魔鏡・前編
花組対戦コラムス2反逆小説



 それは、前触れもなく現れた。
 いつもと変わらない朝の目覚め。
 いつもと変わらない公演。
 いつもと変わらない口論。
 いつもと変わらない客引き。
 それは、当たり前のようにそこにあった。

「まったく、何で私がこんな脇役をやらないといけませんの……」

 花組にとっての公演終了のベルと化した台詞をすみれがいつも通りにぼやきつつ、一同はどやどやと楽屋に戻っていった。

 何気なく見ている観衆はなかなか気づかないかも知れないが、舞台の上では化粧をしていないような役の者でもメイクをしている。
 舞台上は光の魔術が支配する領域であり、その魔術の中でも役者の表情ははっきりと確認できなければならないのだ。
 一般的な化粧とは違い、間近で見たら何の冗談かと思うようなメイクが、舞台の上では限りなく美しく見えるものなのである。
 が、終わってしまえばそれは、年頃の乙女達にとっては早く取ってしまいたい代物であるわけで。
 それに結構痒かったりするのである。
 かくてスタア達は早々に鏡に向かうことになる。
 脱ぎやすい衣装なら、先に脱いでからメイク落としをした方が衣装が汚れにくいのだが、頭からすっぽり被る型の衣装では脱ぐときに誤ってメイクの顔料がついてしまう可能性が高くなる。
 かくて簡易エプロンのようなものをつけてやることになる。

 それは、そこにあった。

 ブウンッ……

 鳴動がする。
 ここで、すわ爆発か、と全員が思ってしまうのは日頃の鍛錬というか経験の賜物だろう。
 だが、次に起こったことはその予想といささか違っていた。

 バリバリバリバリバリバリバリッッ!!

 例外なく霊力を持つ乙女達の目には黒い稲妻がその場を走ったように見えた。
 そして、始まりと同様に唐突に終わった。
 室内に変化はない。
 燃えそうな物がそこかしこにあるが、どれも焼け焦げていないし、誰も火傷一つ負っていなかった。
 そもそもこんな楽屋の中で稲妻なんて炸裂する方がおかしい。
 一人を除く全員の目が、どうしても一人の容疑者に向けられてしまう。

「紅蘭、また何か発明しようとして爆発させましたわね!」
「ちょいまちや、カンナはん!うちが爆発させるときはこんな爆発やのうて……ええっっ!!??」

 そこで今度は全員の目があっけにとられて見開かれる。
 今、紅蘭に文句を言ったのは、誰だ?
 恐る恐る全体を見渡してみて……

「どえええええっっ!な、なんでアタイがもう一人いるんだ!?」

 と、すみれ。

「ちょっと!わたくしがこんなごつい身体とはどういうことですの!」

 とカンナ。

 その声が響き終わったとき、言った当の本人達も含めて全員の顔から血の気が引いていた。

「一体なんなんや……これは……」


*     *     *     *


「えーっと、つまり、その……何だ」

 集まった花組を前に、米田は頭を抱えつつうめいた。
 日露の戦場で魔術部隊と対決し、魔による脅威をいち早く察知して対降魔部隊を作り上げ、現在は帝都の霊的防御機構たる帝国華撃団の司令を務める彼にとっても、今のこの現象ははいそうですかと納得できるような物ではなかった。

「ようするにだ。すみれとカンナの精神が入れかわっちまった、ということか」
「極めて不本意ですが、そういうことですわ」

 あごに手を当てて不機嫌を絵に描いたようなカンナ……いや、この場合はすみれになるのだ……が、心底からそう言った。

「アタイだってこんな弱い身体じゃやってられねえよ」
「おだまりなさいな。わたくしの身体に不満があるとでも言いますの?」
「不満だらけだぜ、こんなふらつきそうな足でよ」

 言っている言葉の発信源と受け取り場所がこんがらがって頭が痛くなってきた。

「紅蘭、おまえさんの発明品のせいじゃ、ないんだな」
「アホ言わんといて下さい。
 精神の交換が仮に固有霊子の交換によるとした場合、物理学的な方向からでは絶対に無理ですわ」

 そう言うと紅蘭は一冊のノートを取りだして机に広げる。
 米田にとっては泣きたくなるほど懐かしい字がそこには並んでいた。

「個人の固有霊子に関する山崎はんの研究ノートですわ。
 これによると、肉体と一緒になった霊子成分を動かすのに必要なエネルギーは、自由霊子に比して十の六乗倍あっても足りないらしいんですわ。
 まして精神交換なんて無茶苦茶です。
 それが出来るくらいなら、一部霊子を交換することによって霊子甲冑搭乗可能者は現在の十倍くらいにはなってますで」

 これまた懐かしい頭痛が起こる。

「あー、つまりだ。お前さんの発明を以てしてもこの現象を起こすことは不可能なんだな」
「不可能ではなくて、エネルギー的に無理、ですわ。
 霊子核機関を二十個直列にしたらあるいは可能かも知れませんけど、非効率的やし、多分それ以前に人間の身体のほうが耐えきれまへんで」
「ヴァックストゥームでも実験していたけど、精神の交換には完全に失敗していた」
「むう……」

 事態は深刻だ。
 紅蘭の発明ではない、ということはまだよい。
 問題は、紅蘭の発明でも無理、ということだ。
 どうやって治せばよいと言うのだ。

「……そんな莫大なエネルギーを要する現象が、この帝劇内で起こったってえのか?」

 話についていけなくて頭を抱えている一同を見やってから、当然湧いてくる疑問を米田は問いかけてみた。
 見たところ、二人ともに外傷はおろか服にも焦げ跡一つ無い。

「今まで解説したのは、あくまで科学的に攻めていったときの話ですわ」

 やや不本意そうに紅蘭がノートをめくったので、米田はピンときた。

「魔術か」
「そうとでも考えなきゃ納得いきまへん」

 再び広げられたノートの別ページには、魔法円などが描かれていた。

「うちは魔術は専門外やねんけど、科学では無理なことが出来るということくらいはわかっとる。
 ある手順を踏むことで活性化エネルギーの壁を桁単位で下げるというのもその一つや」

 活性化エネルギーというのは、物質がある状態から別の状態に変化する際に、今ある状態から抜け出すために必要なエネルギーのことだ。
 これが小さいほど反応が起きやすい。
 ということを、昔真之介に聞かされたような覚えだけはある米田である。

「今回の場合、すみれはんとカンナはんの間に精神を交換するためのなんらかの経路を作ったんとちゃうやろうか」
「わかった、それに関してはまずそう考えておくしかねえな」
「ちょっと!そんな簡単に済ませないで戴けます!」

 と、カンナ……ではなくてすみれがわめく。
 状況を考えれば本人の怒りももっともだが、怒られても困る。

「今はそう言う検証よりも先に術者を捕まえることだ。
 魔術と言うからにはそれを使う奴が必ずいる。
 そいつを捕まえて脅して元に戻させるのが最良かつ最優先だろう」

 皆、自分も同じ目にあってはたまらないという意識もあって、真剣に頷いた。

「まず、玄関の大神に不審人物が来なかったかどうか聞いてみてくれ。
 やった奴はまだ帝劇内にいる可能性が高い」

 祭礼殿でもある帝劇に、外部から魔術攻撃を仕掛けることは不可能に近い。
 こういった所も魔術と科学の違いである。

「特に、術者を発見したら迂闊に手を出すんじゃないぞ。
 織姫、レニ、おまえさんたちは魔術師との戦闘経験があったな」
「ある」
「もっちろんでーす!」

 星組時代の話なので花組の面々にはその経験がなく、貴重な体験である。

「戦いを仕掛けるのは最低でもこの二人が揃ってからだ。
 それから紅蘭、おまえさんは屋内用の高精度霊子力レーダーを作ってくれ。
 幽霊という可能性もある」

 至って真顔でその単語を吐いた米田に、八人ともあっけにとられた。

「何がおかしい。現実にこんな無茶苦茶な現象が起こっているんだ。
 何でも事実と受け止めつつ疑ってかからにゃいかん」
「了解や。ただ、完成するのは早くても夜になるで」
「うむ、とにかくみんな気をつけるんだぞ」


*     *     *     *


「いや、今日は変なお客さんはいなかったと思うけど……」

 大神が玄関でモギリをしているのは、体よく警備員を兼任させられているという側面もある。
 ここにまで女性を配属させるよりは、男を配備させた方が都合がいい。
 時々酔っ払いがやって来たりするが、大神がいともあっさりと取り押さえてしまうので、帝劇の警備は万全であるという評判も立つ。
 さらに帝劇の親しみやすさともあいまって、嫌がらせに来る者もほとんどいない。
 それでも大神はお客に最接するモギリとして、相手の気を警戒することは忘れないようにしている。
 だが、今日のお客さんは全員普通の人だった。

「で、何かあったのかい?さくらくん」
「ええ、実はカンナさんとすみれさんが……」


*     *     *     *


「まったく……なんでこうなっちまったのかねぇ」
「それはわたくしの科白ですわ。
 よりにもよってどうしてあなたなんですの」

 歩き回って直に犯人を見つけだそうとしたのだが、いつもと違う身体のために平衡感覚が保てない二人は、仕方なく事態が発生した楽屋で待機して身体を慣らしている。
 あんまり慣れても困るのだが、簡単に体操などして身体をほぐしている。
 同時に、犯人は犯行現場に戻るのではないかという推測の下に待ち構えているという心づもりもあった。

「しっかし、おめえホントに細いし白いなあ。
 この着物だって気を抜いたらすぐずり落ちちまいそうだし……と、危ねえ危ねえ」

 ぶつくさ言いながらカンナは、面倒なのでしっかりと肩まで袖を通してしまった。
 一応あの後、各々の身体の普段着には着替えていた。
 どちらも自分の精神以上に、身体が妙な服を着ることを嫌がったのだ。
 その理由はすなわち、似合わない、という感覚に集約される。
 そんなわけですみれとしては、そういう粋でない格好をされるといらだちが募ることになる。

「あなたこそ、こんな服か布か解らないようなものをきて、おまけに身体中日に焼けていて、野蛮で結構ですわね」

 と、いつもならここからさらにエスカレートしていくのが普通なのだが、

「…………」
「…………」

 面と向かってみれば自分の顔なのでいつもと全く勝手が違う……どころの騒ぎではない。
 それに、仮に実力行使にまで発展した場合、痛めつける先が自分の身体になってしまうとあっては、馬鹿ばかしくて喧嘩する気も失せてしまう。

『フンッ!!』

 と、お互いそっぽを向くに止めた。

 そりゃあ……すみれみたいに綺麗に着飾ったお嬢様生活に憧れたことだってあったけどさ……、そりゃあこういうんじゃないんだよな……。

 カンナさんみたいに、一人で自由な生き方をしてみたいと思ったことはありますけど……こんな状態なんか望んでいませんわ。

 そーっと背中越しに視線を向けたところで、お互いの目が合ってしまい、

『フンッ!!』

 と、なる。
 ひとまず視線は壁に向けておこうとしてすみれが正面を向くと、丁度そこに鏡があった。
 自分の顔ではないので壮絶なまでの違和感がある。
 だが、そこでふと思い立った。

「……カンナさん」
「なんだよ」

 相手の声で話しかけ、自分の声で返事が戻ってくることにまたも眩暈を覚えるが、ここは気をとり直して問いかける。
 事態解決の重大なヒントになりそうなのだ。

「あなた、あのとき丁度鏡を見ていませんでした?」

 あのときとはもちろん、互いの精神が入れ替わった瞬間のことである。

「ああ、慣れたとはいっても顔に何か塗りたくっているのは性に合わねえからな。
 とっとと落とそうとして向かっていたいたところだったけどよ」
「やっぱり、そういうことでしたの」

 ようやく合点が行ったというすみれの返事に、カンナも何を言いたいのか察知した。

「おめえもか?」
「私の場合はお芝居の間にメイクが崩れていなかったか確認するためですわよ。
 一緒にしないで下さいな」

 つまりは肯定である。

「……鏡、か」
「皆に連絡しなければなりませんわね」


*     *     *     *


「鏡には昔から魔術的な意味合いがある。
 魔術媒体になっても不思議じゃない」

と、これはもちろんレニの解説。
 ただちに、二人同時に鏡を見ないように注意しつつ帝劇中の鏡に布か模造紙がかぶせられた。
 しかし一方で、犯人らしき人物はまるで見つからないまま夜になってしまった。

「ねーマリア、もう犯人は逃げちゃったのかなあ」
「そうね、これだけ探しても見つからないところを見るとその可能性もあるわ」

 敵を見つけたときのために単独行動を避けて二人一組で動き回っている。
 マリアはアイリスの霊力でうまく察知できないかと思ったのだが、そう簡単には行かなかった。

「でも、犯人の意図は何なのかしら。
 すみれとカンナの精神を入れ替えるメリットというものが考えられないのよ」

 そうなると恨みか何かだろうか。
 窓ガラスに映る自分に、逆恨みの対象にもなったかつての自分を微かに垣間見るマリアである。
 外が暗くなっているので、悩み込んでいる自分の顔がよく見える。
 精神が入れ替わるというのはどういう状況なのだろう。
 他人になるというのは……。

「マリア、何を見ているの?」

 と、アイリスが身を乗り出して来た。
 何をと言っても、見ていたのは自分の姿だ。
 鏡のように映っている…………

 ブウンッ…………

「……しまっ……!!」

 気づくのが一瞬遅かった。
 黒い稲妻が窓ガラスに映ったマリアとアイリスの姿を吹き飛ばす。

 バリバリバリバリバリバリッッ!!

 炸裂音に集まった花組の前には、

「あれ……?アイリス背が高くなったの?」
「わ……わたし……、これは……一体?」
「今度は……マリアとアイリスか……っ!」


*     *     *     *


 なんとか我を取り戻したマリアの指示で、滅多に使われることのない廊下のカーテンまで全て閉められることになった。

「つまり、まだ犯人はここに残っているってことですねー。やることがピンポイント過ぎマース」
「でもこれは……本当に幽霊かもしれないわね」

 危ないのでパネルにまでカバーをかぶせた作戦司令室で、かえでは頭を抱えた。
 霊力を駆使することには長けているかえでも、捜索能力には秀でた加山や大神さえも敵の気配を察知できないのだ。
 なお、普段紅蘭の座る席には代わりに加山が座っている。

「ためしてみましょうかー?」
『え?』

 得意満々の顔で言い放った織姫に、みんなの注目が集まる。

「見つからないのなら、いっそかかって見るんでーす。
 虎穴に入らずんば虎児を得ずとも言いまーす」
「ちょっ……ちょっと待った、織姫くん!
 かかってみるって、そんなことをしたら精神を入れ替えられてしまうんだよ!」
「対魔術の防御くらい張りまーす。
 向こうの魔術が失敗したところを逆探知するのデース。いいですね、レニ」
「……気は進まないが、了解」

 確かに、対魔術となるとこの二人に頼るしかないのは先ほど米田自身が言ったとおりである。
 渋々、米田も認めた。


*     *     *     *


「さーあ、やってみるデース!」
「準備完了」

 念のための物理防御力も考えて戦闘服に着替え、霊的防御のための霊子水晶をいくつか身につけている。
 レニは厨房にあった香辛料の中から実用に使えそうな物を選び出し、服用と香焚きに使った。
 また織姫も両手の甲に絵筆で文様を描く。

「ひとまずこんなところですね。感覚はどうですか、レニ?」
「問題ない」

 はあ、と残りの面々は感嘆しつつ眺めている。

「西洋の魔術なら、即席のこれでも十分堪えることが出来るはずデース」

 彼らはそうやって星組時代を生き抜いてきたのだ。

「まあ、そう古い日本の魔術じゃあねえだろうよ」

 米田は感覚で相槌を打ったが、実際に修験道や法術に関連しているとは思えなかった。

「さ、はじめましょうか」

 はらはらしている周囲とは裏腹に、織姫本人は至って呑気に楽屋に入った。
 続いてレニも入り、最初にカンナとすみれがみていたもののそれぞれに向かって二人は座る。

「じゃ、おおいを取ってくださーい」

 大神と加山が声を合わせて鏡のカバーを取り除くと、二人の姿が鏡に真っ正面から映り……そして、何も起こらなかった。

「うーん、おかしいですねー」

 今度は違う鏡でやってみたが、

「反応無し」
「どういうことですかー?」

 それじゃあと職員用化粧室まで行って試してみたのだが、やっぱり反応しない。

「防御しすぎてしまった、ということはないのかな」
「その可能性はありませんよ、少尉サン。
 これらはあくまで受け手の防御であって、相手の発動を抑えるなんて曲芸出来ませーん」

 外でつぶやいた大神に律儀に答える織姫だが、それでも首をひねってしまう。

「そうだな、ひとまず食事でもしながら考えようよ」

 ドタバタしていたので、みんなまだ食事をとっていなかった。
 言われてようやくお腹がすいていることを思いだした一同は、どやどやと食堂に乗り込んでいった。


後編へ続く




平成十二年六月末書き下ろし



楽屋に戻る。

紅蘭の部屋に戻る。
帝劇入り口に戻る。
夢織時代への扉に戻る。