紐育の悲しき三角関係
第四節
轟華絢爛第一巻反逆小説
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翌日。
西洋人の姿に注意しながらも、昼の部の公演は滞り無く終わった。
ただ念のため紅蘭は、ファンからのプレゼント一つ一つに爆発物の検出作業を行っている。
紙の一二枚なら何とか透視もできるアイリスもそれを手伝っていた。
「はー、こういう事務処理って疲れるわ。自分で起こす爆発は慣れとんねんけどな」
「紅蘭、それ、ぼけつをほる、って言うんだよ」
時限式なら小さなゼンマイ時計と組み合わせても出来てしまうので、まず歯車の音を調べなくてはならない。
それに加えて、遠隔操作で爆破されたかも知れないと言うマリアの言葉を気にかけて、いくつかの金属反応などを感知する機械や、超紫外線透過機などを花やしきから持ち込んでいる。
「ふむ……見あたらんな」
「アイリスつかれたあ」
ともかく、今は何事も起こらなかった。
厄介なことになったのは、夜の部が始まってからである。
売店で椿が公演前の売り上げをチェックしていると、お客さんが今頃入ってきた。
大神は客席の警戒に当たっていていないので、椿は慌ててハサミを手にして駆け寄る。
公演が始まってしまっても、幕間から客席に入ることは出来るように取り決めてあるのだ。
もっとも、途中から見ようと言う人は少ないのだが。
不思議に思う椿の考えを肯定するかのように、お客さんだと思っていた男は意外なことを言いだした。
「あのー、この手紙を劇場の人に手渡してくれって頼まれたんですけど」
「はあ」
大雑把にだがことの事情を聞いていたので、これは何か重要なことではないかと思われた。
「あの、どんな人から頼まれたんですか?」
「んーと、白髪が入ってやたら目つきの鋭い西洋人だったよ。
ちょっと怖かったけど、日本語で説明してくれたしこれだけで仕事料をくれるって言うからさ」
男に御礼を言って……ついでに劇場のチラシも手渡して宣伝することも椿は忘れなかった……、ともかく由里とかすみのいる事務室にこれを持っていった。
To great imperial theater
大帝国劇場宛となっている。
「ふーん、なんだか謎めいているわね」
事務代表と言うことでかすみが手に取る。
この厚さなら爆発物を仕込むことはまず不可能なので、まあそれなりに安心して封を開けた。
それでも剃刀対策ぐらいはしながらだが。
「……ロシア語ね」
アルファベットとは微妙に違う文字がずらずらと並んでいるのを見て、由里は頭がくらくらした。
「かすみさん、読める?」
「……大変」
かろうじてロシア語の基礎は知っていたかすみは、断片的に文字を拾いながらどんどん顔色が蒼白になっていった。
「ど、どうしたの、かすみさん?」
「由里、お客様を外に出さないようにして!」
と言ってかすみはすぐ隣の支配人室に駆け込んだ。
中では相変わらず一升瓶を傾けていた米田だが、
「あん?どうした、かすみ。血相を変えて」
普段とは違うかすみの表情を見て、即座に顔から酒気を抜く。
元より、米田は酔ってなどいないのである。
「支配人、こんな要求文が……」
米田も、かつて日露戦争の戦場指揮官としてロシア語の授業は嫌々ながらも受けさせられていたので、かすみよりはすらすらと読めた。
まとめるとその内容は、
まずニューヨーク時代のことを引き合いに出しながら読む方が恥ずかしくなるような内容が連ねられており、
次に劇場の二つの玄関と劇場内の数カ所に爆弾をしかけて、マリア以外の人間が劇場から出てきたら爆破すると言うこと、
最後に要求として、マリア一人で来るようにとの指示とともに晴海の数ある倉庫の一つが指定されていた。
差出人署名は、バレンチーノフ。
マリアにではなく劇場に宛てて出したのは、逆に何が何でもマリアを引きずり出すためであることが明白だった。
七百人を越える観客全てが人質というわけである。
期限はあと二時間。
マリアに知らせずに解決することは、不可能だった。
幕間を、舞台装置故障のため修理時間を余分に取らせていただきます、という理由でいつもより長めにとって、花組全員に召集がかかった。
出演していないため時間のあった大神が、全員が集まるまでの間に爆弾を一つ食堂で発見している。
どうやらハッタリではないらしい。
皆一様に不安な顔を隠せないのはそのこともあるし、何よりも、こう言うときに一番頼りになるあやめがいない。
「あやめさんはどうされたんですか?」
「……あやめくんは、劇場内での銃発射と言うことで警察に行ってくれている。
そして今夜は、アイリスの光武の最終整備を補佐するために花やしきの方に泊まる予定だ」
ことここに至ってあまり隠し事をしすぎては更に警戒させてしまうと判断して、いつもなら黙っておくところを米田は少し話した。
現在紅蘭が爆弾の問題と出演の関係上で花やしきに行っていられないので、多少なりとも以上に霊子甲冑のことを分かっているあやめが代わりに最終調整をしに行っているのだ。
かなり特殊な光武になったので、花やしきの整備班だけでは霊力テストが出来なかったらしい。
まあ、この場とはあまり関係のないことである。
今問題は、あやめと連絡が取れないと言うそのことそのものにある。
それは花組の少女たちのみならず、米田すらも感じていることだった。
日清日露から降魔戦争を経て野郎どもをどやしつけることには慣れているが、少女たちの繊細な心を扱うことはあやめに任せきりだったので。
「そうですか」
三呼吸ほど考えた後、マリアは面を上げた。
「みんな、私は行きます」
「マリア!」
カンナが思わず声を上げる。
罠であることは火を見るより明らかだ。
「仕方がないわ。行かなければ劇場が爆破されるかも知れない。
爆弾をしかけたのが本当か嘘かは分からないけど、今の手紙を送りつけてきた手順を聞くと、誰かを雇って潜り込ませたら十分に可能なことだわ」
確かにその通りだ。
今日は西洋人にばかり注目していたあまり、逆に普通の日本人の行動はほとんど素通しに等しかった。
もしかすると、ボードヴィルが来るより前に仕掛けられていた可能性もある。
ともかく、爆弾は既に仕掛けられているのだ。
「だからって、マリア……」
「カンナ、あなたには分かってもらえるはずよ。
私の仇は、あなたのとは違って悔いるようなことはしなかったのよ」
それを言われるとカンナも言葉に詰まる。
父の仇討ちのために劇場を飛び出し、先日帰ってきたばかりなのだ。
ただしその相手が、父琢磨を殺したことを心から悔いていて、しかも尊敬に値する人間であると分かったので、カンナは彼を殺すことなく帰ってきた。
が、バレンチーノフはその正反対に位置すると言ってもいい。
丁度難しくなってきたところで、椿が入ってきた。
「あ、あの……。もう一通手紙が来たんですけど」
『え?』
今度はマリア宛で、確かめるまでもなく差出人はボードヴィルであった。
日本語というのものは面白いな、という雑談から始まって、色々と書いてあったが要件は一つ。
劇場に爆弾をしかけたから新宿にある廃屋に来いと言うことで、地図まで書いてあった。
さすがにマリアは一瞬ならず考え込んだ。
ボードヴィルは何を意図しているのだろう。
しかもこのタイミングは明らかに狙っているものだ。
どちらか。
どちらか……。
悩んだが、結局最初の結論に戻ることにした。
「隊長、劇場の方はお願いいたします。
私は出番が終わり次第、バレンチーノフの所に向かいます」
つまり、お客さんには何も知らせないでおこうということだ。
「マリア、バレンチーノフを相手に勝算はあるのか」
嘘をついても分かるぞ、と言う強い口調で大神は尋ねる。
死地に行く覚悟、などというなら、絶対に行かせない。
一度大神の視線から逃れるように目をつぶって、それからゆっくりと開く。
「かつて私には異名がありましたが、彼にはありませんでしたよ」
自分を鼓舞するためにも、マリアは少し不敵に笑って見せた。
「バレンチーノフを倒した上で、ボードヴィルに会いに行きます。
でなくば、私は彼に会わせる顔がない……」
かつて刹那に挑発されたときとは違う、冷静でかつ決意を秘めたその瞳に、誰も異論を挟めなかった。
「わかった。
紅蘭、携帯できる通信機か何か、持っていないか?」
「え?……光武用の通信機を小型化している試作機ならあるけど」
「それでいい。マリア、紅蘭からそれを借りて行くんだ。
何かあったときは必ずこちらに連絡すること。
紅蘭、アイリス、さくらくんは、出番が終わり次第俺と一緒に爆弾の捜索。
見つけたら……紅蘭、解体は出来るね」
「もちろんや。この帝劇でうちに爆発で勝とうなんざ十年早いことを見せつけたる」
半分冗談が入っていたのかも知れないが、こちらの意見にもやはり誰も異論を挟めない。
「すみれくんとカンナは、得意のアドリブで何とか公演時間を稼いでくれないか。
遠隔操作の出来るらしいバレンチーノフをマリアが倒すか、それとも全爆弾を解体し終わるまで」
「えーえ、このトッップスタア、神崎すみれの独り舞台をとくとお客様に堪能していただきますわ」
「安心しな隊長、このサボテン女をどつき倒してでもお客さんを楽しませてやるぜ」
…………。
またも険悪になりかけたが、さすがにここで喧嘩とはならなかったので皆ほっとする。
それと共に米田は、この三ヶ月で花組の信頼をずいぶんと得てきて隊長らしくなったこの青年を、いささかまぶしく見ていた。
「支配人」
「おう、何でい」
「客席の捜索には、黒子衆の皆さんにやってもらいたいのですが、出来るでしょうか」
「了解しました」
『うわああああああっっ!?』
いきなりぬっと声がしたかと思うと、その場に黒子が二人姿を現していた。
米田以外の人間は全く気づいていなかったので、さすがにびっくりする。
ただ、これで彼らの腕は十分に信頼できることが分かった。
「お任せ下さい。お客さんにも誰にも気づかれないで仕事をするのが黒子の信条です」
「よし、おめえらに任せたぞ」
「はっ」
すっと黒子二人が姿を消す。
見事な身のこなしだった。
「ただしマリア。個人的なこととはいえ、状況次第では大神をそちらに向かわせる。
この様子ではどうも、バレンチーノフってのは帝撃の方は知らんらしい。
轟雷号に放り込んでしまえば、おそらく相手方に察知されることなく行くことが出来るだろう。
それは、いいな」
米田も念には念を入れる。
一対一で片づけたいというマリアの信条も分かるが、信条よりはマリアの命の方が大事だし、
同時に客席を埋める七百人を越えるお客さんの安全にも関わってくるのだ。
生身の直接対決となると、海軍士官学校主席の大神に勝てる人間はそうそういるものではない。
大神を直に誉めているわけではないが、この決定には大神に対する信頼感もあった。
マリアに言いつつ、大神にも命令しているのである。
「はい」
「はい」
二人の返事が重なった。
「よし、とっとと劇を再開させて、各人の働きを期待する」
花組が一階に戻ると共に、米田は司令室の設備を使って爆弾の捜索を始めだした。
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初出、SEGAサクラ大戦BBS 平成十一年十二月二十九日
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