声に合わせて回り始める。
 皮肉にも、マリアの光武のそれによく似ていたので、正確にそれを察知することが出来た。
 とっさに、手近な荷物の陰に隠れる。
 直後、盾にした木箱や布袋が壊れ破れ、中から穀物や鉱石がこぼれ落ちる。
 荷主には悪いが、盾としては十分だった。
 火力も思っていたほど大したことはない。

「逃がさんぞ、マリア!」

 スタアは猛然と蒸気を上げつつマリアに迫る。
 蒸気併用霊子機関を搭載した光武に比べれば遙かに出力が劣るとは言え、常と違って今はこちらが生身である。
 対魔戦闘能力や砲撃戦において役立たずとされた人型蒸気だが、純粋な対人戦においては欧州大戦で示したとおりの脅威的な戦力となる。
 個人レベルの装備でその装甲を正面から打ち破ることはかなり困難なのだ。

 しかしそれが解っていれば、マリアともなれば対処法の一つや二つ思いつく。
 銃で狙うのは防護しきることの出来ない間接部だ。
 狙うは当然足。
 そこさえ痛んでしまえば、人型蒸気はその重量故まったく身動きできなくなる。
 発射された弾丸は狙い違わ…なかったはずだった。
 が、

パアンッ!

 ものの見事に弾かれた。
 装甲にではない。
 無効化されたとも言うように、弾丸はスタアの足下に落下したのだ。

 これは……、陸軍の通常装備が脇侍に弾かれるときと同じ……!?

「バレンチーノフ!貴様どこからこんな物を!」

 悲鳴に近いマリアの叫びを聞いて、バレンチーノフはさも嬉しそうに笑う。

「神崎重工の後継者もまとめて殺してやると言ったら、モトロール社は快く提供してくれたよ」
「!!」

 神崎重工の後継者……すなわち、それはすみれのことに他ならない。
 知られていないことだが、神崎重工はモトロール社の人型蒸気を密輸したことから始まっている。
 日本では江戸時代の末期、このときはモトロール社も高をくくっていたのだろう。
 だが現在では人型蒸気の生産でも、そして特に霊子甲冑の生産においても、モトロール社は神崎重工の後塵を拝している。
 霊子甲冑においては、独逸のノイギーア社にも遅れをとっているくらいだ。

 過去のことはともかく、世界市場における人型蒸気の企業占有比率くらいは憶えていたマリアはそれで納得がいった。
 ただ、いくら改良型とは言っても所詮は人型蒸気に過ぎないスタアが、攻撃を弾いたのは……?

 マリアが考え込んだその隙に、スタアの左腕から投網の様なものが放たれてマリアをからめ取ってしまった。

「さあ、来るんだマリア」
「くっ……!」

 銃では網は切れない。
 凍気でも網は壊れない。
 マリアの能力をよく知っているからこそのこの装備だろう。

「嬉しいよマリア、君を手中にする気分というのは」

 上手くスタアの蔭になって、銃の狙いが付けられないところからバレンチーノフは話しかけてきた。
 どうやらいきなり殺す気はないらしい。

「人の手で捕まえておいて、よくもそんなことが言えたものね」
「違うなマリア、そのスタアを操っているのは俺なんだよ」

 意外なことをバレンチーノフは言った。
 制御盤を持っているような様子はない。
 紅蘭に出来ないくらい制御板を小さくできたとも思えない。
 言葉か意志だけで操っているというのか?

「わからないかい。そうだろう。
 そう言う風に思いこんでもらっていたからな」

 勝者の笑みをこぼしつつ、バレンチーノフは告げる。

「こいつを操っているのは、俺の右腕だよ」

 右腕。
 日本語では腹心の部下のことをこの単語で示すことがある。
 だが、翻る芯の無いコートの右腕部分が、右腕そのままの意味であることを暗に語っていた。

 そんな莫迦な!
 バレンチーノフの右腕は、二度と銃が握れぬように私が骨と神経の中枢を撃ち抜いた……。
 いや……違う……。
 撃ち抜いた。
 確かに撃ち抜いたのだ。
 意識を失う寸前であっても、それを確認せずに倒れられようか。
 右腕を撃ち抜かれながらもバレンチーノフは逃亡……

 絡まりあっていた記憶が、かろうじて一本にまとまる。

 いや!断じて違う!
 撃ち抜いたのは、こいつの額!
 こいつは、私が間違いなく殺したはずだ!!

「おまえは、一体……!?」
「もう気づいてくれたか。そうだ。
 おまえに会うために、地獄から舞い戻って来たんだ」

 そう言ってバレンチーノフは、長めの前髪で覆われている額をあらわにした。

「……やはり!」

 そこには、ふさがってはいるものの決して消えていない銃創があった。

「おまえに贈ったプレゼントは、かつて俺の身体をぶち抜いてくれた代物さ。
 この愛が分かってくれるかい、マリア」

 聞いた言葉のおぞましさに、また吐き気がした。
 それでわかった。あのときだ。
 銃弾を収めたあの小箱に書かれてあったメッセージ。
 あれを読んだ瞬間の違和感は、記憶を置き換えられていたからだ!
 吐き気と共に、自分の思い出を書き換えられたことに対する怒りがこみ上げてくる。
 動かせない身体の代わりに、視線だけで凍結させかねないほどの目でバレンチーノフを睨み付けた。

「そう、簡単には屈しないおまえだからこそ手にする価値がある」

 スタアがその怪力でマリアの手からエンフィールド改を奪い取ってから、バレンチーノフは獲物を品定めする肉食獣の瞳で近づいてきた。

「安心してくれマリア、すぐには殺さない。
 かつて拒絶してくれたおまえだが、今なら俺の言うことも聞いてくれるだろう」
「バレンチーノフ!」

 卒倒しそうになるほどの怒りと屈辱を、叫びに変えて叩きつける。
 叫んだところで少し冷静になれた。
 考えてみればバレンチーノフは、ここに来てから一度も爆弾のことでマリアを脅迫してこない。
 爆弾の遠隔装置など持っていないのではないだろうか。
 大体、紅蘭でさえ何キロも離れたところから爆弾を爆破させる装置などというものは作れなかったように思う。

「私の部屋でクラッカーを爆発させた技術も、地獄で習ってきたのか?」

 バレンチーノフは少し眉をひそめた。
 マリアの声が屈していなかったせいもあるだろうし、どうやらそれなりの所を突くことが出来たようだ。

「……答える必要はない」

 その返答で確信できた。
 遠隔操作は出来ない。
 あれはまた別の方法を使っている。
 別の方法……蘇ってきたバレンチーノフ……

「魔術……?」
「マリア、頭の良すぎるおまえは未だに好きになれないよ」

 スタアが網の中のマリアを引っ張り上げる。

「おまえに近づいたときに開くようにしかけておいてもらったのさ」

 まんまと騙されてここまで来たと言うことか……。
 マリアは歯がみした。

「安心しろマリア、劇場に爆弾は仕掛けてあるのは本当だ。
 起爆装置まで全て揃えているのは二つの玄関の扉にセットしたものだけだがな。
 おまえの行動は全くの無駄足でも無かったと言うことだ」

 一応、優しさを見せているつもりらしい。
 ただ、それで口説こうと言うつもりでもないようだった。

「さあマリア、来てもらうぞ」
「私をどこへ連れていく気だ。ロシアの大地か」

 屈してやるものかと視線に力を込めた。

「いや、すぐ近くで祭壇を用意しているんだ」

 何?
 今、奴はなんと言った?
 祭壇……?

 そう考えたとき、二筋の風が走った!
 一筋はマリアをつり下げた網の上部を切り裂き、もう一筋はスタア右腕の機関銃に叩きつけられていた。

『!?』

 マリアもバレンチーノフも、一瞬何が起こったのか分からなかったが、
 落下したマリアは、そのまますとんと大神の腕の中に収まっていた。

「た、隊長!?」
「大丈夫かい、マリア」

 幻かと思ったが、嘘ではなかった。
 平然と……はさすがに無理で、いささか息を乱していたが、確かに大神だった。

「どうしてここに……」

 自分は通信している余裕すらなかった。
 しかも来るのが早すぎる。
 ほとんど向こうの作業を放り出してきたのだろうか。

「一対一に邪魔するつもりはなかったんだけどね。
 あいつの背後に何かいるとなったら、いくらマリアでも危険だから、轟雷号を使わせてもらったよ」
「隊長……あいつは、バレンチーノフは……」
「あやめさんから聞いたよ。既に一度死んでいたなんてね」

 バレンチーノフの方を睨み付けつつ、マリアを降ろした。

「おまえは、マリアの新しい男か」

 機関銃を折られたスタアを自分の近くまで後退させて、バレンチーノフは憎々しげに睨み返してきた。
 妄執とも言うべき目をしていた。
 決して、亡者のそれではない。
 だがこのバレンチーノフは、ボードヴィルと違って帝国華撃団のことは知らないらしい。
 知っていれば大神に対する反応はまた違っていただろう。
 それならそれで、大神は対処の方法が決まっている。

「違うぞ、俺は帝劇のモギリだ」

 初めてモギリだと名乗ったときから今まで、秘密任務と分かっていても言うたびに悲しい。

「ほう、劇場の者か。それはそれで都合がいい」

 少し驚いた後で、小馬鹿にしたように納得してから、バレンチーノフはひょいとスタアの肩に飛び乗った。
 ハッチを開け、通信機のマイクを取り出して何事かを喋っている。
 だが残念ながら、風にかき消されて何を言っているのかは聞き取れなかった。

「マリア、爆弾について何か分かったことはないか?
 あれば今のうちに帝劇に連絡しておいてくれ」

 二刀を構えたままマリアの前に立った大神の背中から、隊長らしい指示が出た。
 あのときとは違って、隊長の背中はすぐ手の届くところにあって、そしてあのときよりも頼もしく見えた。

「はい」

 通信機をポケットから取り出し、スイッチを入れた。

「帝撃、聞こえますか?こちらマリア」
『……マリア……、大神は……とうちゃく……したか?』

 雑音がかなり混じってはいるが、米田の声がちゃんと判別可能だった。
 この大きさでここまでのことが出来るのは、紅蘭の技術の凄さとともに、最近完成した帝都タワーが中継地になってくれるおかげである。
 米田はかつての経験がどうとか言っていたが、ともかくすごいものだ。

「はい、バレンチーノから聞いたところ、彼は遠隔装置は持っていません。
 しかし、両玄関の扉に仕掛けられていた物には確実に起爆装置が付いている模様です」
『了解……戦況は……?』
「戦況は……」
「どう報告するね、マリア」

 バレンチーノフがいつの間にかすぐ近くまで来ていた。
 そして、一人ではなかった。
 その後ろには、黒いスーツを着た恰幅のいい人物。
 それを守るようにしてどことなく虚ろな印象を受ける人影が五つ。

「紹介の必要は無いな、マリア。俺の雇い主だよ」
「Hello, Ms Maria」

 スーツの人物がゆったりと帽子を脱いで挨拶してきた。
 その顔には、確かに見覚えがあった。
 確か……

「レイノルズ……」
「誰だい?」

 当然だが大神は知らない。

「グリフ・レイノルズ。
 ニューヨークにいたときバレンチーノフが属していたアイルランド系マフィアのボスです。
 一党は私とあやめさんとで壊滅させて、奴自身は警察に引き渡されたはずなのですが……」
「警察など無力だよ。
 不意をつかれなければ、君ら女二人に倒されることもなかったのだぞ、私は」

 帽子をかぶり直したレイノルズは、英語でもロシア語でもない言葉をぶつぶつとつぶやき始めた。

「何?」
「……!マリア、気をしっかり持つんだ!」

 直に食らったことこそ無かったが、海軍士官学校でその内容は必須項目として教えられている。
 これはおそらく、世界を変えたあの、

「ブードゥー教の死霊魔術だ!」

 マリアの全身がこわばった。
 アメリカにいてその恐ろしさを聞かないはずがない。
 ブードゥー教がアメリカ史にその名をくっきりと刻み込んだのは南北戦争の時である。

 北軍に対して経済力で劣る南軍が雇い入れた秘密兵器の一つ。
 それが、ブードゥー教の呪術師たちだった。
 彼らの放つ死の魔術は各地の戦場で絶大な死の嵐を振るった。
 世界的な魔術戦争の始まりである。
 完全な偶然から対魔防御物質シルスウス鋼が発見されるまで、北軍はこれによって莫大な数の死者を出した。

 マリアも仕事で一緒になった年輩のガンマンから、死霊魔術の吹き荒れた後の戦場がどれほど凄まじい光景だったか、聞いたことがある。
 そのときは単に、それを食らえば死ねるだろうかと考えただけだったが、
 今は、死ねない……!

 意識したわけではないのだろうが、掴んでくれた手の感触がマリアを支えてくれた。
 手袋をつけていたことを、ほんの少しだけ後悔したくらい。

 まだ……生きていたい……!

 死の嵐が吹き止んだとき、二人は倒れずに立っていた。
 しっかりと手を繋いで。

「フフフッ、やはり生き残ったか。
 どうやら劇場の住人がそろいも揃って霊力を持っているというのは本当らしいな」

 自分の魔術を防がれたと言うのに、レイノルズは全く動じていなかった。
 試したと言うことらしい。
 魔術師が相手の霊力を確認する……それはすなわち……、生贄!?

「レイノルズ!アイルランド系のおまえが、何故ブードゥーの魔術を使う!」
「力となる物なら何であっても構わん。
 忌々しきイングランドから、祖国を解放するための力だ!」

 アイルランド系なら、元々はケルト系のドルイド魔術のはず。
 おそらく魔術の形態……あるいは感覚が似ていたのだろう。
 そして、シルスウス鋼によって突破されたとはいえ南北戦争においてブードゥー部隊は、欧州のトランシルバニア魔道士協会を撃破するという結果を残している。
 より強力な魔術を選択するとしてブードゥー魔術を修めるのは、理にかなっている。
 人道に背いた、死の魔術であったとしても。

 なお、アイルランドとは欧州の中でもいささか特殊な場所である。
 1649年のイギリス清教徒革命の折りにクロムウェルによって占領されたこの地は、昨年アイルランド自由国が成立したと言っても未だ実質的にイングランドの支配下に置かれていた。
 一部の独立過激派はテロリズムに走り、活動を展開している。
 一方で、長い支配の歴史の中でアメリカなどに亡命した者も多い。
 レイノルズもそうした典型例の一人なのであろうが、彼はアメリカに逃れたとしても独立を諦めなかったのだろう。
 そのための資金をマフィアとなって稼ぎ、魔術という力も手に入れた。

 だが、同情する気になどならない。

「この極東で、何の関係もない人たちのいる劇場に爆弾を仕掛けることが、貴様の言う祖国解放か」

 マリアは背筋が冷たくなったことを否定できなかった。
 大神の声に、かつて聞いたことがないほどの怒りがこもっていたからだ。
 レイノルズを睨み付ける大神の目を横から見つめただけだというのに、射すくめられたという印象を覚えてしまう。
 睨まれたレイノルズはそれをもっと感じたのだろう。
 次の言葉を続けようと口を開くも、それが声にならずにもう一度息を吸い込む、
 と言う動作を五回くらい繰り返してからようやく声が出た。
 風にかき消されそうな、かすれたような声だったが。

「大いに関係するのだ、youngman. おまえのような事務員は知らぬだろうが、あの劇場は極めて霊力の集中した祭殿なのだ。
 それを主導したのがtemple機関。
 私たちの仇敵、イングランドも一席を連ねている、世界を裏から支配しようとしている許されざる機関だ」
「何だって……?」

 大神には完全に初耳だ。
 実戦部隊花組の隊長といえども、帝撃の全貌を聞かされているわけではない。
 レイノルズが言ったことが嘘か真か、判断が付きかねた。
 ただ、口から出任せにしては話が飛びすぎていることが気になった。

 一方のマリアは、帝撃に触れている期間が大神より長い。
 それに、ニューヨークであやめに助けられて運び込まれた病院で、確かあやめに協力している機関がどうのこうのと言っていたようにも思う。

「奴らは巨大宗教の長らも巻き込み、世界を経済的にも政治的にも統治しようとしている。
 そして、霊的にもな」

 最後の一言には大神も思い当たることがあった。
 帝撃に揃ったメンバーの、異常とも言える国際色だ。
 日本の首都とは言え、日本政府だけの活動で集められるわけがない隊員たち。

「もう一つ、教えてやろう。
 私がバレンチーノフに命じて劇場に仕掛けさせたのは爆弾だけではない」

 大神の考え込んだ表情を見て優勢と思ったのか、レイノルズの舌はいささか軽くなっていた。

「魔法陣だ」

 言うと共に、レイノルズは縦横三十センチほどの石板を取り出して掲げた。
 どこに隠し持っていたのだろうという疑問を大神が抱く間もなく、そこに刻まれた古代文字が妖しげな光と共に鳴動を始める。

「観客を劇場から出さないようにしたのもこのためだ。
 何もかも都合が良かったのだよ!
 仇敵マリア・タチバナを生贄に、神崎重工の後継者も暗殺できる!」

 おそらくスタア改だけではなく、モトロール社から資金援助も得ているのではないだろうかと大神は推測した。
 でなければ、一度壊滅させられたマフィアのボスがこんな異国でここまで色々と活動できるとは思えなかったので。

「それと同時に、霊力の多くの人間を柱として、巨大な儀式が出来上がる。
 イングランドと手を組む、この愚かな国の首都でな!」

 日露の折にイギリスと日本との間で結ばれた日英同盟のことを言っているのだろう。
 とばっちりというか、逆恨みというか、ともかく承伏できる理屈ではなかった。

「俺にとってはマリア、何よりおまえだ」

 今までレイノルズが喋るに任せ、黙り込みながら薄く笑っていたバレンチーノフが、楽しそうに声をかけてきた。

「俺を殺し、レイノルズの旦那を破滅の寸前にまで追い込んだおまえを生贄にして、儀式は完成する!」

 石板に刻まれていた文字が全て光りきると、マリアは全身の自由が奪われていることに気づいた。

「た、隊長!」

 硬直したマリアの姿勢を見てそれを察した大神は、即座にレイノルズに向かって突進した。

「バレンチーノフ!そのyoungmanは使えん、始末しろ!」
「……ということだ!」

 スタア改が素早く大神の前に回り込む。

「どけえっ!」



第六節へ


初出、SEGAサクラ大戦BBS 平成十一年十二月二十九日



楽屋に戻る。
マリアの部屋に戻る。
帝劇入り口に戻る。
夢織時代への扉に戻る。