魔鏡・後編
花組対戦コラムス2反逆小説



「うーん、大神はんでもかえではんでも駄目やったんか」

 パーツが所狭しと置かれている部屋で作業し続ける紅蘭に、かえでは夕食を持ってくるついでにここまでの経過を説明した。

「そうすっと指向性から絞り込むんはほとんど無理やな。
 やっぱ、このパーツは省いたろ」

 そう言って紅蘭は、組み立て中のマシンからいくつかパーツを抜き取って、代わりに終端抵抗をとりつける。

「紅蘭、どんな風にするつもりなの?」
「よく聞いてくれた、かえではん!
 たまたま使おうと思っていた霊子水晶発振子がええロットに当たったらしくってな。
 オーバークロック耐性が高い奴やったんや。
 だからデュアルで使用して、二つの発振位相差からかなり詳細な桁で霊力値を測定できるようにするつもりやねん。
 お二人でも無理っちゅうことはかなり感度をよくせなあかんやろうからな。
 いやー、いい発振子で助かったで。
 この調子ならあと三時間ほどもすれば出来上がるさかい、もう少し待っておいていただけます?」
「……え、ええ。いいけど……」

 話の半分も見えなかったが、ともかく期待していいらしいと安心してかえでは食堂に戻ることにした。


*     *     *     *


 メンバーのうち四人までもがいつもと食べる量が違っている妙な食事なので、どうしても盛り上がらない。

「何でごはん一回おかわりしただけで満腹になっちまうんだ」
「食べても食べても食べた気にならないってどういう事ですの?」

 と、どうもいつも以上に刺々しい。
 それでも一応食べ終わると、話は自然に先ほどの実験失敗の件に移っていった。

「もう一度よく考えてみよう。
 最初はすみれくんとカンナだ。次はマリアとアイリス。
 だが、同時に鏡面をのぞき込んだだけなら楽屋の時は他の組み合わせでもありえたはずだ」
「ええ。あの瞬間、私も鏡を見ていました」

 お茶を入れるために茶碗を温めつつ遠慮がちにさくらが大神の意見を支持する。

「一方で、レニと織姫くんでは何も起こらなかった。
 これは、組み合わせも大きく関与しているんじゃないかな」
「魔術が、発動しやすいような相性があるということ?」

 さすがにかえでは鋭い。

「ええ、この組み合わせだったら精神が移動しやすいって要素があるんでしょう」
「ちょっと待ってくれ隊長!何でアタイとこのサボテン女が……」
「でも……、お互いを一番よく解っているだろう」

 と、大神に真顔で言われては二人とも反論しきれない。
 顔を見合わせてしまって慌ててフン!としてから、よく考え直す。
 事実、そう思っていた部分もあるのだ。
 相手のようになりたいと。
 かえでは大神の言わんとするところを、大神が言うのを避けたがためによく察することが出来た。

 そうするとつまり、マリアとアイリスは……
 なるほど、アイリスが考える大人女性というものの一つの理想がマリアであり、
 マリアにとっては闘いの連続でしかなかったクワッサリーの幼少時代よりもアイリスのような純粋無垢に憧れたのかも知れない。
 さらに……レニと織姫で納得が行く。
 この二人はつきあいこそ長いが、お互いに憧れているところと言うものがない。

 だが、これらの事実は本来心の中にしまわれている秘密だ。
 他人がそれを覗き見ていいはずはないし、利用していいことではない。
 ましてやこのように精神を取り替えるなど。

「とにかく、魔術を発動させたところを逆探知、と言う手は使えないわ。
 こうなると紅蘭の発明に頼るしか無さそうね」

 その言葉に、みんなが一斉に不安そうな目を返してきたので、さすがのかえでも冷や汗が漏れる。
 隊員たちの部屋は隣接しているので、副司令室よりもずっと紅蘭の爆音を聞き易いのだ。

「ま、まあ……、みんな。そんな顔しないで。
 今回は自信作みたいだから」

 その自信作に何度と無く爆発に巻き込まれてきたので、あまりフォローになっていなかった。

「もっと重大な問題は、果たして元に戻れるのかと言うことですね」

 アイリスの顔でだが、マリアがその場を引き締める。
 精神が入れ替わってそのまま順応など出来るわけがない。

「多分、この手の魔術は使った奴をとっちめれば直るはずでーす!臭いものにはフタでーす!」
「織姫、それ意味が違う」

 げんなりしたところでさくらがお茶を入れて持ってきた。

「はい、大神さん」
「ああ、ありが……」

 ブウンッ……

「何ッ!」
「まさか……お茶の……水面っ!?」

 バリバリバリバリバリバリッ!!

 みんなの注目が集まる中で黒い稲妻が炸裂する。
 突然のことだったが、レニと織姫は目を凝らして現象を観察する。
 やや上の方から寄り集まった稲妻が二人を繋ぎ、そしてまた分散する。
 つないだ二人とは、

「き……きゃああああああっっっ!!」
「え……?うわあああああっっっ!?」

 悲鳴を上げたのは大神とさくら、いや、順序を正確に言えばさくらと大神だ。

「大神くん!悪いけど気絶して!」
「え?」

 精神交換の衝撃で我を忘れている大神……さくらの身体だが……に、かえでの当て身が入った。
 さすがに慣れない身体では反応も出来ずに、大神はあえなく失神する、

「女の情けだと思って……ごめんなさい、大神くん」

 両性どちらにしても恥ずかしいが、客観的に見ても男性が女性の身体をどうこうという方が問題が大きいだろう。

「すみません……かえでさん……大神さん……」

 ほとんど泣きそうな顔ではあるが、大神の精神がひとまず意識を失ったことで、さくらはかろうじて気が狂わずに済んだ。
 もし大神の意識があって自分の身体を体験されていたら……と思うと恥ずかしくて死にそうだ。
 今の状態ですら、現実逃避したくて遠くを見ているというのに。

「それにしても……どういうことだよ。隊長とさくらが入れかわっちまうなんて」


*     *     *     *


「その場合は、さくらの憧れだろうな」

 とりあえず大神もさくらも医務室に寝かせてから、かえでは支配人室に報告に来た。
 話を聞いての米田の素直な感想がそれである。

「恋心だけで、ですか」
「いや……そうじゃねえ」

 いつも机の上に置いている対降魔部隊の写真の一角、一馬をそっとこづいた。

「さくらは、考えちまったことがあるんだろうさ。
 自分が大神くらい強かったら、
……あるいは、自分が大神に救われたように、八年前に一馬の傍にいて大神と同じことが出来ていたら……ってな」
「……」

 おそらく、それが正しいのだろう。
 だがこれも、本来はさくらの心の内にしまっておくべき事だ。
 他人がはっきりとわかるように引き出されていいはずがない。
 かえで自身、そうなりたいと思ってしまったことがある。
 自分よりもずっと優れていて、どこまでも先へ行ってしまった姉あやめに憧れたこともある。
 その姉を死なせてしまった後悔から、自分がそのとき帝劇にいたらと思ってしまったこともある。
 だが、こんな形での実現など誰も望んでいないはずだ。
 まして羞恥のあまり絶望しているというのが今のさくらの状態である。
 医務室に寝かせるときも、さくらの視線は宙をさまよい、現実を受け入れようとしていなかった。

「ともかく、敵さんが帝劇内のどこかに取り憑いていることは間違いねえな。
 これだけ探しても見つからないと、霊的生命体としか考えられん」
「ええ、織姫とレニもおそらく二階か三階に潜んで仕掛けてきているようだと言っていました」
「鏡だけなら絞れるが、窓ガラスまで含めると特定はほぼ不可能だな」

 いくら何でも全部割ってしまうという手段は最後の最後にしたかった。
 明日も休演日ではなく夜の部がある。
 帝劇内に何かあったという痕跡を残しては、このとてつもない醜聞が表に出てしまうからだ。
 それは帝劇のイメージが云々以上に、嫁入り前の娘を持つ父親として断じて避けねばならなかった。


*     *     *     *


 紅蘭が息せき切って支配人室に駆け込んできたのはそれから二時間後であった。

「できたで!新発明クロスカウンターくんや!」
「……えーっと、拳闘の用具か?」
「んなわけあるかいな米田はんっ!」

 さすがにこんなときもツッコミは忘れない。

「まあ、ともかく、どういう機能を持っているのかを教えてくれ」
「うん、このマシンはな、その地点での微弱な霊力を測定して数値化してくれるんや。
 指向性探知が無理なら霊圧等高線を作ってしまえばええねん」

 日本全国の気圧値から高気圧や低気圧の場所を探り出すのと同じ原理である。
 というわけで、誤差を少なくするためにみんなは一旦地下に移動して、紅蘭一人が二階を探知することになる……のだがこれには危険すぎると米田が難色を示した。

「おめえ一人を危険なところに残すくらいなら俺が代わりにやってやる」
「米田はん、気持ちは嬉しいけど、敵さんの行動を聞く限りでは一人の方が安全やで、きっと」

 確かに、今まで至近距離にいる二人でしかあの現象は発生していない。
 二人だとかえって危険だというのは納得できた。

「……わかった。ただし測定が終わり次第戻って来るんだぞ」


*     *     *     *


 しんと静まり返った劇場は確かに不気味である。
 大神が普段見回りをしてくれることの有り難さがよくわかった。
 しかし、ここは一人でやらなければならない。
 念のために、対処用の武器も用意してきた。
 まず大まかに四点を測定して場所を絞り込む。
 まったく姿を確認できなかったことから考えて、敵が移動しているとは考えられなかった。
 どこかに留まっている。
 図書室、サロン、舞台上部、テラス。
 意外にも一番強かったのはテラスだった。
 その周辺の二階ホール、二階客席、食堂吹き抜け、そして……

「ここやったんか……」

 大神が探知できなかったのも無理はない。
 来客用婦人化粧室だった。


*     *     *     *


 報告を受けて、化粧室前にみんなが集まる。
 念のため、気絶したままの大神も連れてこられていた。
 敵を倒したときに二人が離れていては、もしかしたら元に戻らなくなるかも知れないと思われたからだ。

「ここは、個室の中も掃除用具入れも探したのだけど……」

 慣れないアイリスの身体で考え込みながらマリアが言う。
 一応銃も持っているが、アイリスの手ではほとんど扱えないだろう。

「おそらく実体はないのよ。
 今までに使った魔術から考えて、鏡に取り憑いているか鏡の化身かどちらかでしょうね」
 
 当然、化粧室には鏡が何枚もある。
 花組の少女たちがこちらの化粧室に来ることはまず無いので、誰もはっきりとは覚えていなかったが、十二三枚は確実にあるはずだった。
 収容人員七百名を超える帝劇は、化粧室も手を抜けるようなものではない。
 特に改築後はそれまでの要望を取り入れてずいぶんと広くなっていたはずだ。

「さて、問題は敵さんをどうやって倒すかや。
 うちはこんなこともあろうかと作っておいた自由霊子除去装置おはらいくん二式改を持ってきたけど、さっきも解説したとおり、何かに取り憑いているものに対して使うには出力がまるで足らんのや」
「鏡から引っぱり出すとして、どうやって引っぱり出すかが問題だな」

 米田は方術士の知り合いが何人か宮城にいるが、事件の内容が内容なので、出来ればこのまま外部には漏らさずに済ませたいところである。
 それに他の組を召集している時間もなかったので、花組以外でいるのはここにいる加山と密かに控えている月組が数名くらいである。

「引っぱり出す……ね」

 かえでは先ほどからじっと何かを考え込んでいる。

「鏡を割ればもう戻れねえんじゃねえか」

 すみれの身体に入っても単純明快なのは変わらないカンナらしい意見が飛び出る。

「いや、それは無数の破片に逃げられる可能性があるからよくない。
 むしろ鏡の表面を変形させて反射を防ぐ方が有効だ」
「へえ、なるほどね。鏡の表面ってのはガラスだから……熱で炙りゃあいいんだな。
 ということは……」

 みんなの視線が一旦カンナに集まり、それから思い出したようにすみれに移る。

「無理ですわ。
 さっきから試そうとしていますけど、まるで霊力が駆使できませんの。
 カンナさん、私の身体を使っているのですからあなたの方が使えるのではなくて?」
「いや……、そういう霊力ってどう扱っていいかわかんねぇからよ……」

 霊力が精神と肉体のどちらに依存する物なのかについて確たる説はまだ確立されていないが、そもそも各々の必殺技は相当に鍛練を重ねた末に身につけられたものである。
 一朝一夕で操れるものではない。

「仕方がありませんねー。私がやりまーす」
「織姫、炎を操れるの?」
「太陽の娘をバカにしないで下さいアイ……マリアさん。
 要は熱を一気に加えればいいだけのことです」

 それに、織姫の戦法は複数周囲を一気に薙ぎ払うことを得意にしている。

「……それはええけど、その前の引っぱり出すんが問題なんやっつーとんのに」
「…………仕方がないわね」

 やけに澄み切った声でかえでが立ち上がった。

「それは私がやります。
 いいわね、加山君」
「お、俺が……ですか!?」

 いきなり名前を呼ばれた加山は一瞬目を白黒させた。
 自分に許可をとるということはどういう……
 ということで、気づいた。
 わざと自分と精神を交換させて出てきたところで鏡を封じれば倒せると言っているのだ。
 レニと織姫では無理だから、誰かが代わりをしないと行けない訳だが……それにしてもだ。

「しかし、副司……」

 れい、と言いかけたところでかえでの人差し指が加山の額に押しつけられた。
 ちょっとだけめり込んでいる。

「つべこべ言わないの」
「……は、はい……」

 これは告白ではないだろうかと、さすがの加山もどぎまぎして真っ赤になる。
 加山も敵がどのようなことを利用して精神を入れ替えているかの想像はついていた。
 つまり、かえでは自分のようになりたいと思ったことがある……。
 いや、そういうことはともかくとして、それを試すと言うことはつまり結果としては……

「言っておくけど」

 思考が飛躍しかけた加山に、冷水を浴びせるかのような声が追加される。

「変なことを考えたりしたら元に戻った後でその額に風穴が空くからね」
「は・・・・・、は・・・・・い・・・・・・」
 朗らかなその笑顔が、美しくも怖かった。
 だが、それとは別に次の瞬間汗が引いた。

 うらやましい・・・・・・・・・・・・・

『!!』

 はっと、みんなの視線が化粧室の扉に集中する。

「聞こえましたか?」
「ああ、そりゃさすがに目と鼻の先で作戦会議やっていたら敵さんも気づくわな」

 相手が動けないと思って甘く見すぎていたかも知れない。
 ぽりぽりと紅蘭は頬を掻くが、そこで怖い笑顔を止めたかえでが喝を入れた。

「行くわよ紅蘭。除霊装置の準備はいい?」
「もちろんや」
「突入部隊以外の者は敵が出ていこうとしたら霊力を限りにして叩き込むので準備しておけ」

 神刀滅却を大神に与えた米田は、代わりのシルスウス鋼コーティング刀を用意してマリアたちに号令する。
 おそらく身体を入れ替えられた彼女たちに戦闘力は期待できない。
 しかしおとなしく待っていろと言っても聞くわけはないので、こういう命令を下すしかないのである。
 もし敵が表に出てきたら、米田は自分で食い止めるつもりだった。
 おそらくここで一緒に動けるのはレニくらいだろう。

「行くで!」

 紅蘭が扉を開けると共に、織姫、加山、かえでが中に乗り込んだ。
 婦人化粧室に入る加山は一瞬腰が引けたが、ここは気にしてはいられない。
 化粧室はその用途上、まず扉を開けてすぐに折れ曲がっている。
 そこを抜けたところには、異常な世界が広がっていた。
 十四枚の鏡が布をかぶせられたまま宙を舞っている。
 そればかりか、蛇口の水道が勝手に開いて水が鏡を洗おうとして渦巻いていた。
 いわゆるポスターガイスト現象というやつで、アイリスのいる帝劇ではそれほど珍しいものではないのだが、周囲の状況が違っていた。

 うらやましい……
 なぜ……
 わたしもあんなふうに……
 ぶたいのうえに……
 びじんだったら……
 ああなりたい……
 どうして……
 うつくしくて……
 かがやいていて……

 途切れ途切れだが意識が流れ込んでくる。

「こ……これが、敵の正体か……っ!」

 先頭の織姫めがけて向かってきた鏡の一枚をはじき飛ばしつつ加山がうめく。
 加山が先頭に立つと鏡の動きは心なしか鈍ったようにも思う。

「できれば、考えたくはなかった答えね。
 まだ幽霊の方がましだったわ」
「なんですかー、こいつらは。ゴーストとも違います」
「お客様の、想いよ」

 帝国歌劇団は少女歌劇団である。
 客層は特に固定されておらず、老若男女実に幅広い客が訪れることでも知られている。
 その中で、花組のスタアたちと同い年くらいの少女たちも多く来る。
 やりきれない想いと共に、かえではつけ加えた。

「あなた達と同年代の少女たちが、舞台の後で鏡を見て抱いた想いが、あれの正体よ」

 うらやましい……
 わたしもああなりたい……

「ふざけてまーす!それがこの事件の原因ですか!
 すみれさんはカンナさんになりたかったですって?
 マリアさんはアイリスになりたかったですって?
 望みを叶えてやったつもりですか!
 そうだとしても人の身体になって何が楽しいんですか!」
「あなたくらいに自分に自信のある人はそうはいないのよ。
 みんな鏡を見て、もしも自分が、と考えてしまうものなの。
 ……一部には、それが妬みにまで発展してしまったのかも知れないわ」
「だからってみんなの身体をどうこうしていい理由にはならん」

 怒りに燃えた目で紅蘭は、加山より前に進み出た。
 こんなものを相手に隠れているなんて自分が許せなかったのだ。
 とたんに鏡たちの動きが活発になる。

 うらやましい……
 あなたもでしょう……
 ああなりたいって……
 むねがおおきくなりたいって……
 せがたかくなりたいって……
 もっとびじんになりたいって……
 おもうでしょうおもうでしょうおもうでしょうおもうでしょうおもうでしょうおもうでしょうおもうでしょうおもうでしょうおもうでしょうおもうでしょうおもうでしょうおもうでしょうおもうでしょうおもうでしょうおもうでしょうおもうでしょうおもうでしょうおもうでしょう……!
「ふざけんな、このドアホウ!」

 誘うように迫ってきた鏡たちは、横にいる加山までびびるくらいのこの一喝で恐れをなしたかのように動きを止める。

「そうなりたいって思ったことはあるわ!
 せやけど誰かと交代したいなんてうちら誰も思うとらん!
 ああなりたいと思ったら、自分を磨いて鍛えて勉強して近づけるもんや!
 第一、父様と母様からもろうたこの身体を、なんで人にくれてやらないかんねん!!」

 ヒュウと加山が感嘆の口笛を吹いた。
 大神がこの場にいたら彼女に惚れ直すんじゃないだろうかと思ってしまう。

「人の心を勝手に暴きたてただけじゃない……。
 さくらと大神くんの身体を取り替え、女の誇りを踏みにじったお前を、私は許さない……」

 こちらのかえでは静かに怖いと加山は思う。
 作戦とはいえ、自分に憧れていると言う事実をかえでは口にせざるを得なかった。
 自分も、こんな状況ではなくてもっと別の状況で聴きたかったと思う。
 わからないからこそ、心が通い合ったときに嬉しいんじゃないかあ、とギターでも弾きながら語りたい気分だった。

「加山くん、鏡を暴くわよ!」
「了解!頼むぜ、織姫サン」

 一息に五歩踏み込んだ二人は、手近に飛んできた鏡を受け止めてその覆いを破り捨てた。

ブウンッ……!!

 鳴動と共に十四枚の鏡から妖力とも霊力ともつかぬ物が湧き上がる。
 それは、一瞬のうちに何十通りにも変わる顔を頭部の前後に持った朧な人の姿をしていた。
 その顔が加山とかえでのものに変化して……

「このソレッタ・織姫、自分以外の何者にもなりたいと思ったことはありませーん!」

 織姫の指先から収束され、赤熱した霊力光が次々と放たれる。
 鏡表面のガラスは窓ガラスと違ってそう硬質ではなく融点も低い。

「チョロいでーす!」

 十四枚の鏡が加山とかえでを入れ替えるより先に、ガラスと箔の固まりに変わった。
 依り代を失った朧な姿は何も出来ずにその場に立ちつくしている。

 ワタシモ……アンナフウニ……


「この除霊装置はな、うちが山崎はんの研究を元にして作ったもんなんや。
 憧れるってのは、自分でそうなろうとしてなるもんや」

 アナタモ……

「鏡ってのは、自分の心が現れた表情も映し出してくれる役目もあったはずや。
 すでにお前は鏡やない。……成仏、しいや」


*     *     *     *


「後味の悪い事件でしたね。結局何だったんでしょうか」

 翌朝目が覚めてみたら全部解決していて、やったことと言えば鏡を業者に注文するだけだった大神が、釈然としない表情で言うのを米田は苦笑しつつ聞いた。

「ああいう鏡を元にした妖怪の伝承ってのは昔からそう珍しくねえ。
 ましてここは人々の霊力が渦巻く場所だ。
 ある程度の副作用として、昔の霊場代わりになってしまったのかも知れねえ……」

 加山も調べてくれているが、犯人が霊的存在でしかも完全消滅してしまっていては難しいだろうと思う。
 内容も花組スタアたちにとっては……特にさくらにとっては醜聞になるものだし、大体こんな話を誰か信じるとも思えなかったので、この一件は密かに封印されることになるだろう。
 みんながめでたく元に戻れたので、黙りを決め込むことも出来る。
 紅蘭の除霊装置が発動した瞬間、元に戻れた一同は心底ほっとしたものである。

「大神、おめえもこの一件のことは極力忘れろ。
 ……特に、さくらと入れ替わっていたときの感覚はな」
「は、はいっ!」

 苦笑のまま釘を刺しておいた米田だが、実際のところかえでにあっさり昏倒させられてしまったので、大神はほとんど何も覚えていなかった。
 正直、ちょっと残念だと思ってしまうのが悲しい性だが、かえでには感謝しておかないといけないだろう。

「それでは、これにて」

 と、支配人室を出たところで、

「あれ?」

 ばったりとすみれ……元に戻っているはず……に会った。
 ただ、サングラスを掛けているわ、どうみても運動着のようなものを着ているわで、一瞬すみれかどうか考え込んでしまった。

「あ、あら……少尉、どうしましたの?」

 ちゃんとすみれらしい。

「支配人と話していたんだけど……君こそどうしたんだい?」
「い、いえ……その、外がいい天気ですから、少しは庶民のように風を味わってみようかと思いましたの……」
「……そうだね。いい天気だけど今日が夜の部からで助かったよ。鏡が無いって事で騒ぎにならずに済んだからね。
 それじゃ、オレはこれで」
「え、ええ」

 すみれのプライドを傷つけずになんとかその場を抜けることが出来た。
 本当は、少しカンナのようになりたいという気持ちが表に出てきたのだろう。
 それを言わせないくらいには、大神はすみれとのつきあいも長くなっていた。
 自分も運動しようかと思い鍛錬場に行ってみると、本来の主であるカンナの代わりに珍しい人物がいた。

「あ、お兄ちゃん」

 何とアイリスである。
 見ると鉄棒で懸垂をしているらしい。
 ははあ、とこれはすぐに合点がいく。

「カンナに教えてもらったのかい?」
「うん、こうすれば背が伸びやすくなるんだって」

 マリアくらいの身長になるにはそれでも大変だろうと思うが、それはあえて言わないことにした。

「ところで、カンナはどうしたんだい」
「さっきマリアと二人で出かけたよ」
「?」

 珍しいなと考え込んでいたら、お風呂から出てきたらしいさくらが通りがかった。

「あ……お、大神さん」

 ちょっと笑顔が引きつっている。
 無理もない。
 さくらの朝風呂というのがそもそも珍しい。
 多分、自分の身体を確認していたんだろう。
 まだ大神の顔を正面から見ることに抵抗があるらしいが、

「あ、あの……大神さん。これから中庭で手合わせお願いできますか」
「あ、……いいね。丁度俺も、そう思っていたんだ」

 自分の身体を慣らしたかったんだ……と墓穴を掘りそうなところでかろうじて言葉を差し替えた。



 中庭で始まった金属音に、織姫は少し目が覚めたが

「……まだ十時前じゃないですかー……寝ます」

 また二人の練習に気を留めるまでもなく

「はい、フント。朝ご飯」

 といつも通りのレニであった。



 昼ごろ、紅蘭の部屋から起こった爆発音で織姫はようやく目を覚ます。

「うーん、霊圧を三倍以上にするには設計の根本的な見直しが要るなあ」



 銀座の一角でカンナとマリアはやけに静かに昼食をとっていた。
 カンナの包みの中には髪洗い剤。
 マリアの包みの中はフリルのついた服であったりする。



 一方、

「甘かった……」

 加山は、絶望感に満ちた声を上げた。
 一緒に買い物に行かない?とかえでに誘われて、ほいほいとそれに乗ってしまったのが間違いだった。
 既に両手に買い物袋が四つ、さらに箱が三つ。
 もう一段箱が加わったらおそらく前も見えまい。

「加山くん」
「……まだあるんですか?」
「喫茶店に入らない?」
「は?」

 若葉色の上着を翻して、かえではさっさと先に行ってしまう。

「来ないの?」
「いえ、行きます行きます」



「鏡、か……」

 手鏡を覗きつつ、米田は一人つぶやいた。
 一応身だしなみを整えるのに使うことはあるが、自分の顔をまじまじと見ることは少なくなった。
 八年前の写真と比べてさえ、年をとったと思う。
 この老いぼれの身体と娘たちの誰かが入れ替わったりしなくて本当に良かったと思う。
 ただ、大神となら入れ替わっていた可能性もある。
 遙かに年下の部下でありながら、羨ましいと思ったことは何度もある。
 そして、かつて自分が出来なかったことをいくつも成し遂げてきたのだから。

「やれやれ……俺は年をとったか……」

 人生は一度。
 それも、自分の人生だ。

 あの鏡、自分を見つめ直す役にだけは立ってくれたか。
 荷物を抱えてかえでの後を歩いてきた加山の姿を窓の外に眺めつつ、米田はふっと微笑んだ。










平成十二年七月中旬書き下ろし



楽屋に戻る。

紅蘭の部屋に戻る。
帝劇入り口に戻る。
夢織時代への扉に戻る。