遠き背を追いかけて
あやめ誕生日




「わたしたち、負けたんですね……」
「言うなっ!!」
「怒鳴んなよ。事実は事実だ……」
「ボクたち、勝てないのかな……アイツらに……」
「大神さん……何かおっしゃってください」

 負けたのだ。
 俺達は負けたのだ。
 怪人たちの王カルマール公爵に、完全にうち負かされた。

 太正十二年四月に帝国華撃団花組の隊長となって以来、初めての完全敗北だった。

「みんな、すまん……」

 チームワークがまるでなってなかったのも、俺の責任だ。
 初期メンバーであるエリカくん、グリシーヌの二人に、着任後に俺と出会ったことで花組に参加することになったコクリコ、ロベリア、花火くんの三人。
 たったこれだけの仲間たちの心を合わせることすら、俺には出来なかったのだ。

「すべては隊長である、俺の責任だ……」
「……大神さん……」

 慰めるようなエリカくんの声に、それ以上応えることも出来なかった。








 ソローニュ城の歴史は見かけ以上に古いらしい。
 もっとも今城内を案内されている俺がわかるのは、歴史ある建物が持つ独特の威厳と、アイリスが幼少期を過ごした場所だという事実から来る感慨のみだった。

「こちらでお待ちです」

 ジャン・ドレと名乗った案内役の少年は、アイリスとほぼ同い年くらいだろうか。
 物腰は丁寧なのだが、それでもなお隠しきれない敵意……のようなものが口調の裏にあるのを肌で感じ取っていた。
 しかしどう記憶を辿っても彼とは初対面としか思えないので正直困惑していた。

 終点にたどり着き、ようやく妙な緊張感から解放されると思いほっとしたのは否定できなかった。
 開かれた扉の向こうは応接室を兼ねた執務室だった。
 だが、ここに来るまでの城の雰囲気に比べるとかなり新しい印象を受ける。
 ソファや机、花瓶などの調度品は王政時代のものと思われるが、壁や窓枠、扉などは古くても十年かそこらだろう。
 その部屋で、

「久しぶり、というほどでもありませんが見違えましたよ、大神さん」
「またお目にかかれてうれしいですわ」

 アイリスの父母、シャトーブリアン伯夫妻が待っていた。
 以前帝都で会ったときよりもずっとくつろいで見えるのは、やはり慣れたところだからだろうか。
 それとも……アイリスがこの場にいないからだろうか。

「あのう、どうかそんな風に呼ばないで下さい。
 私はまだ若輩者です」

 フランスはおろかヨーロッパの経済に冠たるシャトーブリアン伯爵と、日本の一海軍中尉とでは本来立場が違いすぎるのだ。
 以前から申し訳なさを感じていたが、さすがに伯の執務室に来てまでその口調で話しかけられるとそう言わずにはいられなかった。

「それでは、一郎君と呼ばせて頂こうかな。
 私たちの未来の息子として」
「ええっ……!」

 この一撃で表情が吹っ飛んだ。
 さすがは交渉にも長けた実業家だ。
 夫婦二人してくすくす笑っているところを見ると冗談なのだろう……と信じたい。

「冗談はこのくらいにしておきまして、お座りください。大神さん。
 でも私たちは、貴方に感謝してもしきれないのです。本当に……」

 どこかに苦い後悔を溶かしたような深い笑顔の伯爵に促されて、座るというよりは身体が包まれる感覚のあるソファに腰を下ろす。
 座って一呼吸した絶妙のタイミングで、老執事が完璧な動作でコーヒーを差し出してくれた。
 部屋にいることも差し出す動作すらも、よほど意識しなければその場にいることを感じることが出来なかった。
 長年シャトーブリアン家に仕えてきた人なのだろう。

「ところで伯爵……、今日招待して下さったのはどういうご用件なのでしょうか」

 これでも巴里華撃団花組の隊長として、そう簡単には巴里を離れられない身分である。
 シャトーブリアン伯爵が巴里華撃団に協力してくれているという事情があったので、グラン・マは短時間の会見を許してくれたのだ。
 それでも念のため、受信能力の高い携帯キネマトロンを持たされている。

「あら、私がお招きしたとは考えて下さらないのですか?」
「あ。いや、それはそのぉ」

 マルグリットさんが拗ねたように冗談を言う表情は、なるほどアイリスに似ている。

「……今日が何の日か、思い当たりませんか?大神さん」

 責めているのではなく、純粋に尋ねるような伯爵の質問だった。
 思い当たることが無いわけでもない。
 しかしそれは、あまりこの場に関係ないことのように思われたのだ。
 その疑問が顔に出たのだろうか。

「今、あなたが考えていることですよ」
「あやめさんの……」
「ええ、賢人機関に尋ねて知りました。
 マドモアゼルあやめの誕生日が今日、七月三十一日なのだと」

 藤枝と呼ばなかったのは妹のかえでさんがいることを知っているからだろうか、などと考えたのは頭の一部だけで、あとはしばし混乱の中だった。
 あやめさんの誕生日ということを忘れてはいなかったが、そのことをシャトーブリアン伯から告げられるとは予想していなかったのだ。
 ようやくにして思考回路をまとめて思い出した。
 アイリスをフランスからスカウトしてきたのが、あやめさんだということを。

「この部屋は、私が彼女と初めて会った場所であり……、そして、命を救われた場所でもあるのです」

 伯爵の声は部屋が覚えている昔に呼びかけるようにも、自分の記憶を掘り起こそうとしているようにも聞こえた。

「彼女がアイリスを日本に連れていきたいと提案しにきたその時、丁度私は王党派に暗殺されそうになってね。
 彼女がいなければ私は今こうして生きてはいなかったでしょうし、アイリスも無事では済まなかった……いや、そんな単純なことでは済まないのです」

 口にしようとして伯爵は一瞬躊躇った後、懺悔のように

「あのとき彼女がアイリスを日本に連れていってくれなければ、私たちはアイリスを愛せなくなっていたでしょう」

 と、言った。

 それはきっと、物理的なことではなく……

「ひどい親でしょう……私たち」

 とっさに思い至った考えを肯定するように、マルグリットさんが呟いた。

「何よりも、誰よりもアイリスが大切だと思っていたのに……あの子を怖がっていたの。
 あの子に、何の自由も与えてあげることが出来なかった。
 恐くて……恐くて……」
「私たちは、アイリスに憎まれても仕方がないことをしたんです。
 いえ、あのままの状態が続いていたら、もしかしたら……」

 アイリスと一緒にいるときにはどうにも気づくことが出来なかった、二人の哀しみがようやくにしてわかってきた。
 だがアイリスは、両親への憎しみも恨みも口にしたことは無かった。
 少なくとも、自分が覚えている限りでは一度も。
 無邪気のうちに、遠い両親への愛情を確かめるように、何度も何度も手紙を書いていた。
 アイリスはまっすぐに育つことが出来た。
 そうさせたのは、あやめさんだ。

「私たちは、彼女に……いえ、あの方にどれほど感謝してもしつくせないのです。
 でも、何一つ恩返しが出来ないまま、あの方は逝ってしまわれたわ……」
「だからせめてあの方の誕生日に、あの方の思い出を共有させてほしかったのです。
 あの方の弟子でもある貴方と」
「え……」

 懺悔のように感じてから、ただ聞くことに徹するつもりだったのだが、伯爵のこの言葉には思わず声が出た。
 そんな風に考えたことはなかった。
 とまどっているのを見かねたのか、伯爵が諭すように続けてきた。

「気づいていらっしゃいませんでしたか?
 貴方は今、あのときのマドモアゼルあやめと、同じことをしているそうではありませんか。
 彼女がアイリスを始めとする帝国華撃団の隊員を集めたように、貴方は巴里華撃団の隊員を集めていると」
「あ……」

 そうか。
 さくらくんより前に帝撃花組に参加したみんなは、あやめさんが世界中を飛び回ってスカウトしてきたと言っていた。
 横浜からすみれくんを、
 紐育からマリアを、
 大連から紅蘭を、
 香港からカンナを、
 そしてこのフランス、巴里からアイリスを、
 帝都東京に招き、帝国華撃団を作り上げた。
 当時海軍士官学校生だった自分を見いだしてくれたのも、あやめさんだったと花小路伯爵が仰っていた。

 そうだったんだ。
 俺が今この巴里でやっていたことは、あやめさんの後を継ぐことだったんだ。
 零からではないし、そのためにした苦労はあやめさんの十分の一にも満たないだろうけど、
 コクリコを、ロベリアを、花火くんを、華撃団に招いた……俺がやっていたことは、あやめさんと同じことだったんだ。

 もう二度と会えない人と最期に別れた地から遠く離れたこの巴里で、もう一度、見えたような気がした。
 信じられないほどの重荷を負っていたあの細い背中が、遠くに見えたような気が。
 懐かしさが胸の奥から溢れてきて、しばし、顔をあげていられなかった。

 夫妻はさすがに大人だった。
 俺が顔をあげるまで、ただ、待ってくれていた。

 思い出と今の狭間からようやく帰ってきた俺を慰めるようなマルグリットさんの笑顔がそこにあった。

「でもね、大神さん。一つ勘違いなさらないで欲しいの。
 私たちは単に今貴方と思い出を共有したいだけではありません。
 私たちは、貴方にも、あやめさんと同じくらいに感謝しているんです。
 アイリスにたくさんの幸せを下さった貴方に」
「私たちは貴方をこんな風に思い出にしたくはありません。
 アイリスにももっと幸せを与えて下さることを願っているのです。
 ……欲張りな親でしょう」
「いえ……、絶対に、ご期待に添えられるようにします」

 あやめさんなら、もっと気の利いた言葉を言えたのかも知れない。
 だが今の俺にはこんな言葉しか言えなかった。
 それでも、夫妻は満足したように頷いてくれた。



 以前お会いしてからのことを報告したが、グラン・マとの約束の時間が迫っていたので残念ながら長くは話せなかった。
 必ずまた会えることを約束してその場を辞した。



 だが、帰り道列車に揺られながら、一つ、夫妻に言われずに済んだことに思い至っていた。

 初めて会ったとき、あやめさんは二十三歳だった。
 今の俺が、丁度二十三歳。

 とてもじゃないが、追いつけたという気はしない。
 むしろこうして思い出を振り返ってみて、いつまでも追いつけないのではないだろうかと思ってしまう。

 今あやめさんがいてくれたら、
 巴里華撃団花組を集めたのが俺ではなくあやめさんだったら、
 カルマールにも負けなかったかもしれない。
 多分、負けなかっただろうと思ってしまう。

 巴里華撃団のみんなを集めて、怪人たちを次々に破って、これで大丈夫だと過信していた。
 その実、チームワークすらままならない小隊だったというのに。
 あやめさんなら、とうにそのことに気づいていただろう。
 巴里華撃団花組メンバーの危うさに。

 俺は、間違っていたのかもしれない。


「あれ?」


 以前にも、こんなことがあったような……
 初めてじゃない。

 そうだ。
 あやめさんと出会って間もないころ、俺は一度蒼き刹那に倒されていた。
 そのときに、同じように思ったんだ。
 俺は間違っているのか、と。
 そのときに、

 思い出が堰を切って蘇ってくる。
 その中に、きっといつまでも忘れようはずもない言葉があった。

「何が正しいかなんて、きっと誰にも解らないことよ。
 大切なのは、たとえそれがどんな結果に終わろうとも後悔しないように、常に努力し続けることよ」

 思い出の中のあやめさんが、思い出のままの優しい微笑みを浮かべて、いま一度、言ってくれた。

「後悔しないように、常に努力し続けること……」

 言い聞かせるように、意味を確かめるように、口の中で言葉を繰り返す。
 あやめさんにはまだ追いつけなくても、俺にはまだ出来ることがあるはずだ。
 もっと出来ることがあるはずだ。
 もう、あんな後悔はしたくない。





 この後、俺はまたあやめさんの遺してくれたことに助けられてしまった。
 まだ、俺はあなたに追いつけません。
 でも、努力し続けることは忘れません。
 いつか、あなたに追いついたと思える自分になってみせます。





初出、SEGAサクラ大戦BBS平成十四年七月三十一日



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