帝都とは思えない光景が続いていた。
数年前の記憶より一段か二段高さを増した街並みは、空へ溢れるほどの光で満ち、夜空から星を奪い取ったかのようだった。
そう、星が見えない。
まるで今の自分そのものだと、ハチははため息をついた。
西へ向かって歩いた次の角がもう大帝国劇場だ。
しかし、公演を見ることは出来ない。
理由は明快すぎるほど明快だ。
ハチはチケットを持っていない。
普段の公演なら数少ないながらも当日券という手があるにはある。
だが、今日は特別な日。
去年と同じように、特別な日。
クリスマスイヴ一夜限りの公演、奇跡の鐘。
当然のように、チケットは全て前売りで完売している。
一部は独逸や仏蘭西大使館、あるいは貴族院など政府関係者向けに確保されたとも噂されている。
抽選となる一般販売はすさまじい競争率になった。
コネのあてがない金持ちが使用人総出で応募したという話すらある。
当然のように、ハチは落選した。
何とか手に入れたかったが、裏市場ではヤクザ者やギャングが横行し、正規価格の三十倍以上というとてつもない値段になっていた。
花組のためなら家を売ってでも、というのが豪な帝劇ファンの口癖だが、それも出来なかった。
ハチの家は太正十三年の三月に焼け、今は借家住まいなのだ。
だから、スタアは見えない。
気がつけば大帝国劇場の前まで来ていた。
防音設備が完備されている建物でも、地を震わせるような歓声と、公演中の独特の雰囲気は嫌でもわかる。
何度も見慣れたはずのそれは、しかし、どこか別の見慣れない建物のように見えた。
そういえば、今年はここに来ることも少なかった。
公演そのものが減っているのだ。
三年前の太正十二年には、毎月のように公演があり、ハチも足繁く通ったものだ。
だが今年は、夏公演の時期にスタアたちが順次巴里巡業へ赴いてしまい、その間公演は無かった。
去年から季節公演制になって、しかも今年の新春は帝都上空に現れた怪物のせいでつぶれてしまった。
まともに見た公演はというと、夢のつづきと海神別荘のみ。
それさえも、チケットをとるのに苦労させられた。
回数が減った分、競争率は跳ね上がっているし、そして、花組に対する国際的な評価の上昇が、人気とファンとを増やしているために、さらに競争率は上がっている。
そして、花組の存在そのものも大きく変わっていた。
「いつからこんなに遠くなっちまったのかねえ」
自分の心そのままの内容十数歩先から聞こえてきたのでハチはびっくりした。
しかもその声は、聞き覚えのあるものだった。
「おめえ、クマじゃねえか」
声をかけると振り向いた顔は、よく見知った花組ファンの男の顔だった。
だが、その背中は、昔より幾分小さく見えた。
帝劇周辺の明かりがまぶしすぎる大通りから逃げるように裏通りへ入ると、なぜか人通りの少なそうなところに屋台が出ていた。
えらく若いのが、客のいない焼鳥焼き器の向こうでのんびり構えていた。
ちょうどいいので二人してそこに座る。
以前は毎日のように顔を合わせていたが、ここ二ヶ月ほど会っていなかった。
だが、しばらく何か言葉を発するでもなく、黙々と出された焼き鳥をつまむ。
ひときわ大きな歓声が帝劇の方から聞こえてきた。
お互いほとんど同時にため息をつく。
「誰だったか、なんとかいう作家の先生が言ったらしいんだが……」
「おぅ」
どちらからともなく、耐えかねたように会話が始まった。
「舞台と客席との間に、距離が感じられなかった、たぁ、うまいこと言うなと思ったね、俺ぁ」
「三年前の春だったか。よかったなあ、あのころは」
「花組もまだ初々しくってなあ。
あんときおめえはいたっけな?シンデレラの時の」
「おうおう、さくらさんが階段から転げ落ちて、あのすみれさんが珍しく血相を変えて救急箱を持ってきてなあ」
「そうそう、それだそれ」
「西遊記のときなんざ、最初の頃はまともに終わったためしがなくてなあ」
「一日として同じ舞台はねえ、たああのことだな。
すみれさんとカンナさんの喧嘩がどう火がつくのか、楽しみで何回立ち見で見に行ったかわかりゃしねえ」
「近かったよなあ」
「見ていてはらはらしたよなあ」
「なんで観客の俺たちが心配しなきゃならねえんだ、ってぶつくさ言いながら、それが楽しみでよぉ」
「なんとか終わると、ああ、今日もよくやってくれたよなあ、って」
「それがなあ、一年経ち、ぐっとあの子たちも上手くなって……」
「そのうちに織姫さんと、レニさんが欧州から来て、なんかすげえことになってきたと、俺はあんときわくわくしてたよ」
「気がつきゃあ、押しも押されぬ日本の顔となる大スタア」
「欧州の花の都にまで出張公演だぞうじゃねえか」
「豪華になっちまったもんだよ」
「今日の公演を見ている方々は、きっといい服着ているんだろうなあ」
「限定公演かあ、そういえば、以前にもあったよな」
「真夏の夜の夢……じゃねえ、真夏の夢の夜だっけ」
「そうそう、あのモギリのあんちゃんが脚本書いたって噂で大騒ぎになって……」
「見に行くって奴と、見に行かねえって奴とまっぷたつに分かれたのに」
「どいつもこいつも、俺たちより先にしっかり客席に座ってやがって、後で大笑いしたんだっけ」
「あんときは仕事が長引いてお互い大変だったが」
「花組が出張っていて、公演が遅れて……」
「副支配人だって別嬪さんがおにぎりを配ってくれたんだよな」
「おうおう、あの人あのときしか見てねえが、よく覚えてるぜ。それに隣の支配人まで割烹着でなあ」
「あんなに心地いい劇場は世界中探したってここしかねえって、思えたよなあ」
「あれが、最初のレビュウからざっと一年くらいだったか?」
「そうだな、そんなもんだな。その後ぐらいから子供やらにも人気が出て、いっきにお客が増えたんだ」
「俺たち庶民が楽しんでいるだけってのが贅沢だったのかもしれねえが」
「お互い焼け出されて途方に暮れているときに、無料公演やってくれたあの粋な支配人さんがなあ」
「いまや、すっかり上流階級に向けても恥ずかしくない、立派なショウときたもんだ」
「そりゃあ、俺たちの心配な娘たちが、偉くなったってのはうれしいんだが……」
「娘ってえのは、嫁にいっちまうもんかねえ」
「なんだか、雲の上にいっちまったよなあ」
「ああ、遠くなっちまったよなあ」
十二時の鐘が鳴る。
奇跡の時間が終わる。
願わくば、こんな奇跡が来年も繰り返されないことを。
*******未完*********
初出 平成十四年十二月二十四日 SEGAサクラ大戦BBS
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