去りし、我らが姉へ あやめ誕生日 |
東京湾、ミカサ公園。
「止まれ」
検問所の警備に当たっていた曹長が声をかける。
「何者か。これよりは許可無く立ち入ることは禁じられておる」
別に追い返そうというわけではなく、あくまで事務的な口調であった。
「海軍少尉、大神一郎です。先日許可を申請しております」
曹長の表情が一変した。
「失礼いたしました。お通り下さい」
襟を正して、即座に最敬礼をとる。
「他に、どなたかいらっしゃったか、お教え願えませんか」
階級は上というのに、青年の口調と物腰は、あくまで丁寧であった。
「米田中将が、半刻ほど前にいらっしゃっております」
青年、大神一郎の顔に、一瞬、かすかに微笑みのようなものが、少し苦くはあったが、浮かんだ。
「米田長官」
大神に呼びかけられた男、米田は驚きもしなければ、振り返りもしなかった。
「やっぱり、来やがったか」
大神の簡潔な返答に込められた意志を感じ、米田はニヤリとする。
「一周忌には、私は日本におりませんでしたから」
大神は、昨年四月から約一年間、海軍に復帰し遠洋訓練に就いていた。
「心配すんな。さくらが、おめえの分までとか言って、他の連中の倍以上の時間、祈ってたからな」
さくららしい、と思う。その心遣いが有り難かった。
「で、長官。退院は来週ではありませんでしたか」
五月に何者かに狙撃され、一時は絶望的とまで言われた米田は、現在も入院中のはずであった。
「てめえ、最近一馬の野郎に似てきやがったぞ」
そこで米田は初めて振り返って大神を見る。
二つの墓前に捧げられているのは、一升瓶と杯で、花はない。
「どうせ、おめえとかえでくんが持ってくるだろ。俺は持ってこなくていいだろうが」
面倒くさがっているわけではない。
「かえでさんは、まだでしょうか?」
現帝撃副司令藤枝かえでは、現在劇場支配人にして帝撃司令である米田に代わって、
「じゃあ、あやめさんの方は、かえでさんに譲りましょうか」
米田の前にある二つの墓のうち、一つには名前が彫ってある。
「ま、こいつは花よりねじ回しでも供えた方が喜ぶかもしれんがな」
米田が珍しく遠い目をしながら、独り言のように言った。
墓をなでながら、米田の声が微かに震えていた。
「あやめの苦労も知らず、のうのうと平和をむさぼる市民が、許せないと言って、一馬と大喧嘩しやがって・・・」
大神は、米田の口から対降魔部隊の私生活について、ほとんど聞いたことがない。
「力があれば、あやめくんを戦場に出さずに済む。自分一人で、全てを片づけることが出来る・・・。泰平をむさぼる市民に、苦しみをわからせることもできる・・・。それが、危険だと、何度も言ってやったんだがな・・・」
魂を捕らわれながらも、山崎少佐の意識はなお残っていたのだろう。
「手先は器用なくせに、そんなとこだけ不器用なんだから・・・、って、よく手紙に書いてきたわ」
「かえでさん・・・」
現帝撃副司令。あやめの妹、藤枝かえでが、花束を手にそこに来ていた。
「でも、姉さんは、そんな真之介さんだから、好きだったのね」
この姉妹は、幼いときこそ一緒に暮らしたものの、成長してからはほとんど一緒にいることがなかったという。
「かえでくん・・・」
つらそうな顔を見せた米田に、かえではそっと微笑む。
「ふふふ、大神とかえでくんが持ってくると思ってな」
本当に、この姉妹はよく似ている。
「大神くん、姉さんの誕生日だって言うのに、なんて顔してるの?」
そうだ。
「誕生日は、笑顔でいなければ、ね」
「それじゃ、真之介さんも、真宮寺大佐も一緒に。姉さん、誕生日おめでとう」
かえでの声に合わせ、三人は手を合わせ、瞠目する。
はじかれたように目を開けると、そこには悪戯っぽい笑みを浮かべた、かえでの顔があった。
「あやめ・・・さん・・・・・・・」
意図したわけではないのに、そんな言葉が口から漏れる。
「ふふっ、姉さんに、こんなことをされたんじゃない?」
その通りだ。
「あなたの気持ちは嬉しいわ。でもね。姉さんは、自分のために大神くんがいつまでも苦しむのを喜ぶとは思わない」
指に少し力を加え、大神の顔を軽くはじく。
「起こったことは変えられないわ。今、大神くんがしなければいけないことは、あんなことをもう二度と繰り返さないように、努力すること。二度と起こさないこと」
最後に付け加えた言葉は、葵叉丹となるな、ということだろうか。
面を上げた大神を見て、米田は唇の端で微笑んだ。
かえでが、心からの微笑みと共に言った言葉も、あやめを思い出させた。
「ならば大神、光刀無形を、黒鬼会の奴らから必ず取り返せ。あんな奴らに、あの刀を、真之介の刀を使われてたまるか」
光刀無形は、二剣二刀の一つ。
反論を許さない絶妙の間でかえでが米田の言葉に続けた。
「けーっ。まあ大神ぃ、退院のときに、留守を支えた褒美をくれてやっから、楽しみにしてな」
できれば、花組みんなと分かち合えるようなものなら、と思うのだが。
「おう、まあ、一週間待ってな。医者がうるせえからよ」
どうやら、かえでも知っているらしい。
「じゃあ、姉さん。またね・・・」
それは、生きてまた、と言う言葉。
「あやめさん、山崎少佐、見ていて下さい・・・」
高く見上げた空は、どこまでも蒼い。
巨大な船首が人々を見下ろすこの場所は、お台場に新築された放送局と並んで、帝都の新名所となっている。
七十年以上にも渡って、帝都の地下深くに隠匿され続けてきた、人類史上最強にして最大の兵器、空中戦艦ミカサの残骸は、見る者に秘密を知る快感と、戦いの無情さとを同時に覚えさせる。
かつて、
いや、あれからまだ、一年半も経っていない、未だ人々の記憶に新しい、太正十二年三月。
ここに、封印された幻の大地、大和が出現し、六破星降魔陣を凌ぐ災厄をもたらした。
ミカサは、大和最大の兵器と刺し違え、その役目を全うし、廃棄処分になった。というのが、公式発表である。
そこで何があったか、知る者は少ない。
今は公園となっている、この地面こそ、かろうじて海上に残った大和の一部であることすら、訪れる人々の多くは知らない。
そして、ここで流された、あまりにも多くの血の色も。
それらの全てを知っている訪問者が、ここに一人いる。
海軍の正式な軍服を纏った青年である。
ミカサはかつて、軍部の最高機密であったため、この公園の管理も実質は軍が行っている。
そのため、軍人の姿など珍しくは無いはずだった。
だがその青年の姿は、見る人の心に何かを刻んだ。
喪章をつけ、ささやかながら花束を手にしているだけで、確かに巡回の軍人には見えないが、それ以上に、
青年の表情を忘れることは出来そうになかった。
特に、あまりにも多くの哀しみと、悲劇をたたえたその瞳を。
青年は、公園の中でも人通りの少ない、高台の方へ向かっていった。
すぐに、柵と検問所が見えてくる。
ここからは、関係者以外立入禁止なのだ。
階級証をつけていなかったので、相手の身分がよくわからなかったとはいえ、相手が相手である。
書類の写真と確かに照合する。
階級としては少尉である目の前の青年は、実は救国の英雄と呼ばれても良い存在である。
だが、その所属部隊の機密性故に、表には知られていない。
秘密部隊帝国華撃団、降魔迎撃部隊花組隊長。
曹長は、このミカサ公園の管理官の一人として、かろうじてその秘密の一端を知っていた。
「・・・ありがとうございます」
むろん、曹長に悟られるほどではない。
曹長に会釈して、大神は立入禁止区域の奥へと足を進めていった。
木々が植えられ、公園下部からはうかがいしれないように、しかし、公園をくまなく見下ろせるように、その場所は設定されていた。
一人の男が、そこに座り込んでいる。
中将の階級証のついた陸軍の軍服を着た、壮年の男だ。
男の前には、二つの墓石が連れ添うように並んでいた。
男は、一升瓶をそれぞれの墓石の前に捧げ、じっと向かい合っていた。
「はい」
何としてでも来たかったであろうに。
もっとも、大神はこの上官の性格をよく知っている。
こんな日に、おとなしく寝台の上で寝ているはずがない。
大神の口調は、進言すると言うよりは、からかっているような印象を与えるものだった。
あの年下の親友に、顔立ちは似ていないのに、どこか思い出させる雰囲気を漂わせていた。
一馬の娘であるさくらは、おそらくそれをもっと感じているのだろう。
「ところで、長官。持ってきたのはお酒だけですか」
思いを分かち合いたいという心遣いから来た言葉だと、大神にはよくわかった。
「まあ、俺が仕事を押しつけちまってるからな。じきに来るだろ」
ほとんどの仕事を取り仕切っている。
「お?いいのか」
「あやめさんだけに花を添えたら、怒られてしまいますよ」
藤枝あやめ。
初代帝国華撃団副司令にして、かつての対降魔部隊員。
太正五年から始まった第一次降魔戦争においては、弱冠十五歳ながら帝国陸軍対降魔部隊の一員として、帝都を破壊せんとした降魔と戦い、降魔戦争終結後は、対降魔部隊の後継とも言うべき帝国華撃団の隊員を世界中から集めた、帝国華撃団設立の立て役者であった。
そして、太正十三年の第二次降魔戦争において、最強の降魔に魂を捕らわれ、帝撃の敵となり、大神との戦いの中で意識を取り戻せたものの、最後は遺体はおろか、遺髪すら残さずに光の中に消えていった女性だ。
墓の下には何もない。
ただ、あやめが消えていった場所がここなのだ。
歴史のある藤枝家の墓ではなく、ここに墓を作ったのはそのためである。
かつて、あやめと共にラジオ番組を受け持った長曽我部崇が、あやめが聞けるようにと、この公園から波の向こうにすぐ見えるお台場に放送局を再建したのも、同じ理由であろう。
海軍士官学校卒業後、訳も分からぬままに帝撃花組の隊長となった大神にとって、あやめは姉にも似た存在のあこがれの人であり、支えとなった人でもあった。
しかし、あやめには、長く思い続けていた人がいた。
あやめの墓を守るように、少し大きめに作られた隣の墓に、名前は彫られていない。
帝都を破壊せんとしたその男の名を、墓に彫ることは禁じられた。
そのため、御影石に赤黒い染料で名前が書かれてある。
それが、米田が自分の血を以て書いた物であることを、大神は知っていた。
山崎真之介。
翔鯨丸、轟雷号、そして光武の設計を手がけた、天才科学者。そして、あやめと同じく対降魔部隊員。
七年前の降魔戦争で、真宮寺一馬が破邪の秘法を用いたあのとき、降魔が滅んだその場に、真之介の姿も無くなっていた。
あのとき、なにがあったのか、共に戦った米田でさえわからなかった。
そして、それから五年。
彼は、葵叉丹という名で、帝都殲滅をもくろむ魔人となっていた。
第二次降魔戦争で、彼もあやめと同じく光の中に消えた。
それが、黒鬼会の鬼王とやらの先兵として、再び帝国華撃団の前に立ちはだかった。
呪われし帝都、という、謎めいた言葉を残し、最後は、その鬼王にとどめを刺された。
息絶えた真之介の亡骸を埋葬するとき、大神はただ一人立ち会った。
米田が涙するのを、大神はそのとき初めて見たように思う。
「こいつはな、誰よりも、あやめくんを戦場に出すことを嫌がってな・・・」
今の話も、初めて聞くことだった。
だが、山崎少佐の気持ちが、初めてわかったような気がした。
あやめを守るという意識より、帝都に敵する意識の方を利用されてしまっただけで。
だから、魂を捉えていた存在が消えて、反魂の術で蘇っても、彼は葵叉丹と名乗ったのだ。
大神も、何度同じ想いに捕らわれたかわからない。
少女たちを戦場に送ることに、嫌悪感を抱き続けているのは、大神も米田も同じだった。
ただ一つ、市民に思い知らせるという、それだけは納得できなかったが。
あやめとあまりにもよく似た、しかし、あやめであるはずがない声。
二人が振り返ると、あやめによく似た笑顔。
だがそれでも、何でも話すことの出来る、本当に仲の良い姉妹だったのだ。
「長官。やっぱり、お酒しか持ってきてませんね」
趣味は違う。活動の仕方も違う。だが、人を安心させるその笑顔は、あまりにもよく似ていた。
今日七月三十一日は、あやめの誕生日。
「・・・はい」
大神とかえでの二人が花を捧げる間に、米田は二人の一升瓶から杯についで、北へ向かって奉じた。
東北は仙台の地に墓のある、一馬のためのものだった。
目を閉じると、大神の脳裏には数々の思い出がよぎる。
初めて合った、舞台の上でのこと。
隊長失格と打ちひしがれていた自分にかけてくれた、あの言葉。
幾多の戦闘での、的確な援護と助言。
そして、赤き月の夜、向けた銃口。
聖魔城での、最後の戦い・・・・・・。
大神は、目を開けることが出来なかった。
最後の光景が、幾度と無く瞼の裏を往復する。
あのとき、自分に力があれば、誰も犠牲にしないで済むだけの力があれば!
後悔と無力感に、大神は再び苛まれていた。
山崎少佐の魂に感化されたのかも知れない。
このまま、自分も葵叉丹を名乗ればいい・・・。
そんな想いが、心のどこかに浮かんだとき、額に暖かい感触を感じた。
「コラ!なんて顔しているの?男の子でしょ」
一瞬、かえでの顔が、あやめのそれに見えたぐらい。
大神は、再び二つの墓を見つめる。
それがどんな結果に終わろうとも、後悔しないように、常に努力し続けることよ・・・。
あやめに言われたその言葉は、どんな結果でもいいという意味ではない。
後悔しないですむ結果のために、努力するということ。
「わかりました・・・あやめさん・・・」
それでいい。
お前は、お前たちは、誰かを犠牲にすることなく、力に溺れることなく、大切なものを守っていけ。
今ある、自分たちの力で。まっすぐな心で。
そう・・・、大神の力となっている光武は、真之介、お前が残してくれていったものなんだぞ。
それは、忸怩たる、しかし、誇らしい想いであった。
「山崎少佐のためにも、あやめさんのためにも、俺は負けません。黒鬼会にも、自分にも」
「よろしい」
「はい!」
米田は、神刀滅却を託したこの青年なら、自分たちの出来なかったことを全てやってくれる気がした。
破邪の力を使うことなく。誰も、死なせることなく。
そして、お前も死ぬんじゃねえぞ。
「さーて、帰るとするか」
「長官は、病院ですよ。ね、姉さん」
「褒美、ですか?お酒じゃないでしょうね」
「ちゃんとしたご褒美よ、大神くん。花組のみんなにもね」
よくわからなかったが、あえて大神はそれ以上聞かないことにした。
光の中に消えた、あやめの笑顔を、そこに見たような気がした。
隣の、かつて敵と呼んだ男の、優しい笑顔と共に。
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